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凡人、やっと旅立つ

「こちらが保存食です。二郎様のことですから宿場町に寄られるとは思いますけど。

 数日分はご用意してます。お水は、水筒ありますからなんとかしてくださいね。

 こちらがお着替えです。きちんとした場に出られる際はこちらを着用してくださいね」


 出立の朝、俺は陳蘭が用意してくれていた荷物の説明をふんふんと聞き流す。


「いつもすまないねえ……」

「それは言わない約束でしょ、おとっつぁん。

 で、いいんでしたっけ」

「うん」

「お乗りになる馬は烈風でいいんですよね?

 流琉ちゃんが準備してくれてます」


 烈風は人懐っこいから、旅路でいろんな厩舎に世話になっても大丈夫だろう。って流琉が言ってた。だから問題はない。


「うん、色々ありがとな」

「わたしのおしごとですから。

 こればっかりは流琉ちゃんにも譲れませんもの」


 そう言ってにこり、とほほ笑む。


「あー、その、何だ。 

 陳蘭はなんも言わないのな」


 多かれ少なかれ各方面から文句やら抗議やら色々言われたりしたんだが、陳蘭が何か言うことはなかった。

 いつも通りに、あれこれ、色々やってくれてるのだよ。そして俺が旅立つことについて、一言もないのだ。受け入れるだけであるのだ。


 ええんか、とばかりに戸惑う俺を見てくすりと笑むこともしない。


「二郎様がお決めになったことですもの。

 お留守はお任せください」

「そか」

「はい」


 にこり、と極上の笑顔を浮かべてくれる。


「ほんじゃ、行ってくるな」

「はい。行ってらっしゃいませ」


 流琉の引いてきた烈風に跨り、斗詩に合流するのだ。


◆◆◆


「おう、斗詩。

 途中までだけどよろしくな。って馬車に乗らないのん?」

「ええ、外の様子が分からないのは落ち着きませんし、それに……。

 二郎さんとご一緒したいですもの」


 雨になったらそうも言ってられないかもですけどね。

 くすり、笑う斗詩と馬を並べる。

 顧雍は馬車に乗ってるらしい。明日くらいまでは斗詩と同行し、そっからは単独行だ。

 最初の目的地は黒山。


 かの飛燕の根拠地、天然の要害である。


 一応お誘い受けてるしな!


 馬上で斗詩とあれこれ打ち合わせ、馬鹿トークする。

 洛陽にも立ち寄ろう。でも何進とかは勘弁な!


 それからそれから……。

 俺は脳裏に立ち寄るとこを列挙する。

 あ、華琳とこ、どうしよう。

 行ったら行ったで、行かないなら行かないでめんどくさそうだなあ。


◆◆◆


「では、如南には紀霊の影響力はないのでおじゃるな」

「は、我が父が乗り込み、確認しておりますれば」


 その応えに満足そうに豪奢な装いの男が頷く。


「よろしいでおじゃる。

 ではお主は引き続き麻呂達の護衛を命ずる」

「承りました。では……」


 声と共に姿も気配も掻き消える。

 そのことに欠片も興味を示さずに、軽くため息をつく。


「ふむ、存外紀霊も甘いでおじゃるな。紀家当主となっても変わらぬのう。

 てっきり、こちらの着任と前後して粛清があると思っておったのでおじゃるが……」

「心配し過ぎと違います?あの男にそんな度胸はあらへんと思うんやけど……」


 同席していた妙齢の美女が艶やかに笑う。


「ふむ、許攸はそう思うかもしれんがの。

 栄転先での粛清は様式美ですらあるのじゃぞ?」

「せやかて、畏れ多くも皇族の流れすらある袁胤様をどうこうする度胸があるとは思えまへんえ」

「ほ、ほ。名門袁家の中でもことさら高貴な血筋の麻呂をどうこうすることは、確かに紀霊には無理かもしれんの。

 じゃがの、慢心はいかん。安心もいかんのでおじゃるよ」


 ほ、ほ、と雅な笑い声を上げる袁胤。


「しかしの、彼奴きゃつは確かに袁家内部でこれ以上なく権勢を得ているように見えるでおじゃる。

 じゃが、彼奴きゃつは袁家でもっとも敵にしてはならん存在を敵に回したのでおじゃるよ」

「それが張家、って言わはりますの?」

 

 訝しげな許攸の問いに、にんまりとした笑顔を浮かべる。


「そうでおじゃるな。

 例えば、今日の麗羽の夕食の献立、美羽の逗留先。

 張家はそれらを把握しておるのじゃぞ?」

「な……」


 許攸が驚嘆の声を上げる。

 それでは、それでは。やろうと思えば暗殺など容易いではないかと。 


「分かったようでおじゃるな。張家を敵にした時点で紀霊は詰みよ。

 いささか、の。

 調子に乗り過ぎたようでおじゃるな」


 からからと笑う袁胤。


「確かに紀霊はんはやりすぎましたなあ」


 袁家を富ますのはいい。

 が、影響力が大きすぎる。そしてその影響力の行使にためらいがない。


「そこよ。

 彼奴はやりすぎたのでおじゃるよ」

「その通りですわなあ」

「あ奴は如南に厄介払いした気でおるじゃろ。それが甘いというのよ。

 袁家の闇の深さを知らぬ若造らしいでおじゃる」


 く、く、と笑う袁胤に許攸は笑みを深める。勝った、と。

 そして呟く。


「お気の毒になあ、紀霊はん。

 でもあんたが悪いんやで。あんたがやりすぎたんや。 

 そやからな。うちらを如南に送って安心してるあんたが悪いんやえ……」


 くすり、とくくく、と。

 不吉な笑いが場を支配し、その余韻は消えることはなかった。


◆◆◆

「ふむ、こんなものか」


 表情を変えず、やり取りされる会話を記憶する。

 姉が、父が予測した反応である。

 あまりにもそれが予想通りで興ざめであったくらいである。


 もっとも、父だ、姉だと言っても血のつながりはないはずだ。

 彼らの便利な道具として教育されたのが自分であり、その配下であるのが現状である。

 そして。その身、その代わりなどいくらでも存在する。

 この瞬間に自分が命を絶っても、明日にはその穴は埋められているだろう。いったい、彼らは自分の何をそんなに貴重なものと思っているのだろうか。

 所詮、切り裂いてみれば血と糞しか詰まっていないというのに何がそんなに楽しいのだろうか。

 彼にはわからない。

 張家に拾われた彼には分からない。

 素体として優秀であったからこそ与えられた「張郃」という名にも価値を見いだせない。

 どうせ自分が死んでも張?という存在は消えないのだろうから。


「ふむ」


 こんな時は無性に姉に会いたくなる。

 自分以上に余計なものを削ぎ落とした、張家の最高傑作に会いたくなる。

 姉との触れ合いによって、まだしも自分が人間だと自覚するのが張郃に残された救いであった。

 いや、或いは既に救いという認識すらなかったのかもしれない。

 ただ、彼が姉、張勲に執着していたのはどうやら確かだったようである。


 その妄執が実るのはもう少し先の時間軸のことである。

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