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16章 玉虫色のヤニ

「羽田さ~ん」

「どうも桂木さん、すいませんバタバタして」

まるで湯気が立った様に桂木の顔は蒸気していた。

「いえとんでもない、で社長さんは?」

「なんとか11時15分ののぞみに乗りましたからもう着いていると思います」

恭平は時計を見ながら改札の方を向いて川瀬の姿を探した。

「あっ、来ました。うわぁ~社長...」

片手にグッチのキャリーバッグを転がし、男性用の真黄色のエルメスのバーキンを手にし汗を拭きながら

川瀬が手を上げて恭平たちの方へ向かって来た。


「えらいすいませんな、お待たせして。こちらさんか?恭平くん」

恭平は川瀬を桂木に紹介をして、3人は八重洲の南口を出た。

「社長さん、売主の会社はここから車で15分程ですけど、その前にご紹介したい皆さんがいますのでこちらへどうぞ」

急ぎ足で先に歩く桂木に川瀬と恭平は続いた。

辿り着いたのは駅から5分程のカフェだった。

「どうぞこちらで皆さんお待ちなんで、どうぞ」

川瀬は不信な表情で恭平に尋ねた。

「おい、大丈夫か?なんで喫茶店やねん」

「まあ行きましょう。社長」


店員が3名をオープンスペースの奥にある特別な個室に案内をした。

そこには中年の血色の良い男と、大股開きで座っている右翼っぽい男、体格の良い気が強そうな中年の女とそのお付きと思われるスーツを着た若い男が待っていた。


「やあ、お待ちしてました。こちらへお掛けください」

血色の良い中年の男が川瀬と恭平を歓迎した。

それぞれ名刺交換を終えると中年の女社長が何やら書類をテーブルに出して説明を始めた。

売主に関する詳細、当該物件のこれまで経緯、そして自分が当該物件の売却に関しての専任媒介の業者であることなどを闊達に一気に捲し立てた。


川瀬も恭平も目を丸くして女社長の話を聞いていた。

「実は今の売主さんがこの物件をお買いになった時もわたしが仲介をしましたのよ。

ですから川瀬社長、どうぞご安心くださいね」

川瀬は下品な笑顔を浮かべてテーブルを叩いて

「おう~、こりゃ鉄板やな~、恭平くん」

恭平と右翼風の男以外の一同は喜色満面で川瀬の言葉に大きく頷いた。


表に出ると桂木が用意した送迎用の黒のベンツが停まっていて運転手が恭しく立って待っていた。

恭平は思わず桂木に突っ込んだ。

「桂木さん、えらい張り込みましたね?」

「そら、社長さん送るのにつまらない車だと失礼だと思って、えへへ...

            あっ恭平さん、こちらは俺の兄貴分なんで」

右翼風の男、渡瀬は桂木に近い男だった。

「兄貴分って、他に言い方ないんですか?そうですか?いや桂木さんにはお世話になってます」

「いえ、羽田さんの話はいつも聞いてますから。結構おきつい方らしいじゃないですか?」

「いや、とんでもないですよ...そういうのはお芝居、芝居ですから」

恭平の言葉に渡瀬は初めて笑顔を見せた。


恭平たちを乗せた車は東京タワーを通過したあたりのオフィース街で停車した。

「ここですから」

「へぇ~」

川瀬と恭平は声を合わせて感嘆した。

桂木が指さすビルは間口三間程の7階建の小さなビルで、とても60億の別嬪さんを抱いている会社の本社ビルとは思えなかった。


*注釈:別嬪さん=優良物件 抱く=転売目的で保有する事


「ちょっとこちらでお待ち下さいませ」

恭平たちは最上階のエレベーターを降りたところで待つことになった。

フロアーは男女の事務員が2人、黙々と作業をしているだけでシーンと静まり返っていた。

奥にある部屋が社長室と客用の応接室だった。

「静かやなぁ~うちやったら考えられへんな?恭平くん」

恭平は黙って頷き、川瀬がこれ以上変なことを言わないことを祈った。

先ほどと同じく恭平と渡瀬以外の一同は興奮を隠せない状態で誰彼と目が合うとお互い、にやっと笑いあっていた。


仮に60億で決まれば片手で1億8千万、両手で3億6千万。若い男を除いた4人で割っても一人当たり9千万の手数料になる。女社長が半分持っていっても3人で一人当たり6千万。いくら東京とはいえ一発6千万の手数料を手に出来る案件などそうそうないもので、興奮するなと言う方が無理な話だった。


「では皆さんこちらへどうぞ」

メガネをかけた見るからに社長室長らしき紳士的な中年の男が一同を応接室に案内した。

女社長が先頭でその後川瀬が続き、恭平はその後ろを歩いた。川瀬が応接室の入り口にさしかかった時に何を思ったのか急に立ち止まって恭平の方に振り向いた。

「ここは俺がおるから恭平くんは表で待っててくれるか」

恭平はさほど不満は感じなかったが、何といっても60億の案件は初めてだったので

少し残念だったが素直に川瀬の指示に従い、女社長のお付きの若い男と一緒にエレベーター横にあった喫煙室で商談が終わるのを待った。


恭平は喫煙室で煙草を吸いながら元は白かったであろう煙草のヤニで黄色く薄汚れた壁を見つめ、”俺も汚れてんのかなぁ~”と心で呟いた。


女社長のお付きの若い男が口を開いた。

「羽田さん、これが決まったら手当いくらもらえるんですか?」

恭平は横目で若い男をチラっと見てから煙を大きく吐き出した。

「まぁ、取りあえず仕入れ分やから五百かな」

「そうですか?良かったですね」

若い男は自分のことの様に興奮して喜んだ。恭平は新しい煙草をくわえ火を付けながら

「まぁ、ゲタを履くまでなんとかっていうけど...ゲタを履いてもわからん、それが不動産やから」

「そんなことないでしょ、大丈夫ですよ」

「それやったらええんやけどね.....」


40分後に一同は応接室から出てきた。

川瀬は赤く少し引き攣ったような表情をしていて、女社長と桂木は喜色満面、中年男はやや難しそうな顔で、渡瀬は相変わらず無表情だった。恭平は何も言わず近付いて来た川瀬を見つめた。

「羽田さん、良かったですね」

桂木が飛びださんばかりに目をむいて恭平に声をかけた。

「良かったですね部長、大阪から来てすぐに大きな仕事されましたね?」

女社長が続いて興奮して恭平のことを褒め上げた。


そうか俺は部長になってたのか?

新しく本社から送られた名刺では恭平の肩書は部長になっていて、恭平は今の今まで気が付かなかった。


「じゃあ社長さんお送りします」

「いや...わたしらこっからタクシーで行きますわ。ちょっと行くとこあるんで」

恭平が停まっていたタクシーを呼び寄せ、川瀬と二人乗り込んだ。


恭平は恭平の方からはわざと商談の話は聞かないことにした。

前に進むのであれば恭平が黙っていても川瀬がべらべら話すはずで、川瀬が積極的に話さない、ということは何か問題があるに違いない、と判断出来ると踏んだからだった。


「社長、どこ行くんですか?」

「おう、あの~事務所の物件決めたから一緒に見に行こうで。こっからやと20分くらいやろ」

「そうですか?何坪くらいにしたんですか?」

「60坪や」

「60坪もあるんですか?俺だけでしょ?」

「そうや。そや電話番くらいおかなあかんやろ?派遣でええから見つけてくれ」

その後現地に到着するまでの間、川瀬は商談の件には一切触れることはなかった。


到着した場所は新大久保。駅から歩いて3分あたりの雑居ビルだった。

「社長、こんなとこで事務所やるんですか?」

「あほ、接待とか考えたら歌舞伎が近くてええやんけ。そやろ?」


事務所はそのビルの4階、1フロアー1室で他にテナントはなかった。

中はまだスケルトンの状態で、川瀬は待っていた業者と細かな打ち合わせを始めた。


「恭平くん、こっからここまでが応接室や、ほれでここにこんな風にごっつい絵置いて、こっちにも置物おいてビビらすわけや、なぁ?あっここに観音さん置いたろか?こう仕切るからな。ほれで向こうが事務所やから、だからこういう、こんな感じやな。どうや?」

「ええんとちゃいますか」

「なんやおまえ気のない言い方やな?ほれでな、ここはこんな風や、なぁ?こんなスペースにおまえと事務員二人だけやで!あっ俺のデスクも置くけどそんなん別にここやから、なあ?想像してみいや?

こんなもん客来たらほんまビビりよんぞお~?どんな会社やねん言うてな、え~?」

「ほんまですね。俺もビビりますわ」

「あほ、おまえがビビッてどうすんねん!」

恭平は無邪気に夢中になって業者に指示を出す川瀬を黙って見つめた。


「ほんじゃ頼むで、この週末には入るからな。おう恭平くん飲みに行こか?

       接待用の店何軒か見つけとかんと。行こうで」


「ちょっとぐるぐる回ってみよか?この辺も売りもん出てるからな」

一旦コマ劇場近くに出てきた川瀬と恭平は周囲を徘徊することにした。


「でも社長、この辺の売り物がほんまの話でもファンドは買わんでしょ?買うとしたら

 新宿駅近くのまともな商業施設が出来る通りだけやないですか?飲み屋のビルは難しいですよ」

「そうやな、昔のバブルん時はこの辺ごっつい上がったんやけどな。あん時は何でも良かったんやろな」


「どうですか?キャバクラでも」

スキンヘッドにあごひげの男が川瀬に声を掛けて来た。

「おう、キャバクラか?ちょっとな接待で使える店探してんねん。ええとこあるか?」

スキンヘッドは顔を紅潮させて興奮気味に答えた。

「あります、あります。なんでもあります」

「お兄さん、何でもやないがな。ええとこ紹介してくれや」

川瀬に代わって恭平が突っ込んだ。

「すみません、大箱で女の子バッチリのお店でどうですか?」

「ええんちゃうか、恭平くん」

「よっしゃお兄さん、めんどくさい!そこ連れてって」


「おうさすが歌舞伎やな、ええ女揃ってるやんけ、なぁ恭平くん」

川瀬は店を気に入り好みの女を二人指名して上機嫌で振る舞っていた。

恭平はそんな川瀬を眺めながら恭平なりに楽しんでいた。

「あ~ごめん、これおかわり、同じのでええよ」

恭平には女優の伊藤美咲にそっくりな美咲という女が付いていた。

「あまりお話しされないんですね?無口なんですか?」

「俺?そんなことないよ。無口で営業は勤まらんからな。今は営業中やないから」

「そうですか。あたしじゃだめなのかな?って思っちゃった」

「だめも何もないよ。ちょっと今日はお疲れ気味よ」

「お仕事何されてるんですか?」

「そんなこと聞いてどうするんや?金でも貸してくれるんか?」

「えっ......」

「冗談やがな。転がしや。不動産屋」

「あっそうなんですね」

恭平は運ばれたウオッカライムを一気に飲み干して真っ赤な顔をした川瀬を見ると

「君、連絡先交換出来るか?」

美咲は意外な恭平のアプローチに少し驚いて

「ええ...もちろんですよ。これ私の名刺...」

「おっしゃ、かけるから登録してや。俺は恭平、羽田恭平。メールは後で打っとくから」

「あっ、大丈夫です。これですよね?...えーっと恭平さんで登録しますね」

恭平は組んでいた足をほどいて美咲に顔を近付けた。

「あのな、おっさん指名した女の子君の友達やろ?おっさんこれからたまに来ると思うねん。来た時どんなこと話してたか?友達から聞いてほしいねん。わからんかったらわからんでええから」

美咲は一瞬ちょっぴり残念そうな口元をしたが

「そういうことね?良いですよ。スパイみたいで楽しそう!」

「スパイみたいやなくてスパイやがな」



川瀬と恭平が店を出ると、案内をしてくれた男が待っていた。

「おう、兄ちゃん良かったで!なぁ恭平くん」

「そうすね、お兄さん名前なんて言うの?」

「甲田って言います。どうもありがとうございました」

恭平と甲田は連絡先を交換した。

「また頼むわ。会社の事務所すぐそこやからちょこちょこ来るわ」

「ありがとうございます。またお待ちしています」



川瀬と恭平はタクシーに乗り、赤坂の常宿のホテルに予約を入れていた川瀬を先に降ろして恭平はそのまま八丁堀のマンションに帰宅することになった。

恭平が川瀬に明日の予定を聞くと取りあえず午前の新幹線で帰阪するとのことだった。

その直後に川瀬が今日の商談のことを話し出した。

「まぁ、恭平くん。今日の件はちょっと待ってくれな。またすぐにこっち来るから」

「そうですか。どんな感じですか?社長的には」

「.....あっ運転手さん東館の方へ行ってくれ...そうやな」

「.....」

「恭平くん、あの売主は売らんと思うで...」

「えっ、どういうことですか?」

「どういうことかはちょっとあれやけど...今日の感じでは俺はそう思った」

「.........」

「そやから、まだスポンサーには言われへんな...」

「....そうなんですか?」

「そりゃそやがな、買えるかどうかわからんのに60億出してくれとは

さすがに言われへんやろ」

「.......そうですか」

その時タクシーが東館の玄関前に停車した。

「俺だけやから運ちゃん」

恭平は川瀬と一緒に降りると、トランクの川瀬の荷物を取り出した。

「恭平くん、ここでええよ。まぁそんな感じやから今のところは。

         おまえも何かあったら連絡してくれ。今日はお疲れさん」


「運転手さん、八丁堀行って」


恭平はタクシーの中で川瀬の言葉を幾度も反芻したが、

何がどういうことなのか?

この時は実際の事態の状況や川瀬の企みを想像することは出来なかった。










































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