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凡人、接待される

「賈駆様、紀霊殿が参られるそうです!」

「うん、ご苦労。後はボクの仕事よ。下がって」

「は!」


 ふう、と大きなため息を一つ。

 いよいよと言うべきか。それとも……やっと、と言うべきだろうか。

 ふと、賈駆は馬家を辞してからの日々に思いを馳せる。


(大丈夫、やれるだけのことはした。ボクにできる最善は尽くした)


 ちら、と姿見に目をやる。慣れぬ化粧、慣れぬ衣装。

 常では纏わぬ艶姿で賈駆は気合いを入れなおす。


「なんとかボクの身一つで収まればいいんだけど……」


 誰にともなく、呟く。


 不眠不休。


 賈駆のこれまでの働きには鬼気迫るものがあった。


「大丈夫、帳簿は完璧。裏帳簿は全部ボクの頭の中……。

 月は何も知らない。全部ボクの一存……」


 膨大な帳簿の整理、改竄。出入り業者への口裏合わせ等々。通常業務に加えたそれらの激務を彼女は見事遣りきった。

 更には紀霊についての調査すらしている。通り一遍のものから、深いものまで。

 江南を援助した彼の動機が実は黄蓋や陸遜の色に迷ったのではないか。そんなところまで至ることができたのは彼女の優秀さを示すものであったろう。

 一縷の望みとして。彼女はそこに賭けることにしたのである。否、そこにしか活路を見出せなかったのである。

 いずれにしても、常であればしないような化粧。露出の多い服装をその身に纏い、彼女は戦場に向かうのだ。


 ……もっとも、紀霊が常日頃接している孫家のありえない露出に比べればささやかなものではあったのだが。

 とはいえ、ささやかながらも胸の谷間を強調したり、太ももを露出した衣装は潔癖気味な彼女にとっては破格の覚悟を示すものであった。


「あらー。賈駆っち、えらいおめかししとるなあ」

「むむむ、これは天変地異の前触れかもしれないのですぞ!」


 気合いを入れる賈駆を扉の隙間から窺う影が好き勝手な感想を漏らす。


「あかんなあ、いつもならうちらに気づいてげんこつ落とすやろうに、あら相当追い詰められとるわ」

「まったく、水臭いのです。ねね達をもっと頼りにしても罰は当たらないのですぞ」


 張遼、陳宮。

 共に董卓の配下で文武の要である。

 小規模ながら度々起こる匈奴の侵攻にあって兵力の貧弱な董卓が領土を全うしてきたのは彼女らの力が大きい。

 あるいは、州牧たる馬騰よりも分厚い陣容であったかもしれない。

 そして何よりも。


「……詠。

 眠そう……」

「恋、珍しいやん、いつもなら昼寝しとるやろうに」

「ん、セキトが起きろって……」


 眠たげに呟く飛将軍。呂布その人。

 万夫不当たる彼女の武威は涼州では響き渡っている。

 常日頃、ぼーっとしている彼女が本気になればこの中華に敵うものは存在しない。


「恋殿!今日は紀霊なる者がここ安定に来るのですぞ!」

「紀霊……?それは月の敵……?」

「いや、それはまだなんとも言えないのですぞ……」

「それは賈駆っちが判断するから、恋は安心しときな」


 呂布は張遼の言葉に満足したのか足元の犬……セキトを抱えて座り込み、寝息を立てる。


「ま、恋がピリピリしとらんのならそこまで警戒することもないやろ」

「そうかもしれませんが、油断は大敵ですぞ!」


 しゃちほこばった言葉に張遼は苦笑する。

 なんだかんだで背伸びを一生懸命にするこの少女のことが嫌いではないのだ。


◆◆◆


「よし!」


 気合いを入れ、楚々とした所作……には多少無理があると自覚はしているが、常よりは女らしく賈駆は歩を進める。

 内心は苛々としているのだが、それは緊張の裏返しである。

 そんな彼女に馴染みのある声がかけられる。


「詠ちゃん、大丈夫?」

「月?!駄目よ、引っ込んでなさい」

「駄目だよ詠ちゃん。紀霊さんは督郵なんでしょ?

 胸三寸で私たちの運命が決まっちゃうって言ったのは詠ちゃんだよ?

 やっぱり私もお出迎えしないと……」


 駄目だ駄目だ絶対駄目だ。

 今回の紀霊の来訪においても賈駆は紀霊と董卓を対面させるつもりはなかった。


「駄目だよ詠ちゃん。詠ちゃんが私を庇ってくれているのは分かるんだけども。

 でも、私たちの正念場なんだから。やっぱり私が責任を果たさないと」

「そんな!月がそんなことを思うことはないのよ!

 太守になったのだってボクが馬騰さんにゴリ押ししたからだし!」

「うん、でもね。

 ううん、だからこそ私は前に出ないといけないの。分かってるよね?」


 そこまで言われると賈駆に否やはない。

 いや、異論はあるのだが。


「詠ちゃん、行こ?」


 儚くとも、可憐であっても。この笑顔には逆らえないのだ。


 彼女こそ大器。


 賈駆は改めて誓うのだ。


「月……貴女はもっと、もっと上に行くべきなのよ」


 常にない艶姿で呟く賈駆は、皮肉なことに、……この上なく絵になっていた。


◆◆◆


 さて、道中は特に語ることも無くやってきました安定。皆様の愛する怨将軍であるところの二郎でございます。


「つまり、董卓って魔王さ!」


 道程で叫んでも、ひとり。

 これなら無理やりにでも蒲公英たんぽぽを浚った方がよかったかしら。


「ようこそいらっしゃいました」


 目の前の可憐な美少女達にはちょっとアレだよね!萌えるね!

 隣で不機嫌そうな美女にどことなく見覚えがあるような。……って賈駆じゃん!

 アブねえ!

 いや、女は化けるね!すげえ!知ってたけどこれはすげえよ!


 などとは欠片も表情に出さない。

 出してないよ?マジ出してないよ?俺のポーカーフェイスを看破したら大したもんだよ。


「おもてなしの席を設けております。どうぞこちらへ」


 え、マジで?どういうこと?

 てっきり敵視されて軟禁くらいは覚悟してたんだけども。


◆◆◆


「うわー、賈駆っち、気合い入っとるわあ」

「男に媚びる姿を見る機会があるとは思わなかったのですぞ。

 ……からかったら本気でまずそうな気がするのです」

「せやな……、賈駆っちの本気を茶化したらあかんわな……」


 好き勝手な感想を相変わらず漏らす二人である。

 なんだかんだいって気になるのであろう。

 何となれば、あるいは反逆の汚名を負わされる可能性すらあるのだからして。

 だが、計画には常に誤算が生じる。


「あー、でもあれ、月っち。普通に楽しそうなんやけど」

「何ですと!ということもないですなあ。

 いや、致し方ないですぞ。これも自称軍師殿が過保護にした報いではないかと」


 好き勝手話す彼女らは、気づくことはないのだ。

 一瞥すらしない紀霊が彼女らを興味深く観察していることなど。


◆◆◆


 引きつる口元。

 愛想笑いにもほどがある。賈駆の忍耐は既に尽きようとしていた。


「いや、ほんと駄目なんだってば」

「えー?本当ですか?」


 くすくすと笑う董卓。

 彼女が本当に楽しんでいるということは流石に分かる。

 いつもいつも真面目に政務に励んでいる彼女の息抜きということを考えれば歓迎すべきことである。

 それでなくとも負担をかけているのだ。

 だが、この相手はいけない。


「や、ほんと、参ってるんだって。

 見てよこれ。いや、見てくれるな?

 まあいいや。見てから後悔しても遅いぞということで」


 懐から何やら姿絵を取り出す。

 ちらり、と見ただけでも分かる。美形の役者絵だろう。知り合いだとでも言って気を引くのだろうか。


「これ俺ね。俺なのだよ。

 はい、ここ笑うとこだよー。沈黙されたら辛いから遠慮なく笑ってねーってむしろ笑ってくれないと辛いですので笑ってくださいお願いします」


 ころころ、と鈴を転がすように董卓は笑う。

 こんなにも晴れやかに笑う彼女の表情にちくり、と胸が痛む。

 何とも手馴れた話術。

 だが、それでもこの男の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。

 歯ぎしりを微笑みに変え、賈駆は紀霊をもてなすのだ。

 酌をしながらも油断はしない。彼奴きゃつの気まぐれ一つで追い詰められてしまうのだから。


 出来るだけ機嫌よくもてなさなければならない。本命であろう、帳簿の監査において手心を加えてもらわなければならない。

 そこさえ乗り切れば、なんとでもなる。

 そこを乗り切るためであれば、この身を蹂躙されてもどうということはない。


 で、あるから。


 親友であり、忠誠の対象たる董卓が自ら紀霊をもてなすのは誤算であった。


 だからこそ賈駆は紀霊に媚びなければならない。

 劣情を向けるなら自分に。欲情を受け止めるなら自分なのだ。自分でなくてはいけない。

 いけないのだ。


 だから賈駆はこの時覚悟完了していたのである。


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