地味様の失意
「うう、まさかなあ、一人くらいはって思ったんだけどなあ」
漏れるため息はさして大きくない。そして声の主たる公孫賛はがっくりと肩を落とす。
それでも、お断りの手紙をすら丁寧に畳むのは彼女の性根。その善良さの証左であろう。
「失望する必要はない。この結果は予測されていたこと」
声の主は韓浩。
淡々とした声。これで慰めのつもりなのだろうか。いや、そうなのだろう。きっと。多分。そうだといいな、と思うのだが。
だが、その平坦な声すらありがたいと思うほどに、公孫賛の精神は消耗していた。
「いやまあ、そうは言っても一人くらいは応えてくれるかなあと思ったんだよ」
愚痴る公孫賛。
「では甘い認識を改める機会を得たことを幸運に思うべき。以後は過度な期待をしないことを推奨する」
容赦のない韓浩。もはや幾度繰り返されたか分からぬほどのやり取り。だがそこに公孫賛は安堵を覚えるのだ。
どこぞの凡人がいたら、「いやそれ、追い詰められすぎだろうよ」などと言ったであろうが。
「分かったよ……。というか現在進行形で分からされてるよ……」
「ならば結構」
遠慮とか斟酌とかいうものが微塵もない言葉に公孫賛は苦笑を深める。
そして韓浩の言に揶揄であったり、諧謔や、もちろん悪意みたいなのがないのを確信する。
本当に、本音で、そうあるべしと言ってくれているのだ。
無論、これを真っ向から否定して押し付けても韓浩は一言も文句なぞ言わないであろう。淡々と苦言を呈し続けるのだろう。
まあ、常ならば栄達なぞできぬであろうし、それを望むような人物でもない。それくらいの処世術――というには真っ当な気質――を公孫賛は身に着けている。
少なくとも本人はそう思っている。
「でもなあ、桃香は来てくれるんじゃないかと思ってたんだけどなあ」
韓浩を前にして、内心の愚痴が言葉に出るあたり色々とお察しな精神状態な公孫賛である。
そして韓浩は諫言を厭わない。それが故に厭われたとしても、彼女はそれを改めないであろう。
そういう意味では公孫賛と韓浩の組み合わせは理想的ななものであった。
「繰り返すが失望する必要はない。公孫の勢力ははっきり言って脆弱かつ危険。
匈奴の侵攻をこれくらいの勢力が防いでいたというのは何かの冗談ではないかという規模。
太守になるという情報を伏せて招聘をして来るほど友誼があるならば、招聘の前に来ているはず」
眉一つ動かさずに韓浩は言う。そして公孫賛は嘆く。
うう、うちって。そんなに条件悪いのかなあ、と。
そして、そうではないと伝えることができるほどに韓浩に器用さはない。
「もうちょっとお給料を上乗せすればよかったかなあ」
「無意味と推測する。国境の勢力が破格の報償で人材を募集するということは匈奴の侵攻があると推察するのが自然。
よほど愛国心や義侠心がなければそんな最前線に来るはずがない」
反論の余地などない事実を突きつけられて公孫賛は肩を落とす。落とす。
泣いてない。泣いてなんかないし。涙なんか流れてないし。
「ああ、もう。一言もないけどさあ、もうちょっと表現柔らかくならないかなあ」
「甘言や巧言が欲しいのであればそう要請してほしい。相応しい人材をいくらでも進呈する。
こちらで処分してくれるのであれば即座に数十人は紹介が可能」
淀みない韓浩の言葉にがっくりとする。それって佞臣を処分してくれってことだね、と。
とはいえ、思うのだ。本当に。
こんな直言をくれるというのはありがたい話であるのだ。韓浩や魯粛が来るまではそんなことを言ってくれる人すらいなかったのだから。
いや、そうじゃない、と認識を甘えから引き起こす。
こうまで的確に助言してくれる人材などいなかったというのが正確だろう。
貴重な人材を派遣してくれた紀霊には感謝、である。
そして、彼はここまで遠慮斟酌ない言葉に対してどう思っているのだろうか。
そのような思考的浮揚を知ったかのように鋭い言が公孫賛を貫く。
「現実逃避もそれくらいにしたほうがいいと進言する。
政務がここ一週間で一割ほど滞っている。これ以上の停滞は緊急事態に影響を与える可能性が極めて高い」
「うえ?そんなに溜まってたか。まいったな。
だけど、私の処理の速度も上がっていると思うんだけどなあ」
「魯粛と私が処理している案件を少しずつ移譲している。処理能力の向上には賞賛を惜しまないが、まだ改善の余地はある」
その言葉に今日何度目か分からないため息をつく。
結構私、頑張っていると思うんだけどなあ。やっぱりすぐにでも人を集めないとなあ、と。
「そ、そろそろ私が太守になるということを言ってもいいだろ?そうすれば優秀な人材も集まるんじゃないかな」
「それには同意する。ただし貴女の人脈で再度募集をかけて集まった人材には重きをなさない方がいいと助言する」
「な、なんでだよ」
「貴女は既に理解しているはず」
「う、うるさいなあ」
認めたくはないのだ。そして考えたくはないのだ。太守になったからといってすり寄ってくる人物が信頼に足るか。なんてことは。
「そ、それでも有用ならば問題はないだろう」
「信頼できない人物に内情を見せるべきではないと考える。
また、袁家としてもそれは防ぎたい。
軍制や官僚機構など、正直貴女だからこそ共有している。
獅子身中の虫にそのあたりのことを吸い出されたくはない」
その言葉にす、と胸のあたりが冷たくなる。そうだな、あくまで韓浩は袁家から派遣された人材なんだよな……、と。
「じゃ、じゃあどうすればいいんだよ」
「多少時間はかかるが自前で育てることを推奨する」
「そうは言ってもなあ。うちの部下なんて、読み書きすら怪しい奴がほとんどだぞ?」
韓浩は応える。意外に、瞳に炎。
「やる気、根気、そして貴方の気持ち次第かと」
意外と精神論で体育会系なのだ。韓浩は。
◆◆◆
「またずいぶんとへこましてきたみたいだねー?」
執務室に戻った韓浩に魯粛が声をかける。
「訂正を要求する。別に彼女の精神状態を落ち込ませるのが目的だったわけではない」
「そりゃそうだけどさー、へこんでるのも事実でしょ?」
「否定はしない」
あくまで淡々とした口調の韓浩を見て魯粛は苦笑する。
能力的には問題はないのだが。
むしろ彼女を紀家軍の幹部としている紀霊の器を誉めるべきなのだろうかもしれない。
「でもまあ、ほんとに誰もこなかったね」
「当然の結果。貴女もそう予想していたはず」
「そりゃそうなんだけどさあ、もしかしたらって思うところもあったしねー」
「幾度も壮絶な修羅場をくぐってなお……希望を捨てない心根には敬意を表する」
「まるっきり誉めてもらった気がしないなあ。
まあいいや、で、どうする?このままじゃじきに仕事が回らなくなるよ?
私たちもいつまでもここにいるわけじゃないしね」
あくまで軽い調子で魯粛が尋ねる。
「業務の簡素化と人材の教育徹底で乗り切るべき。
太守の業務で停滞してもらっては困る」
「まあ、更にこの後州牧になってもらうんだしねえ。使えそうな人材を掘り起こすしかないかー。
最悪商会から見繕うかなあ」
「……賛成する」
「しかしなんでこんなに人材が集まらないんだろねー」
やれやれ、と言った風に魯粛がぼやく。
そのぼやきに韓浩は眉を逆立てる。彼女にしては珍しく。
しかして発するのは平淡な言の葉。
「貴女も認識しているはず。公孫賛殿は地味」
それは真実。
「……あー。そうだねえ。華がないし、武威も感じないねえ」
「気安いと言えばよく響くが、上に立つ者としての威厳や風格を持ち合わせていない。
持っている能力と照らし合わせればこれは驚くべきこと。
よくも、わるくも」
「そう、だねえ……」
さしもの魯粛も否定できずに漏らす笑みは苦いもの。
「なまじ能力を自負する者こそ彼女の下風に立ちたくないと思うのは必定。
だからこそ無名に近い今のうちに股肱の臣を確保すべき」
魯粛ですら、そうなのだ。
その表情。魯粛のそれを見て韓浩は言葉を連ねる。それが最善なのだと。
「地位が人を育てるとしてもそれは数年先であることが予想される。
それまでに匈奴の侵攻がないという保証はどこにもない」
「そだねえ。困ったねえ」
お手上げ、と言った風に魯粛が両手を上げる。
「まー、とりあえずは目の前のお仕事を片付けようか」
「……現実逃避、問題の棚上げと思われるが、妙手がない以上反対する理由はない」
韓浩は淡々と手元にある案件を片付けていく。
魯粛はそれを横目に見ながら小さく呟く。
「この先生きのこるためにはどうしたらいいのかねえ」
応えは、なかった。




