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南からの激流と吹き抜けるそよ風

日常編と言う名の拠点フェイズです。

お気軽な章になる予定です。

「ねえ、冥琳。この服でいいと思う?」

「まったく……自分で荷造りしたいと言ったのはどこの誰だ……。

 ほとんど私が準備しているぞ?」

「いいじゃなーい。私が一番魅力的に見える服とか、冥琳が一番分かってるでしょ?」


 気軽そうな孫策。そしてその声に軽くため息をつくのは周瑜。

 主君であり、親友であり、恋人でもある目の前の人物の屈託のない笑顔に何度誤魔化されたことか。い や、現在進行形で誤魔化されようとしているのだが。

 過去に数々の無理難題を押し付けられた記憶が甦りそうになり、頭を振って追いやる。

 ようやく江南もある程度平穏という言葉が似合うようになってきた。

 それが故に一度南皮に赴き、袁家に謝辞を述べるのだ。孫策と周瑜。武と文の両輪が揃って江南を離れ るなど、一時から考えればありえないことである。


「はぁ……、まあいい。服は私が適当に見繕うから思春に引き継ぎを、きっちりしてこい」

「ありがとめーりん愛してる!」


 ちゅ、と頬に口づけその場を去る思い人を見送り、漏らすため息、そして緩む頬。

 きっと途中で飽きたのだろう。そう見当をつけながらそれでも乱雑に積まれた衣装を整理していく。

 名門中の名門、袁家との直接の接触だ。細心の注意が必要だろう。

 てきぱきと衣装を選ぶ周瑜をどこぞの凡人が見たら『なんという才能の無駄遣い……』と嘆くこと請け合いである。

 そんな彼女に子供特有の甲高い声がかけられる。


「めーりーん!」


 声の主は最愛の主君の妹。今は亡き孫堅の忘れ形見である三女、孫尚香である。


「おや、どうされた?」

「あのね、おねーちゃんたち、明日南皮に出発するでしょ?」

「ええ」

「シャオも付いていきたいなーって」


 周瑜はその言に形のいい眉を顰める。

 孫尚香はその表情を見ても動ぜずに続ける。


「だってー、結局蓮華おねーちゃんってば紀霊って人を籠絡できてないんでしょ?

 結構時間経ってるのにこれじゃあ、いつまでたっても無理だって。

 シャオがきっちりその紀霊を落としてあげる!」

「どこからそんな話を……」


 先ほどまでとはまた違った種類の心労を感じて周瑜はため息を重ねる。


「ふふー、秘密ー。でもどうせ堅物のおねーちゃんには無理だって!

 だから、シャオにお任せ!ね?めーりん?」


 その言葉にまたしても湧き上がるため息を殺しつつ周瑜はその案を検討する。

 陸遜が肉体関係に及んだという報告はあったが籠絡とは程遠い。あれでは単に情人の一人になっただけである。

 かと言って自分の恋人たる孫策を差し出すのも気が引ける。

 何と言っても孫家の当主なのだ。


 それとも……いや、つまらぬ独占欲だろうか。


 自嘲しながらもその仄暗い感情を無視できない自分を認識する。


「そうですな……。数年も経てば或いは……」

「もー!めーりん分かってないなー。シャオは今すぐだって紀霊を籠絡する自信あるよ?」


 その言葉に苦笑しつつ、教育という意味でも袁家領内で過ごすことはきっといいことであろうと結論づける。

 欺瞞だな、という内心の声を無視し、渋々、といった風で旅の準備を許可する。


「やったー!めーりんありがと!」


 脱兎の如く駆けだした孫尚香を見送り、再び孫策の衣装選定に移る。自分が許可してしまった以上、止める人物はいないだろう。

 そんな思いを振り払いながらまだ見ぬ紀霊に思いを馳せるのであった。


◆◆◆


「しかし、よかったのか?せっかくその紀霊という人物に会えそうだったのだろう?」


 問いかけるのは眉目秀麗な女性。白く、蝶を模した衣装が彼女の魅力を引き出している。


「ええ~、当初の目的だった路銀は稼げましたから~」

「ふむ、風がいいのならば私はかまわんが」


探るような視線を受けて答える程立。その表情は常と同じく眠たげに。


「くふふ、星ちゃんは心配性ですね~。

 ちゃんと紀霊という人物の為人も知ることができました~。

 想像していたのとはずいぶん違いましたけどね~」

「ほう。

 と、言うと?まあ、風説通りではなかったのだろうが」


 星、と呼ばれた少女は頬を緩める。少しぼんやりとした言動の目立つ程立。彼女が旅路において無事であったのはこの少女の武威のおかげである。そしてこの取り合わせをどこぞの凡人が見たら言葉を失ったであろう。

 程立――後の程昱――と趙雲。いずれも三国志において屈指の英傑である。


「ええ~、なんというか、非常に興味深い方のようでした~」

「ほう?風がそういうからには相当なのだろうな?」

「そですね~、人物像と実績と風聞がまるで違う、そんな方かと~」

「なんだそれは」


 やや呆れた感を出しつつ趙雲が問いかける。


「そですね~。話を聞く限りではごくごく普通のお兄さん、そんな感じでした~」

「ふむ、では風説のような英傑。それとは違うであろう。そういうことか」


 考え込む趙雲に程立はくすり、と笑う。


「星ちゃんらしくないですねぇ。

 ま、要は、です。実際にお会いしてみないことには何とも言えませんということなのですけど~」

「おいおい。それでも、会えそうだったのだろう?」

「ええ、そですね。

 ですが今はお会いする伝手つてができただけでよしとします~。

 星ちゃんこそ、袁家へ仕官しなくてよかったのですか~?」

「ああ、私に名家は合いそうにないからな。風と違って伝手があるわけでもなし。

 それにな。兵卒からのし上がるには袁家の領内は平和すぎる」


 苦笑する趙雲に程立は頷く。


「それはそうかもしれませんね~」

「ま、懐に多少の余裕もある。見聞を広めるのも悪くないさ」

「そですね~」


 南皮の城門を目指して歩き出す二人。


「この槍一本で天下一になるのは中々骨が折れそうだが、な。

 そう言えば、風は日輪たる主君を求めているのだったか」

「はい~。ですがまだその時期ではありませんね~。まだまだ風も未熟ですし~」

「そうか?その知略、引く手あまただろう」

「いえいえ~。風にはまだ知るに足りないものがあるのですよ~」


 その言に趙雲は驚く。これまで茫洋とした言動ばかりだった程立。彼女が自分から語るのは珍しいことである。


「ほう、興味深いな。聞いても?」

「星ちゃんなら構いませんよ~。

 それはですね、盤上の打ち筋、ですかね~」

「打ち筋?碁でも打つのか?」

「似たようなものですね~。

 ただし、盤はこの、中華ですが~」


 くふふ、と笑みを浮かべる程立。

 趙雲は暫し考え込み。


「ほう、大きく出たな」

「くふ、そですね。ですが私の目指すところでもあります~。

 本当に母流龍九商会でお仕事を手伝えたのは幸運でした~」

「と、言うと?」


 そですね。と程立は暫し考え込む。そして笑みを浮かべる。


「これまで私は政務などの実務にそれほど精通してませんでしたから~。

 ちょっと……いえ、かなりの激務でしたが、正直勉強になりました~」

「かなり重要な案件も任されたのだったか」

「はい~。張紘さんには感謝の一言です~。

 そして風はですね。

 正直、商売というものを舐めていたかもしれませんね~」


 ますます珍しい。程立がその心根を語るなぞ。だからこそ聞きたいな、と趙雲は思う。


「ほう?どういうことだ?」

「集まる情報の質と量がとんでもなかったです~。

 それに、その情報網は中華全土に及ぼうかというものでした~。

 紀霊さんが入り浸るというのも分かりますね~」

「ほほう、単に金儲けのみが目的ではないということか」

「そです~。おかげで本当に勉強になりましたよ~。

 そして、この中華の情勢も大まかにつかめました~」

「ふむ、それが先ほど言っていた盤、ということか?」


 くすり、と笑みを浮かべながら程立は首肯する。


「その通りですね~。そして……中華に目を向けている打ち手も大体見当が付きました~」

「ほう、察するに袁家はそのうちの一席ではあるのだろう?」

「くふふ、流石星ちゃん、冴えてますね~」

「冴えてるも何も……明白だろうに」


 肩をすくめる趙雲。色々と放埓な言が多い程立には慣れていた。そう思っていたのだ。だがその言に驚愕するのだ。


「それは失礼をば。そして、袁家の打ち筋は大体理解しました~」


 母流龍九商会にて程立が過ごした時間はそう長くない。なのに。


「ではなぜ袁家に仕官しないのだ?」

「彼を知り、己を知らば、ですね~。他の打ち手の打ち筋を知らないとですね~」

「そういうことか。ふむ、風の目指すところは縦横家、といったところか?」

「くふふ、ご想像にお任せします~。

 ですが、どこかに打ち手たる資格を持ちながら参謀がいないなんて都合のいい人がいませんかね~」

「はは、さらに武でも人材不足なら言うことなしだな」


 互いの顔を見合わせ、笑い合う。

 そんな都合のいい話があるわけはないのである。

 互いに無位無官の身。

 裸一貫でのし上がるためには艱難辛苦があるだろう。

 それが分かっていても表情に暗さはなく、歩みは力に満ち溢れている。


 彼女たちが歴史の表舞台に立つには、まだ幾ばくかの時と、少しの偶然が必要になる。


 未だ蒼天に、暗雲の欠片も空見当たらない日のことであった。

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