桃色吐息
「はるばる来たぜ襄平ー!」
うむ。やってきました襄平。太守が白蓮だからね、その治世の査定も兼ねてるからね。
ほら、督郵としてのお仕事もあるから。あるから。
という建前もあるにははあるのだが。
「おや、随分嬉しそうですねー」
「まあな、白蓮と会うのも久しぶりだしなあ」
文のやりとりはあるけど、実際会うのは久しぶりであるのだよ。
「ふむふむ。これは薄情な物言いですね。もはや稟ちゃんや星ちゃんは過去の女ということでしょうか?」
「どうしてそうなる。稟ちゃんなら沮授んとこにやったからまあ、実務をこなせばどうとでもなるし。
星もその実力で紀家軍を掌握でき……、る……」
あ、流琉がいたわ。悪来典韋がいたわ。
腕っぷしだと、ちょっと。いや、かなり……きつい……かも。
「二郎さん、どうかしましたー?」
「……。いや。なんでもない。いや、なんとかなるさ!」
ま、まあ。紀家軍を掌握するくらいのことは、かの趙子龍に期待していいはずである。
全身肝らしいし!
「ま、星ちゃんなら大丈夫かと~」
「ふ、風が言うなら大丈夫、だよな?」
手始めに紀家軍を仕切ってくれるくらいでないとこう、趙雲をプロデュース大作戦の一歩目が……。
「くふ、二郎さんはしなくていい気苦労を背負ってそうですね?」
いあいあ。俺は極楽トンボだからして。
「んなこたぁない。無責任極まりないよ?」
「くふふ。
では、そういうことにしときましょかー」
まったく。俺が真面目とかね。もうね。絶対怒る人いるぞ。
具体的には斗詩とか蓮華とか詠とか白蓮とか。
生真面目というのはああいう子たちにこそ相応しい。
ほんと頭が下がります。ぺこり。
「おう、兄ちゃん、あれこれ思うのはいいけど、こっからどうすんだ?」
「宝譿か。や、俺は一旦母流龍九商会に顔を出してから白蓮とこに向かおうと思ってる」
「おや、憎いねえ。いい人でもいんのかい?」
「んなことねーよ、茶化すな。一応施政とか確認してから向かおうと思って、な。
商会なら有意義な情報も得られるだろうしな」
市井の評判、実務の進捗。かなりバイアスから無縁な情報が得られるはずだ。ま、魯粛か韓浩がいたらベストだ。忙しいだろうけどね。
「では風は一足先に政庁へ向かいましょうかね~」
「ん、頼むわ」
ぶっちゃけ俺より風の方がそっちに関しては頼りになる。さらりと簡単な紹介状と言うか、身元保証書みたいのを書きあげる。
紀家の判子をぺたりと捺印。これで無下にはされないはずだ。
文面は適当極まりないが。余りに適当なので公開しません。
が、アレすぎる文面故に白蓮なら俺の直筆と見分けてくれるはずである。
「ほんじゃま、ちょっとしたら向かうし政庁で時間潰しててな」
「くふふ。了解なのですよ」
さてさて。
魯粛や韓浩とも久しぶりだなー。
やっべお土産とか準備してねえや。
◆◆◆
「おー、これは珍しい人が来たねえ。
お塩でも撒こうかなー」
「なんでだ」
母流龍九商会襄平支店をアポなしで訪れたが、運よく魯粛がいた。
「いやー、まさかまさか黒幕が気軽に登場とかありえないよねー。
まあ、今の襄平を考えたら意外と主人公補正があるのかな?」
「お前は何を言っているんだ」
さっぱりわからん。
「戯言につきあうのもいいんだけどさ、聞きたいことがあるのよ」
白蓮の仕事っぷりとか市井の治まり具合とか色々なアレだ!
「そだね。仕事っぷりは太守に相応しいとこまできたかな?傍目にも頑張ってると思うよ。
民からの信望も篤いみたいだね」
「ふむ。流石白蓮だな。
よし。ここは激励になんかせんといかんな。
多分節約生活とかしてるから、宴席の準備頼んだ。
うし!」
「でも問題があってその来訪者とかって。
あー、行っちゃった」
◆◆◆
邂逅は突然に。
そして違和感。生じる危機感。
あれは何だ。何なのだろうか。
襄平の政庁に向かう俺は、風と合流する。
あれこれ言葉を交わしながらも、どこか生じる違和感。
場を支配するかのような存在感。
ふと、白蓮を見つける。そして。出会う。
白蓮の横の。桃色の髪をした人物。背を向けていても目が釘付けになるその、桃色の瘴気。
これは。
これはまずい。これを俺は知っている。この感覚、俺は知っている。忘れるわけもない。
洛陽。
あの伏魔殿で場を支配していたあの瘴気。それをさらに濃縮して炭酸で口当たりをよくしたような。
きづかぬうちに、つまり。つまり。つまるところ……。
視界には桃色しか入らず、ぐらりと頭が揺れる。がくりとひざをつく。
だが、もはや支えなど関係なく俺は傾斜する。堕ちていく。それが心地よく、甘く、快い。
上書きされていく。それを感じる。が、それが心地よい。堕ちていく。裏返る。
あるべき姿に自分が変わっていくのだと確信する……。
視線からは桃色しか目に入らず、それが心地いい。そうさ、今俺は悟った。ように思う。なにかを。
濁った視界に映るのは桃色一色。甘く、蠱惑的な香りに包まれ、いつしか口中に甘みすら感じる。きっとあの子の言葉はもっと甘く響くのだろうなと思い、ふらふらと歩もうとする。
「二郎さん、とんとんしましょねー。とんとんー」
「へ?」
不意にかけられた声。首筋にふわっとした感触。リズミカルなそれが脳髄に響き渡る、気がする。
そこから、徐々に意識が澄み渡っていく。桃色の霧が晴れていく。
「え?あれ?
えと?」
俺は誰だ、ここはどこだ。そんな根源的な、或いはどうでもいいことさえが混濁。目眩。
「二郎さん?」
風の声は闇夜の灯台。
いまだ前後不覚な俺に。くふ、と笑みを漏らす。
「はいはい。二郎さん、とんとんしましょうねー。とんとーん」
先ほどよりも優しく、俺の背をたたくその小さい掌。俺はきっとこの先、この子の掌の上で踊らされるのだろうなあとか色々思う。
否。
思えるほどに余裕が出てきたのだ。きっとね。
ふう、と大きく息を吐く。深く吸い込む。大きく吐く。肺を空にして、大きく吸う。
とてもみっともないところを見られた気がする。だが、全身の震えが止まらない現状……格好つけても仕方ない。
「風……!」
「はいー?」
「あれは、アレは何だろうか」
ともすれば。風から離れればたちどころに意識が、理性が吸い込まれてしまうような気がする。
それはともかくアレは何だ。
「そですねー。二郎さんが指すのは多分、劉備さんのことですかねー」
「な!」
りゅ、劉備……だと……?
ぎり。
唇を噛みしめ、意識を。痛覚で意識を覚醒させてかつて俺は乗り切ったことがある。
が、そんなものよりこの場で頼りになるのは。
「おやおやー、これはちょっとどうしたものですかね~」
風だ。風が近くにあるほどにまだ俺は俺でいられる。何故かは知らんが。
だから、ぐい、と風を傍らに引き寄せる。
「おやおや。これは熱烈な愛情表現ですね~」
くふ、と風は笑い。
「はいはいー。とんとんしましょうねー。
とんとーん」
柔らかな口調で俺の背をさすってくれる。その手の暖かさが俺の胸に火を灯す。
どうにか意識が安定する。安定した。
そして改めて、見る。アレが、劉備?
劉備……なのか。
俺は桃色の髪をした少女を凝視する。
漢朝を支配する何皇后よりも圧倒的な覇気。いやさ、魅力?
言葉にできん何か。
こちらに気づいたのだろう。
にこり。
天上の微笑みを俺にくれる。
ガリガリ、と。削れていくはずの俺の正気はすでに盤石。真っ向からその視線を受け止める。
「おやおやー。二郎さん、だいじょぶですかー?」
控え目な。さりげないそれは激励。
「ああ、みっともないとこ見せちまったけどな。どうにかこうにかね。
いつだって俺はこんなもんさ。
見捨てないでくれたら嬉しいな」
「おやおや。なんとも弱気ですね~。とは言え、中々に大変だったご様子。
主の奮闘を見て、風にだって思うところはあるのですよ~」
くふ、と柔らかい笑みはそよ風のよう。それは俺の背を押してくれる。
◇◇◇
劉備。
それは三国志演義の主役である。
正史のそれではなく、講談、演義の主役は間違いなく劉備である。
民衆に受け要られる要素を満たす英雄。
貴種流浪譚。勧善懲悪。立志伝。他にも様々な要素が劉備という人物には詰まっている。
徳を体現する――ということになっている――その生きざまは民衆により広く伝えられることになる。
そう。徳だ。
……実は劉備の生き様とは、けして徳を体現したものではない。
だが。
劉備がどれだけ。何をしようともそれは徳により正当化される。
次なる時代を作り出した曹操が悪と見なされるのは、結局劉備を敵としたからではないか?
いや、いい。それはどうでもいい。それは本質じゃあない。
劉備の恐ろしさ。
俺がこれまで劉備に関わらないようにしてきた理由。
それは。それは関わったモノを食い尽くす貪欲さ。或いは底知れなさ。だ。
ぶっちゃけ、疫病神と言っても、いいだろう。
袁紹、陶謙、劉表。頼った勢力を滅ぼす疫病神、或いは、宿り木。
或いはそれを食い尽くす、徒花。
一介の筵売りから蜀漢の皇帝にまで登り詰めたその異才。
戦乱を万遍なく中華全土に広めながらその大徳を誰も疑わない劉皇叔。
ある意味三国時代最強のジョーカー。
その英傑が俺の目の前にいるのだ。
さて。劉備に対する対策がないかと言えばそうではない。
まあ、対策というほどのものでもない。
「関わらない」
これが究極にして唯一の基本方針だ。
敵にすれば手ごわく、味方にすれば食い尽くされる。
それが劉備に対する俺の評価と言う名の先入観だ。
だから、敬して遠ざける。それが俺の劉備に対する対処方針。
それよりもまず、乱を起こさないこと。これが最優先。
乗じて名声を得る黄巾の乱を起こさないこと。これが最優先なのだ。ここ大事。忘れちゃ駄目だよ。
別に劉備とか殺しても乱世が始まらないとは限らないしな!むしろ発端では無関係だし。
英傑を殺しつくしても、戦乱が長引くだけである。
であれば、乱自体を起こさせない。
それが俺の行動原理。権力とか栄達はその手段でしかないのだよ。
社会構造、背景そのものに喧嘩を売る。その方がまだしも勝算がありそうだから。
だから。
だから劉備とか眼中にないのである。
ないはずなのである。
だが、正直舐めていたな、と思う。
華琳を前にした時の戦慄。孫策や蓮華と相対した時の迫力。
それらを或いは凌駕するかもしれん。
徳、そんなあやふやなもので俺が圧倒されるなど、と思っていたんだがなあ。
二千年伝わる英傑なのだ。
俺ごときが渡り合うには、足りないであろうけども。色々と。
だがまあ、しゃあないしゃあない。
俺はその、胸部装甲がすごい女の子の目線を正面から受け止めるのであった。
こわE。