凡人と地味様 その参
「うわぁぁぁ……」
公孫賛は文字通り頭を抱えて煩悶していた。
まだ払暁にも一刻はあろうかという未明である。
「なんで、なんでこうなっちゃったんだろう……」
幸か不幸か、彼女は酒をどれだけ呑んでも記憶を失うということがない。
故に、泥酔した者なら一度と言わず味わっているであろう、
「自分が何をして、何を言ったか覚えていない」
ということは一度たりとも経験したことがない。そう、どれだけ自分が泥酔しても、だ。
無論、それがいいか悪いかは判断の分かれるところであろう。
「うう。
……はぁ」
涙目でため息をつく。
そして、呟く。
「だ、抱かれちゃったんだよなあ……」
隣で暢気に寝息を立てる男と……。この、旧知の――と言うにはいささか距離が元々近かった――男と。
うわあ。うわうわと、内心の煩悶が頬を朱色に染めていく。
そして昨夜の痴態に内心で絶叫する。身悶えする。
自分が何を言って、どういう行動をしたか。いっそ忘れてしまいたい。
そりゃあ、憎からず思っていた相手ではある。が、そういう対象として見たことはなかった……と思う。
あくまで友人、親友。そう思っていたのだが。
だが、現金なもので、身体を重ねたと思うと彼の寝顔に愛しさのようなものを感じてしまう。
さて、自分はそんなに惚れっぽかったのであろうか。
問うて答える相手もいない問いだが、問わずにはいられない。そして当然応えもない。
まあ、自分が致命的な失敗をして無位無官になったとしても、自分一人くらいなら面倒を見てくれるくらいの甲斐性はあるはずだ。
打算と言うにはいささか、いや、かなりささやかなことを考えながら男の顔を見つめる。
どうということのない顔つきである。至って凡庸。どう贔屓目に見ても絵姿のような美形には見えない。
まあ、男は顔ではないと誰に向けてか弁護を開始するが。だとすれば女は顔なのだろうか。そんな益体もないことを考えてしまう。
自然、自分の容色を振り返る。
けして、不器量、ではないと思う。が、この男を取り巻く豪華な顔ぶれを思うといささか地味、かな、などと。
「てい」
なんかむかついたので男に抱きついてやる。
高めの体温が心地いい。
男が寝ているからであろうか。不思議と肌を重ねても羞恥は湧き起こらず、どこか安心感と愛しさが胸に湧き起こる。
「じ、ろ、う?」
男の名を呼ぶ。
昨日までとは意味合いが違う呼びかけ。
それに気づくことなく眠り続ける男の様子がとてもおかしくて、なんだか嬉しくて。
「ばーか」
そんな憎まれ口をたたいてしまうのであった。
◆◆◆
「くふ、ゆうべはお楽しみでしたね?」
「のわっ?!な、なぬっ?!」
朝一番の挨拶の後の言葉がこれってどういうことなの……。
狼狽しまくる俺だったりするのである。知っているのか、雷電!
いや、風だけんども。
「おやおや、どうしました~?
公孫賛殿と久闊を除したのでしょう?
『朋あり遠方より来たる、また楽しからずや』
さぞかし楽しいひと時を過ごされたと思うのですよ~」
ああ、そういう……。そう、いう……?
「くふ、風には二郎さんがどうしてそんなにまでも狼狽えるかが分からないのですよ~」
こ、こいつ、絶対分かって言ってるだろ!
ぎろ、と睨みつけてもこれがほんとに柳に風、という奴である。
「はあ、まあ、いらん詮索は勘弁な」
「はい~、風はこう見えて一流ですから~。
色々とお役に立てるかと~」
「そういうのはいい。こう、俺と白蓮の関係を利用するのはね、ちょっとね。
というか、そういう利害関係じゃないというか……」
くすり、と風の漏らす笑みの色が、見えない。
「いえいえ、分かっておりますとも~。
どちらかと言うと、利用してほしいくらいのお立場、心情ですものね~。
ですが、それをこちらから仕掛けるのも如何にも不粋というもの。
分かっております、分かっておりますとも~」
そ、そうだけど、言いようってあると思うの。でも違うとも言えないし、これはこれで最大限俺の内心を斟酌してくれている。ような気がする。
と思っていたら。
「それはそうと、魯粛さんを南皮に戻されるのですね?」
話題の転換が急流下りである。ついていくけど。
「ん。流石に長丁場が過ぎた。一足先に南皮に戻ってもらう」
結構頻繁に配置転換の申請来てたしなあ。やることやったぞと主張されるとね、流石にね。
張紘からも、そろそろ的なことは聞いてたし。……ついでに麗羽様とかに出す手紙も預けたいし。
「くふ。それで、韓浩さんは残されるのですね?」
「ん。まあ、色々あって、な」
まあ、本人の意思が一番大きいけどね。
ただまあ、ここで手を引いて変なやつに白蓮が籠絡されても困るしな。
……劉備とか。
「くふふ。二郎さんはほんと、心配性ですね~」
「なにおう」
「ですが、ですから風を頼りにしてほしいのですよ」
奥深い笑みをたたえてこちらを見やる。
あー。
「そだな。すまんかった。何かこう、一人で盛り上がってたか」
「くふ、分かっていただけたならよいのですよ。
風も、稟ちゃんも、星ちゃんだって二郎さんのお助けになると思うのですよ。
ほかならぬ二郎さんが見込んだ人材ですから、きっとお役に立てるかと~」
いや、おっしゃる通り。
「じゃ、ま。南皮に帰ってもお見捨てなきようお願い申し上げるかね」
「くふ、承りました~。身命を賭してお仕えしましょうとも」
まあ、軽口の応酬で互いに冗談めかしてはいたんだ。
でも、後から思うと風は結構本気で言ってくれてたんだよな。
「風を、使いこなしてくださいね?」
「おうともよ」
安請け合いかもしれんかったけどね。
それでも、風の分かりにくい思いに真正面から向き合えたと思ってるんだけど。
そうして、俺はいよいよ帰還するのだ。懐かしい南皮に。




