凡人と孫家三の姫 邂逅編
「じろうー、眠いのじゃー」
こてん、と俺に身体を預けてくる美羽様。いや、宴席出席お疲れ様である。
実際美羽様はこんなちっちゃいのにね。とても頑張ってると思うのだ。まあ、それはそれとして。
「このまま眠りたいのじゃ……」
だめですよ。
「もちっと頑張ってくださいね。お風呂入ったらすぐに横になっていいですから」
「めんどくさいのじゃー」
ぶうぶうと不満を漏らす美羽様。
とはいえ、麗羽様みたいに逃げ出したりはしない。なんとも手のかからないことよ。
本当にいい子である。
「よっこいしょ」
眠たげな美羽様を抱っこして風呂場に向かう。
いやあ、軽い軽い。美羽様はもっとたくさん食べるべきそうすべき。
「じろうー」
「ん?なんすか」
「妾はちゃんとしてたかや?」
少し不安げに俺を見上げてくる美羽様。
「ええ、美羽様はちゃんとしてましたとも。
七乃もそう言ってたでしょ?」
「むー、七乃はいつも妾を褒めるからよく分からんのじゃ。
これでも苦言に耳を貸すにやぶさかではないつもりなのじゃ」
たどたどしくもその思いを述べる美羽様。その言、清冽にして俺の胸を打つのだ。マジで。かわいい。健気。そういう言葉が脳内で整列していくよ。
なんか、あれだなあ。
逆に同年代の友人とか作ってやらんといかんかもしらん。
「美羽様はお利口さんで俺も楽ですよ。
というか、麗羽様は結構やんちゃでしたし」
「麗羽ねえさまが、やんちゃとか信じられないのじゃ」
「まあ、今の麗羽様を見たらそうかもしれないっすねえ」
遠い目をする俺である。
あんなんでも昔は俺が放り投げたり、遠投したり。……って投げてばっかりか!
「まあ、委細はじろうに任せるのじゃ」
「いや、俺、明日の式典では裏方ですよ」
「なんじゃと?妾と麗羽ねえさまの晴れ舞台じゃぞ?なんでじろうがおらんのじゃ!」
「いや、俺。紀家の当主じゃあないので。
麗羽様の州牧と美羽様の太守就任の式典にはね。やはり正当なる当主が出ないと」
そう、明日は今日以上のお祭り騒ぎだ。
麗羽様が三州の州牧と太尉、美羽様が如南の太守となるお祝いの席だ。
宴会好きな袁家と言えども、だ。これは桁違いの祝典になる。
白蓮とか曹操とか孫策とか次期太守とかも招いてそりゃもう盛大な式典になるはずである。
俺?さっきも言ったけど裏方。
実行委員長とかそのへん。
美羽様もふんぞり返っとけばそれでいいと思うの。とも言えず。
俺にできるのは、美羽様を風呂に送り込むことだけですだよ。
てやー。
◆◆◆
ごきゅ、ごきゅと音を立てて美羽様が蜂蜜水を飲んでいる。
お子ちゃまは甘いものが好きだからねえ。
お利口さんな美羽様の、ささやかな我儘……というか。娯楽なのだ。
「ぷはー。風呂上がりの蜂蜜水は格別じゃのー」
「飲み過ぎたらおねしょしちゃいますよ?」
「ななな、なにを言うのじゃ。妾がそのようなことするはずなかろう!」
分かりやすくうろたえる美羽様。
そんなに気にすることないのになあ。
そう思いながら何か囀る美羽様を抱っこする。
「むー。じろうとは一度きっちり話をせんといかんのじゃ」
「はは、いつでも。とりあえずは湯冷めするまえにお布団に入りましょうね?」
「うむ、そうじゃな。それにしても思うのじゃが……」
美羽様と馬鹿トークしつつ歩いてると、前から見覚えのあるおっぱいが……もとい、見覚えのある人物が歩いてくるのが見えた。
「あらあらー、二郎さん。今お戻りですかー?」
「おうともよ。
穏も遅くまでご苦労だな」
「いえいえ、それほどでも。
あ、袁術様に二郎さんにもお初でしたね。
ご紹介します。私が仕える孫家三の姫、孫尚香様です」
そう言って横にいた幼女を紹介する。
ふむ、三国志演義では劉備の後妻となる弓腰姫か。
実家に帰る際に跡継ぎの阿斗をかっぱらおうとするなどなかなかの行動力である。
……あっこで阿斗が誘拐されてしまったらその後どうなるかというのは三国志ファンなら一度は妄想しただろう。でもそしたら阿斗ちゃんピンチですよね!
「孫尚香です!おねーちゃんがお世話になってます!」
ぺこり、と頭を下げる幼女である。
「うむ、孫堅殿の忘れ形見。孫家の三の姫じゃな。遠路はるばるご足労いたみいる」
キリ、と仕事モードの美羽様をそろり、と降ろす。抱っこしたまんまじゃ恰好つかないもんね。
そしたら食いつくこと。孫家のコミュ力半端ない。
「うわぁ……きれいな金髪だ。すごいすごいー!」
「そ、そうかや?」
「うん、すごい!触ってみてもいい……?
あ、シャオのことはシャオって呼んでね!」
「うむ、苦しゅうない。美羽でいいのじゃ。
というか、シャオの髪こそ触ってよいかえ?」
きゃいきゃいと年少組が騒いでいる。
微笑ましいその光景を横目に、穏に問いかける。
「で?」
「あら。そうおっしゃっても分かりかねますー」
ほよん、とした表情を崩さない穏である。くそう、かわいい。
「とぼけんじゃねえよ。孫家はどうすんだって話さ」
「どうもこうも、二郎さんのご意向次第ですよ?」
「へーへー分かりましたよっと」
実際、いいように操られてる感があるからな、孫家……というか穏相手だと。
……ん。えっと?
生じる違和感。なんだろうか。
「で、何が望みなんだ?」
「くす。とりあえずは時の猶予を頂きたいですね」
「ん?別に孫家になんか締切とか設定してなかったろうに……」
言いながら思いついた。思いついたのだが……。
もしかして、だ。こいつらひょっとしてお家騒動してんのか?
だとしたら厄介だぞ。あちゃー。
あからさまに顔が引きつったのだろう、穏が笑いかけてくる。
「あは、ご心配なく。きっちり私が丸く収めますから」
にこり、と笑むその貌。それが怖いんですけどねえ。
まあ、穏便にね。穏便に。
孫尚香と話していた美羽様を抱えてその場を去る。
孫家って底知れないのよね。まじで。
つるかめ、つるかめ。
◆◆◆
「穏、お疲れさまー」
明るい声が響く。
陸遜は安堵と幾ばくかの不安、そして怪訝さを込めて問いかける。
「ありがとうございます。でもよかったんですか?
二郎さんとはろくにお話してないですよね」
陸遜の問いかけ。くすり、と孫尚香は微笑む。
先ほどまでの、袁術や紀霊に向けていた無邪気な笑みとは違う嫣然とした表情。
「やだなー、穏も分かってるんでしょ?
【将を射んとすれば】ってやつだよ?
孫子の初歩だよね」
くすくす、とおかしげに笑う孫尚香。
「どうせお姉ちゃんのことだからそこらへん置き去りだと思うしね。
ほんと、馬鹿だよねえ。
シャオはそこらへんきっちりしてるよ?」
薄い胸を張る孫尚香に陸遜は問いかける。
「そうですねえ。ちなみに小蓮様は治と乱のいずれを望まれるのですか?」
孫尚香は即答する。笑みを貼り付けたままに。
「やだなあ、孫家にとってどっちがいいかを考えるのが穏たちの仕事でしょ?
そのためにどう動くかが私たちの仕事じゃない」
その言葉に陸遜は笑みを深くする。
「これは一本取られましたねえ。
そういえば、二郎さんを籠絡されるのですよね?
であれば、しばらく私は控えた方がよろしいですか?」
「えー、なんでー?
穏にはどんどん押してほしいんだけど。
穏も祭も熟れてるじゃない?だからシャオみたいな青い果実を食べたいと思うくらいに攻めてほしいなあ」
「承知いたしましたー」
くすくすと笑う陸遜を満足げに孫尚香は見つめる。
実際彼女は上機嫌である。
袁術とは個人的に友誼を結べそうだし、紀霊の籠絡も思ったより障害はなさそうだ。
これまでの退屈だった日々とは比べられないほどの愉悦をその幼い身で受け止める。
幼いながら、治より乱を好む孫家の血を間違いなく受け継いでいた。
◆◆◆
「二郎さま。お疲れ様です」
自室に戻った俺を迎えてくれたのは陳蘭だった。
遅くなったから別にいいのに。
「お茶をお淹れしますね」
そそくさと作業に入るから何も言えねえ。
まあ、陳蘭の淹れてくれた茶を飲むと、日常に帰ってきたという気がする。
「どうぞ」
「おう、ありがとな」
うん。別に美味しくないしまずくもない。陳蘭のお茶だな、って感じだ。
一気に色々弛緩する。
「ほへー、これぞ陳蘭のお茶だなあ」
「ふぇ?そうですか?」
「おう、帰ってきたなー、って思うよ」
「あ、ありがとうございます!」
むむむ。別に誉めてるわけじゃないけどね。
まあいいや。
「おかわり、飲まれます?」
「いや、いいや。今日はなんかつかれたー」
がばり、と陳蘭に抱きつきながら寝台に横たわる。
「ふぁえ?じろうさま?」
「あー、落ち着くわー。そしておやすみー」
薄れゆく意識の中で陳蘭にあれこれ言いながら俺は眠りに落ちる。
自分以外の温もりが傍らにあることがとても嬉しい。
この温もりを、大切に、しないと、な……。
明日は今日より忙しくなるだろう。
そのあと、俺はやらんといかんことがある。
そんなふうに思惑していることすら、夢の中だったのかもしれない。
ぐう。
 




