始まり 3
「へー……そんな事件が……」
ラン達がセリアに事件の噂の説明をしているのは、いつもの温室である。
あの後、学園に戻り医務室に寝泊まりしている養護教諭に診察を頼んだセリアは、打撲と判断された。骨に異常は無く大事には至らないが、暫くは無理をするなと言われ、今は湿布の上に包帯が巻かれている。
事件に巻き込まれたにも関わらず、呑気に返したセリアに、ラン達はどうしたものかと頭を抱える。噂がなくとも、女生徒が夜、あのような場所にいる事はよろしくないというのに。もう少し警戒心を持てないものだろうか。
「セリア。僕たち本当に心配したんだよ」
「うっ…どうも、ご迷惑おかけしました」
あの後、何度か謝られたのだが、それよりも、その無防備を直して欲しいのだと、彼女は分かっているのだろうか。恐らく、分かってはいないだろう。
「その事件って、今まで何人が被害にあってるの?」
「そうですね……確か、八人だったと思います。セリア殿で九人目ですね」
知らなかった。街ではそんな事件が起こっていたのか。あの時、逃げるのに必死で顔がよく見えなかった事が悔しい。学園内にいれば安全であろううが、そんな噂を聞いて放って置くのも気が引ける。どうしたものか。
なんとか出来ないかと、少し考え込んだセリアは、ふと名案を思いついた。それを元に策を練るが、我ながらなかなかいけるアイデアである。
しばらく思い悩む風を見せたセリアに、やっと理解したか、と安堵したイアン達だが、突然セリアの顔が明るくなったので不審に思った。少し様子を見ていれば、何やら考えたりブツブツ言ったりで、かなり怪しい。
「お前、何考えてんだ」
すっかり自分の世界に入り込んだセリアに問いかければ、びくりと反応した。なんだか嫌な予感がするが、一応聞いてみる。
「な、なんでもない!」
首と手を一生懸命振って、何もない事を表そうとしているが、それでは逆に何かありますと言っているような物である。
「まさか、余計な事に首突っ込もうとしてるんじゃないだろうな」
「ま、まさか……滅相もない」
分かりやすい反応だ。普通あんな目に遭えば、誰でも恐れてこれ以上関わろうとはしないだろうに。
「セリア。分かっているとは思うが。この件は忘れて、君は肩の治療に専念するんだ。良いか?」
「………」
何を考えているのかは分からないが、念のため釘を刺しておく。だが、ランの問いかけにセリアは頷かない。ランが再度問いかけるが、やはり肯定の答えはいつまで待っても返っては来なかった。
「……よし。誰も居ない」
その日の夜、女子寮を抜け出し、コソコソと校門の前まで来たセリアは、人影が無い事に安堵していた。どうやら、ここまでは誰にも見つからずに来れたようだ。大人しくしていろと言われたが、それを素直に聞くようなセリアではない。
校門を出てしまえばもう大丈夫だろうと、外へ出た。
今セリアは制服ではなく、私服を着ている。髪も三つ編みにしているので、犯人も昨日の相手だとは気付くまい。と思っているのはセリアだけなのだが、それを彼女が知る事は無いだろう。
彼女の作戦とは単純明快。自分が囮になる事。あまりにも分かりやす過ぎる。
まるで無計画に見えるが、セリアも一応考えていた。コートで隠された腰には、こっそり稽古場から拝借した真剣がさしてある。自分が相手を押さえ込めれば申し分ないが、今は肩を負傷しているため苦戦する可能性もある。しかし、相手の顔さえ確認出来れば、それで良い。
怪我が治るまで待てば良いものを、早く犯人を捕らえたい、という思いが彼女を突き動かした。
セリアがまず向かったのは昨日自分が襲われた場所だ。二日連続で同じ場所には来ないだろう、と思いはしたが、他に宛もないので取り敢えず此処に来てみる。というより、昨日の今日で犯人が出没するだろうか、という考えは無いらしい。
いざ来てみると、やはり灯りが少ない為、視界が悪い。
街灯等の設備の取り付けに不十分な点が無いかも治安維持の課題の一つになるな。等と考えていたセリアの後ろに立つ影があった。ゆっくりと近付く影は、昨日と同じように長い棒状の物を握っている。
息を殺して背後に迫り、棒を握った腕を振り下ろした。
だが、次に棒が強打したのはただの道路。餌食になる筈の少女の姿が無い。
影がそう理解した瞬間、スラリとした刃が自分に向けられたので、咄嗟に腕を振って棒で防いだ。金属がぶつかり合う音がして後ろに飛び前を見ると、真剣を左手に構えた三つ編みの少女がいた。
「チッ!」
舌打ちをして地面を蹴る。少女に攻撃を仕掛けるが、素早い動きで躱された。最初こそ互角に見えたが、向こうは体力が無いのか、段々とその動きも鈍くなってきているのが伺える。
セリアは焦っていた。利き腕と反対の手で対峙している為、相手に一撃も入らない。しかも、右肩を気遣いながらの攻防なので、思った以上に体力を消費する。相手もそれを読み取ったのか、右側への攻撃が多くなった。利き腕での戦闘だったならば、何の問題もなく撃沈出来たのであろうが。しかし後悔しても、もう遅い。
「あっ!」
攻撃を防いでいて痺れ始めた左手に、重い一撃が入った事で剣が弾き飛ばされてしまった。まずい、と思うが、取りに行っている暇は無いだろう。仕方なく攻撃を躱す事に専念する。本来の目的であった犯人の顔も、暗闇のせいか、それとも隠しているのか、はっきりとは見えない。
最初こそ身軽に攻撃を避けていたセリアだが、右腕に衝撃が走った事で形成が逆転した。転がった時に腕をついてしまった様だ。ジワリと浸透するような痛みに顔を歪めると、見えない筈の相手の顔がニヤリと笑ったような気がした。
昨日のように確実に壁際へ追い込まれている。焦り出した思考を必死に押さえようとするが、相手の攻撃は容赦無く降り掛かる。
背後に壁の存在を感じ、とうとう逃げ場を失ったセリアが前を見れば、丁度棒が振り下ろされる寸前だった。
近付いて来るそれをなす術もなく眺めていたセリアだが、次の瞬間感じたのは衝撃ではなく、一陣の風。次に目に飛び込んだのは、吹き飛ぶ影とそれを蹴り飛ばしたと思われる足。そして揺れる長い赤髪だった。
「……ザウル!!」
影を蹴り飛ばした人物の名前を呼べば、彼は優しく微笑んだ。
「セリア殿。ご無事ですか?」
小さく頷けば、彼は心底安心したように目を細める。しかし、すぐにまた地を蹴り、気付けば、なんと逃げようとする影の顎を蹴り上げていた。
「セリア!」
怒気を含んだ声で呼ばれれば、そこには予想通りの顔ぶれがこちらを見下ろしていた。
「お前、俺達が言った事聞いてなかったのか!」
「この件には関わるなと忠告した筈だ」
「セリア、無理はしないでって言ったのに」
唯一労りの言葉を掛けてくれたルネだが、瞳は怒っている。
セリアが返す言葉も無く俯いていると遠くで男性の押し殺した様な悲鳴が聞こえた。思わず振り向くと、ザウルが影を取り押さえている所であった。穏やかそうで、細身の彼からは想像もつかない光景だ。
「相変わらず、見事だな」
「恐れ入ります。彼はどうしましょう」
カールは未だ抵抗を止めない影を一瞥すると、冷たくあしらった。
「近くの駐在所にでも放り込んでおけば良いだろう」
「了解しました」
影を引きずるザウルを、イアンが手伝うと言って二人は裏道の奥へ消えて行った。
それを見届けたカールは、今まで見た中で一番冷たい表情でセリアを見下ろす。
「さて。貴様にはまだ幾つか聞きたい事がある」
ギョロリと睨まれセリアは「ひいぃっ」と息を飲むが、睨みは止まない。
視線だけで人を殺せるのでは、と思う程冷たい空気を纏ったカールをルネが宥めた。
「まあ、セリアも今日は疲れてるだろうし。お説教は明日の放課後で良いんじゃない。セリアも温室に気てくれるよね」
質問しているようだが、声は命令しているようにしか聞こえない。どうしても、断る事は出来ないだろう。
助かったと思ったのは最初だけ。まるで、死刑宣告を言い渡されたような気分だ。しぶしぶルネに頷くと、彼は相変わらずの笑みを向けて来たが、今はどう見ても悪魔の微笑みにしか見えない。
カールもランも、取り敢えず納得したのか、言いたい事は明日まで停めておく事にした。
ほっと息を吐いて立ち上がったセリアだが、瞬時に浮遊感に襲われた。と思った時にはランに抱き抱えられていた。
「えっ?」
「とにかく、学園へ戻ろう」
さも当然といった風に持ち上げられたが、全くこの状況に付いて行けない。いきなり何をするんだ。
「ラン。歩けるから降ろして」
「君は怪我をしているんだ。無理はしない方が良い」
怪我といっても肩だけであって歩くのには何の支障もない筈である。
確かに、先程まで張りつめていた緊張が解けて、広がった疲労感は否めない。だが、この密着感に落ち着かないのも事実で、どちらかと言えば自力で歩きたい。
ランは自分の腕の中で、青くなったり、考え込んだりを繰り返すセリアに少々複雑な気持ちになるが、勿論降ろすつもりは無い。そもそも、彼女には昼間きつく言ったにも関わらず、何故こんな事をしているのだ。念のため校門を見張っていて良かった。
彼等は窓から見えた、校門を出て行く影に、それが彼女だとすぐに察し追跡したのだ。途中見失ってしまったが、ラン達もセリアと同じ考えで昨日の場所へ行った。着いてみて真っ先に遭遇したのはあの現場。もう少し駆けつけるのが遅かったらと思うと冷や汗が出る。
あれこれと考えを廻らせていれば、急に大人しくなった少女を不思議に思って腕の中を見やると、穏やかな顔をして寝息を立てていた。
予想もしていなかった事態に逆に驚く。
特に何かやましい事を考えていた訳では無い。だが、普通異性と密着していればこの歳の娘は相手が誰であろうが少なからず緊張するだろう。それなのに、これほど無防備な姿を晒すなど、年頃の娘としてはどうなのだろう。
先程とは違う事をあれこれと思い悩んだ末、ランはセリアの疲労が限界に達したのだろう、と結論づけ、それ以上は考えないことにした。
次の日、指定された通り温室へその足を向けたセリアだが、早くも帰りたい気持ちでいっぱいであった。
入った途端、イアンに出入り口を塞がれ、ルネに部屋の真ん中に位置されていた椅子に座らされた。何故ここに椅子が置かれているかは聞くまでもないだろう。いつもの和やかな空気は砕片もなく、ピリピリと突き刺さってきそうである。まるで裁判にでもかけられているようだ。
「この件は忘れろと言ったのを覚えているか」
「はい…」
「関わるなと言ったのも覚えているな」
「…一応……」
ジロリと睨んでくるランに、自然とセリアの返事も歯切れが悪くなる。
ランがため息を吐くと、今度はイアンが口を開いた。
「一昨日襲われた時、怪我の所為でまともに逃げられなかったよなぁ」
「……はい」
「昨日肩は?」
「……治って、ませんでした」
イアンが終わると今度はザウルが立ち上がった。
「門限後の校外への外出は規則で禁じられています。ご存知ですよね」
「…それは……」
「学園側に知られれば、謹慎処分もあり得るのですよ」
「……」
「まあ、それは自分も同じなのですが」
「……はあ」
ザウルからも厳しい視線を頂戴したが、セリアには反論する余地もない。
ザウル達がこの事を未だ報告しないのは、決して我が身可愛さからではない。何かと優遇され、学園側からもそれなりの信頼を得ている自分達と違い、彼女は一般生徒であり、しかも女子だ。夢がある、と語った彼女にとって処分は、たとえ自分の責とはいえ、相当きつい物があるだろう。
「もうそれくらいにしたら? セリアだって反省してるし、この通り無事だし」
俯き加減のセリアに、ルネが助け舟を出す。だが、他は納得していない様子で、ランが口を挟んだ。
「しかし、彼女の行動が無謀だと言える物であった事は事実だ」
「でも。私だって一応考えて……」
すかさず反論しようとしたが、睨み返されて言葉に詰まった。
「なら、その考えとやらを聞こうじゃねぇか。よっぽど周到に練られた策なんだろうな」
「いや…その……
行って、見つけて、捕まえる。とか。行って、見つけて、逃げる。とか?」
「………………」
数秒の沈黙の後、聞こえたのは全員で揃えた様に吐き出されたため息。
「……君はもう少し思慮深い女性だと思っていたのだが」
心底残念そうな声色の言葉に、セリアもいたたまれなくなって思わず立ち上がる。
「一度だけに留まらず、二度も迷惑かけたのは分かってる。その事は本当に申し訳ないと思ってる。でも、やっぱり放っておけなくて…」
「…………」
「どれだけ自分が考え無しだったかも分かってる。でも、巻き込まれたのは自分なんだし、じっとしているのは……」
襲われるまでは噂さえ知らなかった自分だが、実際被害にあって少なからず恐怖を感じたのだ。同じ事件がこれからも起こるとしたら、やはり何か出来ることがあるのならばやりたいと思った。そもそも、あの場で犯人の顔さえ見えなかったのが悔しかったのだ。
「それで威勢をはって軽卒な行動に出たわけか」
それまで黙って聞いていたカールが一歩前に出た。昨日と変わらず冷たい視線で見下ろされ、思わず怯んでしまう。
「奏功する確証もなく、ただ闇雲に行動するなど、とんだ愚行だな」
「…………」
思わず俯きそうになるが、セリアをそれをぐっと堪え、決して目を逸らさない。カールの意見はもっともなのだ。それに、彼等が来てくれていなかったら、実際どうなっていたか分からない。
「お前は、もっと冷静に物事を対処する術を覚える事だ」
急に温かくなった声に、はっと気付けば、いくらか優しくなった視線。それでも、柔らかな視線とは程遠いが。他の四人の空気も穏やかになっている。
「まあ、ルネの言う通り、お前は無事だったんだしな」
そういって頭を撫でたイアンも、優しく微笑んでくれている。その事に安堵が広がり、自然に言葉が出た。
「ごめん……」
今度は、セリアを責める者はこの温室には誰一人としていなかった。
「なぁ……」
「何だ」
夕方になる頃、イアンが声を出した。今セリアは、湿布を変える為、医務室へ行っている。それにザウルが付き添っているので、温室に残っているのはラン、カール、ルネ、そしてイアンの四人だ。
「あれも、あいつの国を想っての行動なんだよな」
「……そうだな。国というよりは、他者といった方が良いかもしれないが」
セリアの力説を聞いて、もう彼女を咎める気は無くなっていた。確かに、やり方は浅はかで、とても賛同できる物ではなかったが、それも他者を想う故の無鉄砲さ。
いずれ、国の未来を背負うかもしれない立場にいる自分達にとって、彼女のような存在は、非常に嬉しいものである。それが、彼等の糧となり、守る者となるから。
強く示された彼女の国への気持ちに、やはり彼女は他とは違う存在だと、再度認識したマリオス候補生達であった。