世間知らずといわないで
基本的に、怖い話は好きだけど怖いモノは嫌いです。
あ、あと色眼鏡とコンタクトレンズも嫌いです。
見知らぬ眼鏡美人に連れられて、足を踏み入れた喫茶店はとても雰囲気のいいお店だった。
地下にあるのに、暗いとかジメジメした雰囲気はまるでない。
店の中に足を踏み入れた瞬間、どこかで嗅いだことのある香りが鼻をくすぐった。
食べ物の匂いは全くない。
ただ、お店全体に薫っている凛とした清々しい匂いに疲れが少しずつ溶けていくような感覚がした。
知っているのに答えが出てこない、独特のもやもや感にムッと眉間に力が篭る。
「あの席に座りましょう、落ち着いて話すには丁度……―――――――― どうか、しましたか?随分険しい表情をしているようですが」
「へ?そ、そんなに酷い顔してました?!」
「酷い顔、ではないと思いますが眉間に皺は寄ってましたね」
こーんな顔でしたよ、と茶目っ気たっぷりに再現してくださったのはいいんだけど……顔のつくりが違うので正直比較の対象にはなりません。
彼には美形補正があるかもしれないけど、私にそんな素晴らしいものは一切ない筈。
だからもっと歌舞伎役者みたいな顔になってたと思うんだ。
「お見苦しいものをお見せして大変申し訳ございませんでした。あの、この香りなんですけど……何の香りなのかわかりますか?どこかで嗅いだような気がして気になってるんですけど、答えがでなくって」
「ああ、この香りは“菖蒲”の香りですね。少し他のモノが混ざってはいますが悪いものではないので、安心してください。食事をしたり会話をする程度なら何の問題もないでしょうから」
上品で穏やかな笑みを称えた美形は、何をしても似合うらしい。
着物姿で洋風の喫茶店にいるにもかかわらず何の違和感もありゃしないのだ。
ときどき、神様って本当は不公平なんだって思うよ。そのキラキラの一つでも私に渡してくれれば、買い物するときに便利なのに!
一番奥の席に座った私達を見張っていたかのように、コックの恰好をした人が近づいてきた。
あくまで「コックの恰好」をした人だと私は思った。
だって、脳内で描いていたコックさんのイメージをことごとく覆しているから。
筋肉隆々の厳めしい体つきに違わない、山籠もりから戻ってきたばかりのような風貌。
髪は撫でつけてあるものの、無精ひげはいただけないと思うんだ、私。
「久しぶりに顔だしたと思えば、なんだァ?このちまっこいのは」
ザ・超重低音。
私たちが座っているテーブルの横に仁王立ちする大男さんから発せられた声はまさしくそんな感じ。
コックさんの服より、ヤのつく職業の人が着てる服の方が凄くイメージにベストマッチだよ!
うっかり壁際ににじり寄った私に気付いたのか、大男さんはジロリと高い位置から私を見下ろした。
「ひっ…?!っ、すいませんごめんなさいもうしません逃げませんから命だけは甘いモノ食べるまでとらないでください」
「誰が食うか…ッ!ッチ。おい、須川!なんだこのちびっこいの!依頼人をここに連れてくんじゃねーって何度言やぁわかんだァ?」
「おや?私がここに依頼人を連れてきたこと、ありましたか?ここにいる客が偶々(たまたま)、依頼人になったことは何度かあったと記憶していますが」
「……そーいや、今日はお前ら以外客はいねぇんだったな。んじゃあ、なんだ、このちまっこいの」
どうやら、このおっかない人は眼鏡美人さんの知り合いらしい。
それはわかったけど…私、もしかしなくてもとんでもない人についてきちゃったんじゃないだろうか。
「後で話しますよ。それより、私はいつものをお願いします。彼女にメニューを渡してあげてください、あとお茶もお願いしますね」
「しゃーねぇな、ちょっと待ってろ」
相変わらずキラキラしい笑顔を浮かべた眼鏡さんに、大男さんは盛大なため息をついた。
衝立の向こうへ歩いていく巨体を観察しながら私は息をひそめる。
いや、なんか目があったら何かが終わるような気がしたんだ。
私が戦々恐々としている間に、お水が入ったピッチャーとお洒落なグラス、メニューらしきものを持った大男がテーブルにモノを並べていく。
ことのほか、手つきが優しくて少しびっくりした。
「ほらよ。今日はオムライスセットがお勧めだ。値段は高いがどーせ、須川の奢りだろーから高いモン頼んどけや」
「高いといってもこの店じゃたかが知れてるでしょう。全く……これでいいですか?では、このお勧めとアップルタルト、焼チーズケーキをお願いします」
「お前はいつものだろ?で、ちまっこいの。飲み物は?」
「……アールグレイのミルクティーで」
自分の背が高くて力持ちそうだからって馬鹿にするな!アリんこもミジンコも必死に生きてるんだよ!
そういいたくなるのをぐっと堪えた私は偉い。
大きな背中が店の奥へ来ていくのを確認した私は、すかさず彼が何者なのかを聞いてみたんだけど、返事はあっさりしたものだった。
「この店の店主ですよ。ここまでくるとどちらが本業なのか分からなくなりますが……ああ、そういえばまだ私も名乗っていませんでしたね。私は、こういうものです」
どこからともなくシンプルで無駄に高そうな名刺入れを取り出した彼は、一枚の紙を私の前に置いた。
一瞬、名刺ってどんなだっけ?なんて間抜けなことを考えたのは言うまでもない。
「(なに、この高級和紙使用の名刺。こんな手の込んだものみたことないんだけど)高そ……ええと、綺麗な名刺ですね」
「そうですか?まぁ、あまり手の込んだものではありませんが」
「普通の名刺は持った時に色変わらないと思います。しかもこれ、和紙でできてるんですよね?うはー、すごいなぁ……日本の技術」
初めはふつうの和紙だったのに、手に持ったところからサーッと色が透けた。
透明なアクリル板に和紙状の模様を加工してあるみたいだ。
それだけならいいんだけど、花の透かしまでは言ってるんだから驚きもの。
最近の職人さんはすごいなぁ、なんて光沢のある墨で書かれた名刺を透かしたり軽く振ったりしてみたけど元には戻らなかった。
「須川 怜至、と申します。貴女のお名前をお聞きしてもいいでしょうか?」
「え?あ、はい!すみません……えーと、私は江戸川 優といいます。名刺とかはまだ、その、持ってないので渡せないんですけど……って、そうだ!ちょっと待ってください」
就職先が決まってから作ろうと思っていたので名刺なんてないけど、名前くらいはしっかり伝えておきたい。
メモ帳に書くっていう手段もあったけど、おもしろい名刺を見せてもらったお礼には程遠いから、面白味はないモノのそれなりに丁寧な字で書いた名前を見てもらうことにした。
「はい!いっぱい書いたのでどうぞ」
「………履歴書、ですね」
「丁寧には書いてあるので読める時にはなってるとおもうんですけど、さっきの名刺に比べたら面白味がないですよね」
「いいえ、私にとってはとても面白いものですよ。ありがとうございます」
綺麗な笑顔を浮かべて、履歴書を受け取った眼鏡美人こと須川 怜至さんは熱心に私の履歴書を読み始めた。
少しだけ緊張するけど、面接を受けてる訳じゃないのでずいぶん気楽だ。
あーあ。他のところでもこんな風にリラックスして面接受けられたらよかったのにな。みーんな怖そうなおじさんなんだもん!
少し手持無沙汰になった私は、改めてじっくりもらった名刺を見ることにした。
「あの、ここにかいてある“正し屋本舗”って社名ですよね?モデル事務所か何かですか、やっぱり」
「事務所はあっていますが、モデル事務所ではありませんね。簡単に言ってしまうと何でも屋、みたいなものです。少し特殊かもしれませんが、それなりの収入はありますよ―――――――…興味が?」
「あります!どんなことするんですか?やっぱりペット探したり、浮気を突き止めたり、犯人を尾行したりするんですか?」
「似たようなことはしていますよ。人を探したり、物を探したり、場所を特定したり――――――…といっても、江戸川さんが考えているような方法ではないとおもいますが」
「へぇー、なんだか探偵みたいな仕事なんですね」
ほんとにあったんだ、とお水を飲む私に須川さんは苦笑して、懐から何かを取り出した。
深緑色の布に包まれていたのは写真。
若い男女の写真から子供が映っている家族写真、ペットを取った写真、家の前で記念撮影をしている写真、観光地でとられたと思われる写真……とまぁ、統一感のない写真が30枚近くテーブルの上に広がった。
これだけみると、普通の写真屋さんか写真コレクターなんだけど――――――――……そういう、楽しい写真じゃないことはすぐに分かった。
「(なん、か……冷たくて、重い感じがする)これ、ってあんまりいい写真じゃない、ですよね?」
「―――――…その通りです。私の本業はこういったモノを適切に処分することであったり、目には見えないモノによって私生活がままならなくなっている方を本来の状態に戻す手伝いをしています」
「それって、もしかして……れ、霊能力者ってやつですか?」
「そういったものの一角でしょうか。まぁ、霊能力者や祓い屋、霊媒師、退魔士などという職業を生業としている者は、見えない方からすると胡散臭い職業でしょう?」
まさか本人を前にして「そうですね」なんて言えるはずもなく、とりあえず、曖昧な笑顔で濁しておいた。
でも、確かに須川さんはなんだか他の人とは何かが違う気がする。
顔はいいし無駄にお金持ちそうだけど、そういうんじゃなくって……ここにいないみたいなのに、誰よりも近くにあるような、そんな不思議な感じなんだよね。
「他には、一二月祭り(じゅうにつきまつり)の手伝りもあります。命に係わる霊現象なんてしょっちゅうあるわけではないので、そちらの仕事は滅多にありません。代わりにそういった能力のある、もしくは“あると思い込んでいる”方の選定や斡旋でしょうか」
「な、なんか凄いことになってるんですね」
「最近はめっきり減りましたが、少しでも油断すると偽物やペテン師といったものが増えますからね。他にも問題としては依頼人の質、でしょうか。本当に困っているのか、それとも単なる気休めなのか……そのあたりの見極めも大切なんですよ」
どうやら、彼は霊能力者の紹介窓口に似た仕事もしているらしい。
一通り聞いたのはいいけど、お腹が空きすぎていつも以上に脳みその働きが鈍っている気がする。
彼の言っていることは理解できなくもないけど、正直、かなり常識から外れているとおもう。
私はお化けとか幽霊はいるって信じてる方だ。
でも、進んで怖い目にはあいたくないし、遭おうとも思わない。
お化けや幽霊はテレビと本と口コミだけで十分だ。
……今更だけど、履歴書って名刺代わりになるのかな…?
む、ちょっと短い…かな?
ここまで読んでくださってありがとうございました!