水と揺さぶり
お久しぶりです。
今回のお話は視点が優→靖十郎と視点が変わります。
ぴちょん、と水滴が落ちる音が響く。
体を包み込むのは冷え冷えとした空気と仄暗さを含んだ陰気な水の匂い。
清廉とした清々しい水とは真逆の、腐る手前みたいな澱んだ気に満ちていて…ふと、目を開くと私はそこに立っていた。
おヘソのあたりまで水に浸かっている為かどんどん体温が奪われていく。
体が冷えすぎて体が動きにくくなっているらしく指一本動かせなくなった。
(夢だとしても変な場所だなぁ…寒いし)
周りを見渡してみるけれど何も見えな――――…ううん、なんか古い石がたくさん積まれてる。
気合を入れてゆっくりと周囲を見るため首を動かすとどうやら円柱状に組まれた石に囲まれているようだった。
(映画で見た、井戸の中みたい。うわ、考えたら怖くなってきた!どうしよう、髪の長い女の人が湧いて出てきたら)
ぞわぞわ~っと鳥肌が立って、なんとか悪寒をやり過ごしたもののふと妙な違和感を感じる。
雰囲気は本当に映画で出てくる古井戸で溜まった水が腐っていて濁っていたり嫌な臭気を発していても変じゃないのに…水自体は冷たく重い冷気を帯びているだけで汚れてはいない。
ギリギリのラインではあるけれど、穢はなくって普通に綺麗だ。
(“ここも”ちぐはぐな感じ…学校と一緒だ)
原因を少しでも探ろうと周囲を観察するけれど特に変わったものはない。
いくら夢だといっても現実味と…意識を持ってからの妙な感覚が抜けなくて、夢だと簡単に割り切れないでいる。
半分起きてるのに半分寝てるっていう、言い様がないんだけど無理やり表現するならそういう例えになる。
闇と水と這い上がってくる恐怖を自覚しないようにやや現実逃避を始めた私はしばらくの間、何ができるわけでもなく立ち尽くす。
――――……既に、両腕は上がらなくなっていた。
◇◇◆
優がロッカーに閉じ込められた翌日、何故か朝の点呼に優はいなかった。
寮長が生徒会長に何か聞いて納得いく説明をされたのかそのまま何も言わずに朝の点呼が終わる。
部屋に戻って、同じように優がいないことに気づいていた封魔と顔を見合わせた。
「やっぱ、昨日のショックだったのかな。そりゃ、あんな状態にされたんだから寝込んでもおかしくはないけど」
「…禪に聞くぞ。優がいると面白れぇし」
「だな。あ、あと飯食えないなら何か持って行ってやんねーと…生徒会チョーってそういうとこ全然気にしなさそうだし」
「つか、うっかり朝飯忘れられても優は文句いわねぇだろ」
「けど腹は減るだろ!腹減ったらなんもできねぇじゃん」
不安を誤魔化す為に軽口を叩きながらいつもより早く部屋を出た。
入り難い雰囲気を醸し出すドアの前に立って、ドアノブに手をかける。
微かな金属音と共に渡り廊下の奥にあるドアが見え…たんだけど余計なものも見えた。
赤黒い、靄のようなものがドアの僅かな隙間から漏れ出している。
「…な、なんなんだよ…あれ」
「あん?何かあんのか?」
後ろにいた封魔がオレの見ている方に視線を向けて直ぐに首をかしげた。
何度もオレとドアを見比べては不思議そうに首をかしげているのを見て…ようやく、オレにしか見えないのだと気づいた。
なんでもない、と慌てて誤魔化して進もうとするけれどドアに近づくにつれて血の気が引いていく。
カチカチと何か硬いものがぶつかる音に気づく前に封魔がオレの肩を掴んで酷く怪訝な、でも何処か心配そうな顔をして見下ろしていた。
「おい、マジでどうしたんだ?調子悪ぃんなら部屋に戻って…―――」
「封魔お前は本当に何ともないのか」
「おう。お前が突然青ざめてガタガタ震えだしたから何事かと思ったぜ。具合悪ィんならとっとと優の様子を確認して戻ろうぜ。腹減りすぎてるだけだろ」
腹がへり過ぎて青ざめた上に震えると本気で思ってるんとしたら相当だよな、封魔って。
そんなことを一瞬本気で疑ったものの、オレの前をずんずん歩く封魔の馬鹿みたいにデカイ背中を半目で睨みつける。
ムカつくぐらいデカイんだよな、コイツ。
三十センチとは言わないから二十センチ位身長分けてくんねーかな…。
少し意識がずれ始めたことに気づいて慌てて開いた距離を埋めるため足をすすめる。
不思議なことに封魔が前を歩いているとなんともない。
黒いモヤみたいなのが見えないからか?とも思ったけど、なんか違う気がして首をかしげながらもついて行く。
封魔が立ち止まったかと思えば
「生徒会長サマー、俺らのダチを強奪しにきましたー…っと。入んぞ」
「緩っ!それ緩すぎるだろ!?もっとこう、緊張感ってもんを持てよ?!」
「鉄仮面とちまっこいのの部屋に入るのに気ィ使う必要ねぇだろ」
しれっと言い放ち、なんの戸惑いも躊躇もなく封魔はドアを開けた。
思わず目を瞑ったものの変な感じは全くしなくて、恐る恐る目を開く。
「……あれ?」
おかしいな、と思わずつぶやく。
部屋の中は昨日入った時と変わらず、ドアからはみ出ていた嫌な靄はない。
相変わらず整理された本棚と埃一つない机。
机の上だって余計なものは何一つ載っていなかった。
空気も昨日と変わらない、清々しささえ感じる澄んだ空気に強張っていた体から力が抜ける。
安心して封魔と共に奥のドア―――…恐らく、優と生徒会長がいるであろう部屋の前に立つ。
封魔がドアに手をかけて、ノブをひねったその瞬間
「っ…開けるな!!いいか、絶対に開けるな!」
と聞いたことのない生徒会長の怒声が響いた。
彼が苛立ちと焦りを滲ませていること自体珍しいのに、声を荒げるなんて想像もできなくて思わず固まった。
封魔もそれなりに長い付き合いだとは言っていたけど初めて聞いたらしく目を丸くしてドアノブに手をかけたまま固まっている。
「お、おい?お前らしくもねぇ…優に何かあったのか」
ドアノブを引きかけた封魔の手をオレは慌てて掴んだ。
足でドアがあかないように押さえながらドアノブからデカイ手を引き離す。
一瞬、ドアの隙間から赤黒い靄がこちらへ出てこようとするのが見えたんだ。
赤黒いのが見えない封魔はオレの行動に思いっきり顔をしかめて睨みつけてる。
…オレは慣れてるからいいけど優とか他の奴が見たら絶対ビビるよな。
「封魔。理由はわかんねぇけど、生徒会チョーの言うとおり開けないほうがいい。生徒会チョーが珍しく動揺してんだ。オレらが行っても何の役にも立てないだろ」
「チッ。わぁったよ…オイ、禪ぃ!優は大丈夫なんだろォな!!」
「――――…ああ。大丈夫だ」
今のところは、と後に続きそうな声だった。
オレも封魔もそれに気づいたけれどそれ以上踏み込めなくてドアの向こうを睨みつける。
歯を噛み締めて思いっきり手を握り締めるオレ達に生徒会長が話しかけてきた。
「頼みたいことがある。至急、須川先生と連絡を取ってくれ。今は何も詮索するな。無事に事が済めば恐らくは須川先生から説明される」
「わかった。須川先生に連絡とればいいんだな?生徒会チョーが呼んでるって言えばいいのか?」
「…戻られる日にちを早められないか確認をして欲しい。返事が否であれば、非常事態の為に僕が『許可』を欲していると伝えてくれ。その返事を教えて欲しい…時間がない、急いでくれ。白石先生に連絡を取りたいといえば電話をしてくれる」
「わかった、葵ちゃんに言えばいいんだな?封魔、いくぞ!」
「お、おう」
緊急事態であることはオレにもわかったから最大のスピードで寮の中を走り、葵ちゃんのいる舎監室へ乗り込んだ。
葵ちゃんは部屋の中で鼻歌を歌いながら…何故か女物のワンピースを作っていた。
思わずミシンさながらの速度で縫い上げられていくワンピースとご機嫌な葵ちゃんの顔を見比べて扉を閉めかけたもののなんとか踏みとどまる。
「……葵チャン?ソレ、何シテンノ」
「ん?おぉ、朝っぱらからお前らが来るなんて初めてだな。そろそろ飯の時間だろ?」
「飯より今目撃してる怪奇現象だろ。女装用にしちゃ小さくね」
「女装用って失礼だな、封魔。これは贈り物だよ、お前らのお遊びに付き合うために作るもんならもっと手ぇ抜くって。そんで、何の用だ?」
パチン、と糸を切った葵ちゃんは立ち上がってオレらに向き直る。
流石に朝から自分の顔を見に来たとは思わないらしい。
そりゃそーだよな…いつもなら即食堂で順番待ちの行列に並んでるし。
「須川先生と連絡がとりたいんだ。生徒会チョーから伝言を頼まれてて緊急なんだ」
「―――…わかった。少し待ってろ」
一瞬何かを考えていたけれど直ぐに部屋に備え付けられていた電話を取ってどこかに電話をかけ始める。
後ろにいる封魔がぐるりと部屋の中を見渡してぼそっと「綺麗にしてんなー」とつぶやいたのを聞かなかったことにする。
封魔の掃除好きは病気だ。
あと掃除グッズにも異常に好きなんだよな。
「清水、赤洞。須川先生につながったがどっちが出る?」
「オレが出ます」
「靖十郎、頼んだ」
ひょいっと片手を上げて近くのソファに腰を下ろした封魔を呆れながら見つつため息を吐いた。
封魔とオレのやりとりを見て葵ちゃんは笑いながら手招きしている。
電話の受話器を取ると緊張しているのか指が動かしにくかった。
上擦りそうになる声を落ち着かせようとこっそり深呼吸して伝えることをまとめる。
「―――…もしもし、清水です。生徒会長から伝言を頼まれたのでそのまま伝えます」
電話の向こうで須川先生の声が聞こえた。
授業では柔らかい声だったのに受話器越しに聞こえる声はどこか硬く、事務的に聞こえる。
『ええ、お願いします』
「生徒会長は“戻られる日にちを早められないか確認し、返事が否であれば、非常事態の為に僕が『許可』を欲している。…時間がない、急いでくれ”と言われました。結構端折ってますけど…なんのことかわかりますか?」
どう伝えたらいいのかわからなくて出来るだけ要点と思われるところを伝えた。
電話の向こうから須川先生の声はしない。
妙な静寂と緊張感が漂ってきて思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
ほんの数秒だったかもしれないけど長く感じながら滲む手の汗を気にしていると電話口から先生の声が聞こえてくる。
『清水君、まずは伝言ありがとうございました。申し訳ありませんが、真行寺院君に伝言を頼んでもいいでしょうか』
「ハ、ハイ!」
慌てて電話の近くに置いてあったメモとペンを握る。
須川先生の言葉を聞き逃さないように耳を澄ませたのを見計らったように先生は話し始めた。
『―――…まず、戻りの日程は変えられません。次に“許可”はしますが、無理はしないようにと伝えてください』
「わかりました。じゃあ直ぐに…っ」
『清水君、まだ君に頼みたいことが二つあります。先ほどの伝言を届けに行く前に、白石先生に江戸川君と真行寺院君の両名は今日一日授業を欠席するので手続きを済ませておくよう伝えて下さい。それから、赤洞君とできるだけ共に行動し腕につけているブレスレットは入浴や就寝する際にも外さないようにしてください』
メモを取りながら腕につけているパワーストーンのブレスレットに視線を落とした。
優にも“絶対に外すな”って言われたけど…須川先生にまで言われるとは。
ってか、なんでオレが腕にブレスレット着けてるって知ってるんだ?
『勿論この件については他言無用でお願いしますね。ああ、もう一つありました…二人とも返事を届けたら彼らの部屋には立ち入り禁止です』
伝言を頼みます、とそれを最後に電話が切れた。
最後に言われた言葉が妙に頭に残って受話器を持ったまま、立ち尽くす。
わからないことばかりだし、心配だし、納得できない。
なんだよ、それ…と思わず口をついて出た言葉に反応したのは封魔だった。
「おい、何かあったんか?」
「葵ちゃん。これ伝言だって」
メモをした紙をちぎって葵ちゃんに渡してから最期の言葉をメモした紙を二人に見せる。
封魔は内容を読んで思いっきり顰めっ面をしてたけど、葵ちゃんは納得したように頷いて―――オレたちの頭を軽く叩いて笑う。
「あの二人なら大丈夫だ。それにな、お前らだけじゃなくて他のヤツらも入れなくなるから気にすんな!っつっても気になるだろうけど、須川先生が戻ったらちゃんと説明してくれる。だからそれまで待ってやれ……江戸川の為にも」
付け足された言葉にオレ達は顔を見合わせる。
そしてどちらが何を言うでもなく、肩の力を抜いた。
だってさ、仕方ねーじゃん?
直接手を出せないのって悔しいし、何もわからないからすげー気になるけどさ…“教師”の葵ちゃんが大人の顔で“優の為”だって言うんだ。
ガキのオレらができるのはこれ以上ややこしいことにならない様に大人しく待ってることだけなんだよな。
いろんな想いをどうにか押し込めて、いま自分にできることをする為…生徒会長と優のいる部屋へ内容を伝えるべく全力疾走した。
…途中で寮長に怒られたけどな!
読んでいただいてありがとうございました!
…読み返して誤字脱字変換ミスなどがありましたら随時直そうと思います。ただ、気づいたらこっそり「まちがってんでー」と教えてくだされば喜びます。
では、亀以下の速度更新にもかかわらず読んでくださって本当にありがとうございました。次も頑張りますっ