凡人と軍人
「へえ。あんたが紀家の跡取りかいな。噂は聞いとるで」
きりり、とした視線を俺に注ぐのは紀家軍の最精鋭たる隊を率いる梁剛である。彼女はかの匈奴大戦を生きぬいた歴戦の勇士だ。ぶっちゃけ紀家軍の実務は彼女が担っていると言っていい。いや、とーちゃん半分寝たきりみたいなもんだからして・・・。
「はっ!兵卒の紀霊であります!梁剛隊長、よろしくご指導ください!」
「ほぉ・・・。昼行灯の大将よりよっぽどしっかりしてそうやな」
ここらへんは想定された挑発である。まあ、とーちゃんが寝たきり同然になったのは匈奴との決戦以後だからして。そこいらへんについては必要があれば触れよう。
時期尚早という意見を押し切って軍務に就くことをゴリ押ししたのだ。そりゃあ受け入れる側にとってみれば迷惑この上ないであろう。だが、俺が生きるこの世界が三国志的な何かをバックボーンにしていると思われる以上、武力は手にしておかなければいかない。それがラッキーなことに手の届くところにあるのであればなおさらだ。
「匈奴を相手にして父がどう対応したか。家中にはそれを語れる者がいません。
偉大な父の名を貶めないためにも、よろしくご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます!」
「ほう・・・。ええやろ。大将のことはな、うちも口が過ぎたかもしらんし、言いたいこともたぁんとあるわ。けどな、うちの指導は厳しいで?ついてこられんと思ったらいつでも放逐したるさかいな?容赦はせえへんで?」
「望むところ、です」
軍務に就いたことのない俺は紀家軍の兵卒として配属されることになった。これには俺の希望もが強く反映されている。望めば一軍を指揮する立場も可能だっただろうけれども。これは俺が軍事的センスにまったく自信がないのが大きい。せめて現場と一体化して、あわよくば掌握とかできたらいいなーという下心あってのことである。
ほら、おぼっちゃんがやってきて、将軍でございとふんぞり返って誰がついてくるかものかよ、ということである。
「ほう。なかなか殊勝な態度やないか。ええやろ。ほんじゃま、下っ端の仕事してもらうで。
ほら、そこの甕に水汲んできぃ」
梁剛隊長のありがたいお言葉である。見れば、大き目の甕がいくつか置いてある。横の木桶で汲んで来いということなのだろうな。なるほど、少し離れた水場へ何往復もさせることで基礎体力を測り、あわよくば強化するといったところか。あえて尊大な言い方をすることで色々と反応を試しているのだろう。実に理にかなっている。
のだが、やられっぱなしは性に合わない。
「は、了解いたしました!では失礼します!」
俺はそう言って、容器を持ち上げる。桶ではなく、甕の方である。鍛錬の積み重ねは裏切らない。これくらいなら水入りでも問題なくいける。そうして、水を汲んでくると、梁剛隊長はあっけに取られた顔をしてくれたのであった。うけけ。
無論その趣旨を考えたらば、俺に対するシゴキはそこで終わるはずもない。
「な、なかなか力持ちやないか。ほな次は武具の手入れな。全員の分やっとくんやで」
ふむ。次は武具の手入れか。確かに手入れくらいできないとなあ。戦場に出たはいいが、武具の不具合に気づかず、鎧が分解とか笑えない。単なるしごきではなく、戦場に出るにあたっての基礎知識を叩きこもうということか。でもなー。
「は!了解いたしました!ただ、要領が分かりません。どなたかにご指導頂きたいのですが!」
流石に手先が不器用選手権な俺はこれを持て余すことは必定。できないことはできないと申告するのも組織に属する人間としての作法である。正規軍の武具なんてお高いのだから、無駄に消耗させるわけにもいかんし。そして俺の仮説はどうやら正解であったようで、梁剛隊長は僅かに表情を緩める。
「ほぉ、じゃあまあ、雷薄、面倒見たりぃ」
「へい、姐さん」
そうしてずいぶんと人相の悪い男が進み出る。雷薄、と呼ばれたその男を見て思うこと。それは疵面、である。いや、顔だけではない。剥き出しになった身体――筋骨隆々な体躯である――のそこかしこに無数の傷が刻まれていて、歴戦の勇士であることは確定的に明らかである。
鬼軍曹、というやつであろうか。で、あれば話が早い。戦場でのノウハウを少しでも吸収せんといかんからな。
「それでは、雷薄どの。よろしくご指導、ご鞭撻のほどお願いいたします!」
「お、おう」
びしり、と決めた挨拶に雷薄は戸惑い気味。一応先手はこちらかなあと思う。だが、ここは更に社会人的にすり寄り、媚びへつらってやる!
「ありがとうございます!」
「別に褒めてねえんだがねえ・・・」
ぽり、と頬を掻く所作はきっと照れ隠し。ここぞとばかりに取り入るべく営業トークをかますぜー超かますぜー。
――見た目に反して雷薄は結構面倒見がよく、武具の手入れのコツをいい感じに教えてくれた。それを活かせたかどうかは別として。そして他の細かい雑務については李豊という奴があれこれと世話を焼いてくれた。基本輜重を中心とした業務が本来の仕事らしい。
そうして紀家軍最精鋭、梁剛隊での生活が始まったのである。
初日はガチで武具の手入れだけで終わってしまった。これまで手入れなんてしたことなかったからなあ。翌日は軍馬の世話、野営陣地の構築、食事の準備など雑用に追われて終わった。アウトドアの知識とかもないからひたすらに学ぶ日々、である。割と楽しい。
「でも、ほんとありがたいですよ。ここらへんの基本的な業務、やったことなかったですから」
「そ、そうか?怒ってないのか?雑用ばっかやらせやがってとかよ」
「いや、ないですって。新入りの兵卒の仕事としては妥当だと思いますよ」
「むむむ」
「むしろ、自分が兵を率いる時にどんな業務があってどれだけ手間が必要か把握できてないと 部隊の運用に支障が出るでしょうしね。そこらへん丸投げしてもいいんですけど、そうなると いざ実戦って時に現実味のない命令とかしちゃいそうですしね」
「んだよ、聞こえてくる噂からどんなうらなり瓢箪が来るかと思ったら見所あんじゃねえか!」
そう言ってばしばし背中を叩いてくる。割と痛い。いや、痛い痛い、痛いってば。
・・・そりゃまあ、いきなり紀家軍の跡取りが来るとなったら色々考えるよなあ。将来自分らを率いる可能性が高いんだから、どんな人物かは気になるに決まってる。というか、幼少で軍に入りたいとか。
現場からしたら気がかりってレベルじゃないだろう。将来自分たちを率いる立場になるというのは先刻ご承知のはず。それでもなお遠慮なくしごいてきたというのは危機感の現れなんだろう。
これまで内向きのことしかしてなかったからなあ。だが、不興を恐れずに俺が使いものになるように接してくれたことには感謝感激雨霰である。
「後は、腕っ節だけだな?」
雷薄がにやりと笑う。肉食獣を思わせる獰猛な笑みだ。俺も釣られてにやりと笑う。
「やり方くらいは決めさせてもらっていいですか?」
「ほう、かまわんぞ、話してみろ」
ニヤリ、とほくそ笑みながら俺はそのレギュレーションを雷薄に語るのであった。
俺が雷薄に提案したのは相撲の勝ち抜き戦、である。まあ、提案と言っても実質的に決定に等しいんだけどね。流石に武器を使っての対戦だと深刻な怪我人が出るのは確定的に明らかだからして。そして、俺が紀家軍の面子を圧倒するにはこれしかない、という打算もある。というかそれが大きい。
「どうせなら、全員と手合わせしたいですね?」
そう言うと、雷薄はしばし目を丸くし、やがて呵呵大笑した。
「なんだ、百人組み手を希望ってか!こいつは驚いた!」
梁剛隊は紀家軍のうち最精鋭百名が所属している。いざ非常時にはそれぞれが百人を指揮する士官となるのである。つまり、梁剛隊を掌握することは紀家軍を掌握するということと等しい。なに、最初が肝心。ガツンとやってやれというのはこちらも同じ、なのである。
入念に柔軟とアップをして立ち合いに備える。これで緒戦敗退とかなったら洒落にならん。マジで。だから。出し惜しみはしない!全力全開だ!
「小手投げ!」
「一本背負い!」
「内無双!」
「上手投げ!」
「押し出し!」
「うっちゃり!」
「朽木倒し!」
「内股!」
「大外刈り!」
流石精鋭だけある。慣れないルールでも20人を越えたあたりから押し出しや寄りきりが簡単には決まらなくなってくる。いや、俺の身体能力のスペックは大したもので、力押しでもある程度いける。が、それだとどう考えても体力が持たない。百人抜きをするにはある程度省エネでいかねばならない。そのために決まり手四十八手を惜しみなく披露する。自然70人を越える頃にはあらかたの技は出してしまった。
最初はやんやと囃し立てていた面々も、次第に真剣な面持ちで見守ってくる。80人を越えると段々と殺気立ってくる。そりゃあ、屈辱だろう。こんなちんちくりんの小坊主相手に同輩が大地と接吻する羽目になるなんて、な。
「どうしたどうした、日ごろえらぶってるお前らの力はそんなもんかいな!」
――ここで更に梁剛隊長が油に火を注ぐ。マジすか。流石に息も荒く、所々の筋肉も悲鳴をあげてくるのに更に相手がバーサークはきつい。が、ここでギブアップするとだめだ。舐められてしまう。ここで勝ちきらないといかんのだ。ボスが誰だか最初に叩きこまんといかんのである。実力をもって。
汗はとめどなく滴り落ち、息が切れ、インターバルを余儀なくされる。水を持ってきてくれた陳蘭に笑いかける余裕もない。
そして95人を越えたあたりで雷薄さんが柔軟を始める。百人目があの巨漢とかマジ勘弁。しかもきちんと身体を温めてくるあたり侮れない。ここまで勝ち進めたのは、俺の身体能力、相撲の技能もあるが、対戦相手が身体を温めないで挑んできたというのも大きい。能力を発揮しきれていないのだ。
「はあっ!はあっ!」
「驚いたぜ。俺まで回ってくるたあな」
「はあっ、はあっ!」
――既に受け答えする余裕すらない。こちらに声をかける僅かな時間での回復を最優先に。
「そんじゃま、いくぜ?」
そして始まる百人目の取り組み。マジでこっちは疲労困憊、あっちはベストコンディションとか洒落にならんでしょうが。
ここで俺はここまで温存してきた切り札を切る。無謀とも思える突進。そして突き出した双の掌は相手ではなく、互いを張る・・・猫騙しだ!
ぱちん、という音を置き去りにする勢いで限りなく低空な姿勢で相手に飛び込み、両足を抱え込む。諸手刈り、いわゆるタックルである。陳蘭相手に鍛えに鍛えたそれは紛れもなく初見殺し。総合格闘技だけでなく、柔道でも多用されるというのは伊達ではない。有効だからこそ多用されるのだ。猫騙しからのコンボは見事に極まり、雷薄さんの巨漢はバランスを失う。
雷薄さんが倒れこむと、どっと歓声が湧く。どうやら、俺は隊の一員として受け入れられたようである。
つ、疲れたぜ・・・。
「やるやないか」
「はぁっ・・・!あ、りとう――ございまっ」
息も絶え絶えに俺は応える。しんどいなんてもんじゃあない。全身が悲鳴を上げている。頑張ったなあ、頑張ったよ俺。やったぜ。
「ほな、最後はうちとや」
なん、だと・・・!
「り、了解、しま、した!」
こんな時でも上官命令を遵守する俺カコイイ・・・。カコイイ・・・。
「あー、呼吸が落ち着くまでは待ったるさかい、水でも飲み」
なんだ女神か。どうやら、最悪のコンディションでの対決は避けられた。そして始まる裏ボス戦。いや、別に裏でもないのかな。このイベントは想定してなかったなー。これは迂闊としか言いようがない。もはやタックルも見られたので警戒されているだろう。あれが俺の切り札というのもばれているはずだ。
「しぃっ!」
助走を大きく取って突撃する。一気に押し出してしまう!困ったときは力押し!しかし繰り出した両手をあろうことか梁剛隊長はそのまま掴みやがった!いなすでなく、真正面から向き合う・・・力比べの構図になる。ま、まずい!
「くぉっ!」
そのまま力で押し返され、地面に叩きつけられた。俺が疲れてたのもあるが、その膂力は陳蘭と互角かそれ以上ではなかろうか。
「おー、まだまだやな。勝ちたかったらなんか仕掛けんといかん戦況やったで」
「お、恐れ入ります」
「ほな、後でうちの天幕に来ぃ」
「はっ」
というわけで、一日目にして呼び出しを食らった。説教か、セッキョーなのか?かわいがりか?そんな思いでちょっとびびりながら訪れた天幕。そこには梁剛隊長と雷薄さん。
二人がいきなり膝を折る。
「紀家の令息に対する数々のご無礼の段、ご容赦願いたい!」
「へ?」
聞くと、初日からの俺に対する対応には色々思惑があったらしい。
・・・基本的には名家のボンボンのプライドを潰しつつ、兵士としての現実、地味な日常を見せ付ける。――正直、俺が来るとなって梁剛隊長は頭を抱えたらしい。
そりゃ、そうだよな。紀家の麒麟児(笑)とか言っても所詮はガキ。しかも内向きのことしか話は聞こえてこない。これは将来を鑑みて一命を賭して教育せねばなるまい。そんな悲壮な決意だったらしい。
なんかこう、正直すんません。
「若のお考えを聞くにつれ、自分らの浅慮に忸怩たる思いを抱いておりました。
長たる私に全責任がありますので、処分は私のみに留めていただきたく!」
「いや、お二人の心遣いに感謝しております。実戦経験などない俺です。
お二人の経験は千金に値します。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします」
「では、お咎めはないと?」
「ええ。それと当初の厳しい態度で応対してください。俺の立場は兵卒でしかないのですから」
にまり。そんな擬音が似合う表情で梁剛隊長は笑う。
「そっかー、ほなよろしくな!うちの部隊は精鋭揃いやで!みっともないとこ見せたけどな、こっからは紀家の精鋭たる本分、ええ感じに見せたるわ!」
掌返すの、早!コークスクリューか!
でもまあ、機を見るに敏、ってことかな?遊軍たる紀家軍の指揮官は流石格が違ったということにしておこう。つか、これは勝てないわ。
そして屈託なく笑うその笑があまりに無防備で、内心、どきっとしたのは内緒である。内緒である。
お偉いさんの子供が上司としてやってくるよ、と言われたら現場としては面白くは無いだろうけど
お偉いさんの子供が下っ端として入ってくるよ、と言われたらマジ困ると思う