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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第三章 目覚める鉱石〜
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追想 6



「外出届を出した!?」

「あら、知らなかったの?てっきり皆は知ってると思ってたんだけど」


 その日マリオス候補生クラスに目立った一つの空席。その席に普段座るのは、このクラス唯一の女生徒だ。


 セリアが欠席したことに嫌な予感を覚えた候補生達は、クルーセルの齎した情報に目を見開いた。昨日の夕方近くのことだったようで。つまりセリアは、温室へ戻る頃にはもう届けを出していたことになる。

 そうまでして彼女が向かった場所というのは、もしかしなくともアントニオ・パールの下だろう。相変わらず、予想以上の行動力だ。




「くそっ!あの馬鹿は」

「……イアン、落ち着け」

「これが落ち着いていられるか。どうしてアイツはいつもいつも」

 温室のテーブルを殴りつけるイアンは苛ついた紅い瞳で、掛けられた制止の言葉を撥ね除ける。


「かといって、今から自分達が向かったとしても間に合いませんし。ここはセリア殿がお戻りになるのを待つしか……」

「って言ってもセリアだもんね。また無茶しなきゃいいんだけど」


 ギルベルトからあんな話を聞かされた後だ。母親と似た状況のエリスを、セリアが放っておく筈がないのは十分予想が付いたのに。



「そう取り乱すことでもないやろ。別に戦場に行った訳でもあるまいし。そう心配する程のことかいな」

 またルイシスは何時の間にか温室の一角に我が物顔で居座っていた。


 呆れを含んだ様な声だが、その意見は的を射ている。が、それは普通の娘であった場合だ。相手はセリアだ。次には何をしでかすか。だからこそ、候補生達も気をもんでいるのだが。


「アンタら、ちと心配しすぎなんのとちゃう?お嬢ちゃんかて、自分の行動に責任持てんほど子供ちゃうやろ」

「……正論だな」


 響いた冷たい声に視線を向ければ、相変わらず感情の無い瞳で本に視線を落とすカール。

 ちなみに、昨日ギルベルトが来た際温室に居なかった彼だが、その後その内容を語ったルネによってしっかり現状は把握していたりする。


「捨て置けばよかろう。何の利にもならない案件にまで、一々干渉してやる必要はない」


 下らん、と一蹴するその姿に、イアンはギリッと奥歯を噛んだ。

「利だの責任だの、そんなこと言ってるんじゃねえだろう!」


 怒声が温室に響くと同時、周りの者達は僅かに目を見開いた。

 セリアが一人で飛び出して行ったのは確かに心配だが、今回はそれほど危険なものではない。今までに潜った修羅場に比べたら、かわいいものだ。

 それなのにここまで激高するのは、少し過剰とも言えるのではないか。


 周りから集まる視線を無視し、イアンは舌打ちするとそのまま踵を返した。

 苛立ったように温室の扉へと向かうが、その途中でグイと腕を強く引かれる。サッと振り返れば、何かを訴えかけるような琥珀色の瞳。


 強い眼差しで自分を見据えるザウルに、けれどイアンは何を言うでもなくその手を振り払った。




「くそっ!」


 林に面した池の畔。吐いた悪態が誰にも届く事無く空気に溶ける。一人になりたい時は、どうしたって此処に来てしまうのだ。


 力の限り周りの木を殴りつけてみるが、胸に溜まる熱は未だに燻っている。

 あつい。とにかく、身体中があつくて仕方ない。身体中の血が沸騰しているかのようだ。喉元から広がるひりつく様な乾きも鬱陶しい。


 何故、こんなにも苛立つ。自分は何を焦っているのだ。

 自問してみるが、それらしい答えは見つからないまま。


 ルイシスの言葉が正しいのは百も承知だ。ただ頭の中を支配する怒りに、己を抑え切れない。自分自身を制御出来ないのだ。

 こんな時であるからもしかしたら、セリアが居なくて良かったのかもしれない。イアンの脳を一瞬そんな考えが過る。

 けれど同時に背筋が凍る程、あの存在を傍に感じたいと欲求が腹の底から沸き上がって来た。あの笑顔を見れば、あの栗毛に僅かでも触れれば、このどうしようもない飢餓感が満たされるのでは。


 足先からジワジワと浸透してくる熱のやり場を探し、イアンはもう一度目の前の木を殴りつけた。








 同時刻、セリアは通された一室の椅子に座りながら、震える拳を握り締めていた。友人達に何も伝えず飛び出し、その結果また彼等に心労を課していることなど、気付く余裕はない。


 これから自分がしようとしていることが、どれほど余計だと言われるようなことかは、セリアも十分理解している積もりだ。他人の事情に一々干渉するのが、正しいことだとは思っていない。


 けれど、どうしてもジッとしていられなかったのだ。資料は今のところエリスの目に留まらない所に置いてある。が、そうなれば彼女はずっと探し続けるだろうし、それを見ているのは辛い。だからといって、すんなりとエリスに彼の居場所を教えるのは、どうしても憚られた。

 いずれはどうするか決めなくてはならないなら、その前に己の目で確かめたい。



「お待たせしてしまってすみません」


 軽いノックの音の後、扉の向こうから現れたのは人の良さそうな笑みを浮かべた一人の青年。アントニオ・パールだと名乗った彼に習い、セリアも立ち上がり丁寧に頭を下げた。


「すみません。突然お邪魔してしまって」

「いえ。あの初の女性マリオス候補生ともなれば、お迎えしない訳にはいきませんよ」


 突然現れた自分を、彼は快く招き入れてくれた。それだけで彼が悪い人ではないだろう、と僅かにセリアの心は軽くなったが、まだ安心できた訳ではない。

 幼い頃のことだ。エリスのことが記憶から消えていても、なんら不思議はないのだから。


「それにしても、懐かしいですね。フロース学園では、私も色々と為になる経験を積ませてもらったので」

「……ええ。三年前に卒業されたのですよね」

「はい。あの頃は楽しかったですよ。それで、候補生様が私に何か?」

「あ、あの…… それは」


 一瞬躊躇いが過るが、セリアはそれを振り払った。彼とて、急に押し掛けられて十分戸惑っているだろうに、これ以上話しを引き延ばすことは出来ない。


「あの、エリス・ウィーリングクロスという方をご存知ですか」


 焦りから少し声が大きくなってしまった。真剣にセリアが目の前の青年を見詰めれば、その瞳が見開かれる。どうやら、彼はエリスの存在を忘れている訳ではないようだ。


「……何処で、その名前を?」

「あ、あの。今年入学した新入生の一人に、その方が居られましてですね。それで貴方を探してまして……」

「彼女はフロース学園に居るんですね!」


 今度はアントニオが身を乗り出してきた。その迫力に気圧され唖然とするが、セリアは怖ず怖ずと頷く。そうすれば、相手の表情はとても柔らかいものに変わった。


「そうですか。居るんですか。彼女が……」

「はい。あの……」

「すみません。少し、気持ちの整理をさせて下さい」


 そう言って俯くアントニオに、セリアは必死に説明を重ねた。エリスが未だにアントニオを探していることや、それを聞いて自分が住所録を頼りに尋ねて来たこと。

 そうしてセリアが話を終える頃、アントニオはゆっくりと顔を上げた。


「……そう、ですか。彼女は、僕のこと覚えていてくれたんですね」


 心から喜びを感じるようなその声に、セリアは自分の心配がどれだけ杞憂だったかを悟った。目の前で今にも涙を浮かべそうな程安堵する様を見せつけられては、彼を疑っていた自分に罪悪感すら込み上げて来る。


「随分と昔のことだったので、彼女も僕のことなんてもう忘れていると思ってたんですけど」

「…………」

「セリア嬢」


 スクッと突然立ち上がったアントニオに、セリアは不覚にも驚いて肩を振るわせてしまった。しかしアントニオは、それに気付いた様子は見せず瞳を鋭くする。


「貴方は、これから学園へ戻られるのでしょう」

「え、はい。一応……」

「なら。僕もご一緒して宜しいですか?」

「へっ?」


 彼女がまだ自分を想ってくれていると知った以上、もう居ても立っても居られないのだ。と拳を握るアントニオに、セリアは一瞬戸惑ってしまう。

 勿論、彼が会いたいという気持ちも解る。エリスもきっとそれを望んでいるだろうし、これ以上良いことはないだろう。

 それは解っているのに、咄嗟に言葉が出て来ない。うん、と頷くだけなのに、その言葉が喉に張り付く。


「お願いします。彼女に、エリスに会わせて下さい」


 それまで動けなかったセリアを前に、アントニオは深々と頭を下げた。









 学園へ戻ったセリアは、まず目的の人物を探した。すっかり遅い時間になってしまったが、まだ辛うじて辺りは黄昏色が照らしている。アントニオには学園の門で待つように言い、セリアは足を急がせた。



「おい!セリア」

 鋭く突き刺さったその声にビクッと驚いて振り返れば、そこには見るからにお立腹の様子のイアンがこちらへ早足で近付いて来る。そのあまりの形相に、逃げてしまおうか、などと本能が叫ぶ。が、実行など出来る筈もなく。


 ズカズカと距離を詰めたイアンは、苛立ちを隠そうともせずにセリアの肩をグイと引き寄せた。


「お前は、どうして何時も一言も無いんだ!」

「うっ。あの、それは悪いと思っておりますですが、今は時間が無いと申します訳でして。ちょっと、あの……」

 途端に紅い瞳から苛立ちを読み取り、ヒィッとセリアは縮こまる。

 


「ああ、セリア。お帰り」

 お叱りを覚悟して身構えたセリアに、けれど何とも間の抜けた声が別方向から掛けられた。イアンもそれは予測していなかったようで、二人揃ってそちらを振り返る。


 そこにはにこやかに微笑むルネと、その横に不安そうな表情でこちらを見詰めるエリス。探していた人物の登場に、セリアは思わず声が上擦ってしまった。


「エリスさん!」

「あ、あの、セリア様。私、先日はあんな失礼をして。それで、どうしてもお詫びがしたくて。その、お探ししていたら、ルネ様に……」


 そんな風に謝罪する少女に、セリアは我も忘れて詰め寄る。それにエリスは怯えたように身体を跳ね上げるが、途端にその手を握られた。


「あ、あの、エリスさん。あ、あのですね。じつは、その……」

「セリア様?」

「………こ、校門の所にですねぇ、貴方に会いたいという方が来ているのですありするが、今直ぐ行って戴けますでございますか!」

「はっ!え、あの。校門、ですか? 解りました……」


 勢いに任せて出された言葉に、エリスは戸惑いながらも頷く。そのままセリアに追い立てられるようにエリスが足を向ければ、そこに薄らと見えた佇む一つの影。


 背後に控えるセリアにエリスは僅かに不安そうな顔を向けたが、静かに頷かれその意図に従う。



 ーー ア、アントニオ!?

 ーー エリスか?



 辛うじて聞き取れたその言葉を最後に、校門近くで二つの影が駆け寄るのが見て取れた。その光景をジッと見詰めるセリアに、ルネが引き上げようと提案する。


「あとは二人に任せて大丈夫だと思うよ」

「で、でもまだ。もし何かあったら」

「……セリア」


 未だに不安が拭い切れていないのか、その場を動くことを渋るセリアの頭に、ルネはポンと手を軽く乗せる。


「今回は、セリアもよく頑張ったね。だからもう大丈夫だよ。ねっ?」

「……………」

「あとは二人の問題だし、セリアも疲れたでしょ」


 だから戻ろう、と子供に言い聞かせるような口調のルネに微笑まれ、やんわりと手を引かれる。セリアは未だに後ろ髪を引かれる思いが残るものの、それに従った。




「そう暗い顔しないでよ。むしろ、喜ぶべきなんじゃない」

 未だに沈んだ顔のセリアに、ルネがやんわりと語りかける。それでもセリアは、その後の二人を危惧して俯くことを辞めない。

「気持ちは解るけど、ね。心配しても仕方ないでしょ」

「……そう、だよね」


 漸く観念したのか、セリアが顔を上げる。それに、他の候補生達も一先ず表情を緩めた。


「それに、元々そんなに気にしなくても、あの二人だったら上手くいってたんじゃない?」

 セリアがわざわざアントニオの気持ちを確認しに行かずとも、あの二人を引き合わせるだけで十分だったのではないか。と、ルネは笑う。結局はセリアの心配は杞憂に終わったのだから。


 それもそうだ。とセリアも一応は納得しておいた。終わりよければなんとやら。取り敢えず、自分の危惧していた様な結果にならずに、本当に良かった。

 エリスの話を聞いた時は、最初こそどうなるかと気が気でなかった。が今となってみれば、これほど喜ばしいことはないのではないか。長い間想い続けていた相手も、ずっと同じ感情を抱いていてくれたなんて。



「でも、好きになった人に、同じように好きになって貰えるなんて。そんな幸せ、誰もが手に入れられる訳じゃ、ないんだよね」



 ポツリと淋しげに零した言葉に、その場の空気が凍る。セリアはそれに気付かなかったが、周りの候補生達の表情がその時だけ確かに固まった。

 それが、まさしく自分達の現状そのものの様に思えたからだ。今セリアが自分達と同じ感情を抱いているとは、どうしたって言えないのだから。


 急に静かになってしまった友人達に、セリアは僅かに違和感を覚える。どうかしたのか、とチラリと彼等を覗き見れば、すぐ横でガタンと音がした。


 思わず怯んでしまった瞳でそちらを見遣れば、音を立てて椅子から立ち上がったイアンがジッとこちらを覗き込んで来る。


「まあだからって、止められるもんじゃねえさ」


 いつもの調子でそう言いながらセリアの頭を軽く撫でると、そのまま食堂を後にした。

 去っていく友人をセリアは不思議そうに眺めたが、とくに異変は感じ取れず。その背を静かに見送る。




 友人達を残し一人だけ外に出たイアンの頬を、夜風が宥めるように掠める。けれどそれも彼の内で燻る熱を冷ますには至らないのか。静かな呟きが漏れた。


「……流石に、限界だな」




 悪いとは思わない。これが、今の俺に出来る精一杯の譲歩だ。例え、卑怯だなんだと罵られてもな。無理強いをする積もりはないが、そう易々と逃がしてもやらねえよ。


 これはその証だと、思ってくれればそれで良い。



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