幕間:生まれついてのセレブは格が違った
地味様の憂鬱。或いは、はおー来襲者。
公孫賛の感じたことを言葉にすればそれはまさに圧巻、であったろう。元々ここ南皮は袁紹――袁家の次期後継者であり、公孫賛の旧友――の住む町として発展を遂げていた。
識者によるとその繁栄は洛陽より上位に推す者もいるとのこと。無論その統治の手法は学ぶことも多い。自身の住む都市と、規模の違いに圧倒されてしまう。これから表舞台に立つという意味では同じ立場のはずなのだが、どうしてもわが身を振り返ってしまう。
「白蓮さん?なにを呆けてますの?地味なお顔がより輝きを失ってますわよ?」
「う、うるさいな!地味って言うな!」
おーほっほと高笑いする袁紹の声に反駁する。とは言え、今日の主役は間違いなく袁紹だというのは前提であるので傍目から見れば見目麗しい少女たちのじゃれ合いにしか見えない。というのを当事者である公孫賛もよく理解しており、くすくすと笑う袁紹に降参の合図を送る。
満足気に頷く袁紹はいつもに増してきらびやかな衣装を身に付けており、群集に手を振る彼女は控え目に言って豪奢。そして華麗であった。その袁紹に手を振られた民が歓呼の声をあげる。それに応えるように横の顔良と文醜が福豆を投げる。
絹の袋に入った福豆は更に金箔で覆われており、ちょっとした芸術品だ。それを惜しげもなくばら撒く袁家の財の底知れなさが恐ろしい。
手元不如意な我が勢力を思いながら公孫賛はじっと手を見る。働けど働けど・・・。と、ずんどこの底に陥りそうな思考に覇気と反骨に満ちた声が入る。
「あきれたものね。ここまで贅の限りを尽くさなくてもよさそうなものなのに」
自身と同じく袁紹の学友である曹操の声だと気づくのに数瞬かかったということに公孫賛の自失具合が察せられるであろう。
「あーら、華琳さん、何をひがんでらっしゃるのかしら?」
とげとげしい曹操の声にも袁紹は余裕綽々で応じる。慣れたもの、ということであろう。
「フン。ひがんでなんかないわよ。ただ、こんな規模の祝賀会をするお金があればね・・・。
もっと色々なことができる、そう言っているのだけど?」
下の景色を見下ろしながら曹操が言う。常ならばその小さな体躯に似合わぬほどの覇気を漲らせ、相手を直視するものだが、この風景はそれほど衝撃的だったのだろう。
ずしん、と地響きをたてて視界が動く。
そう、ここは地上ではない。象、という生き物。その巨体の上の輿にいるのだ。こんな生き物がいるというのも驚きだが、その進む道先は真紅の天鵞絨が道を覆っている。正直どれだけの財貨が注ぎ込まれたのか想像もつかない。
「三国一の名家である袁家としてはこれくらい当たり前と思うのですけど?」
応える袁紹は心底不思議そうで。公孫賛にはそれが本気の言だとしか見えない。器が大きいのやら、それとも・・・。その感想は横の曹操も同じだったようで。
「去年まではここまでじゃなかったじゃない」
「むしろ今までが地味過ぎたと言えるでしょうね」
地味という言葉に反応しかけてしまうが、そうじゃないと留まる。が、去年までの宴席だって相当豪華だったはずなんだがなあと内心でツッコミを入れる。
「よくもまあ。袁家の家臣団が許可したわね、こんなのを」
確かにそうだと公孫賛は内心首肯する。袁家の家臣団は極めて優秀だというのが世評であり、直接やりとりをするとそれが事実だとよくわかる。有名どころの人材にしても田豊を筆頭に、若手の切れ者と言われる沮授あたりがさらりと列挙される。彼等がただ虚名のためにこのような贅を尽くした催しを看過するはずはない。
で、あればそれ以外の要素がある?と思うが、考えても無駄と思考を切り替える。ここらへんは前線指揮官として公孫賛が卓越しているところであろう。
「おーっほっほ。わたくしの美貌、高貴さ、それに心を打たれたようですわ。
持って生まれた魅力というのはどうしようもありません。これまでの催しがわたくしの光輝を十全に相応しくはありませんでしたもの。それは皆にとって。いえ、この中華の大地にとって不幸なことではありませんこと?」
「・・・はぁ。答えになってないわよ」
がくり、と肩を落とす曹操。これ以上論議をするつもりはないとばかりに、ひらひらと手を振る。
「おーほっほ。どうでもいいですけど、もっと朗らかにしてくださいな。
華琳さんはただでさえ貧相なのですから。いえ、何がとは言いませんけども」
「な、なんですって!」
袁紹が曹操をあしらう様子にさしもの公孫賛も仲介しようかと思う。まあ、民の前だしせっかく招いてくれて賓客として遇されているのだからして。毎度おなじみとは言え、この二人の喧嘩――あるいはじゃれ合い――を仲裁するというのも役回りというものであろうか。
「あ、白蓮さん、無理して笑顔を作ると、笑顔まで地味になってしまいますわよ」
――人が気を使ってやってるというのに。
袁紹と曹操の間に挟まれて。内心思う所があっても、その場を穏便に済ませようとする公孫賛の苦労はまだまだ始まったばかりである。そう。祭りはまだまだ続くのだ。
少女は、目の前の光景に絶句していた。なんだ、これは、と。
少女は、目の前の光景が理解できなかった。群集が溢れ、歓声が飛び交う。それはいい。町が活気に溢れているということだ。
だが、なんだこれは。
奢侈にもほどがある。これを考えた人間は頭がおかしいのではないか?
例えば、と少女は思う。手にした福豆。それを包むのは最上級の絹。
豆自体も金箔で包まれている。この絹の袋一つでどれだけの飢えた民が救われるのだろう。
少女は憤慨し、次に失望した。ばかばかしい。袁家は確かに名家だ。
だが、この有様はどうだ。娘の誕生祝いにこれだけ散財する。
民のことなど何も考えてないのではないか。
彼女は嘆息する。
荀家の力を総動員して袁家への士官を実現したのだ。師父や係累には多大な迷惑をかけてしまうだろう。
だが、こんなことをする主君を仰ぐ気にはならない。
名門袁家といえども、少女はその才能でもって登り詰める自信があった。だが、自分の能力はけして主君に贅の限りを尽くさせるためのものではない。
そうして少女は踵を返した。
猫耳を模したフードを深く被りながら。
少女は知らない。
この催しの裏でどんな暗闘が繰り広げられていたのか。
この催しを実行するためにどれだけの人員がその能力の限りを尽くしていたか。この催しがなかったならば、どれだけの流民が生まれたか。
この催しの光彩はあまりにも煌びやかで、未だ井の中の少女はその輝きに目を囚われていた。
それこそが、この催しの黒幕たちの真の目的の一つだと知ることもなく。黒幕たちの想定する敵の条件すら満たさず。
黒幕たちの怒りも、嘆きも、そして愛情も一顧だにせず、少女は南皮から去ることになる。
幼さゆえの潔癖さ。それがこの外史にどんな影を落とすのか。
それは、まだ誰にも、分からない。
ネコミミモード、ならず。
まさかの国内最大手からの幹部候補生内定辞退。