邂逅 2
カタカタと馬車を揺らしていた振動が止むと、横で扉が開かれた。それを前にセリアも覚悟を決め一歩外へ出る。途端、目の前に広がる眩いばかりの光と色彩。鮮やかなドレスに身を包んだ淑女達と、彼女達に随伴する紳士達が、その場を一層輝かせていた。彼女達の淑やかな笑い声に混じり、流れる円舞曲の音色が舞う。
一夜限りの夢の場は、自分を迎え入れてくれるのか、それとも弾き返そうとするのか。何はともあれ、もう後戻りする積もりはない。
周りから集まる視線に気付きながら、青年はホールの中を落ち着いた歩調で進んでいた。すでに盛り上がりを見せる会場は、人々の笑い声や話し声で溢れかえっている。
時折声を掛けてくる令嬢を丁寧に断りながら、ザウルは目的の人物達を視線で探していた。
「おい。ザウル」
「……こちらでしたか」
視線を彷徨わせていたところで肩を叩かれ振り向いた先には、思った通りの声の主。礼装姿で笑む友人の横には、ただし他の誰も居なかった。
「ラン達は?」
「さあな。まだ来てないんじゃないか?」
「そうですか」
どうやら、探していた者達はまだこの場に到着していないらしい。とりあえず、一人でも見付けたことにザウルはホッと安堵する。
「ああ。ところで、セリア見なかったか?」
「セリア殿ですか?もういらしてるので?」
「その筈なんだけどな」
言われて視線を横に向けるイアンに習い、ザウルは反対の方向に目を走らせる。
セリアがもうこの場に居るのなら、早めに探し出した方が良い。本人は隠していたが、最後まで不安は残っていたようだし。何より、誰もが浮き足立つこのような場に一人にして、変な虫でもつけばことだ。
とはいえ、自分達は今夜の彼女の姿を知らない。彼女を手伝っていたらしいレディ・カレンに、楽しみにとっておけと、殆ど締め出しを食らっていたから。
豪華に飾り立てられた貴婦人達の中に、ザウル達は唯一の手がかりである、慣れしたんだ栗毛を捜す。
そして彷徨う視線の先にふと、目に留まる後姿を見付けた。
ホールの壁際に佇み、見覚えのある栗毛は右側に結い上げられ、余った幾筋かが肩に流れている。その髪を追えば、自然と目に入ってしまう白い項。華奢な肩を強調するかのように、細い線を描く首筋の下は、淡い桃色のドレスが覆っていた。
隣のイアンも同じ姿が目に留まったのだろう、怪訝な瞳を自分に向ける。その気持ちは良く解るが。
背格好や身長は、やはり自分達がよく知った人物のものに似ている。けれど、その後姿からは自分達の知らない、普通の娘が持つ可憐さが漂っていた。
背を向けている為、本人かの確認が出来ない。かといって、このままここで突っ立っている訳にもいかず、ザウルとイアンはゆっくりと足を向ける。
直ぐにその距離は詰まり、軽く声を掛けるだけで彼女には十分聞こえるだろう。けれど、それを何処かで躊躇してしまう自分にザウルは気付いた。
何を躊躇うことがあるだろうか。それがセリアでないなら、自分達はさっさと彼女を見つけ出さねばならないのだ。ならば自分のするべきことは、こうしてなんと声を掛けてよいか悩むことではない筈なのに。
けれど、普段は見せない女性の雰囲気を匂わせるその立ち姿に、無意識にでもセリアの姿が重なる。それが本人であって欲しいと自分が望んでいるのか、まさかと疑っているのか。それすら解らない。
二人の青年が声を出せないでいる内に、背後に気配を感じたのだろう、少女がゆっくりと振り向いた。
「あっ、よかった。やっと見付けた」
「っ!!」
振り向いたその姿に、ザウルは息が詰まった。
淡い桃色のドレスに彩られ、そこに立っていたのは地味な少女ではなく、間違いなく年頃の娘。
先ほどから目が離せない首筋から少し視線を落とせば、ドレスらしく開いた胸元。普段は学園の制服にしっかりと隠されたそこは、今ばかりはその下の膨らみを主張している。
僅かに香る香水に混じり漂うのは間違いなく色香で、軽い眩暈すら覚えた。
紅を引かれた唇は、うっすらと開いていてまるで果実を思わせる。ほんのりと色付く頬も、なんといじらしく可憐なのだろうか。
「ごめんなさい。ちょっと遅れて。その、姉様に確認してもらってたら、色々とあって……」
小首を傾げながら少女が微笑む。その途端、心臓が喉元までせり上がってきたかのように、耳のすぐ近くで激しく脈打つ音が聞こえた。
目の前の友人達の様子が可笑しいことに気付いたのだろうか。セリアが大丈夫か、と心配した風に言葉を掛ける。それにビクリと肩を揺らしたザウルは、何か反応を返さねばと焦るが、カラカラに乾いた喉が声を発することを拒否する。目を逸らそうとしても、自分の身体がまるで意思を持ったかのように視線を離そうとしない。
まるで、見えない鎖に繋がれたかのように錯覚したザウルだが、瞬間、横から空気の揺れを感じ我に返る。ハッと首をそちらに向ければ、同じように放心した表情のイアン。けれど、その拳は僅かに震えていた。それと同時に、大きく見開かれた赤の瞳が、まるで黒に侵食されるかのように何かに染まっていく。
瞬時にまずいと悟った。同じ女を愛したからこそ気付くことの出来る、目の前の少女に向けられる彼の熱。そして、それを押さえ込む彼の限界。
「イアン……どうしたの?」
動かない友人を心配したのだろう、少女の手がゆっくりと近付く。その瞬間、ザウルは我も忘れて咄嗟に手を伸ばした。
パシッとその手首を掴まれ、セリアはへっ?と驚きに目を見開く。掴まれた腕の先を追えば、まるで止めろと叫ぶかのように、揺れる琥珀。
今まで殆ど感情のぶれを見せなかった瞳が激しく動揺を表していることに、セリアは思い切り戸惑った。
いったい、どうしたというのだ。イアンもザウルも、先ほどから一言も話さないし、こちらを見詰めたまま動こうともしない。もしや、余程自分の格好が可笑しいのだろうか。ああ、だからカレンには無理な装いは嫌だと言ったのに。
「わぁっ!セリア。綺麗」
とても気まずい雰囲気が走ったその場を、全てを吹き飛ばす勢いの明るい声が響いた。固まったイアンとザウルをそのままにセリアが振り向けば、ランとカールを連れたルネがにっこりと微笑んでいる。その姿たるやまさに天使。礼装に包まれた姿は、この煌びやかな大舞台の中でも一層輝いて見えた。
「セリア。すっごく綺麗だよ。レディ・カレンが頑張ったんだね」
「あ、ありがとう」
カレンの名を聞いた途端、退院早々連れ回され、散々弄くり回された、あの苦痛の時間を思い出しセリアは思わず乾いた笑いが漏れる。そして、十分に楽しんだらしいカレンは、上機嫌でニコニコと微笑みながら着飾ったセリアの姿を絶賛していた。
「……それで、お前達は一体何をしている」
ルネの後ろから冷めた瞳が見つめた先をセリアも追えば、未だザウルにしっかりと掴まれた手首。ザウルもそこでハッと我に返ったように慌ててその手を離した。
「も、申し訳ありません。これは、その……」
まるで答えを求めるように、琥珀の瞳が僅かに彷徨う。けれど、その瞳が何を捉える前に肩が軽く叩かれた。
「なんでもねえよ。この人混みで、俺達も今コイツを見付けたところなんだ」
いつもとなんら変わらぬ口調。まるで何事もなかったかのように振舞うイアンに、彼の先ほどまでの動揺を知らぬ者達は納得する。
「セリア。とても似合っている。ルネの言葉を借りるようだが、本当に綺麗だ」
「は、はぁ。ランも、いつも以上に綺麗だね」
そんな麗しい、どこぞの御伽噺から抜け出してきた王子様のような姿で容姿を褒められても、なんだか説得力のないような気もする。とはいえ、一応自分の格好も可笑しくはないようだとセリアもホッとした。
「フン。馬子にも衣装とは、よく言ったものだな」
和みかけていた場に、そんな言葉が聞こえたものだから次の瞬間、そこは戦場に変わる。
「カール。お前は女性に対する礼儀を弁えたらどうだ」
「本当のことを言って何が悪い」
「言葉を選べと言っているんだ」
「それは、相手によるな」
こんな所にも関わらず、この二人は下らない言い合いをしなければ気が済まないらしい。話の中心人物であるセリアも、これでは貶されているのか、褒められているか解ったものではない。
睨み合う二人の間でルネとセリアが仲裁しようかと声を掛ける。そのすぐ隣でザウルがチラリと横に視線を向ければ、友人達から視線を逸らしたまま動こうとしない、もう一人の姿。顔が若干俯いている為、その瞳が今何色に染まっているのか確認が出来ない。
「イアン……」
「………………今は、何も言うな。頼む」
まるでその苦しみが伝わってくるかのように、搾り出された声を耳が拾う。それに、ザウルも思わず表情を崩した。
「悪いな……助かった」
「いえ。自分は、何も……」
むしろ、必死なのはイアンの方ではないか。そう言おうとするが、まるで周りの全てを拒絶するかのようなイアンの雰囲気に、結局ザウルは何も言葉を出せなかった。
きらびやかな宴の場の一角に、一層輝く青年達と、彼等に囲まれた一人の少女が微笑む様を見た男は、ニヤリとほくそ笑んだ。
周りの客達が談笑している場よりも数段高い位置に設けられた豪華な椅子に、その男は座っている。
国の最高君主のみが座ることを許されたその椅子から、目的の者が揃ったことを確認すると、男はゆっくりと視線を横にずらす。その視線を、待っていたかのように受け取った蜂蜜色の瞳を持つ青のローブは、心得たとばかりに静かに頷いた。
「……ほぉ。これは珍しい客が居るな」
唐突に背後から聞こえた声に、候補生達は一瞬で動きを止めた。
目の前で表情を消した友人の反応から、自分の真後ろに誰が立ったのかを察したセリアも、己の顔から血の気が失せるのを感じる。
「お久しぶりです ……ヴィタリー殿下」
カールの落ち着いた声に、セリアも息の飲んだ。グッと拳を握り振り返れば、国王の実の弟であり、同時に現在王位継承権第一位である男が、ニヤリとした笑みを浮かべ立っていた。
「今、多くの期待を寄せるマリオス候補生が勢揃いとは。最後に会ったのは、フロース学園訪問以来だったか」
「殿下につきましては、お変わりないご様子で」
軽く頭を下げるカールに、ヴィタリーも視線を移す。
「ローゼンタール家の嫡男か。この間は、折角の婚約の筈が災難だったな」
「その件につきましては、ご迷惑をおかけしてしまったことに、改めて謝罪を」
涼しい顔のヴィタリーに、セリアはつうっと背中に汗が流れるのを感じた。理由は分からないが、まるでとんでもないものを前にしているように錯覚する。その顔に未だに張り付いている、嫌な笑みから目が離せない。
「それで、これが噂の、新たに候補生となった娘か」
「……!!」
まるで睨むかのような鋭い視線が向けられ、セリアはハッと我に返る。
「初めまして。セリア・ベアリットと申します」
「国の要となるだろう存在があることは喜ばしいな。それがいずれ、我が兄の力となるのだから」
口ではそう言いつつも、そこから感じ取れる雰囲気は、決して穏やかなものではない。品定めをするかのようにジロジロと上から下まで見詰められ、居心地が悪い。その裏で何を思っているのかは解らないが、何か冷たいものを感じさせる。
「噂では、とても勇ましいお嬢さんだと聞いているが」
「い、いえ。そんな」
「とくに、危険も省みず、己の身を賭す覚悟の姿勢とか」
ニヤリと笑みを深くしたヴィタリーの真意を計り切れず、セリアは思わず瞳を強める。強気な姿勢を見せたセリアに、ヴィタリーは嘲笑うかのような言葉を続けた。
「候補生になるほどの忠誠心は立派だが、ほどほどにしておくがいい。いつか、その身を地獄の業火に焼かれたくなければ」
「な、なにを……」
まるで絡み取られるようなヴィタリーの視線は、蛇のそれに似ているかもしれない。その瞳から、セリアは逃れることも、視線を逸らすことも叶わなかった。
「女の身で、その大事な体にこれ以上傷を残したくはないだろう」
「あっ!あなたは……」
強く出そうになった言葉は、けれどグイッと腕を引かれ喉の奥に引っ込む。ハッと見れば、赤い瞳がまるで炎を纏ったかのように揺らめいていた。
「殿下。あまり、これをからかうのはご遠慮戴きたい」
「フン。オズワルドか」
セリアを押さえたイアンに続き、周りで緊張感を高める候補生達に、ヴィタリーは心底面白くないものを見たように表情を歪めた。
イアンに腕を引かれ、出そうになった声を飲み込んだものの、セリアは腹の底から何かがせり上がって来るのを抑えられなかった。
グッと何かを決意したように顔を上げ、候補生達には悪いと思いながらも、スッと一歩ヴィタリーに近づく。
「お言葉ですが、殿下」
強気に反抗の意思を瞳に秘めた娘に、周りの視線が集中する。それを候補生達が止める暇もなく、セリアは口を開いていた。
「国への忠誠は、国に仕える立場を自覚する者ならば必ず持つ心です。殿下も、それはよく解っておいでの筈では?」
瞬間、その場がピシリと音をたてて凍りついた。その元凶を作ったセリア自身、言ってしまったと冷や汗を流すものの、後悔はしない。そのまま、強く目の前の相手を見据えながら次の動きを待つ。
非力に見える少女からの思わぬ反撃に、ヴィタリーは途端に眉間に皺を寄せた。プライドを傷付けられた事実に拳がわなわなと震え、顔には血の気が溜まっていく。
――この小娘!!
暗い怒りが噴出すその瞬間、目の前に青が広がりヴィタリーもギリッと奥歯を噛んだ。
「そこを退け!ジークフリード」
「申し訳ありませんが。彼等は我が主の招待客。我等には、その身の責任があります」
突然目の前に立ち塞がった青のローブに、セリアは目を見開いた。それは、この王宮内において、マリオスの座に着く者のみが許された物。それが、今視界一杯に広がっているのだから。
ジークフリードって……
まさか、あの人がここで出て来るなんて思わなかったよ。それにしても、あんなに凄いマリオス様が、セリアに一体何の用だろう。報告の為だけに、彼が出て来る必要なんて無い筈なのに。
だとしたら、一体どうして……