後編
それからというもの、帰り道が一緒になると桐生君はうちへ来るようになった。なるたけ自分の家に帰るのを遅らせている様子ははっきりと見て取れたが、私は決して彼の事情を尋ねようとはしなかった。彼も話したがらなかったし、なにより他人の家の事情に首を突っ込むのは面倒なのである。
その日も、帰り道が偶然一緒になったために私たちはバニラアイスクリームを食べていた。つい最近まで全く接点のなかった人間同士がこうして向かい合って同じものを食べているというのもなにやら不思議である。というか桐生君のファンにいじめられそうなシチュエーションだよなー、と食べ終わったにもかかわらず意地汚く木製スプーンをしゃぶる私は思う。
「おいしいね、このアイス。」
「専業主婦の母さんが作るバニラアイスクリームはおいしいんだ。」
ちなみに会社勤めの方の母さんはきゅうりを切るのですら少し怪しいレベルである。
ぴんぽん
ぼちぼちと会話を繋げていたところ、チャイムの音が鳴った。誰だろう。
面倒だと思いながら私は玄関の方へと向かう。
「はーい。」
余所行きの少し高い声で返事をしつつ鍵とドアを開けると、噂をすれば何とやら。会社勤めの方の母さんがいた。
「どうしたの、今日は早いね。」
声を元に戻して私は言う。
「今日は早くあがれる日だったの。母さんは?」
「台所ー。」
そのまま一緒にリビングへ向かう。
椅子に座った桐生君を見て、母さんは目を丸くした。
「あらーかっこいい子ねー彼氏?」
んなわけねーだろう、と思いつつ、私は母さんに桐生君を紹介する。
「桐生秋君。隣のクラスの子。桐生君、こっちはうちの会社勤めの方の母さん。」
「この子と仲良くしてくれて、ありがとう。よろしくね、桐生君。」
「あ、いえ、こちらこそ。」
ああ、とまどってる。
そういえば、桐生君は専業主婦の方の母さんにしかあったことがなかったもんな、と思っていると、噂をすれば、なんとやら、その母さんが台所から現れた。
「あら、お母さん、今日は早いのね。」
「うん、仕事が早く終わってね、私にもアイス頂戴。」
「はいはい、お皿出してちょうだい。」
二人して仲良く台所に向かう、その後姿を眺めた後、私は桐生君に目をやった。どうしよう、固まってる。
少しの間沈黙がその場を支配したのだけれど、しばらくして桐生君がそれを破った。
「あのさ、僕、今日は帰るよ。……お母さんも帰ってきたみたいだし。」
「うん、わかった。」
きっとこれ以上二人の母さんを見たくはないのだろう、食べかけのアイスを放置してそう言いだす桐生君に私はそう思った。
せっかくそれなりに仲良くなったのに少し残念だけれど、おそらく彼とはこれっきりだろう、そう思いつつ、玄関で桐生君を見送る。
「じゃあね、気を付けて帰ってください。」
またね、とは言わないでおいた。
そんな私に、うん、とうなずいて桐生君は踵を返しかけたが、数秒静止してそれをやめ、くるり、とこちらに向き直って、少しためらいながら言った。
「あのさ、明日、一緒に帰ろう。それで、僕の家に来てよ。……チーズケーキがあるからさ。」
私が即座に了承したのは言うまでもない。
……私はチーズケーキに目がないのだ。
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「桐生君の家大きいね。」
約束したし、堂々としていていいんだよね、と予想以上に大きかった桐生君の家と大変広いリビングに少々ビビりつつ、私は彼と向かい合って、出されたチーズケーキにフォークを入れていた。
明日一緒に帰ろう、と言った彼の言葉はどうやら冗談ではなかったらしい。よかった。今更ながら安堵する。なにせ、ここへ来るまでの彼の表情はとても暗く、まったくこちらに話しかけてこないものだから、私は一緒に帰って良かったのか、とななめ後ろをついていきながら道中大変焦っていたのだ。
「あのさ。」
「うん。」
突然の声に返事をすると、こくり、と桐生君の喉が鳴った。
「お母さん、二人いるんだね。」
「そうだよ。」
ぱくり、と私はチーズケーキを口に放り込む。そして咀嚼、嚥下。
「やっぱさ、お母さんって出芽して二人になったの?」
「は?」
おっと、あまりにも意外な質問だったせいもあるが、しかし今のは感じの悪い返事だっただろうか。あやまろう、と口を開きかけたところで、桐生君が言った。
「あ、いや、その、ごめん、変な質問して。そうだよね、出芽とかありえないよね。双子とかそういう感じだよね。」
「いや、双子じゃないけれども。まあ、出芽と言うのは人間的にありえないよね。うちの母さんは分裂したんだよ。」
「は?」
今度は桐生君がそう反応したものだから、これでおあいこ、謝罪はなしでいいや、と私は思う。
「あのさ、身体から身体が生えて大きくなるのは出芽なんだよ。分裂じゃあないんだよ。」
「知ってるよ、そのくらい。馬鹿にしないでよね。ヒドラとかクラゲとか酵母菌とかがやるやつでしょ。生えたんじゃなくて割れたんだから、うちの母さんのは分裂だよ。」
「でもうちの父さんは出芽したんだよ!!」
「なにそれありえない。」
「分裂だってあり得ないよ。」
無口な私には珍しく、彼とお互いの主張をひとしきり言い合い、その後、私たちのため息が重なった。
「とりあえずどっちも普通はないよね。」
「たぶんね。友達に聞くという行為はしたけれど、私の心に傷ができただけだったとだけ言っておく。」
「あのさ……。」
幾分かためらい、桐生君が言った。
「お母さんのこと、嫌にならないの?分裂とか出芽とか、気味が悪いとか思わないの?そもそも、なんでそんなに冷静なの?僕は、眠れなくなったし、食欲もなくなったし、父さんの顔を見るのも嫌になったのに。」
「それは……。」
私が口を開いたところで、玄関の方から物音がした。がさり、とビニール袋がこすれる音。その後に続くごそごそと、おそらく靴を脱いでいるだろう音。
「専業主夫のほうの父さんだ。」
「私はお邪魔していていいのかな。」
「いいよ。会いたくないなら僕の部屋へ行く?」
「まだケーキが残ってるから遠慮する。」
もとより彼の部屋にまで上がりこむつもりはない。彼が私の部屋に上がらないのと同様に。
「秋くん、ただいま――彼女?」
桐生君のお父さんの開口一番の言葉。沈黙がその場を支配した。
この人うちの母さんと気が合いそうだな。私はそう思った。
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「あのね、紹介したい人がいるのよ。」
夕食の場で、母さんがそう言った。
両方の母さんが、だ。
「今度の日曜にうちに来てもらうんだけど、いいかしら。」
いいかしらも何も、もう決定事項なのだろう。口調からそれを読み取った私は、けれども口に出さず、いいよ、と良い子の返事をした。
おそらく、母さんの彼氏だとか、再婚を考えている相手だとかそういう種類の人間なのだろうとは思うけれど、私に反対の意志はないから、別にかまわない。
「でも、大丈夫なの。」
「なにが。」
「その、母さん二人だし……。」
「問題ないわ。」
お相手は随分と心が広いようだ。
「そう、ならいいけど。」
「アンタと同い年の息子さんがいるのよ、日曜日に一緒に来るらしいから、仲よくしなさいね。」
ふふふと笑って母さんが言った。
あれが、フラグというものだったのか。数日前の会話を思い出しながら、私は歪みそうになる顔を正常に保とうと努力していた。
「なに無愛想にしているの。」
だって、母さん。あなたきっと知っていて黙ってたんでしょ。
「久しぶりだね。」
現在私の目の前には、母さんより少し年上かな、と思われるおじさんが座っている。その容貌はどこかで見たことのあるような気がするもので。というか、見たことがあって。さらにそばに座っている息子さんもどこかで見たことのあるような人で。というか、会話したことだってある人で。
「お久しぶりです。桐生君のお父さん達と桐生君。」
世界が私を放ったらかして勝手に進んでいっているような気分になった。だから、気の利いたことが言えなくてもしょうがない、と誰にともなく言い訳をする。
彼らと話しながら、私は桐生君の家に行った時のことを思い出す。チーズケーキを食べながら、帰宅した桐生君の専業主夫の方のお父さんと桐生君と私で、盛り上がりは見せないけれど途切れることもない会話をしたあの日。仕事が早く終わってね、などとどこかで聞いたことのあるようなセリフと共に会社勤めの方のお父さんが帰ってきた。つまり、私は桐生君のお父さんたちとは面識があるのだ。あの時、桐生君のお父さんとうちの母さんは気が合いそうだと思ったけれど、もしやあれがすでにフラグだったのだろうか。
「あのね、母さんたち、結婚したいなって考えてるの。」
ええ、そうでしょうとも。この流れ的にそうでしょうね。
ああ、でもここは、母さんたち付き合っててね、とかなにかワンクッション的なものが欲しかったかも。
そう思いつつも話の先を促す。
「うん、それで?」
そういった私をきょとんと見つめる計10個の目。大方、みんなそんなにすんなりと行くわけがないと思っていたんだろう。残念でした。
もちろん、この先住む場所だとか、桐生君と義理ではあるけれど家族になるのか、とか、いろいろと考えなければいけないことはあるだろうけれど、些細なことだ。
私は細かいことを気にしない性分なのだ。
それよりも桐生君は反対しないのだろうか。私と違って繊細そうな彼は。
かさり、と手を伸ばした先のチョコレートの包み紙が音を立てた。
目の前に甘いものがあればついつい手を伸ばしてしまう私は甘党の鏡である。
続きを書き終わるのがいつになるかわからないので一応完結設定にしました。
ありがとうございました。