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涼州にて:接触編

「これは……なんたることだ!」


 馬騰は手元の書類に目を通し、瞑目する。


「ご、ごめんなさい父上。その。あたしも頑張ったんだけど。その……」


 馬超の言にぎり、と歯ぎしりする。


「よもや。よもやここまでとは!なんたることだ!」


 天を仰ぎ吐き捨てる。


「揃いも揃って、税収が未達だと!ふざけているのか!」


 だん!と卓を殴りつける。

 卓が壊れなかったのは奇跡としか言い様がない。


「まだましなのは董卓くらいか。それでもこの数字は!

 一体、彼奴きゃつらはこの私を舐めているのか?」


 怒りを込めて吐き捨てる。

 それも無理はないことだと馬超は思う。

 配下の太守たちから寄せられた税収の報告。それがいずれも既定の数字に足りないのである。

 まだましなのは董卓くらいで、後は必要な数字の七割にも満たない。

 馬家配下の常備軍。その維持すら支障をきたすであろうことは確定的である。


「食糧や雑貨の相場が安くなっているのだけが救いか……」

「うん、なんとか兵たちを飢えさせることは避けられてる」

「ひもじいまま戦うとか悲惨だもんねー。ほんと、文字通り悲しくて惨めだもん」


 馬岱の言葉にいくらか場の空気が明るくなる。

 気を取り直したかのように馬騰は声を上げる。


「ともかく、埒があかん!太守たちを招集しろ!

 翠は董卓を、蒲公英は韓遂を引きずり出せ!」

「はい!父上!」

「えー、たんぽぽちょっとあの人苦手なんだよねー」


 ごちん、と鈍い音が響く。


「いったーい、お姉さま、痛いってば!」


 涙目で抗議する馬岱。


「うるさい!父上の命だ!愚痴ってる暇があったらさっさと動く!」

「ちぇー、お姉さまは書類仕事から解放されるのが嬉しいだけのくせにって、痛い!」

「うっさい!さっさと行くぞ!」


 馬超に引きずられていく馬岱を苦笑と共に見送りながらも馬騰は気を引き締める。

 韓遂が不穏な動きをするのは今に始まったことではない。だが、それでも匈奴に対するには心強い盟友でもあったのだ。

 それが、どうだ。

 このようにあからさまなことはこれまでなかった。しかも此度は董卓までもだ。

 彼女を太守に据えたことはまさに抜擢。周囲からは反対もあったが、概ね期待以上の働きをしてきたのだ。

 武功でも、一騎当千、万夫不当の将を見事に使いこなしている。

 あの少女が不正をして私腹を肥やすとも考え辛い。自分が思うより涼州は乱れてしまっているのだろうか。

 だが、それも、直接彼らから話を聞いてからだ。

 ……場合によっては。


「我が槍の錆としてくれる」


 立ち上る気迫に小姓が近づくこともできぬほど。

 苛烈なほどの決意と共に馬騰はその時を待つ。


◆◆◆


「ですから、先ほどから申し上げる通り、民は困窮しているのです。

 それを、来季の種籾までも収奪しろと義兄上はおっしゃるのか?

 かつて民の為、義のために立ち上がった義兄上の言葉とは思えませんな?」


 韓遂の言葉に李儒はほくそ笑む。

 場にいるのは馬騰、馬超、馬岱に武官が二人ほど。

 それに対して、こちらは太守が韓遂のみ。後は名代を派遣するに留まっている。それは馬騰の求心力の低下を示すもの。

 そして必然的に、太守側の交渉は韓遂が代表する形となっている。

 そして韓遂の言は鋭く響き、場を席捲している。


(ふふ、赤子の手をひねるようなものね)


 李儒は心中で呟く。

 涼州に打ち込まれた楔は彼女の手によるもの。

 ――正直、馬騰には手を焼いていたのである。

 金銭で買収できるような輩ではなく、上昇志向も薄い。それでいて血筋に至っては名将馬援の子孫ときた。士大夫層のみならず、庶人にも馬家は人気があるのである。

 で、あるから十常侍と言えども気軽に掣肘できない。

 それをいいことに、政治活動を始めたのだ。

 ――李儒を筆頭に有象無象の工作があったからこそ同調者はでなかった。馬騰の動きが余りにも拙劣で あったこともそれを助けた。

 それが一変したのは。


(全く、忌々しいったら!)


 袁家が朝廷に介入を始めてからである。

 いや、三公を排出する袁家が朝廷に影響力を持つであろうことは想定内であった。

 だが。


 まさか、庶人たる何進と組もうとは。

 卑賤たる商人を率いようとは。


 想定外にもほどがあるというものだ。

 名門の誇りというのがないとでもいうのか。


 そして、何進、馬騰、袁紹の組み合わせは思いのほか機能してしまうのだ。そう。機能してしまった。

 何進が中枢を押さえ、名門たる袁家が士大夫を抱き込む。

 馬家の武力と名声がそれを後押しする。

 何より、馬騰という人物は厄介極まる。

 これが何進のみであればどうとでもなったのであるが、袁家が絡むとそうはいかない。

 北方において匈奴より漢朝を守護する東西の武家の名門。それが揃って何進を支持するのだ。

 まだしも、馬騰は漢朝に反旗を翻したこともあり、何進を支持しても影響は抑えられる。抑えられていた。

 が、袁家は敵に回すに分が悪い。

 持てる血筋、伝統、資金、政治力。十全に発揮されてはさしもの十常侍でも分が悪い。


 ……何進の地歩が急速に固まったのは。盤石と認めざるを得ないのは……袁家の影響が大きいのだ。


 だからこその切り崩しである。

 懐の甘い馬家のおひざ元での出火は思いのほかうまくいった。これには、韓遂という野心家を抱き込め たことが大きい。


 韓遂。


 馬騰の義兄弟である。

 匈奴の侵攻に対しては馬騰を助け、義兄弟となった。


 だが、その根源は叛。彼は恐れたのだ。漢朝の盤石を。

 故に、今は馬騰を敵とするに至った。乱こそ彼の本懐。


 だが、彼の恐ろしいところはただ暴れたいというだけではない。

 彼が望むのは、軍閥である。

 涼州という最前線で、州牧すら無視できない勢力を維持する。それこそが彼の目論見。


 そしてその目論見は果たされるであろう。

 馬騰の亡き涼州において、韓遂を止める勢力などいないのだ。

 跡を継ぐ馬超など、論外だ。韓遂の前には右往左往するだけだろう。李儒が出るまでもないほどに。


 だが、そのはずなのに。

 馬騰は堂々としており、場の空気に焦る様子すらない。

 李儒が違和感を抱くのが遅れたのは、慢心と言うしかないだろう。

 そして流れは決定的に変わる時が来る。


「あー、ちょっといいかな」


 州牧と太守の論争に口を挟むのは馬騰の側に控えていた武官。


「何だ、貴様は!僭越にもほどがある!」


 無礼であろうと恫喝されるのを不敵な笑み一つで受け流す。

 いや、反撃する。


「ほう。無礼と言うかね。言うのだろうなあ。

 一体、誰にものを言っているのか、分かってんだろうなあ?」


 韓遂という希代の英傑を前に不遜な口上を垂れる彼は一体?


「いいさ、いいだろうさ。好き勝手によくもまあ、言うものだ。言ったものさ

 ……好き勝手やってきたのだろう。好き勝手できて楽しそうだな?

 それも、これまでと思え」


 体裁をあっさりと投げ捨てて売り言葉に買い言葉。安く買ったものだと馬騰が苦笑するほどのそれ。

 その声の主は。

 問われて応える。


「紀霊。畏れ多くも漢朝より督郵を仰せつかっているぜ?」


 にやり、と憎らしい笑みを浮かべるその男こそ、紀霊その人であった。


 流石の李儒も呆然とする。


 なぜだ、と。

 なぜ貴様がここにいるのだ、と。


 ……紀霊と李儒の直接対決。その初回は紀霊が圧倒的に優位なところから始まるのであった。

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