追想 1
緩やかな音楽が止み、学園のホール内を静寂が包むと、生徒達はある一点に視線を集中させた。グラスを片手に悠然と立ちフロース学園の新たな校長となったユフェトだ。
「生徒諸君。まずは、自身に与えられた試練に見事立ち向かってくれたことに敬意を賞する。君達は、その力を存分に出し切ってくれた。今宵は、その努力と誠意に対する細やかな慰労と、今後の君達の更なる栄光を願って、……乾杯」
穏やかな声と同時に、再び旋律が流れ始める。
宴の席では、試験を終えた生徒達がお互いの結果に対し様々な反応を示しながら、それぞれ思い思いに過ごしていた。
「いきなり能力分けの試験なんて強引なことをやると思えば、次にはこの夜会。行動が読めない所は前の校長と同じだな」
「いいんじゃない? 皆、無事に試験が終わってホッとしたかっただろうし」
呟かれた言葉にルネが返せば、イアンも同意するように口角を上げる。
試験結果によって候補生達の顔ぶれは、殆んど変わらずに終わった。ラン達は勿論、無事マリオス候補生として認められたセリアも、一安心である。
「今回の件は、必ずしも悪い事だけではなかった。むしろ、セリアの事を抜きに考えれば、ある意味必要だったと言える」
確かに、家柄に囚われず、能力ある者皆に平等に機会を与える。その環境を作り出すのに、今回の改革は必要だったと、十分に言えるだろう。
少しの間セリアが友人達の会話に耳を傾けていると、少し離れた場所が僅かにざわついた。そちらに目を向ければ、数人の生徒達がある方向に厳しい視線を送っている。その先にあるものは、考えずとも解った。余裕げな笑みを浮かべ、周りを取り巻く女生徒達と楽しそうに談笑している、ルイシスだ。
けれど、生徒達は以前の様に大きな声で彼を不相応だと罵倒出来ない。彼も試験に見事合格し、マリオスに相応な実力者だと認められたのだから。
そういえば、彼にきちんと礼を言っていなかったな。とセリアが思い出すと同時、顔を上げたルイシスと視線がバッチリ合ってしまった。
急なことにセリアが何か反応を示す前に、ルイシスは周りを取り囲んでいた女生徒達に何かを耳打ちする。それを聞いた彼女達が一歩下がり道を譲ると、彼は真っ直ぐにこちらに向かって来た。
「よう、お嬢ちゃん。と、貴族のお坊ちゃま方」
出会い頭に、まるで喧嘩を売るかの様なこの言いよう。イアン達が微妙に表情を歪めさせたのは、仕方ないと言えるだろう。
「なんや、一カ所に固まって。こないな場まで、議論だの堅苦しい話題を持ち込んどる訳でもないやろに」
「……ルイシス」
「それにしても、色男を何人も侍らすなんて。お嬢ちゃんも隅に置けんのう」
「へ、変な事言わないでよ!」
ニヤリと向けられた笑みに、セリアはキッと視線を厳しくして返す。何を言い出すんだコイツは。と思い切り顔を歪めれば、目の前でオッドアイが楽しそうに輝いた。
「けど、ずっと立ち話してるのも退屈やろ。どや、俺と一曲踊ってくれへんか?」
自然な動きで手を握られ、セリアはサッと顔を青ざめた。ルイシスが顎をしゃくった先には、手を取って楽器の調べに合わせ踊る男女の姿。けれど、セリアにしてみればとんでもないお誘いであった。
答えを躊躇してオロオロと視線を彷徨わせるセリアに、ルイシスは更なる攻撃を仕掛けて来た。
「なんや?俺みたいな卑しい身分の男の手は取られへんか?」
「そ、そういう訳じゃなくて。だから……」
そんな言い方をされて、断るのは無理だ。しかしだからと言って、受ける訳にもいかない。一体どうすれば良いんだ。
セリアが次の言葉に困っていると、ルイシスに握られていた筈の手が、何時の間にか横から伸びた腕に攫われていた。
「申し訳ありませんが。彼女は自分と先約がありますので」
「なんや。そんならそうと早う言うてえな」
助け舟を出したザウルが奪うようにセリアを自分の傍に引き寄せれば、ルイシスはあっさりと身を引いた。
ザウルに連れられてホールの中心へ向かうセリアの背中に、ルイシスはクッと笑いを洩らす。
「相変わらず、あればっかりは苦手のようやな」
「知っていて彼女を困らせるのは、あまり感心出来ないな」
僅かに視線を鋭くしたランに、ルイシスは軽く応える。
「流石、侯爵家の嫡男様。言う事がちゃうな」
嫌味を込めた様な物言いに、その場の雰囲気が更に険悪なものに変わって行く。先程から続く棘のある言葉に、候補生達もピクリと眉を動かした。
「貴様は、どうやら我々が気に食わないようだな」
「そう怖い顔せんといてえな。俺的にはアンタ達に友好を示しとる積もりやで」
ニヤニヤと張り付く笑みは何処か胡散臭い。訝しげな視線を感じ取ったのか、ルイシスはフッと軽く息を吐いた。
「ただ、俺は興味ある奴には突っかかる質でな。それが、名門貴族のご子息様ともなれば尚更」
「…………」
緊迫した空気の中、睨み合いを続けていると早々に切り上げてきたセリア達がホールから戻って来た。久しぶりにダンスなどした所為だろう、一曲付き合っただけにも関わらず顔には疲労の色が濃い。他の女生徒ならば泣いて喜ぶ状況も、セリアにとっては意味を成さないようだ。
頼りなさげに歩くその姿に喉の奥でクッと笑うと、ルイシスは腰を屈めてその身を寄せてきた。
「ほな、貸しはその内返してもらうから、覚えとってな」
言葉と同時に耳にその吐息が吹きかけられ、ゾワリと首筋に鳥肌が立つ。ビクッと反射的に一歩下がれば、当の本人は心底楽しげに笑いながらさっさと背を向けてしまった。
何なんだ、あの男は。とセリアが悪寒の走った首裏を摩っていれば、これまた背中に感じる凍る様な空気。恐る恐る後ろを見遣った途端、見なければ良かったとセリアは後悔した。
視線の先では、見ただけで解る程不機嫌オーラ全開の、眉間に皺を寄せた候補生達。
「何か言われたのか?」
「へっ?あ、えっと……まあ、色々と……」
ランの質問をセリアは笑って誤魔化す。ここで、試験の日に彼に助けてもらった、なんて言える筈がない。きっとまた心配を掛けてしまうし、絶対に怒られる。彼等には遅刻しそうになったところでルイシスに会った、と言ってあるが。
借りを返すとは言っても、何をさせられるのだろう。
そんな疑問を抱いてから一週間後、セリアはルイシスと共に人で賑わう学園都市に来ていた。何故この組み合わせなのかというと、何時もの如くセリアが温室に向かおうとしていた所、ルイシスに後ろから声を掛けられたのだ。
ーーこの間の貸し、そろそろ返して貰えるか?
オッドアイを輝かせながら言われた台詞に、セリアも渋々頷いた。こちらも助けられた身だ。ここで借りを返さなければ、女が廃る。と気合いを入れて学園を後にしたのだ。
「……それで、何処に向かってるの?」
「それが中々決まらんのや…… アンタ、チョコレートとマシュマロ。どっちが好き?」
「はっ?」
別にどちらも好きだが、取り敢えずチョコレートと応えた。するとルイシスはよっしゃ、と一声上げ再び歩き出す。今度は先程よりも何処かイキイキとしながら。
そのまま何時の間にか握られていた手を引かれ、セリアは気付けば、何故か茶店にて適当な席に座っていた。
「さてと。まず何から食べよか?」
「……はあ」
手渡されたメニューを戸惑いながら眺める。どうやら、チョコレートを使った菓子が此処の売りらしく、頬を染めた可愛らしい店員が頼む前から幾つか勧めて来た。その説明をニコニコと聞いていたルイシスは、勧められるままにどんどんとケーキを注文している。
気付けばそれがとんでもない量になっていることに、恐る恐るセリアが声を掛けようとするが、ルイシスがあまりに自然に注文を続けるので、出掛けた言葉も何故か詰まってしまう。
「どないした?そんな難しい顔して」
「え、えっと…… 私、借りを返しに来たんだよね?」
「それがどうかしたか?」
「なんで、ここでお茶してるのかと思って……」
思い切り困惑しながらルイシスに尋ねれば、またニヤリとした笑みが張り付く。けれどそれ以上会話を続ける前に、山積みとなったケーキが可愛らしい店員によって運ばれて来た。
「おっ!来た来た。お嬢ちゃんも好きなだけ食ったらええ。ここのは美味いで」
「……は、はあ」
セリアが他に言葉を掛ける暇もなく、ルイシスはその口に菓子を頬張り始める。それはもう見事な食べっぷりで、生クリームやチョコレートがあれよあれよと言う間に消えて行った。
「アンタ、不思議そうにしとったけどな。取り敢えず、ここに一緒に入ってくれればそれでええんや」
「それだったら、わざわざ私が来なくても、一人で良かったんじゃ」
「こないな所に男が一人ケーキ食いに来るなんて、気味悪がられてしまうやろ」
「そ、それは……」
チラリと彼を盗み見れば、その意味が嫌でも理解出来る。
代々軍人の家系、と言う彼は見た目もそのものだ。がっしりした体躯に、引き締まった腕や、幅のある肩。候補生達に引けを取らない程顔も整っていて美形と言えるが、ラン達の様な繊細な美しさとは違う。雄々しい男らしさの溢れるそれだ。
その彼が、目の前でそれは嬉しそうに柔らかく甘いケーキを食べている。もしこれが一人なら、確かに異様な光景に映ったかもしれない。
「だったら私でなくて、他の人でも」
「目の前で俺が甘いもの食べると、女は嫌がるんよ。まあ似つかわしくない、って言うんは解るけどな」
「そ、そんなの……」
「それにや。女の前では格好良くしときたいやろ。せやから殆ど秘密なんや。その点、アンタなら平気や思うてな」
それでは何か。この男にとって、自分は女ではないのか。なんて多少の不満をセリアは覚えるが、目の前で豪快にケーキを平らげて行くルイシスに、言葉を発する気も失せた。
「そこの可愛いお姉ちゃん!こっち、ケーキ追加!」
その声にハッとテーブルを見れば、あれ程あったケーキの山が、跡形も無く消え去っていた。この上まだ食べるのか、と驚きで顔を上げれば、目の前の男は口元に残るクリームをぺろりと舌で舐めとっている。まるで子供だ。
どうやら、本当に彼は甘い物が好きらしい。まあ、こんなことで借りが返せるなら、悪くはないか。と、セリアも目の前のケーキを突き始めた。
「で、今度は何時付き合ってくれるん?」
「もう借りは返したでしょう」
店のケーキ全てを食べ尽くしたのでは、とセリアは半ば呆れを通り越し感心にも近い気持ちのまま学園の門を潜った。何処かで別の客に売り切れを謝罪する店員の声を聞く度、目の前の元凶を見遣っては肩を落としたものだ。
「……セリア殿」
突然掛けられた前方からの声にセリアが下げていた視線を上げると、いつもは穏やかな筈の雰囲気を僅かに乱したザウルがこちらへ向かって早足で歩いてくる所であった。
どうかしたのか、と疑問に思っていれば、近付いたザウルが自分とルイシスの間に割るように入る。
「……何処へ行ってらしたので?」
「おいおい。アンタはお嬢ちゃんの保護者とちゃうやろ。そう、キツく睨まんといてくれるか?」
僅かに緊迫した空気に、セリアは居たたまれなくなりその身を縮こまらせる。一体、どうしたのだろうザウルは。
「ザ、ウル。あの……」
「……マリオス候補生に招集がかかりました。至急、校長室にとのことです」
「あっ…… はい」
戸惑いながらも声を掛ければ、言い終わる前にザウルが言葉を割り込ませた。そこで告げられた内容に、セリアも途端に背筋を伸ばす。
この空気も気になるが、召集がかかったのなら一刻も早く行かねば。とセリアが足を動かし始めれば、背中に感じる針で刺す様な空気。後ろを振り返るのが怖くて、確認することは出来ないが。というより、もしや自分は怒られているのだろうか。
後ろからまるで気圧されている様な状況に、セリアは内心悲鳴を上げながら、いそいそと校長室へ急いだ。
まったく、どうしてアイツはああも危機感とか警戒心とかが欠如してるんだ。奴の事知らない訳でもないだろうに。いや、アイツなら知らないって言いそうだな。
ああ、ったく!とにかく、奴に不用意に近付くんじゃねえ!