凡人の思慮と彷徨
ぽくぽくちーん。
「漢中名物は鶏肋の煮物です、甘辛く煮ています。一緒に煮ている鶏の臓物がなかなかに美味しいです。骨が邪魔ですがそれもまた一興なのですね。
そしてこれ以上南下すると料理が辛くなるそうなので俺は一旦折り返します。四川はやばいらしいっす。
追伸。五斗米道とは友好関係を結べました。つきましては張魯を漢中太守に推挙してください。
っと」
麗羽様に送るお手紙である。まあ、各所でちまちまと送っている。もちろん麗羽様だけじゃないけどね。
まあ、観光地に来たら知り合いにメールとかラインを飛ばすようなもんだ。そら写真をインスタにアップするわ、ってなもんである。
ぽちっとな。
「なんだ、意外と筆まめなのだな」
「ん?そうかな?普通じゃね?」
どこかおかしげに笑いながら声をかけてくる華佗にそう返す。
「いやいや、ちょっと暇ができたら筆を走らせてるじゃないか。
なかなかできないと思うぞ?」
「んー。そうかな?でもさ、俺ってばこんなに中華のあちこちを見て回るの初めてなわけよ。
で、色々と発見があったり、名勝に感動したりするのよ。
そしたら、なんか、俺の感動をおすそ分けしたいというか、共有したいというか」
やっぱり、一人は寂しかったりするのである。
誰か連れてきたらよかったかしら。うん、駄目だ。俺以外真面目に働いてるからなあ。
「はは、それならば分からないこともない。
まあ、あいにくそんな相手はいないんだけどな」
「またまた。華佗がそんなこと言うと欺瞞工作としか聞こえないっての。
ギギギ……妬ましい……」
結構本気で負のオーラを込めたつもりなんだけどさらり、と流される。
なにこの性格までもがイケメンな存在。それって割と完璧超人じゃないですかー。
「しかし、紀霊には感謝してる」
「どったの藪から棒に」
こいつになんかしたっけ?
「いや、五斗米道も、ゴッド!ヴェイドウ!もな。資金に苦しんでいたのが実際のところだからな。
それに、大きくなりすぎた。
だから、資金援助と、漢朝への口利きは渡りに船だったんだ」
まあ、そうだろうね。
医療なんて常備兵と同じくらい、いや、技術開発を考えたらそれ以上に金食い虫だもんな。
「さいっすか。それは重畳。つか、華佗個人として袁家に来ない?お給料弾むよ?」
「はは、抜け目ないな。だが遠慮しておこう。
紀霊との友誼はかけがえないものだが、医は仁術。
一つ所に留まる訳にはいくまい」
「んー、それおかしくね?
逆にだな、こうしたらどうだろう。漢中から遠い南皮にも一つ拠点を作るんだよ。
一所に留まった方が設備も、人員もきっちりと蓄積されるだろ?」
ふむ、と考え込む華佗に畳み掛ける。
「自慢じゃないが、南皮は。いやさ袁家領内は漢朝領内においてもその人口は多い。
救いを求める患者もそれだけ多いんじゃね?そこに救いがあってもいいと思うの。
色々便宜だって図れるしさ。あれこれできると思うんよ。
だからさ、南皮に一つ拠点を置くってのはアリだと思うぜ?」
「ふむ、一理あるな」
「だろ?」
なんかあった時に神医たる華佗がいてくれたら心強いしな!
「まあ、それは南皮に行ってからにしよう。
まずは太平要術の書。その封印が先だ」
「あ、せやったね。忘れてたわ」
正直すまんかった。サーセン。と頭を下げようとする前に華佗は苦笑する。
「いや、いいんだ。
真剣に誘ってくれていたというのは理解している。
それに紀霊のような立場での勧誘の言葉の重みも、な」
そこまで言われたら何も言えねえよ。ほんと苦笑するしかないっての。
それと。
「おーい、酒、酒もってきてー。ものっそい持ってきてー。つまみはてきとーでー」
こうやって誤魔化すしかないっての。恥ずかしいことを言いやがって。
◆◆◆
「姫ー。沮授が来てるけどどうするー?」
ここは南皮。袁家の根拠地の中の中、その中枢。当主たる袁紹の執務室は常に活気に溢れている。
その中で生真面目に職務を果たしていた豪奢な金髪の持ち主の少女――袁紹――に気安げに声をかけたのは空色の髪をした少女。
「あら、猪々子さん。構いませんわ、通してくださいな」
袁家配下の武家筆頭。
比類なき攻撃力をもって圧倒的な存在感を誇る文家の当主、文醜である。
「うん、ちょっと待っててねー」
本来彼女のような重鎮が自ら動く必要などないのではあるが、そのフットワークの軽さも彼女の持ち味であるのだろう。
そんな彼女が自ら出迎えるのはこれまた袁家の重鎮である。
「姫ー。沮授連れてきたぜー」
「失礼します」
涼やかな笑みを浮かべて慇懃に礼をするのは沮授。袁家の文官の筆頭である。
型通りの時候の挨拶から始まる口上に袁紹はくすり、と笑みを浮かべる。
和して同せず。
そんな言葉が彼には似つかわしい。
利害、派閥、閨閥、人脈。
そういった利権、しがらみ、利害関係。その中心にいながらそれら全てから等しく距離を取る。そう、義兄弟たちを除いては。
能力に疑いはない。彼は幼い頃より田豊が特別に目をかけていたほどの俊英である。
そして沮授はその期待に見事に応え、若輩ながらも袁家の柱石として職務を全うしているのである。
だが、気障とも思えるその所作。見ようによっては嫌味にも感じられるであろう。その所作には、正直慣れない。
袁紹の浮かべる笑みに苦味がにじんでしまう。彼女の思う優雅さとは微妙に違うのだ。
「相変わらずですのね。虚礼は結構ですわよ?」
「これは手厳しいですね。僕としては無用の軋轢の方が怖いですがね」
ちらりと袁紹の周囲の幕僚に視線をやりながら沮授は微笑む。
……沮授なりの最敬礼であるのは理解しているのだ。だから欠片も不愉快さは浮かべない。
「二郎君からの便りが来ていましたのでね。お持ちいたしました次第です」
きっと。
彼女の心の少なくない部分に巣食ってしまっている、あの青年との絆がなければ、沮授とここまで接点はなかったはずである。
むしろ反目したであろうか。
「あら、二郎さんから?よろしくってよ。頂けるかしら」
大輪の花が咲いたかのような華やかな笑みを浮かべ、書面に目を走らせる。
くすり、と笑みを漏らし、大事そうに懐に文をしまう。
ぱん!と柏手を一つ。
室にいた全員が、袁紹の放つであろう言葉に集中する。
「張魯さんを漢中の太守に推挙いたします。
最優先で取り組みなさいな。沮授さん?貴方に委細は任せます」
「承知しました」
沮授は恭しく一礼し、爽やかにほほ笑む。
そして突然の指示に異を唱える人物はいない。
彼らは官僚。与えられた命題を果たすのが職責。
無論必要とあらば諫言もするが今回はその必要もない。
張魯という人物を推挙したのは話の流れからいって紀家当主であろう。
彼の人物鑑定眼には定評があり、何よりも彼がそこまで評するならば間違いはあるまい。
母流龍九商会を取りまとめ、自身も紀霊、沮授と義兄弟である張紘の識見と人格の清冽さは知れ渡っている。
また、楽進の武とその誠実なる人格、李典の謎な技術力。
典韋に至っては、もはや袁家の最強の座を争う腕前である。そんな紀霊が推挙するのだ。張魯もおそらく傑物であるのだろう。
瑕瑾があればもみ消すなり、補えばよい。
空白地かつ要衝たる漢中に袁家の地歩ができるのは大歓迎である。
洛陽、益州、涼州に睨みを利かせられる一手。紀家の当主の望外の一手には優秀をもって知られる袁家官僚団をして感嘆の一言。
それを認識した沮授は満足そうにその場を後にする。
「漢朝、袁家、二郎君、さて。僕は何を最優先にするべきなのですかね」
まあいい。それらを合一させるのが自分の責務であろう。
沮授は苦笑する。
「やれやれ、困ったものです」
いつものことである、とばかりに。




