始動 3
以前とは違う、まるで中から威圧が伝ってくる様な扉を前に、セリアは思わず挙げた手を制止させた。
中の人物が違うだけで、ここまで変わるものなのか。
躊躇してしまうものの、そのままそこに佇む訳にもいかない。覚悟を決めて扉を軽く叩けば、中から入室の許可を与える声が響く。マクシミリアン校長とは違う、明らかに威厳を含んだ声。
許可を得たセリアはゆっくりと扉を開け、中の様子を窺いながらソロソロと足を踏み出す。そして中の、今は部屋の主となった男に向き合った。
「セリア・ベアリット君だね」
夕陽を背に執務机の椅子に腰かけこちらを見据える男の、まるで上から押さえ付けるかのような空気にセリアは萎縮してしまう。
「掛けたまえ」
目で促された先にあるソファに、セリアは確かな違和感を覚え、その理由にすぐに気付いた。クルーセルが居ないのだ。普段であれば常にと言っても良い程、彼がそこで寛いでいるのに。
しかし、流石にユフェトがクルーセルの職務放棄を見逃すとは思えない。だから彼も非難場所を変えたのだろうか。
再度ユフェトに促されセリアはゆっくりと腰を落ち着ける。もしかしたら、この校長室で座るのは初めてかもしれない。いつもはソファをクルーセルが独占しているから。
「セリア君。唐突だが、噂は聞いているかね?」
「……候補生の件、ですか?」
「察しの通りだよ」
ジッと見据えられ握る拳に力が入った。緊張の様子を見せるセリアに、ユフェトは静かに告げる。
「現在のマリオス候補生を解散し、新しい候補生を選ぶ為の試験を実施する訳だが。私の改革は、その機会を、より多くの者に広げようというものだ」
「…………はい。聞いています」
「その際、資格はやはり、男生徒に限定することにした」
「………」
セリアは出そうになる落胆の息を、奥歯を噛んで必死に耐えた。しかし、震える肩が彼女の当惑を正直に表している。
ダメか、と明らかに顔色を青くしたセリアだが、次にユフェトが発した言葉は意外なもので、その瞳に光が戻る。
「とはいえ、君は候補生として、とても優秀な結果を残している。前校長も、君を是非にと押していた」
僅かに好意的な色が交じった声に、セリアもパッと顔を上げユフェトを凝視する。
「また、国王陛下やマリオス達の評価も良いと聞いた。その君を、私の独断で候補生の地位から追い出す訳にはいかない。それに、より多くの者に機会を与える、という私の思想にも反する」
「あ、あの。では……」
「今回、特例として女生徒では君のみ、試験の結果を評価してから、候補生の資格があるかを判断することにした」
セリアは今度は押し込めることが出来ずに大きく息を吐いた。けれどそれは、安堵の溜め息だ。
試験を受けられる。まだ、可能性はある。そう理解すると同時に、握っていた拳からも力が抜けた。
傍目にも解る程にホッとしたセリアに、ユフェトは途端に視線を厳しくする。
「だからといって君の試験結果が優遇される訳ではない。いや、むしろより厳しく審査され、慎重に判断されるだろうということは、理解しておいてくれ」
「……はい」
まだ決まった訳ではない。いくら周りの評価が良かろうと、贔屓してやる気などさらさら無いのだ。鋭い視線で自分を見据えるユフェトに、セリアは立ち上がりバッと頭を下げた。
何にしても、彼は自分に機会を与えてくれたのだから。そのお陰で、もしかしたら候補生として残れるかもしれない。国への忠義を、自分の夢見た形で示せるかもしれない。
厳しくこちらを睨むユフェトを他所に、セリアの心はそんな想いで満ちていた。
「……とりあえず、首の皮一枚繋がった訳だ」
食堂で話を聞きながらちぎったパンを口に放り込むイアンに、セリアも緊張が解けた状態のまま頷く。
「よかったぁ。無条件で追い出されなくて」
ホッと胸を撫で下ろすセリアに、透かさず冷めた声が投げかけられた。
「結果を出さなければ、同じ事だ」
浮かれている暇などない、との厳しいお言葉に、セリアはムッと相手を見返す。
「わ、解ってるわよそれくらい」
「ほぅ。そうは見えないが。その締まりのない顔で、どれほどの事が出来るか見物だな」
そ、そんな情けない顔をしていたのだろうか。とセリアは自分の頬に触れてみる。確かに、試験を受けられると聞いて少し気が緩んだのは事実だが。けれど、これはあんまりな言い方ではないだろうか。
そう思って言い返そうと口を開いた瞬間、背後から響いた怒鳴り声に、セリアもグッと言葉を飲み込んだ。
「何だと!もう一度言ってみろ!!」
「おう、何や。本当の事言われて気に障ったんか?」
「貴様っ……!」
鋭く睨みつけるが、それをまるで気にしないかの様にあしらうクリーム色の髪の青年に、片方は更に気分を害したようだ。
グッと唇を噛んでいると、集まった視線に気付いた彼が口の端を吊り上げる。それまで分が悪そうに俯かせていた顔を上げると、まるで見せつけるかの様に声を張り上げた。
「お前のような身分の者が候補生の試験など、分不相応だと思わないのか?」
周りから注目を集めた男生徒がしてやったり、と言った風な表情で相手を見下ろすが、クリーム色の髪の青年はフンと鼻で笑う。
「そういう概念に囚われず、家柄に関係無く等しく機会を与えるっちゅうんがユフェト校長の意志やろ?」
「……そ、それは。しかし」
「それにや、食事の場で怒鳴り散らすお坊ちゃんも、そう褒められるもんやないで。それこそ、候補生に相応しいとは思わんけど」
ニヤリとした笑みと共に言われ、男子生徒はカッと顔を赤面させる。言い包められた事が悔しいのか、周りから上がる忍び笑いに耐えられなかったのか。逃げ出す様に背を向け、足早に食堂を去った。
後に残ったのは、彼と言い争っていた青年一人。
体躯は逞しく引き締まり、鍛え抜いた男の身体、という印象を与える。クリーム色の髪が、その男の端正な顔を際立たせていた。きっと人目を引くだろうその容姿だが、その中でも特に目立つのは彼の、瞳だ。
片方が退却したことで一応は集結したらしい言い合いに、周囲の意識も離れ出した。つい見入ってしまったセリアも、それに釣られるように顔を逸らす。
けれどその瞬間、クリーム色の髪の青年と視線がバッチリあってしまった。それと同時に、セリアは彼の瞳が二つの色を持つことに気付く。右はセピアだが、左がオリーブ色だ。
綺麗な色だな、などとセリアが一瞬その瞳に意識を取られると、それに気付いたらしい青年が、パチンと片目を瞬いてみせた。一般的に、男女間で交わされた場合には好意を表すとされるそれを見た途端、セリアも思わずギョッとして、慌てて視線を外す。
い、一体なんだったのだろう、今のは。
困惑したままチラリともう一度先程の方向を覗き見るが、彼は既にその場から姿を消していた。
試験は候補生になるならないに限らず、全ての男生徒が受けることになる。候補生になる気がなくとも、その能力の程を知られてしまう訳だ。そうなると、学園の中は自然と緊張した空気になり、何処でも勉学に励む生徒が目立つようになった。
その中には女生徒達の姿もある。試験の結果で、生徒は皆能力別にクラス分けされることが決まったからだろう。
苦手分野を克服しようとするもの。得意分野を更に伸ばそうとするもの。試験への望み方は様々だが、生徒達がこの急な改革に多少戸惑っていることは、言うまでもない。
「私達が候補生になれる訳ではないのに」
「そうは言っても、試験結果が今後に影響するのは変わらないでしょう」
「はぁ、嫌だわ。こんなこと、今まで無かったじゃない」
「でも、能力によって分けるというのは合理的だし、理解できるわ」
「……それもそうだけど」
不満の声も多少はあるものの、試験の実施事態に反対する者はない。その点は、生徒達の理解を得たと言える。
それよりも、目に見えて問題となっているのは……
「まったく、どうして僕達があんな者達と競わなければならないんだ」
「身分の違いを解っていないのか。ユフェト校長も、なんだってこんなことを」
「候補生になれたところで、マリオスに選ばれる筈もない。国に忠義を尽くすに相応しい者は、優れた家柄から生まれると、昔から決まっている」
長い時間をかけて植え付けられた偏見と、それによって育まれた貴族としてのプライドが、たった数日で改善される筈もなく。
所々でそんな会話がなされる間にも、試験は着々と進められて行った。
「そこまで!暫く休憩にします」
教師の声が響けば、睨み合っていた生徒二人が緊張を解いた。その間に、教師は一度その場を離れる。
突き付けていた剣先をランが下ろせば、相手の生徒は遠くに飛ばされた己の剣を慌てて拾う。自分に向けられた剣を見事に弾いたその実に優雅な動きを、セリアは他生徒達に交じって眺めていた。
『学科の試験は別として、君には教養一般も男生徒と同じ科目を受けて貰う事になる。君にとっては不利となるかもしれないが、平等にするためだ』
ユフェトの言葉を、セリアは悟られない程度に内心で大いに喜んだ。
不利どころか、あの忌々しい裁縫やら何やらの試験を受けなくていいなんて。しかも、その代わりに剣術や馬術が入って来るなんて。これ程自分にとって都合の良いことがあるだろうか。
「相変わらず、ランスロット様の剣はお美しい」
すぐ近くで上がった賞讃の声に、セリアもハッと我に返る。
「本当に、まるで無駄のないあの優雅な動き。あれこそまさに、上に立つ者のお姿だ」
「それに比べて、見たか?さっきのあの乱暴な剣さばきを」
嫌味な声が投げかけられた先に思わずセリアも視線を向ければ、あのクリーム色の髪の青年だ。
ーーまた、彼か……
オッドアイが特徴的な彼に、またもや他生徒達は批判的な目を向けた。
「勝ちはしたものの、試験はそれだけで評価される訳ではない。力で捩じ伏せるだなんて、美しさの欠片も無いやり方だ。やはり身分の差というものは出るのだな」
「仕方ないだろう。持って生まれた品が違うのだから」
「ああ、それはそうか」
クスクスと相手の神経を逆撫でするような忍び笑いの中、唐突にフンと鼻で笑う声が響いた。
「ここまで来て、今度は負け惜しみかいな」
「なっ!?」
「何か言うんは、そのお上品な剣とやらで、俺をひれ伏させてからにしたらどうや?まあ、他人を引き合いに出して、やっと陰口叩いとる奴に言うのも、酷っちゅうもんやけど」
「き、貴様!!」
言い返す言葉が見つからないのか、彼等は口を魚の様にパクパクと動かし、必死に声を絞り出そうとして失敗している。そして言い返せないと察したのか、バツが悪そうに舌打ちした。
「……まあ、ここには剣と裁縫用の針を間違えてくる様な者も居るようだからな。己の分を弁えない奴が居ても仕方ないか。まったく、女が剣を持った所で、碌でもないことにしかならないのは解っているのに」
彼としては、これ以上自分に矛先が向くのを避けるため、周りの意識の先を変えようとしたのだろう。けれど、彼は自分が可愛いのならば、絶対に口にすべきではない言葉を言ってしまった。
流石に見兼ねたランが一言制止の言葉を掛けようとした瞬間、横をユラリと影が通る。不味い! と直感的に手を伸ばすも、風に揺られた栗毛はランの指をすり抜けてしまった。
「どうせ結果は解っているのだから。女は屋敷の中に居れば……ひっ!」
それまで余裕げに言葉を並べ立てていた男生徒は、一瞬で鼻先に剣を突き付けられ短く悲鳴を上げる。気付けば、目の前には何時の間にそこに居たのか、鋭く自分を睨む栗毛の少女の姿があった。
「そこまで言うなら、今ここで勝負しなさい!」
「はっ?」
凄む少女の態度に、正気を取り戻した男生徒は呆れたような視線を投げかける。自分が、こんな地味な少女に負けるとは、露程も思っていないようだ。
対峙する彼等とは少し離れた場所で、その様子に苦笑する者が居た。
「ああ、やっちまった……」
「イアン。何故止めなかった」
「無茶言うなって」
それはそうだ。彼女が最も嫌う、女の権限を無視する偏見的な発言を、あの男生徒はしてしまったのだ。その彼に向かって行く、目が据わった状態のセリアを止めるなんて不可能だ。
周りを見渡せば、他の友人達も静かに事の成り行きを見守っている。勿論、全員勝負の行方など解り切っているが。
「好きにさせておけ」
「カール!」
「すぐに方がつく」
男生徒はセリアの挑戦を受ける事にしたらしい。目の前の少女を捩じ伏せる楽しみに、ニヤリと口の端を吊り上げている。先程、自分が軽蔑する相手に言い含められた男生徒にとって、目の前の少女の挑戦は都合の好い憂さ晴らしとなる筈、だったのだ。
お互い位置に立ち、剣を構えた。その様子を、生徒達は興味深げに眺める。
「始め」
適当に済ませれば良い、と男生徒が腕を突き出した瞬間、キンと甲高い音が辺りに響く。ハッとした時には遅く、手に走った衝撃のままに握っていたそれは弾き飛ばされてしまった。何が起こったと考える暇も無く、次にはギラリと光る刃が視界を掠める。
「うわっ!」
そう叫ぶと同時に、男生徒は後ろに飛び退き、そのまま盛大に転けてしまった。
頭が事態を処理する前に、再びスラリと剣が鼻先に突き付けられた。短く悲鳴を上げた男生徒は、目の前に立つセリアを見上げる。その立ち姿に、今までにない迫力を感じ取り、ゴクッと喉を鳴らした。
何をされるのだ、と身構えた男生徒を他所に、剣を下ろしたセリアは一言も述べずに背を向ける。それが己の敗北感を更に煽り、自尊心を手折られた男生徒は地に座ったままギリッと奥歯を噛み締めた。
「……なんや。五秒も持たせられんか」
ボソリとそんな言葉が呟かれたのを、予想外の結果にざわつく生徒達は誰も聞き取らなかったが。
「お帰り、セリア」
相手を二秒で叩きのめし戻ってきたセリアを、ルネの明るい声が迎える。けれど、少女はまだ不機嫌そうに眉を寄せていた。
「ほら、先生も戻って来たし。次はセリアでしょ?」
「……うん」
試験の再会を告げる教師に呼ばれたセリアは、己の試験の為にもう一度剣を握り直す。そして、自分の相手である、銀髪の青年の前に立った。
「肩ならし程度にはなっただろう」
「私は、そんな積もりで勝負したんじゃない」
決して、肩ならしなどと思っていない。自分は真剣だったのだ。
ムッとしてカールを見返せば、フンと鼻で笑われる。それに、セリアも途端に闘争心を燃やした。
「これは、面白い組み合わせじゃねえか」
「お二人とも、無茶をされなければ良いのですが」
頭に血が昇った今のセリアなら、どちらかが倒れるまでやりかねない。そんな風に候補生達が懸念する中、開始の合図が出された。
鋭い金属音と同時に、二つの影が相手を捉えようと地を蹴る。まるで二人の間で火花が散っているのでは、と疑いたく成る程、空気は緊迫していた。
小さな体が懐に攻め込む度、突き出される剣を弾く音が鳴る。
「……こんなものか?」
交わった剣の先から聞こえた声に、セリアはグッと手に力を加えた。
「まだ、まだ!」
剣を弾き返し、素早い動きで距離を詰める。が瞬時に相手が腕を振り上げた。次には視界の上から刃が降る。セリアはそれをすんでの所で防いだ。
「ぐっ!」
けれど、その重みに耐え切れず、思わず膝を地面に付く。
周りが息を呑むのが聞こえた。それと同時に終りの合図を出そうと教師が声を上げるのを気配で感じ取る。
負けるものか、と気合いを奮い立たせその剣を弾いた。無理な姿勢からの為か、その瞬間膝にピリっとした痛みが走るが、そんなことは関係無い。
途端に距離を取り、相手の動きを注視する。紫の瞳から伝わる気迫に、セリアはこれが最後の一撃になるだろうと覚悟し、腕を思い切り振った。
ピタリ、と刃がセリアの頬の横で制止する。それと同時に、カールの喉元に突き付けられた剣先も寸での所で止まった。
「そ、そこまで……」
数秒して漸く正気に戻った教師が合図を出せば、その剣は下ろされた。
周りの誰もが信じられない、と目を見開く。少女が直ぐに捩じ伏せられるだろう、という予想は裏切られたのだ。驚く瞳の中、違う結果を予測していた候補生達以外にもう一双、冷静な瞳があった。色の違う二つの瞳は、心底面白いものを見たように細められている。
「あっ!セリア、血が……」
「へっ?」
剣を下ろして友人達の元へ戻った途端、ルネに言われその視線を追えば、僅かに布が紅く染まった膝元。恐らく、先程の試合の時に擦りむいたのだろう。まあ大して痛みも無いし、この程度なら放って置いても勝手に治る。
平気だよ、とセリアが述べようとした瞬間、浮遊感に襲われその言葉は短い悲鳴に変わった。
「ひえっ!」
「彼女を医務室まで運びます」
セリアを軽々と抱き上げたカールが告げれば、その威圧感に気圧されたのか。辿々しくだが教師から許可が出された。
歩き出すカールに焦り、セリアは抱き上げられた状態から慌てて抜け出そうとする。
「カール!お、下ろして」
「煩い。大人しくしていろ」
「平気だってば。一人で歩けるよ」
「騒ぐなと言っているのが聞こえないのか」
ジロリと冷めた瞳で睨まれ、セリアはグッと閉口した。けれど、これでは晒しものではないか。そもそも、そんな大した怪我でも無いのだから、こんな風に運ばれる必要など皆無なのだが。
内心で幾ら叫ぼうと、魔王様が聞き入れて下さる筈もなく。セリアはそのままカールが医務室まで辿り着くのを静かに耐えるしかなかった。
ホンマに、あのお嬢ちゃんは見てて飽きんのう。ちょっとからかっただけで、すぐに牙を剥きおった。まあ、山猫を手懐けるんは慣れとるけどな。
まあ、お互いお仲間同士や。仲良うせんか?




