凡人が洛陽で幼なじみといちゃつくお話
「なるほどね、なるほど、だ。
洛陽は何進のもとで盤石、と。
ありがとな、斗詩。
こればっかは実際に洛陽にいないと分からないことだからなあ……」
俺の呟きに斗詩が応える。
「はい。
一時、食糧をはじめとする物価が上昇し始めましたが、数日で沈静化したようです」
斗詩の言葉に顧雍が補足をする。
「物価を吊り上げようとした商家は内々に潰されているようです。
物価の統制をしようとも、実際の物資がなければ空手形です。
そこのあたりも何進大将軍がうまく差配した模様ですね。
やはり侮れませんね、彼らの手腕は」
いやいやいや。侮ったら墓穴ですよ実際。実務においては最強ですよマジで。十年後はともかく、現状ではあの華琳をすら上回るのは確定的に明らか。
「洛陽なんて伏魔殿を牛耳る奴らだからな。
想定の範囲内だ。
むしろ、結ぶにあたって頼もしいってものさ」
いや、まったく。
資本主義社会の知識を持ってしても、勝てる気がしないとかどういうことなの。うん、分かってるって。格の違いとかね。ほんと。
でもね。でも、だ。勝てないまでも、負けるつもりもないけどな。
「そして母流龍九商会についてもご報告を。洛陽の出張所にも何進の手の者が入り込んでいるようですが、どうされます?」
「ほっとけ。別に洛陽の利権を取りに来たわけじゃないし。
ある程度内部の情報を流せば摩擦も防げるだろうさ」
顧雍の問いかけに苦笑しながら応える。
「よろしいのですか?」
顧雍がす、と表情を消して問いかけてくる。
斗詩も、酒を注ぎながら耳をそばだてて……いかんな。身内で駆け引きとかしたくない。癒し空間は大事にしないといけないのです。
「いいんだよ。あのな」
大きく息を吐く。これは本音。
大方針。だからおおっぴらにしてもいいのだ。拡散歓迎なのだ。
「儲けようと思ったらさ、簡単なんだよ」
俺の言葉にぴくり、と顧雍が反応する。
「だってそうじゃん。
袁家の肥沃な大地、安価で高品質な工芸品。
只でさえ、売れないわけがない。
もっと売ろうと思ったら、あれだ」
ぐび、と杯の酒を飲み干す。
斗詩に杯を注がせながら言う。言ってしまう。
「乱を起こせばいいのさ」
沈黙と言う名の女優が場を席捲する。
身動ぎすら許さないほどのそれを打ち破ったのは顧雍。
「と、おっしゃいますと?」
もう、分かってるだろうに。言わせたいのね。
「北方の袁家は食糧の供給地だ。中華有数のな。
だが、中華にはほかにも食糧、物資の生産地がある。
ならば、そこを荒らせばいい。荒らすのは簡単だしな。
……さすれば、濡れ手に粟ってことさ」
そうなりゃ、物価を制御してウハウハ間違いなしである。やらんけど。
「つまり、顧雍。お前の仕事はそれに対する策の構築と準備ってことだからな」
「え?
……は、はい!」
俺ごときが考え付くことをほかの奴が思いつかないわけがない。
洛陽という経済の中心地であればそれを防ぎ、コントロールできるだろう。
そう思っての斗詩であり、顧雍だ。
故に、権限に制限はなんてない。どんどこ頑張ってくれ。
公正取引とか存在しないからね、頑張ってね。
「ま、頼んだよ、斗詩」
「はい」
逡巡なく応える斗詩の笑顔がまぶしい。
「あー、頼むわ」
言わずもがなの台詞を吐いてしまう。なんという月並みな台詞であることか。いや、俺に詩的言語センスはないからね、仕方ないね。
「はい」
そんな凡庸な台詞にすら即答してくれる。
だからこそ改めて思うのだ。
背に負ったものの重さを。
◆◆◆
「ふう」
周囲に聞こえない程度にため息を漏らす。
彼女は本来こういう華やかな場は得意ではない。
だが、袁家の名
代としての立場を思えば、毎夜繰り広げられる宴席も致し方ないものである。
彼女の主君である袁紹であれば苦もなくこなすのであろうが。
「流石に……お疲れかな?」
耳に届くのは麗しい声。
きっと都中の女性は彼の一挙手一投足に夢中なはずだ。
「そうかもしれませんね。
少し。……少しぼうっとしてしまいました」
軽くほほ笑みながら誤魔化す。
「はは、連日だからね。疲れても無理はないと思うよ?」
「いえ、失礼しました」
目の前の士大夫に軽く謝罪をする。
この宴席の主催者でもある、皇甫嵩に。気が緩んだわけではけしてない。
だが、連日の宴席は彼女の心をすり減らしていた。
仕草の一つ、視線の末にまで意味が込められているような、腹の探り合い。
あわよくば少しでも利益を、利権を得ようとする有象無象。袁家の栄華に惹かれるがごとく群れてくるそれ。
覚悟していたとはいえ、だ。確かに日毎、彼女は磨り減っていた。
実務を補佐してくれる顧雍がいなければどうなっていたろうか。そんな益体もないことを考えてしまうほどに。
実際、顔良には非常に助けられている。利権の配分、誘導は彼女の専門外だ。顔良はそもそもが武官であるのだからして。できることと、向いていることは別なのである。
だから、顧雍がいる。彼女がいるのだ。山積する諸事を処理するその手際には感嘆を越えて感動すら覚える。
そして彼女のような人材は貴重なものである。それは顔良には痛いほどにわかる。だからこそ彼女のような鬼札を配してくれたことに思うところがある。顧雍が有能であればあるほどに。
そんなに自分が頼りにならないか、と。
そんなに自分は大事にされているのかと。
ややもすれば陶酔しそうな思考を断ち切り目の前の課題に向き合う。
「しかし、顔良殿は本当に可憐ですな」
そんな見え見えの世辞にうんざりとした内心を露わにすることもなく、ほほ笑む。完璧な笑みで応える。
まあ、油断できない皇甫嵩の相手をするよりは心労は軽い。そして目の前の人物はお世辞であるとしても口から出すのはある程度以上に本音が含まれているのだ。
実際、洛陽の士大夫層の間で、顔良の評判は悪くない。
彼女の主――言わずと知れた袁紹である――は、派手好きで知られている。
……というかあえてそのように振舞っている、と顔良は思っている。
だからそれを助長するのもお役目なのだとばかりに各種の話を盛っていく顔良は悪くない。
が、他方で顔良自身はごく控え目な装いだ。無論、袁家に相応しいだけの価値がある装いではあるのだが。
それでも、煌びやかさを前面に押し出していた彼女の主とは比ぶべくもない。
庶人出身の何進へのあてつけもあるのだろう。彼女の人気は、洛陽ではちょっとしたものであった。
それすらも彼女に対しては疲労感を与えるものでしかなかったのだが。
それでも、やることには変わりはない。
だって。
「斗詩がいてくれてよかったよ。ほんとに、さ」
そんなことを言われたら頑張るしかない。
だってあの人は、もっと大変なのだから。
「うん、惚れた弱みだもの。
……って言えばいいんでしたっけ」
だから。頑張るぞい、とばかりに気合を入れる。
そして、だから。……むしろ頑張るのだ。
期待値以上に成果を出すことで、伝わればいいなあ、と思う。
自分ができることを、一生懸命に頑張っていることが伝わってくれたらいいなあ、と思う。
ずっと、ずっと。大好きだったのだから。
大好きなのだから。