新・三美姫が斬る
「さて二郎殿、よろしいですか」
「はい」
俺の目の前には眼鏡を光らせた戯志才ちゃんがいる。
淡々とした声からはいかなる感情も読み取ることはできない。
……盛大に紅の華を咲かせた素振りなど微塵も感じさせない。これはある意味鋼のメンタル。
俺ならてへぺろ☆とか誤魔化すのになあ。
なんてアホなことを考えていたんだが。
「二郎殿の素性は伺いました。紀家のご当主、ということですがそれでよろしいですか」
「ん。そうだ」
ばれちゃったら仕方ないよね!
や、別に隠すつもりもなかったんだけどさ。
「二郎、というのが真名であるというのも?」
「ん。相違ないね」
「そうですか」
微塵も表情を変えることなく戯志才ちゃんは言葉を続ける。
「武家ということですが、中々に策を弄されるようですね?」
「へ?」
どういうこと?
「いや、ある意味お見事と言えるでしょう。
知らずとは言え真名を呼ばせて優位な関係の下準備をする。咄嗟の一手としては感嘆しますね」
「え、あのね?」
「私が明らかに偽名と分かる名を名乗ってからの僅かな時間でよくぞ。
ですが、真名という神聖なものを、そう。言ってみれば詐術の種とするのは感心できませんね」
如何に?目線でそう問いかけてくる。
む。そうか。そうなるのか。そうなってしまうのか。
でもまあ、言われてみれば。だ。
これってほとんど反論の余地ないよね?
でもな。ちゃうねん。そんなつもりなかったねん。
だから、こう答える。
「しらんがな」
言ったとたん、彼女の目線が絶対零度の冷気を帯びた。気がした。
◆◆◆
さて言い訳タイムである。様々な風評被害と真っ向やり合ってきた俺は言わば言い訳の達人。ふ、伊達に修羅場を経験してないぜ。……無傷だったとは言ってないけど。
さて、ここからの言に聞く耳を持たないならそれはそれで仕方がない。だがいくぜー。
言い訳そのいちー!
「いや、そんなつもりはなかった。
実際この名乗りで問題が起こったことがないからさ。
ほら、俺が紀霊だと名乗っても現実感ないしさ。
んで適当な偽名を名乗っても咄嗟に反応できないし」
応えはない。
ふむ。想定内。
ではいくぞ、言い訳そのにー!
「だいたい君が何に腹を立てているのか、これが分からない。
だから謝ろうにも的外れだろうよ。
真名の軽重を問うているならばそれはそれでいいさ。
だが、そうじゃないだろう?」
中途半端な逆ギレで論点を分散する。華琳がよくやるやつだ。
※伝聞含む俺の経験則からの推測的なものによる私見である
「なるほど。此方にも非があったのは確かです。
ですがなぜにそのようなことをされたのですか?」
いや、だって、ねえ。
「あのね、旅先で紀家の当主でございと言って誰が信じるのよ。
ただでさえ噂先行でえらいことになってるんだからさ。
むしろ胡散臭さが倍増するだろってばよ」
自分がプロデュースしたとは言え、暴れん坊怨将軍とか赤面ものである。
自ら名乗れるかってば!
……一応隠密行だしね。
「いえ、なかなかによくできた物語と思いますよ?
信憑性もあると思いますね。特に本人が似たようなことをされているのですから」
瓢箪から駒とはよく言ったもので。
俺の逸話はほぼ捏造である。が、後追いでそれっぽいイベントをこなしてる気がするのはどうしてなんだぜ。
「ええと、ね?」
「ま、それはこの際どうでもよろしい」
「いいの?」
いいんかーい。
俺の問い、というか突っ込みに応えず、手元の茶を軽く喫して再び俺に向かい合う。
……なにこのさらなる圧迫面接。
改めて俺と目を合わせる表情からは微塵も読めるものはなかった。
無表情、というわけではないのだけれど。真意が読めない。いや、俺そんなに洞察力高くないけど。
「さて、二郎殿に問いましょう。
袁家は何をもって漢朝を治めようとしているのか」
えー。
「人聞きが悪いな。
まるで袁家が漢朝を牛耳っているようなその言、頷けん」
前提としてね、おかしいよね。
「これは失礼。しからば。
二郎殿は国を治める根幹は何だと思われますか?」
またいきなりかつ、ばっくりとした問いだね。
だが問われたならば、答えてあげるが世の情け。
「法だな」
俺は逡巡せずに答える。当然だよなあ?
「と、おっしゃいますと?」
「何が悪いことか。何を目指すのか。
究極的に国とは法によって規定される。法を解けばその国がわかる。
だから。
法、と俺は答える」
俺ってば、儒者嫌いだしね。
「ふむ、徳より法を重んじる、と?」
「あのな、徳ってなんだ。八徳あると言えど、その解釈って幅広すぎるだろ。
法だってあれこれ解釈できるんだ。曖昧な判断基準は乱のもとだ。
極端な例を出そうか。
なんで人を殺したらいけないかわかるか?法が禁じるからだ」
結構な爆弾を放り込んだつもりなんだが、微塵も表情は動かない。
無言で続きを促してくる。
「法が禁じるからそれは国家にとっての悪なわけだ。
法は明文化されている。だから万人がその解釈を大枠で誤らない。
人を殺したら死刑。分かりやすいよね?」
「徳に反したから死刑、ではいけないのですか?」
「いかんね。死罪を減じることも徳の一環だよな。
罪深い咎人を許す。ああ、それは八徳の一つ仁に溢れているんじゃね?
だがな、それは個人の資質、極端な話その時の人材の嗜好、或いは気分によって左右されるだろう」
判断基準がぶれたら何をもって自らを律するっていうのさ。
「なるほど。ですが、為政者に徳がないと天災が起こると言いますが」
「違うな。全然違う。天災なんていつだって起こるよ。起こるものさ。
天災にいかに対応するかってのが重要なんだ。
結局のところ、為政者を非難する術が徳しかないってとこだな。
天災によって被害が出たら為政者が無能だからだ。だが民草はそれを非難することができん。
だから便宜上、徳がないから天災が襲ったと言うわけだ。
本末が転倒してんだよ」
「では、徳は為政者には必要ないと?」
ぐいぐいくるね。でも、俺は答えるさ。
「極端な話、ないね。
民を安んじていればその性が邪知暴虐だろうと問題はない。
いかに宮廷で血が流れていても、生活が安寧なら民草は毛ほども気にせんさ」
その日のご飯が食べれて、明日のご飯の算段もついて、とりあえずの寝床があればそれでいいってのが庶民である。
ぶっちゃけ、雲の上でどんな暗闘があって血の雨が降ってもそんなの関係ねえのである。
「衣食足りて、礼節を知る。
とりあえず衣食を満たしてからじゃねえの?色々な綺麗ごとは、さ」
だから。
だから俺は。
食うことに最重点を置いてきたのだ。億の民を飢えさせないために頑張ってきたのだ。
そんな思いを込めて戯志才ちゃんを見る。
鉄面皮が僅かに緩んだ気がした。
「では、徳、とは無用ですか?」
先ほどの揺らぎは夢幻であったか。
冷徹な声が俺を貫く。
が。
「人の在り様としては必要だろう。むしろ庶人、民草にこそ必要だな。
徳、つまり何が善であるか、という共通認識だな。これは必要だ。
隣人がそれを尊いと思う存在であるという認識。
それがないと安心して暮らせんだろう」
法とは必要最低限の縛りだ。なんもかんも法で縛るとかありえんわ。
「為政者が徳をもって治めるというのはつまりそれが理想的な人格であるという誘導だ。
目指す人間像は分かりやすく権威がある方がいいからな」
南蛮を何度も捕まえちゃあ逃がし、なんて徳でもなんでもない。
圧倒的な軍事力を刻み込んでいるだけである。ついでに抵抗勢力を根こそぎ排除したわけだよね。
それもまあ。講談によってはちょっといい話になるわけで。
「虚名によって治める、と?」
「治まれば虚も実となるだろうさ。
手段と目的を間違えたらいけないよね」
治めるための徳である。徳のために乱が起きたらあかんよね。
これだから俺は儒者に嫌われてしまうのだ。できる限り糊塗してるけどね。
……衰退思想、というのがある。
要は「昔はよかった。昔こそ最高!」という思想だ。
孔子様が殷や周の政治を至上としているように、過去に理想社会があってだんだんと世の中は駄目になっているという思想だ。
基本、これが儒者の基本思想で。だから皆超保守になる。
保守が悪いこととは言わんがね、新しいことは悪であるというのには辟易しているのだ。
そこらへん、うまいこと賤業たる商会を回している張紘とかマジ化け物である。
「なるほど。二郎殿、貴方のお考えは理解した、と思います。
無論、私の一方的な理解ですから齟齬はあるでしょう」
「そりゃどうも」
正直、ぶっちゃけすぎたかなーという過激発言のバーゲンセールだ。
「それはそれとして、非礼をお詫びいたします。不躾な発言、陳謝いたします」
「え?」
そりゃちょっときつい、というか淡々としながら遠慮ない質問の嵐だったけどね?
「無名の私にそこまで肝胆を晒して頂けたことに感謝を。二郎殿の器に感じ入りました」
「え?いや、だって」
「一方的に素性、真名をすら知り、変わらず真名を呼んでも流すなど余程の器量かと。
申し遅れました。我が名は郭嘉。真名を稟。心から二郎殿の器量に感じ入った次第です。
どうか我が真名をお受け取りください」
「……稟ちゃん。で良いかな?」
郭嘉?郭嘉って言ったこの子!
曹操がその身を惜しんだ夭逝の天才軍師じゃん!
「ええ。風や星が真名を預けたことに間違いはなかったようですね。
稟、と呼んでいただけたことに感謝を」
いや、そんなつもりもなかったんだけど。
でも、稟の笑みを見たら、何も言えねえって。
「と、いう訳です。風!星!出てきなさい!」
へ?
俺の戸惑いなど何するものぞ。
「いや~流石は稟ちゃんですね~。お見通しでしたか~」
「はーっはっはっは!
いや、稟も人が悪い!ばれていたならばもっと近くで見ていたものを」
溜息をつく稟とあっけにとられる俺。
くすり、と笑う風と呵呵大笑な星。
「どういうことだってばよ……」
漏らした声に星は笑いを大きくする。
「二人とも、そこまでです。
二郎殿と私は真剣に向き合っていたのです。
それを茶化すと言うならこちらにも考えがありますよ?」
先ほどの柔らかい笑みはどこに行った。
むしろ絶対零度の稟ちゃんである。
「いや、失礼、茶化すつもりはなかったのだ。
むしろ稟には感謝しているさ」
「全く。自分で聞けばいいでしょうに」
「どゆこと?」
何が何だか、である。
風が解説的なものをしてくれる。
「稟ちゃんは、とっても生真面目なのですね。
ですから、お仕えする前に二郎さんの志向、思考、嗜好を見極めたかったのですよ~。
軍師たるもの、主の方針を結実させるのがその務めですから~」
「風、それくらいにしてください」
「おやおや、照れ屋さんですね~」
よく分からん。
が、どうやら趙雲、程立、郭嘉という傑物をスカウトすることに一応成功したっぽい。
趙雲は劉備に、程立と郭嘉は曹操に仕えてたからどこまで一緒にいけるかは分からんけどね。
特に郭嘉は一旦袁家に仕えてから出奔してるからなあ。
まあ、それはこれから考えよう。
今はこの三人と結べた絆を喜ぼう。
とりあえず、呑むか!
と声をかけようとしたんだけども。
「では二郎殿、少し席を外して頂けますか?」
え、稟ちゃん?稟ちゃんさーん?
あるぇー?
追い出される俺なのである。
◆◆◆
「さて、二人に言いたいことがあります。
いえ、語弊がありますね。確認しておきたいことがあります」
郭嘉は淡々とした口調で趙雲と程立に向かい合う。
「二人とも、二郎殿の素性を見抜いていましたね?」
一人はくふふ、と含み笑いを漏らし、もう一人はにやり、と。
「はあ、これでは私が道化であったようですね」
その言に程立が笑みを浮かべたまま反応する。
「いえいえ~。稟ちゃんの見立ては至ってまともでしたよ?」
「それでも風と星は見抜いたのでしょう?」
くふ、と程立はかすかに笑う。
「風はずるをしてましたから~。張紘さんに風体や得物は聞いていましたから、ね」
「なるほど。そういえば風は母流龍九商会に一時勤めていたのでしたか」
「ええ。とっても。とってもお勉強になりましたよ?」
ふむ、と頷きながら郭嘉は趙雲に向き合う。
「にしても星までもが二郎殿の素性を見抜いていたとは。
この身の非才を恥じるばかりです」
「なに、多少縁があってな。風ではないが、気にすることはない。
その縁がなければ気づくこともなかったろうよ」
趙雲が苦笑する。
「なるほどですね~。
星ちゃんほどの武人が家格で仕官先を選ぶのもおかしな話ですし~。
いや、風の目をもってしてもそこまでは見抜けませんでした~」
「そこまで見抜かれたら風を人外と認定せねばなるまいな」
三人が笑うとまるで花が開いたかのように場が華やかになる。
あえてその縁というのを追及はしない。
きっと、いずれ語ってくれるであろう。
きっと、大切なものなのだろう。
「しかし、三人が三人とも仕える先が同じとは思わなんだな」
「ええ、星の言う通りですね」
きっといずれ道を違えるであろう。そう思いながらの旅路であったのである。
しかも、袁家。
伝手も人脈もない三人である。名門中の名門である袁家。まさかに。
「ですが、それも、風の思い通り、ですか?」
「おやおや~。なんのことやら風には分からないのですよ~」
「ほう……。なるほど、な」
趙雲は郭嘉の言に納得する。いち早く仕官を決め込んだのは程立である。
口はばったいが、自分も郭嘉も希有な人材であることは間違いない。
で、あれば。それぞれ分断しての面談も彼女の思う壺。
まあ、そこを不本意に思うほど狭量ではないが、多少の意趣返しはいいであろう。
「まあ、風と稟には悪いが。
二郎殿の寵愛を真っ先に得るのはこの趙子龍であると言っておこう」
半瞬。刹那にも満たぬ。が。程立の表情が変わったのを満足げに趙雲は認める。
なに。奇襲は軍師の専売特許ではないのだ。
「い、いけませんよ星。我らは智謀、武勇でお仕えする身。そんな、そんな色香で主を誑かすなど。
この身を、文字通りこの身でお慰めするなどいけません。そんな、そんな。二郎殿にそんなに情熱的に迫られたら私は……」
ぷぴ。
「はいはーい。稟ちゃん。とんとんしましょうねー。とんとーん」
趙雲の奇襲は思わぬ余波を生み。
「ふ、はーっはっは!」
「くふふ、星ちゃんもはしゃぎすぎなのですよ~」
きっと彼女らのやり取りはどこにいても変わりのないものなのだろう。
そしてそれがとても、とても貴重なものであることを彼女らは理解していた。
これ以上なく。




