凡人、虎と出会う
虎の娘は虎
「貴方が紀霊でいいのかしら?」
機嫌よく沮授と馬鹿トーク――いつものように俺が一方的に馬鹿――している俺に声がかかる。
「ん?そうだけど」
振り向くと、桃色の髪に褐色の肌のナイスバディ(昭和感)な美女が俺を見て微笑んでいる。
んー、どっかで見た顔だなあ。というか似た人を見たことがあるというか。
「よろしくねー。蓮華が世話になってるわね」
ん、孫権の親類……ということは小覇王こと孫策か!虎か!駄目だ!暗殺されとけ!
「いやいや、それほどでもあるかな」
満面のスマイルをゼロ円サービスだぜ。
「……ふーん」
じろじろと俺を見定めてくる。
むむむ。
負けじと足元から腰、胸に視線を集めて品定めしてやる。
視姦ならまかせろー。
ってほんとに超スタイルいいでやんの。
惜しげもなく晒した身体は極上品。出るとこは出まくりである。ただし穏とか黄蓋にはサイズで一歩劣るかな?
いや、半歩くらいだろうか。だがその我儘ボディは魅惑の塊。いや、眼福である。
「えー、なにー?なにをじろじろ見てるのかなー?」
「そらもう、あれよ。
眼福ご馳走様です」
手を合わせて拝む。ありがたや、ありがたや。これは観音様やでぇ……。まさに豊穣である!
「ふーん、聞いてたより軽薄なのねー」
「おうよ。軽くて薄いぜ」
ふふん、そんな安い挑発には乗らないぜ。いや、高い挑発なら乗るかというとそうでもないのであるけれどもね。
つーか、挑発なら俺の方が一日の長があるぜ?絶対な。見てろよ見てろよー。
「あれだなー、江南って荒廃してたと聞いてたんだよ。喰う者(誤字にあらず)にも困るってな。
そう聞いてたんだけどな。いやあ。
……孫家ってすごいな!その豊穣さ、生まれ育った土地の収穫とは反比例している……してなくない?
何食ったらそうなるんだ?妹さんは将来有望って感じだけどな!
さて、今現在に於いても貧困に嘆く方に何か言うことはないんですかねぇ……」
魯粛にはまあ、ゴメンね、としか言えないがね。
孫策が柳眉を逆立てる。
言外に自分だけ……いいもん食ってんじゃね?というメッセージを読み取ってくれたみたいだ。うけけ。けけ。
「へえ、言ってくれるじゃない……」
凄みを増すその表情、ナイスだね!俺からしたら軽いけどな!
「うけけ、気に障ったらごめんなごめんよー。
これでも孫家には期待してんだよ?」
ほんと、殲滅せんといかんかと思ってたからね。実際。
「ええ、感謝してるわよ。私を長沙の太守に推挙してくれたんでしょ?」
謝意があるならばもうちょっと苛立ち……というか殺気を抑えた方がいいと思うの。
まあ、俺にそういうことをするとどうなるかってのは……これから勉強してもらいましょうね。
「孫家の当主に長沙の太守を任せる。
袁家一同の合意によるもんだから俺の一存じゃあない。
江南の安定には妥当だしな。
だから特段俺に感謝の念とかは要らないと思うのさ」
「ふーん?」
こちらを見透かすような視線を向けてくる孫策。
……なんだかなあ。孫家と俺って相性悪いんだろうか。孫権も俺につっかかってくるし。
心の中で軽くため息をつく。
やれやれ、だぜ。やってらんねえぜ。でもやるしかないんだけどねえ。
などと思っていたのだが。
「でも正直手が回んないのよねー。
孫家を大事に思ってくれるなら母流龍九商会の、虞翻ちゃん。うちにくれない?」
にやり、というのがぴったりな表情でそんなことを言ってくる。むしろそんなことを言いやがる。
意趣返しのつもりか?
だがそれは悪手よ。だって俺がイラついたもの。
「どうしてそうなる」
「ほんとに手が足りないのよー。
ほら、祭とか蓮華とか穏とか、政務に長けたのが袁家に出してるじゃない?
結構大変なのよ」
「それをなんとかすんのがさ。あんたの仕事だろうよ」
「なになに、冷たいなあ。そこをなんとか、ね?」
媚び媚びと見せかけて売り物は喧嘩である。もっと媚を売ってくれてもいいのに。
買わないけどね。
「だめ!」
「じゃあじゃあ、虞翻ちゃんがいいって言ったら?」
にまり、と猫科の猛獣を思わせる笑顔で俺を見やる。なんだこれ。そういや虎か。
「駄目に決まってんだろ。そんなの、いいって言ったら何をするか分かったもんじゃない」
「そんなことないのになー。
でもまあ、虞翻ちゃんってすごく固いよね。
宴席に誘ってもお酒を一滴も飲まないのよ。信じらんないなー」
嗚呼、虞翻。
すまん。
そうだよな、生真面目なお前ならそうするよな。気まずくなる方が癒着するよりいいと思うよな。
軽く瞑目する。これはいつか虞翻に報いなければいけませんよ。どうやったらいいのかは分からんから張紘とか魯粛の知恵を借りるとしようそうしよう。
「まあ、そういう子なんだよ。
だ、か、ら。単身江南に残させてるんだよ。
信頼を得たいならばきっちり仕事をしようぜ?
それが一番の近道だと思うけど」
「なによ、けちー」
「いや、けちーってお前なあ……」
天然なアレさ加減をかもしつつも、もぎ取れるものは取ってしまおうという勢いが流石というか。
「いいわよめんどくさい。私のことは雪蓮ね。そう呼んで?
文句ある?」
「あるよ。そらあるに決まってるだろうよ」
文句はないが戸惑いと苛立ちはあるのです。でもそんなの関係ないとばかりに極上の笑顔を殺気と共に贈られてしまいました。
だが真名ひとつで許されんよな。と思う俺の思考を読まれたものか、孫策、もしくは雪蓮はその場を去る。
「はいはい、それじゃあ弱小勢力は挨拶廻りしないとね。
じゃね」
「はいな」
◆◆◆
はー、と深くため息をつく。
「ふふ、お疲れ様でした」
「んだよ、沮授よー、助け舟だしてくれてもいいじゃんかよー」
「いえいえ、お二人の会話に割って入るような無粋な真似なんてとてもとても」
にこにこと笑みを崩さないんだよな沮授は。
おい、えらい余裕だな。
「勘弁してくれよな、ああいう傑物とやりあうなんて俺の器じゃあ無理だってば」
「そうですか?結構翻弄してたと思うのですが」
「ないわー。俺の精一杯の虚勢だっつーの」
「まあ、そういうことにしておきましょうか」
「うっせ」
くすくすと笑う沮授の脇腹を小突いてやる。
「痛いですよ」
「そりゃ痛いようにしてるからな」
そして涼しい顔の沮授なのである。
頼りにしてます。つか、頼るし。
◆◆◆
「ということがあったのよ」
「何をやってるんだ……」
こめかみを押さえて頭痛を紛らわせる周瑜。
そんな周瑜を見ながら孫策はけらけらと笑う。
「でもあれねー、祭とか穏とかの報告見てたからもっと、とんでもない化け物かなーと思ってたけど、そんなこともなかったなあ」
「ほう?」
「冥琳はまだ会ってないのよね、なんかねえ。大したことないなって。
あれならそうね。横にいた沮授の方がよっぽど底が見えないわよ。
結構挑発したんだけど顔色一つ変えずにね。にこにことしてたわ」
「ちょっとまて雪蓮、挑発ってどういうことだ」
顔を盛大に引きつらせながら周瑜が問いかける。
主君、そして恋人である面前の人物の向こう見ずさは長所だが、短所でもある。
「えー?人の底を見るのって、生の感情を見るのが一番でしょ?
だからちょっと、ね」
「ちょっと、ね。じゃないだろうが」
「んー、結構ちょろかったなあ。挑発したら逆に挑発し返してきたしね。
もっと掴みどころがないのかなあ、なんて思ってたんだけど拍子抜けしたわよ」
「雪蓮。お前な……。孫家がどういう立場か分かってるんだろうなぁ……」
「え?きちんとお礼は言ったわよ?長沙の太守に推挙してくれてありがと、ってね。
真名も預けたし」
周瑜は大きなため息を吐く。
「そうじゃないだろう。困窮している江南の地に多大な援助をもらったんだ。
その点はどうなんだ?きちんと筋を通したのか?」
その言葉に孫策はあちゃー、といった表情を浮かべる。
「雪蓮。まさかとは思うが。
まさか、とは思うのだが……
そこを忘れていたんじゃないだろうな……?」
底冷えしそうな周瑜の声に孫策の顔が引きつる。
「や、やだなあ、冥琳。冥琳にそんな顔似合わないってば。
美人が台無しよー?」
「雪蓮?私の問いに答えてほしいんだが」
「ええと。そうね。うん。そのね。
……ごめん」
そしてその声に頭を抱える周瑜である。
そんな周瑜に孫策は明るく取り繕う。
「だ、大丈夫だって、彼ってば全然気にしてない風だったし。
でもあれね、助平ってのは本当ね。もう、全身をくまなく視線で犯された感じ?
今夜は冥琳に慰めてほしいなー」
わざとらしいほどの話題転換に周瑜は付き合わず、こめかみをもみほぐす。
短時間に心身に深刻な損傷を食らい、言葉を続けることができない。
そして思う。
分かっているのか、お前が、お前の勘が危険と判断した沮授までもその一部始終を見ていたんだぞ、と。
だが、その言葉が発せられることはついぞなかった。
発せられるのは宣戦布告。それも。
「それにねー。やっぱり癪じゃない」
「何がだ?」
その時の孫策は先ほどまでとは別人と言っていいほどの気迫に満ちていた。
「私たち孫家を駒扱いしてるのよ?彼奴は。
江南の安定に東奔西走して、それが思惑通り?
頑張ったから、御しやすいから長沙をくれてやるですってよ。何様のつもり?
は、虎の娘を飼い馴らせると思ってるならね。
……その手を食いちぎるまでよ」
ほとばしる覇気に周瑜は絶句する。そして湧き上がるのは歓喜。
この覇気こそ、自分が愛した孫策だと。
だが、だが。
「雪蓮!忘れたのか!先代……孫堅様の遺言は江南の安定だぞ!」
孫策の言を受けてなお。いや、それを押し返すほどの覇気を込めて周瑜が叫ぶ。諫言を。
それを平然と受け止め、孫策は言葉を続ける。
「冥琳、私思うのよ。誰かに頼った平穏なんて意味ないんじゃないかってね。
袁家の意向一つで揺らぐ平穏。それは母様が望んだものかしら。
ねえ。私たち孫家を操ろうとする袁家こそ、江南の平穏の大敵じゃないのかしら。
だからね。冥琳、私は思うのよ。
独立不羈こそ孫家の悲願。そうじゃないかなって」
絶句する周瑜に孫策は言葉を続ける。
「それにね。母様の遺言を守るだけだったら誰にでもできるでしょ?
ここはそれ以上のことをしなくちゃ私が当主の意味ないじゃない。
ね?冥琳?冥琳なら、分かるわよね」
虎の娘は猫ならず。
猛獣の笑み。それを浮かべる孫策に周瑜は戦慄する。
「雪蓮……」
かすれた声で最愛の恋人に呼びかける声に力はない。
「うふ、やだな。冥琳ってば。
私の我儘に孫家と江南を巻き込むつもりはないわよ?
これは私だけの我儘。
だから、ね」
くすり、と微笑む孫策からは生臭い血の香りがする、と周瑜は慄く。
「私がこうなら、蓮華はやりやすいでしょ?」
その言葉に周瑜が悲痛な顔をする。
「ううん、違うわよ?別に蓮華のためじゃないもの。
私が私であるため、よ。
鎖で繋がれ飼い馴らされるのは私じゃない。
ね?」
貴女なら分かるわよね、という視線での問いかけ。
周瑜は目を背ける。
どうしようもなく訪れる戦乱。
故なく周瑜はそれを幻視する。
孫家の性は火。
炎とは、火が合わさるものではない。
火が、互いを食い合って燃え盛るのだ。
炎の時、来たる。
理性でなく、本能で周瑜はそれを察知する。
そこには少しの苦さと、それを塗りつぶすほどの昂揚感があった。
虎が寅だったらよかったのに




