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あわわとはわわ:于禁チャレンジ

「あわわ……、すごい量だよう。朱里ちゃん……」

「はわわ……。す、すごい……」


 連綿と続く書架。その威容に圧倒される二人。

 南皮は洛陽と双璧をなす文化の発信地である。ことに、大衆文化といった点であれば洛陽を凌駕するであろう。

 玉石混交とはいえ、その量はそれ自体が圧倒的。膨大な量そのものに圧倒される。


 ふと、一番手に取りやすいところにあった書を手にする。


「あ、阿蘇阿蘇アソアソ……?」


 帯には『暴れん坊怨将軍最新話一挙二話同時掲載!』だの『春の新作大特集!流行りを先取り!』だのと煽り文句が書かれている。

 何より目を引くのは表紙一杯に書かれた姿絵だろう。先端が三つに分かれた武器を構えた凛々しい若武者が大きく描かれている。

 脇に抱えられている少女も登場人物なのであろうか。

 鳳統はぺらり、とページをめくる。この程度の立ち読みくらいは許されるであろう。


 と、鮮やかな色彩が目に入る。彼女がこれまで手にした書籍とは明らかに異質なものがそこにはあった。

 美麗な色彩で飾られた姿絵。それはどうやら帯に書かれていた服飾の紹介であるようだ。

 何やら……いけないものを目にしてしまったような気がして辺りを見回した鳳統は、親友の姿が傍らにないことに気づく。


「しゅ、朱里ちゃん……?」


 戸惑いながら周囲を探すと、奥まったところで熱心に書に目を通す親友の姿があった。

 あんなに、周囲の様子など気にせずに読みふけるということはよほど貴重な書があったのであろう。

 孟子か荀子。或いは墨子かもしれない。いやいやもしや孫子か六韜。まさかの三略?

 歩み寄り、手元を覗き込む。


「あ、あわ……」

 

 彼女の、親友が引き寄せられていたのはそう。

 艶本、であった。


◆◆◆


「うーん、疲れたのー」


 于禁は大きく伸びをしながら欠伸をする。何とか、何とか間に合った。間に合わせた。その安堵が彼女を大いに緩ませている。

 何となれば、阿蘇阿蘇の最新号の服飾特集を一任されたのだから。

 これから着方のお手本として厳選した人員に彼女が準備した珠玉の衣装を纏わせ、絵姿を起こすのである。

 初の大任に頬はどうしたって緩む。


「うふふ、やっと。やっとなの!やっと于禁は中華にはばたくの!」


 浮かれるのも無理はない。

 半ば無一文でさすらい、南皮に流れ着いたのだ。その日暮らしでいい。そう思っていた。

 だが、ひょんなことからあの青年に拾われて、大好きな服飾の仕事に就けている。

 しかも、自らの感性を中華に発信する機会にも恵まれたのだ。僥倖、言葉では表せられない。


 于禁はそう、控え目に言って有頂天であった。無論、これから取り掛かる仕事に向けて気の緩みなどない。

 彼女は理解している。機会チャンスを与えられているということの意味を。

 期待。その一言で済ますのは容易い。

 だが、彼女のような何の後ろ盾もないような、木端のような存在がこんなにも貴重な機会を得れたのだ。


「ありがとね、凪ちゃん、真桜ちゃん……」


 彼女の親友たちは既に地歩を確かなものとしている。楽進はその武術と誠実なる人柄で、李典はその技術力でもって。

 あの青年に押し上げられている。そこに嫉妬などは感じない。

 楽進の清冽なる人格、冴えわたる武技。李典の卓越した、なんだかよく分からないけどすごい技術力はきっと于禁が最初に見出したものだ。

 それがきちんと評価されたのは嬉しい。自分の目は確かだったのだな、と思う。そして彼の目も確かだったのだと。

 だからこそ、そんな彼が自分を評価してくれたのは嬉しい。

 だって。ちょっとお洒落に興味があるだけと思っていたから。自分がそんなに評価されるとは思っていなかったから。


 こと、大衆文化の頂点たる南皮。その流行を産み出す阿蘇阿蘇。その発起人であり編集長であるあの青年に絶賛されたのは彼女の誇り。

 内勤であるから、親友たちよりも世に出る過程において遅れを取ったのは理解している。

 だが。複雑な組織の論理を飛び越えて、引き上げてくれているというのは痛いほど感じている。


「やってやる、なのー!」


 ぺちり、と頬を叩き、気合いを入れる。

 正念場。気合いをも一つ追加する。

 だが、だが、休むことも必要。于禁はあの過酷な旅路にて、それを身をもって学んでいた。


 そうして彼女は書架を気分転換に巡り。

 ちょっと……。いや、普通に……。いや、相当にいかがわしい書籍の前に陣取る幼女を発見するのであった。


◆◆◆


「あのね、ちょっとお嬢ちゃんたちには早いと思うの……」


 于禁は恐る恐る声をかける。

 もはや殺気すら感じさせる勢いで幼女たちは艶本を読み漁っている。その速度は神速。留まる頁は濃厚にして淫深く。

 これは教育上よくない。きっとよくない。于禁はこれで良識溢れる常識人かつ、青少年――というには幼すぎるが――の未来を案じるくらいに善良な人格の持ち主であった。


「おませさんたち?

 なーにーを。そんなに一所懸命に見てるのかなー?」


 びくり、と全身で反応する二人はとても幼く、可愛い。


「は、はわわ……」

「あわ、わわわ……」


 くすり、と于禁は微笑む。なんとも小動物のように可愛らしいではないか。

 背伸びしたいし、興味のある年頃なのだろう。

 ……いや、于禁とて興味がないわけではないのだが。


「ちょーっとお嬢ちゃんたちには早いと思うの。

 背伸びしたいのは分かるけど、お勧めはしないのー」


 にこり。

 瞬間。


「は、はわわ。……こ、こう見えてもかの水鏡女学院を首席で卒業したのでしゅ。

 世俗を纏っても俗にまみれずで。それで……」

「あわ!あわ……。そ、その……。わわ……」


 なにこの可愛い生き物たち。

 くすり、と。

 于禁は残っていた緊張が抜けていることに気が付く。


「ふふ、かわいいのー」


 実際、彼女らはもう十年……いや五年もすれば相当な美少女に成長するだろう。

 だからこそ、微妙に野暮ったい衣装が勿体ないなあと思うのだ。


「これ、読んでね?」


 手渡すのは、于禁が書き留めたお洒落本。

 きっと彼女らは化ける。そのきっかけを自分が作るっていうのはとても素敵なことだろう。


 くす、笑みがこぼれる。あの、お気楽で、軽薄で、憎めなくて。

 でも、何でか意識してしまう青年は。こんな気持ちだったのかな、なんて。

 于禁は思うのだ。


◆◆◆


「于禁さん?いらっしゃいませんの?」


 于禁は自らの事を比較的冷静に見る目を持っている。そして、その才は凡庸なものだと理解している。

 だが、目の前の仕事をできないとは思っていない。

 まずは目の前にある職責を十全に。十分に。それこそが期待に応えることになるだろう。そして、頬は上気し、口元が緩むのを自覚する。だって、評価されて嬉しくないわけがないのだから。


「はーい、なの!于禁はここにいますなのー!」 


 刹那の輝きでもいい。それは自分が生きた証。

 きっと、理解する人は少ないだろう。でも、これが、自分の生きる意味なのだ。生きているという実感なのだ。


 そして光輝を背負う少女と向かい合う。この光輝と向かい合うのが自分の職責。

 この光輝を十全に、中華に発するのが自分への挑戦。そしてあの青年への恩返し。


「ちょっと、地味すぎるのではありませんこと?」


 于禁はその言葉に苦笑する。結論からするとそれはありえない。

 彼女……袁家の長たる袁紹が纏う限り、どのような衣装も光輝を纏う。

 これは逆に装飾をする側にとっては難題であるのだ。だが、その光輝を于禁は見事に活かしてみせる。魅せる。


「そんなことないのー。

 袁紹様がこれを着ると、とんでもなく美人度が上がって天元突破なのー。

 どんな朴念仁だって籠絡間違いなしなのー」

「そ、そうなのですか?

 では致し方ありませんわね。

 此度はこれでよしとしましょう」


 おーほっほっほと高笑いするのに合わせて于禁は苦笑する。

 彼女は知っている。


 阿蘇阿蘇のような下世話と言われかねない雑誌というもの。そこに高貴な、袁紹のような人物が絵姿を晒すのを了承した理由を。

 毎号、欠かさず、だ。流行りを先取りした衣装に身を包み、極上の笑顔を向ける相手は。


「ほんと、罪作りなのね……」


 中華のどっかをほっつき歩いている青年に思いをやる。様々なところから手紙を寄越すのだ、彼は。

 渓谷を楽しみ、山に迷い、砂塵に挑む。彼に返信をしたくてもそれは叶わず。


 だから、彼女は。漢朝十三州。そのうち破格の三州を治める破格の権力者。


 そんな彼女がとびっきりの自分を伝えるのは。


 只一人。中華にただ一人の人物に向けて彼女は微笑むのだ。

 于禁は、思う。なんとも贅沢な恋文ではないか、と。

 そして、その恋文の一端を預かるのだ。


 これ以上にやりがいのある仕事があるだろうか?いや、あるわけなどない。


「袁紹さま、最高にかわいいの!あの人に向けて目力がほしいの!」

「おーほっほっほ!

 よろしくってよ!」


 わたしはここにいます。


 真っ直ぐなその目線メッセージ。それを于禁は理解している。

 それを伝えるのだ。それはとても大切なお仕事。やりがいのあるお仕事。


 なんとも難題である。でも。

 高貴な彼女にそこまで言わせたのだ。これは伝えなければいけないだろう。


「わかったのー。全身全霊で袁紹様を応援するの!」


 なんとなく方向性の違う事を言い出す于禁を袁紹は満足げに見やる。


「よろしくってよ。二郎さんが認めた方ですものね。

 期待しておりますわ」


 去る袁紹。その歩は華麗かつ優雅であり、それを十全に理解している笑みこそが袁紹の凄みであるのだろう。

 むむ、と于禁は気合を入れなおす。


「やってやる、なのー!」


 余談ではあるが、于禁はこの日以降。それまでとは比べ物にならないくらい忙しい日々を送ることになる。

 それは彼女にとってとても幸せな日々であった。


 そして、まだ見ぬ波乱は彼女をさえ翻弄することになるのである。

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