誓い
「じゃあ、洛陽ではお待ちしてますから、ぜひお立ち寄りくださいね」
「おうよ、そんときゃよろしくな」
洛陽に向かう斗詩と旅に出る俺の送別会というか、壮行会の会場である。
なんとか各人のスケジュールの都合をつけたのだ。沮授、偉い。頑張ったね。
斗詩なんて明日洛陽に発つくらいのギリギリスケジュールである。
「まあ、洛陽は大変だと思うけど、適当にな?」
「はい」
斗詩なら大丈夫だろう。何進とか宦官とか色々不安要素あるけどきっと大丈夫だろう。
というか、他に送れる人材がいないっていうのが実際のとこだし。
「アニキと斗詩の留守はアタイがきっちり守るし、安心してくれよな!」
「猪々子、頼りにしてるよ」
「えへへー、がんばるぜー」
あらかわいい。
まあ、よっぽどのことがない限り猪々子がいれば大丈夫だろう。麹義のねーちゃんもいるし。
「で、結局二郎さんは。
いつご出立されるんですか?」
「んー、明日、斗詩と途中まで一緒に行こうかなって」
七乃の問いかけに答える。旅は道連れ世は情けってね。
「用が済んだらさっさと帰ってくるのじゃぞ!」
「ういうい、了解ですよ」
てや、と美羽様を抱っこしてやる。少しじたばたとしていたが、じきにおとなしくなる。
それをみて七乃がぶーぶー不満を漏らす。
いや、なんつーか、こう、この子らのためにも頑張らんといかんなあと再認識するのだ。
そんな俺を沮授と張紘がにやにやと見ている。まあ、なんかネタにされてるんだろう。
いいさ、あいつらとは散々語り合ったし。今日はお姫様たちにサービスしないと。
とはいえ、ちょっと浮かれて呑みすぎたかな。
「あー、ちょっと酔いを醒ましてくる」
そう言って中庭に向かう。東屋で夜風に当たって酔いを醒まそうそうしよう。
◆◆◆
「はあ……」
ため息を一つ漏らす。あー、酔ったわー。マジ酔ったわー。
東屋のベンチに腰掛け、夜風を楽しむ。
新緑の香りが鼻腔をくすぐる。もうすぐ、夏が来るなあ。
「お隣、よろしいかしら?」
ぼんやりしていた俺の隣に麗羽様が腰かけてくる。
「いや、お恥ずかしい。ちょっと酒が過ぎたみたいです」
「あら、構いませんわ。今宵は身内だけですし、ね」
くすり、と笑う麗羽様の頬もちょっと上気している。
しばし、無言で月を見上げる。
「月が、綺麗ですね」
「ええ。今宵の月はいつもより綺麗に見えますわ」
風が心地いい。
気まずくない沈黙があるとすればこの瞬間だ。
お互いに何を言うでもなく、ただ、互いの存在が心地いい。
「行って、しまわれますのね」
ぽつり、と麗羽様が呟く。
「ええ、行ってきます」
くすり、と麗羽様が笑う。
「ほんと、ほんとに。二郎さんは勝手ですのね。
陳蘭さんがおっしゃる通りですわ」
「え、いやいや、そんなことはないですってば」
「あら、嘘はいけませんわね」
「そんなことはないですって。参ったな」
ぽりぽりと頭を掻く。でもまあ、そういわれても仕方ないかなあ。
「ねえ、二郎さん」
こてり、と俺の肩に麗羽様が頭をのっける。
何か、久しぶりだな。こんなふうに甘えられるのって。
「何すか?」
肩に乗っけられた頭を撫でながら応える。
目を細めるのが猫みたいで、ちっちゃい頃の麗羽様と変わらないなあと思ったり。
「覚えてらっしゃるかしら。一つ、何でも言うことを聞くっておっしゃいましたわよね」
確かに言った。忘れるはずがない。どんなことを言われるか気が気じゃなかったのだよ。
まあ、言い出す感じもなかったから、忘れてしまったのかなあと思ったらご覧の有様だよ!
「ええ、もちろん覚えてますよ。何を言われるのか、結構ドキドキしてましたし」
「ふふ、きちんと覚えてらっしゃったのですわね」
「そりゃ、まあ覚えてますとも」
ぽり、と頬を掻く俺をおかしげに見つめる麗羽様。
参ったなあ、このタイミングで来るとは思ってなかった。
放浪など許さんとか言われたらどうしよう。
いや、どうしようってことはない。そう言われたら否やはない。否やはないのだが……。
ふと、麗羽様を見ると、どことなく潤んだ瞳で俺を見つめている。
「あの、麗羽様?」
「ご無事で」
へ?
「ご無事で、帰ってきてくださいましね。
それが、私の、お願いです」
「麗羽様……」
きゅ、と俺に抱きついてくる。
「二郎さん。お止めはしません。しませんわ。
でも、でも。ご無事で……」
俺を見上げる顔は上気していて、瞳は潤んでいて。
「麗羽様……」
ぎゅ、と抱き寄せると、あ、と声を漏れ、そ、と目を閉じる。
その仕草に愛おしさがこみ上げる。
俺の腕の中で泣きべそをかいていた麗羽様。笑っていた麗羽様。拗ねた麗羽様。怒っていた麗羽様。
色んな麗羽様が脳裏に浮かぶ。
お転婆で、優雅で、高慢で、素直で。でも、変わらずに、いつも一生懸命で。
いつだって全力で俺に甘えてきた。
そんな麗羽様が、俺は大好きで。そんな麗羽様が無防備で。それが愛しくて。
「あ……」
合わせた唇から甘い溜息。
きゅ、と麗羽様の手が俺の背中に回される。
「嬉しい……」
漏れる声に愛おしさがいや増す。
そして自覚する。こんなにも、俺は引き返せないんだな。
俺が大事に思う袁家というもの。その象徴が麗羽様だ。
麗羽様が大事だから袁家に尽くすのか、袁家が大事だから麗羽様に尽くすのか。
それはもはやどうでもいい。
時代の流れという奴があるのならば、大河というものがあるならば、それは袁家にとってきっと奔流だろう。この上なく波濤だろう。
いいさ。全力で抗ってやる。
俺は凡人だ。この上なく凡人だ。それは自覚している。
英傑揃いのこの時代じゃあ雑魚もいいとこだろうさ。
天の御使いが何だか知らんが、その喧嘩、高く買ってやる。
……三国志なんて、ぶっ潰してやる。
歴史に埋没する、面白味のかけらもない時代を築いてやろうじゃないか。
書物と芸術品と匠達のみが受験に出るような、そんな時代。
英雄なんて登場しない、退屈な時代。
栄光も感動もない、そんな時代。
それを、俺の大事な人たちに捧げよう。




