盟約 1
「宜しいのですか?貴方様はまだお若いのに」
「もう決めたんだ。どれくらいで出来る?」
「……そうですね。ご注文通りとなりますと、一週間程かと」
「ならそれで頼む」
静かに響いた言葉に、男は丁寧に頭を下げた。
「しかし、貴方の様な方が選ばれた姫君とは、一体どのようにお美しい方なのでしょう」
「……まあ、自由に想像してくれ」
「きっと、さぞ喜ばれることでしょうね」
その一言に、客の眉がピクリと動く。一瞬下がった温度に、男は相手の気分を害したのかと慌てて話題を反らしにかかった。
「ひ、久しぶりのことですが、私も張り切らせて戴きます。最近では、めっきりと注文も減ってしまいまして。古い仕来りですし、中々そこまでお覚悟を決められた方もいらっしゃらなくて」
「………覚悟、か」
そんなものが自分を突き動かしたのではない。と、自嘲する様に笑う。ただ自分を抑える術を、他に思い付かなかっただけだ。ほんの少しでも、あの少女の心の一部分だけでも、今直ぐに己のものにする以外。
ーー クシュンッ!
温室に響いたくしゃみは、周りの者の視線を一気に集める。
「セリア、風邪?」
「ううん。平気」
何処かで誰かが自分の噂でもしているのだろうか。もしかしたら、エリスかもしれない。などとセリアは頬を緩ませた。
先日の一件からすっかり懐かれてしまったようで、あれから何度も恋人との近況を報告しに現れる。それを聞く度にセリアも胸が温かくなるのだった。
「そろそろ、イアンも帰って来る頃だと思うし。僕は一度紅茶を取りに行って来るよ」
微笑ましく語るエリスを思い出していると、ルネがそう言って立ち上がる。それでセリアも思い出したように顔を上げた。
「もうそんな時間だった?」
「何時の間にか時が過ぎてしまったようだな」
時間も忘れ議論をしていた人間なら、そう感じても不思議ではないだろう。セリア達の舌戦を聞いていたザウルとルネは、僅かに苦笑した。
それじゃあ、と出て行くルネの背を見送りながら、セリアはここ数日の友人の行動を思い浮かべる。
「……なんだか最近よく外出してるみたいだったけど、どうしたんだろう」
つい一週間程前も、何の説明も無しにイアンは何処かへ出掛けていた。行き先を尋ねても、どうにも濁していたようだったし。
「何も無ければよいのですが。最近は様子が可笑しいようにお見受けしましたし」
「そう? 普段通りに見えたけど」
「……自分の考え過ぎならば良いのですが」
不安と共に呟かれた言葉を、けれど周りの者はそこまで危惧してはいない。誰も、イアンに変化など感じていなかったし、何か事件があった訳でもないからだ。
先日外出から戻った際も、普段と何ら変わりない様子であったし、そう心配する必要はないように見えるが。ただ、行き先について何も言わなかったことが気になるだけで。
「まさか……」
友人の紅い瞳に宿る熱に、僅かに不安を抱いたザウルだが、唐突に温室の入り口に立った影に目を奪われた。
「あっ!イアン。お帰りなさい」
何処か明らかに雰囲気の違うイアンを、それとは気付かずセリアは笑みで出迎える。似た様に帰りを迎える友人達だが、それには目もくれずイアンはズカズカと温室内へ踏み込んだ。
「ど、どうしたの?」
目の前まで迫ったかと思うと唐突に腕を掴まれ、セリアは驚きで目を見開く。
「……来い」
「えっ!!」
力強く腕を引かれ、抵抗する間もなく立ち上がらされる。突然の事態に焦る暇も与えられず、温室の外へ連れ出されてしまった。
「おい。イアン、どうしたんだ?」
「落ち着いて下さい!!」
彼等を追おうと候補生達も温室から飛び出す。が、途端に何かに衝突したと思うと同時に、ガシャン!と派手な破壊音がその場に響いた。
「ちょ、ちょっと!……二人とも、いきなり飛び出して来てどうしたの?」
用意した茶器や菓子を盛大に地面にぶちまけてしまったルネは、その原因を作った目の前の友人を唖然と見詰める。
一瞬ルネに気を取られたランとザウルだが、それを気にかけている場合ではない。と、咄嗟に顔を上げたが時は既に遅く。イアンの姿も、彼に手を引かれたセリアも、何処にも見当たらなかった。
先程から必要以上に強く掴まれた腕は、引いても押してもビクともしない。異常な状況に、セリアも流石に呆然としていた。
い、いったい、何があったというのだ。こんなイアンは見た事がない。もしや、自分がまた何か余計なことをしてしまったのだろうか。そして、その件について怒られるのでは。
不安で少しずつ顔色を青くするセリアは、気付けば校舎前の広場に連れて来られた。この時間帯、最も生徒の往来の激しい場所だ。
そんな場所に、憧れの候補生がただならぬ空気を纏って現れたのだ。授業後の時間を過ごしていた周りの生徒達も、興味の入り交じった瞳でチラチラと遠巻きに様子を窺って来る。
「イアン。痛いから離してってば」
それがダメならば、せめて止まってくれ。とセリアは必死に願った。それが通じたのか、それともここが目的の場所だったのか、イアンは漸く足を止める。とはいえ、腕は未だに解放されていない。
「本当に、どうしたの?」
気付けば広場の中心に立っていて、セリアは何処か居心地の悪さを覚え取り敢えず尋ねた。チラリと辺りを窺えば、好奇の視線や不審がる瞳が八方から自分達に突き刺さっている。
動揺するセリアには構わず、イアンは辺りを一瞥した。
邪魔も入らなさそうだし、一番厄介だと思っていた候補生達も撒いた。それに、ここならば人目もあり、コイツを逃す事もなさそうだ。
確認を終えたイアンは、未だオロオロとするセリアの腕を掴んだまま彼女の前で唐突に膝を付いてみせた。
「女神フィシタルに、青の盟約を結んだ」
「えっ?」
唐突に跪き、周りに聞こえる程声を張り上げたイアンに、セリアは一瞬理解が遅れた。けれど、今聞いた台詞の意味を思い出すと、サッと顔を青ざめる。
「我、イアン・オズワルトは、青の羽根に永遠の誓いを乗せ、真の心をこの場で捧げる」
「イアン!ダメだよ。ちょ、待って!やめて」
彼の意図に気付いたと同時、セリアは必死に彼の腕を振り解こうとしたが、そんなことはお見通しなのか、逃すものかと増々腕に力が入った。それと同時に、掴まれていた手の中に何かを握らされる。
ギクリとそれを確認すればそこにはやはり、金で出来た羽根。見事な細工の施されたそれには、青い宝石が幾つも埋め込まれていた。
セリアは必死に制止を訴えるが、それに構わずイアンは細い手首を掴む腕にギュッと力を込める。
「セリア・ベアリット。俺と、結婚してくれ」
何処かで誰かが悲鳴や歓声が上がる。けれどそのどれも、呆然とするセリアの耳には届かなかった。
「どういうことだ!お前、青の盟約など、今の彼女に……」
「……答える必要なんかねえだろう」
「自分が何をしたのか解っているのか!」
「うるせえ!だからなんだって言うんだ!」
詰め寄る友人にイアンは怒鳴り返すがそれで何かが解決する筈もなく、ランは更に表情を強張らせた。
「求婚するなとは言わない!お前の気持ちは解っている。だからといって、何故青の盟約なんだ」
「それが俺の気持ちだってだけだ」
「セリアが追いつめられるとは考えなかったのか!彼女の優しさは知っているだろう」
それこそが自分の望んだことだ、とイアンは腕を掴むランの手を振り払い、ドカッと談話室のソファに腰を落とした。
青の盟約とは、クルダスでの求愛と求婚の形の一つである。
イアンがした様に男が相手の前に跪き、青い羽根をかたどった宝石を渡す。そして、青の盟約を結んだと宣言し、特定の台詞を言えば完了だ。
が、実際にそれを用いる者は殆ど居ない。その最大の理由は、条件面にあるといえる。
青の盟約を結ぶということは、相手に永遠の愛を誓う、ということ。文字通り、イアンはセリアに永遠の愛を宣言したのだ。
青の盟約を結んだ男は、それを捧げた以外の女性と、生涯結婚は認められない。それどころか、別の相手と恋仲になることすら許されないのだ。これから一生、イアンは死ぬまでその心をセリア一人に捧げることを、約束してしまった。
これは、いかなる立場の男であっても、破ることが出来ない鉄の掟だ。一昔前であれば万が一それを違えた男は、相手の女性に死罪を要求されても文句は言えない程、これは重い仕来りであった。
たとえ、女性がその求婚を断ったとしても。
人の良いセリアの事を考えれば、突然の告白、更にはそれが相手の一生を左右する程の重大な選択に、どれほど驚き戸惑ったことか。
にも拘らず何故。問いただしてもイアンは何も言わない。
「……今更、考え直せと言っても、遅いが」
「…………」
それまで対峙していたランは、諦めたのか背を向けた。今更、彼に何を言った所で、青の盟約を取り消すことは出来ない。状況は何も変わらないのだ。
「私は、お前も、セリアも傷つくことは望んでいない」
「……もう、それは無理だ」
「……イアン」
「お前が言いたい事は解るさ。俺だって分別はあるんだ。自分の行動がどんな結果になるかくらいは解ってる。でもな、それでも無理なもんは無理なんだよ」
背もたれに頭を預け天井を仰ぎ見る友人に、ランは何も言えなくなる。今は、幾ら何を言ったところで、彼に届きはしないだろう。
談話室を静かに後にすれば、廊下に控えていたザウルと視線が合った。その琥珀の瞳は、普段の静けさを備えながらも揺れている。
友人達の懸念する視線を無視し、イアンは一度肺に溜まった息を全て吐き出した。
静まれ、と内で燻る炎に命令するが、まるで効果が見られない。茶色の瞳を一杯に見開いて自分を見詰めたセリアに、ジワジワと暗い喜びが沸き上がってくる。
青の盟約をされた今、セリアの脳内は動揺と戸惑いが支配しているだろう。彼女は今や、自分を焼こうが煮ようが好きに出来るのだ。一生を賭けた求愛を一蹴するなど、あのお人好しに出来っこない。
誤魔化すことも、逃れることも許さない。だからこそ、最も生徒の目がある場所で誓いを行った。こうなってしまえば、例え友人達が何を言おうと、周りがどんなに反対しようと、自分が青の盟約を結んだ事実を曲げる事など出来ない。それが周知の事実となれば、それだけセリアもその事を突き付けられる。
このまま自分を受け入れるなら、それも良し。断るにしても、セリアは何らかの形で傷つく。それを告げるまでに苦痛を味わう。そして、青の盟約を誓った者として、己の存在は彼女の心の一部に刻み込まれるだろう。
そんな事を考える自分に、吐き気がする。しかし何よりも気に食わないのは、そのことに喜びを見出してしまう己の内に宿る熱だ。
未だ冷めぬ激情に舌打ちするが、何の変化も感じられない。何処まで自分は欲深いのだ。
これだけのことをしておきながら、今アイツに触れたい。
気付けばセリアは、自室の扉の前で呆然と立ち尽くしていた。どうやって寮まで戻って来たのか、はっきりとは覚えていない。
手の中には、受け取ってしまった青い羽根。
クルダスが建国された際、国の頂点に立った国王、永遠の栄光を与えた女神。この二人は深く愛し合った中であり、それは子供が読む絵本にも描かれている程の常識だ。しかし、その影にはもう一つの恋物語が有る。
美しい女神フィシタルに、国王を生涯支えたマリオスが恋をしたというものだ。彼は、例え彼女の心が国王に向いていても、女神を愛した。その証として、青い鳥に己の心を運ばせ女神に差し出した、という伝説が青の盟約の発祥だ。
マリオスはその言葉通り、永遠の愛を女神に捧げたが、それでも女神の心を揺らすには至らず。
深く愛し合う国王と女神に、マリオスは嫉妬するでも嘆くでもなく。ただただ静かに女神を愛し、国王を支えた。
けれど今の時勢、例えどんなに相手を愛していても、青の盟約を結ぶ者は殆ど居ない。居たとしても、恋人同士間のみで密かに交わすだろう。後々、無かったことに出来るように。
相手と早くに死別するかもしれなければ、何らかの事情で他の相手と婚姻を結ばねばならない状況に陥るかもしれない。絶対の約束がどれだけ重荷となるか、それを誰もが解っているのだ。
しかも、学生という若い内から青の盟約を結ぶのは、あまりにも大きな賭けと言えた。
そのままセリアがぼんやりと手の中の羽根を眺めていると、横でカチャッと扉が開いた。
「……悪いけど、入って」
「へっ?」
覗いた青髪に我に返るが、次の瞬間腕を引かれて隣人の部屋に押し込まれてしまった。
「少し待ってて」
そのまま外から扉を閉めたアンナに、どうかしたのかと疑問を覚えたと同時、複数の足音が聞こえた。それに混じってキーッキーッ、と叫ぶ女生徒達の声も。
ビクッとセリアが怯んだと同時、外から恐ろしい程怒りを込めた声が響き出した。
「ちょっと、セリアさん!出て来て下さらない?」
「一体どういうことですの!イアン様が、青の盟約をなさるなんて!」
「居るのは解ってるのよ。さっき寮に戻って来たのを、窓から見ていたんだから!!」
ヒッと短く悲鳴を上げたセリアは、隣の部屋の扉を叩くけたたましい音に耳を塞ぎたくなった。普段であれば女生徒達のお怒りなど大したことではないのだが、今回は違う。一体どうなっているのかなんて、こっちが聞きたいくらいだ。
「……彼女なら自室には居ないわよ」
その場に静かに響いた声。それと同時に、扉越しでも感じて取れた女生徒達の勢いが僅かに静まった。それから暫くは何か会話らしきものが聞こえたが、セリアの耳にはその内容までは届かない。
もしかしなくとも、これはかなり危険な状況なのでは。
そんな風にセリアが青ざめたまま呆然としていると、再び静かに扉が開かれる。それまで感じていた大人数の気配は消えていた。
「別に構わないから、その辺に座ったら?」
「……あ、ありがとう」
近くにあった椅子を顎で示すアンナに、セリアは呆気に取られながらもそれに従う。
「隣で延々と奇声を上げられるよりはマシよ。暫くは戻らない方がいいわね。何処で誰が見張ってるか解らないから」
セリアと反対側の椅子にアンナも腰掛ける。もしセリアが彼女達の目に留まれば、それこそ文句と罵声の大合唱が勃発するだろう。隣でそんなことになれば、こちらは堪まったものではない。
アンナの申し出にセリアも素直に頷いた。誰かが傍に居てくれることで、緊張した身体も僅かに解れる。
「それで?」
「へっ?」
「貴方、自分に何が起きてるか解ってるの?」
「……あんまり」
情けなく答えたセリアに、アンナは盛大に溜め息を吐き出した。
ど、どうして、急にこんなことに。いきなり過ぎて、頭が追い付かない。
でも、もしそうなら、私はどうしたらいいの?こんなことになるなんて考えたことなかったのに。
だって、好きにならなきゃいけないってことなんじゃ……