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梨園の誓い

男子会です

 うう、頭が痛い……。

 割れるような、苛むような痛み。それは鈍痛であり裂傷であり、馬鹿馬鹿しくも致命的に響く。

 まあ、あれだ。毒による持続的バッドステータスみたいなものかなとか思いながら……。いや、バステって普通に持続するんだっけか?頭が回らん。

 


「あ、う」


 思わず漏らした言葉。その音の振動が俺を揺らしてまたこれダメージが。自分の声で頭痛とか、こいつはやばいぜ!重篤だぜ!


 いつつ。と唸りそうになるのを堪えながら。

 俺はのそり、と寝台から身を起こし、水差しから注いだ水を飲みこむ。飲み干す。相当な量が用意されていたのを、飲み干す。二日酔いにはとりあえず水分補給が肝心なのですよ。

 そして、卓の上には粥――冷めきっている――が置かれている。何か腹に入れんといかんということで、すする。

 うう、微妙に美味しくない。この微妙さは陳蘭かな。塩味が足りないような、塩っ辛いような不思議な味だ。いや、不味いわけじゃないのよ?

 うん、この味付けは陳蘭に違いないね。

 

 閑話休題それはさておき


 白蓮から天の御使いの噂を聞いてから、俺は各所でその詳細を聞き集めた。

 最近洛陽に行ったり、イベントにかかりっきりだったからなあ。市中の噂までは手が回っていなかった。正直俺の手落ちと言ってもいいだろう。くそう。

 うかつ!おろか!不甲斐ないとはこのことよ!

 だってあれだよ。俺が公務を適当にサボってるのは、こういう市井の噂や世情を汲むためだったのだからして。


 ……天の御使いの噂自体はありふれた世紀末論。そして救世主待望論だ。ありふれている。

 だが、腹立たしいのは、そう、腹立たしいのは。

 天の御使い様が世の乱れを正し、安寧に導くとかいうところだ。


「乱れてなんか、ねえよ!」


 荒々しく吐き出し、卓を殴りつける。

 ばきり、と割れる卓。砕ける器に苛立ちが増す。


 そう、大陸は、荒れてなどいない。

 袁家領内から大陸全土に供給できるくらいに食糧は有り余っている。故に食い詰めて犯罪に走る者もいない。

 腹いっぱいなら大概の人は幸せなのである。


 一部不心得な官吏がいることはいるがそれはいつの世も変わらない。

 が、売官を廃止したことでそういったカスも排除されつつある。徐々に、だがね。


 北方三州はもとより、涼州、荊州、益州も非常に安定しているのだ。

 中華の州のうち半数は安定しており、他の州も流れてくる安価な物資をもとにそれなりだ。

 にもかかわらず、噂は世が乱れているなどと断定している。


 そう。

 ――人ならぬ天の御使いなる存在に救ってもらわなければならないほどに。


「ふざけんな!」


 既に瓦礫と化した卓を蹴りつける。


 じゃあ、俺が、俺たちがやってきたことはなんだって言うんだ。

 食糧を増産し、犯罪者予備軍を減らす。

 雇用を創出し、浮浪者や流民を減らす。

 売官を廃し、苛政を断つ。


 は、御使い様の神通力の前じゃ蟷螂の斧ってか?

 意味なんてないってか?


 いや。分かっているんだ。俺が飲んだくれて仕事をさぼってふて寝しているのは僻みでしかないってのは。

 拗ねてるだけってのは。

 そんな薄暗い思考に沈んでいく俺に声がかけられる。

 ん?誰も通すなって陳蘭には言っておいたはずなんだが。


「二郎、入るぞー」


 平和そうな声と共に扉にかけられていた鍵が開けられる。

 合い鍵は陳蘭しか持ってないのだからこれは陳蘭にお仕置き案件である。


 ……入ってきたのは張紘。それに沮授だ。これは陳蘭が鍵を預けてもしゃあないね。

 会いたくなかった面子であり、会いたかった面子でもある。


「ん、何か用か?」


 自分の現状が非常に情けないということは分かっている。

 それ故に尖った声で返してしまう。だってさ。

 こいつらに、こんなみっともない姿見られたくはなかったし。


「いや、いい酒が手に入ったからさ、久しぶりに三人で呑もうかと思って沮授を誘ったんだよ」

「そういうわけです。僕もちょっと息抜きくらいしたいと思ってたところなのでね。

 渡りに船とはこのこと、とばかりに二郎君を誘いにきたのですよ」


 それ、俺が押し掛けるときの台詞じゃん。


 にんまりとした笑みで張紘が言う。沮授がくすり、と笑う。

 ああ、お前らにそう言われたら断れるわけないし。

 みっともないとこ見せたくないし。今更かもしれないけれども。

 

 だから、立ち上がるのだ。うまく笑えてるかは分からないけれども。


「んー、そうか。そうだな。

 ……すまん」

「何言ってんだ?ほら、行くぞ?」


 部屋の惨状とか見えてるはずだが、一言も言及してこない気遣いがありがたい。

 軽く伸びをして、部屋を出る。

 廊下に陳蘭がいて、お辞儀をしてくる。ああ、心配かけちゃったんだろうなあ。



「んで、どこで呑むの?」

「今日は天気もいいですし、花見としゃれこみませんか?」


 にこにことした沮授が俺の問いに答える。

 確かに今日は春の陽気が気持ちいい。


「そだな。今の時期なら……梨園か?」


 春の花見用兼果物美味しいですということでそういった果樹園もどきが作られている。

 桜はなあ、ソメイヨシノ――詳細ぐぐれ――があれだから花見は不可能。

 だから、春の花見と言えば梨園だ。白い色は紀家のイメージカラーでもあるからして。


「ええ、準備はしてますよ」


 流石にお前らが揃うと手回しがいいね。まあ、一人で鬱屈しててもしゃあないからな。

 ここは厚意に甘えよう。


◆◆◆


「じゃ、乾杯すっか」


 気持ちのいい風が吹き抜け、白く可憐な花弁を揺らす。

 日差しが適度に体を温める、吹く風は適度に涼しい。うむ。絶好の花見日和である。


「それはいいけど、何に乾杯すんだ?」


 いくらかおかしげに張紘が尋ねてくる。そんなの決まってる。


「張紘と沮授が仕事もしないで昼間っから呑むということに、だ」

「お前なあ……」


 呆れた顔の張紘と苦笑する沮授。


「加えて、二郎君が機嫌を直したことにも乾杯しましょう」

「ははっ、そりゃいいや!」

「ちょ、待てよ!」


 笑いながら器を鳴らし、杯を乾す。


「いやあ、昼間っから呑むって最高だな!」


 うむ。ダダ漏れの本音に苦笑する二人である。


「二郎はしょっちゅうやってるだろうが」


 だからこうね、君らともその快楽を分かち合いたいというか、分かってほしいというか。


「いやいや、頻度じゃなくてだな、こう。あれだよ。

 お天道様が頑張ってるのに呑んでしまうというこの背徳感がだな」

「お前なあ……」


 苦い声ながら苦笑する張紘。にこにこと杯に酒を注ぎ、つまみを補充する沮授。

 ああ、なんか申し訳ないなあ。

 気、使わせちゃったなあ。


「二人とも、正直すまんかった」


 軽くかしこまり、頭を下げる。


「よせやい。おいらたちは……。あれだ。たまたまいい酒が手に入ったから二郎を誘っただけだぞ。

 いつも誘われてばかりだからな。たまにはさ、おいらも二郎を誘わないとって」

「そうですよ、僕たちの気晴らしに付き合ってもらってるんですから。

 むしろ頭を下げるのは僕たちです」


 二人の気遣いが嬉しい。

 張紘と沮授なんていう、時代を代表するくらいの傑物に気を使ってもらっているということが、嬉しい。

 俺の卑小な自尊心が満足するのが悲しい。鬱屈していた心が晴れていくのが後ろめたい。

 そんなことを考える俺は本当に小物なんだろう。


ああ、畜生。この二人に比べたら、と思わずにいられない。

そして、そんな二人が傍にいてくれているのがどれだけ幸せなことか、心からそう思う。


「しかしまあ、二郎と知り合ってから長いような短いような」

「そうですね、あっという間だった気もしますね」


 黙ってしまった俺を気遣ってか、話を変えようとする。


「まさか江南出身のおいらが南皮で働くとはなあ」

「そうですね。そんな張紘君と僕がこうやって飲むというのも味なものです」

「そうだな。縁は異なもの味なもの、ってな」


 笑い合う二人。

 心底楽しそうな二人に何か……とても助けられる。


「なに他人事って顔してんだ?おいらと沮授を引き合わせてくれたのは二郎だろ?」

「へ?や、そうか、そういやそうだな」

「まったく、二郎のよくないとこは自己評価が低いとこだぞ。

 おいらだって二郎が声をかけてくんなかったら流民同然だったんだからな」

「や、張紘に限ってよ。そりゃあないだろうって」

「これだよ」


 肩を竦めて張紘が苦笑する。


「二郎、おいらはな、お前のことをその、なんだ。口幅ったいが、親友だと思ってる。

 だから、あの日にさ。二郎と巡り合ったことは本当に天佑だと思ってるんだぞ?」

「な、それは!」


 絶句する。頬が上気するのを自覚する。

 それは俺の台詞だ。張紘がいなかったら今の俺はない。

 それにあんなに希有な人材達すら紹介してもらったんだ。一方的に負債があるのは俺なのだ。どう考えても。


「二郎君、僕だって君と知り合えた幸運を感謝してますよ」


 沮授までそんなことを言う。

 いつも通りの涼やかな笑み。その笑みに乗せて。


「僕はね、二郎君に救われたんですよ。いえ、現在進行形ですからね。正確ではないでしょうが」


 は?


「お恥ずかしながら、僕は二郎君が評価してくれるほどの人物じゃありませんよ。

 でもね、いえ、ですから、かね。

 二郎君がいたから僕は頑張れたし、頑張れるのですよ」


 え?


 呆けた俺を見て、いつもの通りくすくすと笑む沮授。


「やですねえ。田豊様のしごきがどれだけかって、二郎君ならわかるでしょうに」


 あー。師匠のマジしごきとか想像したくないです。俺なら逃げるね。華琳とこに行くか迷うレベルで逃げる案件である。


「ですからね。僕は二郎君に救われたんですよ。

 そして張紘君にもね。

 まあ、お二人にはいろいろと厄介ごともいただきましたけど、ね」


 冗談気味に笑う沮授の目はいつもよりも真剣で。いつもと同じく気安く、儚い。


 くすり、と笑う沮授。ニヤニヤした張紘。二人からそれぞれに酒を注がれ、それぞれを一気に咽喉に注ぎ込む。

 酒精が咽喉を焼き、血流に火を灯す。

 だから、心根という弾薬倉庫から、言葉という弾丸は飛び出すのだ。


「あのさ。ありがとう。お前らが俺を気遣ってくれてるのは本当にありがたいんだ。

 でもさ。それだけじゃない。ありがたい、ってだけじゃないんだよ。

 その、なんだ。口幅ったいけど、俺も二人を親友だと思ってる」


 ちら、と窺う。張紘は今更なに言ってんだという憮然とした表情。沮授はそうですがなにかという風な笑みだ。

 だから、そう。次弾装填、発射だ!暴発でも知ったことかよ。


「俺はさ。

 本当にお前らがいてくれてよかったって思う。お前らと親友になれてよかったって思ってる。

 でも、そうじゃないんだ。それじゃあ足りないんだ。

 だから、だから……」


 からからに口腔が乾く。俺はひどく身の程知らずなことを言うのだ。凡人の俺が、だ。

 だが、だって、俺はこの二人が大好きで。それを確かなものとしたいと思うくらい浅ましい。

 英傑と呼べる二人に言うにはおこがましい。それは分かっている。だから躊躇う。でも言うのだ。

 世界は色彩を失い、咽喉は枯れて思考は支離滅裂。

 それでも、踏み出す。手を伸ばす。


「お、俺を、俺と義兄弟になってほしい」


 言った。言ってしまった。言ってしまった。


「二郎君、本気ですか?」

「二郎、落ち着けよ?」


 問われる疑問に背筋が凍る。拒まれたらどうしよう、と。


「二郎君、僕はどこの誰とも知れない孤児ですよ?」

「おいらは江南の木端だ。釣り合わねえよ」


 問われる声に、熱いものがこみ上げる。そんなの関係ないのだ、と。


「うるっせえ!関係ねえんだよ!そんなの関係ねえんだよ!

 俺がこうしていられるのはお前たちのおかげだ!

 それだけじゃねえよ!ちがう、そうじゃなくってさ。

 俺はさ、俺は。

 くそう。くそ。うまく、うまく言えないけどさ……」


 言い募りながらも我ながら支離滅裂な言葉だ。正直語彙の貧困さに心が痛い。

 どうすればこいつらに俺の思うところが伝わるのだろう。どう言えばいいんだろう。

 と、思っていたのだが。


「やれやれ、困ったものです」

「どうでもいいけど、年齢的な意味で長兄とか嫌だぞ。

 柄じゃねえし」


 二人とも苦笑しながら、俯く俺の背中を叩いてくれる。

 だから応えるけど、みっともなく鼻声なのが情けない。


「俺だって。俺だって義兄弟になって上下関係とか嫌だっての。いいじゃん、三つ子で」


 俺の言葉に二人が笑うのを感じる。ちくしょう。誰か鼻紙もってこいよ。


「そうだな。これからもよろしく頼むよ、兄弟」

「僕でよければ僕なりに」


 そんな二人の言葉が嬉しくて。嬉しくて。

 俺の言葉は多分、とんでもなく鼻声で、涙に溢れてて。聞けたもんじゃあなかったと思う。


「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。

 同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん」


 震える声で言った俺の背中を二人が叩いてくれる。

 俺は号泣し、みっともない姿を二人に晒し。それが嬉しくて。


 この誓いを神聖なものとして胸に刻み込む。


◆◆◆


 以降、紀霊、沮授、張紘の三人は袁家領内の武官、文官、そして領内の財界を束ねることとなる。

 そして、その連携は三位一体と称されるほどであり、ついぞ崩れることはなかった。

 そして、その信頼はいかなる謀略をもってしても崩れることはなかったのである。


 後世、『怨将伝』として演じられる一連の演目の、講談の人気の一幕。

 『梨園の誓い』である。


 ……彼らは次々と、理不尽なまでに訪れる難局に挑むことになる。


日常編完結です。

次は放浪編を予定しております。

ご期待ください。

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