第三話
酒は嫌いだ。
喉が焼けるようだし、何より苦い。
何故好き好んでこんなモノを、と十六になったアイネは思う。
ホールに戻って来てからは、大体ワンパターンだった。政を行う上での、父の友人への挨拶回りに、偶に親戚との談笑。後者は楽しかったが、割合としては前者が圧倒的に多いため、パーティそのものは既に「早く終わってほしい」とまで思っていた。
要するに、去年までと同じである。
「お口に合いますか?」
「ええ、とっても美味しいです」
口に含んだ液体は自然に顔が歪んでくる程度には不味かったが、何とか自然に笑うことができた、とアイネは自身を評価する。
「それは良かった。集められるだけでは、ワインも不憫ですからね。やはり飲まれてこそです。それも、価値の分かるお方に」
ならば自分のような人間に飲まれたワインは一層不憫だろうと、彼女は手元のグラスを見つめる。
「私のような若輩にも良さが分かるのですから、もっと見識のある方に差し上げた方が良かったのでは?」
彼女がそう言うと、父の古い友人だと言う彼はにこりと微笑んだ。
父の後ろに控えて挨拶回りをするだけだった去年までに戻りたい。
アイネは心底からそう思った。
「そんなことはありません。高貴な貴女に飲んで頂く事こそが、私にとっても、酒にとっても、無上の喜びです」
彼は気取った風に言うと、手に持った赤い液体を一口煽った。
「やはり収集の対象となるだけでは可哀想と言うものです。飲み物は飲まれてこそ、その価値を発揮するのですよ。狭い地下室に閉じ込めるのではなくね。そうは思いませんか?」
思わない。心底からどうでもいい。
と、すかさず答えようとするのをこらえて、
「ええ、本当に」
無難な返事を返す。
彼はその答に満足したのか、機嫌良く手元のグラスを空にした。
かなりの量を飲んだ今でも、頬に少し朱が差す程度で、そこまで酔ってはいないようである。
よほど酒に強い質なのか。
それとも、酒より自分に酔っているのか。
酒に慣れていないアイネは、グラス二杯で既に奇妙な浮遊感を覚えている。
「おや、いかがなさいましたか?」
気遣う声さえも気障で嫌気が差す──というのは、流石に可哀想だろうか。
「いえ……少し酔ってしまったようです」
「それはそれは……少し強すぎましたかな?」
などとわざとらしく言いながら、彼はまだ半分ほど中身の残っているボトルのラベルを確認する。
強いも何も、酒に慣れていないので当然だと思われたが、それを口にすることは、アイネはしなかった。
『子どもだ』と侮られると思ったのである。
しかし体調が優れないのも確かだったので、
「ちょっと失礼」
などと言って、一旦席を外すことにした。
「自分もご一緒しましょう。このまま貴女を一人で行かせては、貴女の父上も、貴女自身にも、合わせる顔がありません」
どうでも良かった。そんなどこかで聞いたような口上を聞くよりは、一刻も早くこの場を離れたかった。
彼女は医務室に行くためにもう一度パーティ会場を後にし、廊下に出た。
その時ーー
「あーー?」
彼女の脚は意に反し、全く動かなかった。しかし重心は移動し、それによって自分の身体も傾いていく。
思考も靄がかかったように判然としていなかったが、彼女は、
「どうやら謀られたらしい」
それだけは確信していた。
16歳になって間もない少女がこの時点でそこまで推測を立てるというのは、まあ言ってみれば優秀であった。
否、異常であるのかもしれないが。
為政者の娘としては、それは当然であるのかもしれない。
あるいは、真に優秀な者は、罠にかけられることもないのかもしれないが。
いずれにせよ、もし彼女がここでこの男に嵌められていなければ、これから語られることの全ては、語られないままだった。
それは確かである。
視界が歪んでいく。
重力に引かれて倒れる動作すらも、スローモーションで、どこか他人事のように思えた。
一瞬、目だけを動かして男を見る。
上がった口角が道化のようだ、と最後に知覚して、視覚は暗転した。