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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第三章 目覚める鉱石〜
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追想 4

 落胆した様子のエリスが去って行く後ろで、セリアは呆然と立ち尽くしていた。随分長い間そうしていたが未だ手足は機能を思い出さず、温室を離れていた筈の候補生達が戻って来たのだが、それにすら気付いていない。


 足先からまるで冷水に触れたような寒気が這い上がり、それが次第に全身に広がって行く。身体は芯から凍った様に寒くて震えそうになるのに、頭だけが異様に熱い。


 ーーダメだ

 瞳に霧がかかった様に視界は曇り、立っているのすら困難になる。こんなことで屈するものか、と足に力を入れるが、身体の軸がブレた様に足場が定まらない。


 重力に逆らうことを忘れた足は、膝から崩れフラリとセリアの身体が傾き倒れる。

 と思われた瞬間、その横に立った影がすかさずその肩を抱きよせた。



「おい」

「カ、……ル?」

「どうした?」


 自分を呼ぶ声にハッと我に返ると、セリアは瞬時に己を抱く腕から身を離した。その焦った様子に、カールの秀麗な顔の眉間に皺が寄る。


「な、何でもない」

「……青ざめた表情で言う科白ではないな」

 指摘されセリアはさっと顔を隠す様に俯いた。そんなに酷い顔色をしていただろうか。けれど、ここで彼に悟られる訳にはいかない。


「本当になんでもないの。平気だから」

 必死に首を振りながら言われても、まるで説得力がないのだが。けれどこれでもセリアは懸命に平常心を保とうとしているのだった。


 その不審な挙動に、カールに続いて温室に戻って来た候補生達も訝しげな目を向ける。その視線を受けたセリアは更に焦るも、未だ説明の為の言葉は見つからない。


「おい。何があったんだ?」

 繰り返される問いにセリアは「なんでもない」と何度も呟くが、それに候補生達が納得する筈がない。それでも頑なに拒む姿勢を崩さなかった。




「名前はアントニオ言うらしいな」


 唐突な声にセリアは弾かれたように顔を上げた。その視線の先には、ニヤニヤといつもの胡散臭い笑みを浮かべたルイシスが、さもしてやったりといった顔で温室に登場した所であった。


「健気な話やないか。初恋の男を今でも探しとるなんて」

「な、なんで知ってるの!!」


 他の候補生達が一体何の話をしているのかと困惑する中、セリアは咄嗟にルイシスに詰め寄った。その手は相手の胸倉に伸び、服を掴んで力一杯引き寄せている。


「まあ、そう怒らんと。取り敢えず落ち着き」

「誤魔化さないでよ!」

 その必死な追求にもルイシスはただ、困ったなあ、などと笑いながら視線を明後日の方へ向けている。


「先程の彼女の話か?」


 そんな二人に、核心を突いた問いが投げかけられた。途端にサッと青ざめたセリアとは対照的に、面白い玩具を発見したように瞳を輝かせたルイシスはニヤリと口角を吊り上げる。


「まあ、簡単に説明すればそうなるな」

「……それはいいが、君は何故それを知っている?」

「別に盗み聞きしとった訳ちゃうで。女っちゅうんは頼りになりそうな男に色々相談したくなる生き物やろ」


 最後の方は甘い仮面を張り付けながら囁いたルイシスに、他の候補生達は顔を渋らせた。


 外から見たセリアの様子が可笑しいと感じたルイシスは、温室を去ったエリスを呼び止めたのだ。そこからは、お得意の武器を使い難なく事情を聞き出した。その裏に、大きな好奇心を疼かせているのは、傍から見ても明らかだ。



「フン。下らん」


 心底呆れた表情のカールが、一人俯くセリアの脇を通って温室を後にする。それと同時に、他の候補生達も何処か複雑な感情を覚えた。


 確かに、問題自体はそう大きいものではなさそうである。その後も説明を続けるルイシスの話を聞く限り、複雑な事情も無さそうだ。自分達がその気になれば人一人見つけ出すなど雑作もないだろう。


 けれど、セリアの反応は見過ごす訳にはいかない。固く引き結ばれた口元から見て取れる、拒絶にも似た意志。踏み込まれたくない理由があるのか、先程からセリアは候補生達を見ようともしていないではないか。



「……それで、お前その人探しを引き受けたのか?」

「俺が聞いた話じゃ、お嬢ちゃんは断ったっちゅう話やけど」

「はっ?」


 取り敢えず、目の前の厄介事から片付けよう、と考えたイアンの問いにルイシスがしれっと応えた。その言葉にイアンだけでなく、他の者も瞳を見開く。自分達の知る限り、セリアはこういった状況では自分から率先して世話を焼こうとしてきたのに。それを、断っただと?



 周りから集まる視線に耐え切れなくなり、セリアは思わず温室を飛び出した。駆け出した直後、引き止める様な声が背後から聞こえたが、今はそんなこと気にしていられない。



「どうしたんや、あのお嬢ちゃん。いつもああなん?」

「……いや。何か様子が可笑しいようだったが」

「んん。恋でもしたか?」

 女の様子が可笑しい時は大抵それが理由だ、などと呟くルイシスに、冗談ではないとランが眉を顰めた。






 図書室にて卒業生の名が連ねられた本を見つけたセリアは、そのページをパラパラと捲っていた。姓名は解っているものの、それ以外の何一つとして情報が無い人物を見つけ出すのは、やはり骨が折れるだろう。それでも該当する名を探して、必死に視線を走らせる。


 断ったと言われていたが、自分はそんな積もりはなかった。ただ、エリスを前にはっきりと彼を探し出す、と約束が出来なかっただけ。しかしなんであろうと、とにかく今は出来ることをやらねば。



「おい……」

「っ!!」


 目の前の本に夢中になっていたセリアは、急に背後に感じた気配に思わず短く悲鳴を上げた。

 ハッと視線を上げれば、自分の顔の両脇には何時の間にか置かれた手。その先から伸びる腕が、まるで檻の様に逃げ場を塞いでいた。


「何焦ってるんだ?」

「イアン…… 別に、焦ってるとかじゃ」


 というより、何をしているんだ。とセリアは内心そちらの方に焦るが、密着してくる身体を離そうとしても逃げ場が無い。

 どうしよう、と思うも背中に感じる異様に近いその存在に耐え切れず一歩棚に近寄る。が、その分だけまたイアンが距離を詰めて来た。


「イ、イアン!?」

「黙ってろ」


 耳に直接響かせるような距離で言われれば、まるで金縛りにでもあったかのように本当に声が出なくなる。


 目の前で身体を縮こまらせるセリアに、イアンは後ろで眉を寄せた。

 急に様子が可笑しいと思えば、それを問いただす暇もなくまた一人走り去ってしまう。そのまま、また以前の様に手の中からすり抜けて行く積もりなのか。だとしても、そんなこともう二度と許すものか。


 フラフラとまた訳も解らず走りだそうとするセリアの姿に、今までに無いほど苛立つ。けれどそれは、また飛び出していこうとするからでもなければ、妙な事に干渉しようとしているからでもない。

 セリアをかき立てるものを、己が把握していないからだ。

 この少女のことは、何から何まで認識していなければ気が済まない。自分の知らない理由で、焦る姿など見たくない。理解の及ばぬものに追い立てられるなど、あって良い筈がない。



「だって………」


 漸く引き出した反応に、イアンは僅かに身を離す。それに安堵したのか、ホッと息を吐き出したセリアがゆっくりと振り返った。


「諦められない、ものなんでしょ? どうしても、会わなきゃ気が済まないんでしょ?」

 懸命に自分を見詰める茶色の瞳に、イアンは一瞬言葉を忘れた。

「好きになったら、忘れられないんでしょ……」

 切羽詰まった状態に置かれたかの様に震える声で言うセリアに、紅い瞳が見開かれる。イアンは何を聞かれたのか理解が及ばず、息が詰まった。



 固まった友人にセリアは疑問を抱いたが、その表情を改めて確認する暇もなく、グッと肩を掴まれそのまま後ろの棚に押し付けられる。その所為で背中に走った衝撃に息が詰まった。


「……誰のことだ?」


 痛い、と訴えようとした喉は地の底を這うように低い声に絡めとられる。突然の事に一体何が起こったのだと目を白黒させるが、同じ質問を再度繰り返されセリアはハッと我に返った。


「だ、だから、エリスさんのことで……」

「違うだろ!」

 強い声がその場に響く。ビクリと肩を揺らしたセリアに、イアンは大きく舌打ちした。


 そんな事を聞いているのではない。何故そんな顔をする。何故そんなに切なげに瞳を揺らす。まるで、何かを思い出しているみたいではないか。いや、誰か、か。


 カッと身体を襲った熱を、イアンはギシリと奥歯を噛んで抑える。それでもジワジワと腹の底から這い上がって来る怒りに、瞳は更に鋭さを増した。


「誰か好きな奴が居るのか?」

 その男が忘れられないというのか。言葉と同時にイアンはグッとセリアの肩を掴む手に力を込めた。

 己の問いで瞳を見開くセリアに、イアンの表情も強張った。一瞬、心臓を鷲掴みにされたかのような痛みが胸に走るが、それもすぐに体内を撫でる熱に焦がされた。今あるのは、純粋な怒りのみ。

 見たこともないセリアの想い人が脳裏に浮かんでは、ソイツを今直ぐ八つ裂きにしてやりたい衝動に視界が赤く染まる。



「はっ?」


けれど、次に聞こえた頓狂な声に、イアンも思わず「はっ?」と返す。視力が戻り改めて目の前の少女を見遣れば、何とも間の抜けた表情で、口を呆然と開けていた。


「な、なんでそうなるの?」

「はぁ? 普通はそう考えるだろうが」

「えええっ!」


一体どこをどうしてそうなったのだ。と、セリアは思い切り困惑した。何故そうなるのか皆目見当が付かない。そんなこと言った覚えはないのだが。


 視線を彷徨わせながらオロオロと焦り出すセリアに、どうやら自分の見当違いだったとイアンも納得した。それと同時に、身体を襲っていた異様なまでの熱も冷める。

 紛らわしい行動を取ったセリアにも当然イラッとくるが、それ以上に何処かで安堵している自分が居て、思わず溜め息が漏れた。


 これ以上そのことについて話すのは苦痛だ、とイアンは諦めセリアの手の中に未だ残る資料に視線を落とす。


「……断ったんじゃなかったのか?」

「ち、違うよ!それは、エリスさんには言ってないけど。でも、探そうとは思って」


 そう言って再び資料の頁を捲り出すセリアに、イアンも込み上げる脱力感を無視しきれない。理解し難い行動は何時もの事だが、今回は更にややこしい展開になりそうだ。





「それで、探しだしたっちゅうことか」

「……なんとか。それらしい人は見つかったんだけど」


 アレからほんの数時間でたった一人を本当に探し出してしまうとは。最早軽く執念すら感じる。


「それなら、折角見つかったんだし、さっきの子に教えてあげたら?」

 そう提案したルネだが、それに賛同する声はガタンと椅子が後ろに倒された音で掻き消された。


「セリア?」

「……ダメ」

「えっ?」

 椅子を倒す勢いで立ち上がったセリアに戸惑いながらルネが聞き返せば、セリアは俯いていた顔をバッと上げた。


「それは絶対にダメ。まだエリスさんには言えない」

「なっ!? おいおいお嬢ちゃん。教えないって、ほんならアンタはそれをどうする積もりや。あの娘にとっては、漸く見つけ出した相手なんやろ」


 言われてセリアもグッと言葉に詰まった。そこまで考えている訳ではないが、しかしエリスにその本人が見つかったと伝えるという選択肢はセリアの中には無い。





 黙り込んだまま制止したセリアに、どうしたものかと流石に候補生達が頭を悩ませていると、ふいに温室の入り口に影が現れた。


「ああ、やっぱり。君達は何時でもここに居るのだね」


 それまでの緊迫した空気を破った明るい声に驚いて振り返れば、そこには見覚えのある人物。背後からフワリと頭に乗せられた手に、セリアの力も僅かに抜けた。


「ギル!!」

「また我が儘を言って候補生様達を困らせているのかい?」

「そ、それは……」


 焦った顔で振り返れば、そこには優しく笑いかけるギルベルト。セリアの従姉の婚約者であり、兄の様に慕う彼の登場でセリアの緊張も幾らばかりか和らぐ。


 唐突に現れたギルベルトは、何もかも理解している様な顔で、焦るセリアの頭を柔らかく撫でた。





 僕もそんなに詳しい訳じゃないよ。カレンに聞いた内容しか話せないしね。それに、ベアリット家にとって、これはあまり他人に知られたくないことなのではないかな。


 それでも、君達は聞きたいというなら、話そうかな。一人の何処までも哀れな少女の過去を。



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