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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第二章 磨かれる原石〜
72/171

打算 6

 目の前に突き出された銃の引き金に指が掛かるのを見て、セリアは瞳をグッと強く閉じた。

 そのままヨークの手によって飛び出した銃弾は確実に少女を貫く、筈だった。

 

 けれどその瞬間、横から上がった嗎と衝撃に双方バランスを崩す。我が主に害なす者に容赦なく蹄を叩き付けるべく、ヴァーゴが大きく上体を起こしたのだ。そして、主を守るようにヨークとセリアの間で前足を踏み暴れる。


 突然の事に対応しきれなかったヨークは、セリアに向かって放つ筈だった弾を、全く別の方向へ向けて撃ってしまった。派手な破裂音と僅かな衝撃の後、その銃弾は厩舎の壁を貫通するだけに終わる。けれどその発砲音は、夜の静まり返った学園の敷地内ではよく響いた。

 それは、学園内の全てに全神経を向けている候補生達にも当然伝わる。それが、彼等をここへ招く結果に終わるのはヨークにも解った。


「くっ!また、邪魔を……」


 心底忌々しげに吐き捨てると、せめてあの少女だけは、と最後にもう一度照準をセリアに向ける。けれど、それは再び妨害された。


「セリア!!」

「そこに居るのか!?」

 厩舎の扉をぶち破る勢いで、候補生達が飛び込んで来たのだ。流石の事に、ヨークも己の分の悪さを自覚する。

 もうこうなっては、全てをぶち壊しにした少女に報復している余裕などある筈もなかった。咄嗟に近くの馬の鬣を掴みその背に飛び乗る。そして迷わずその腹を蹴った。



「先生!!」


 反対の扉から逃げ出すヨークの背に、セリアは咄嗟に叫んだ。けれどその瞬間、腹部に強烈な痛みが走る。グッと息が詰まり、急な衝撃に思わず床に膝をついた。

 まさか、傷口が開いたのでは? と焦った候補生達が駆け寄るが、セリアはその腕をすり抜け、腹部を強く抑えながら必死に厩舎の扉へ向かう。その瞳は、既に見えなくなり始める背を未だに追っていた。

「先生!ヨーク先生!!」

「おい、やめろって!傷に……」

「だって、だって先生が!」


 子供が駄々を捏ねる様に、ヨークの名を叫ぶセリアに候補生達も困惑する。けれど彼等も己に課せられた役目を忘れた訳ではなく、すぐに立ち上がった。

「追います」

「僕も行くよ!」

 ザウルが自分の馬に飛び乗ると、それに続いてルネも馬の腹を蹴り、ヨークの消えた後を追った。その背にセリアも手を伸ばすが、それをイアンとランが許すはずもない。

「離して!私も行く!」

「いい加減にしろ!お前はダメだ!」

「だって、ヨーク先生が!……あっ!!」

 大声を出した事が傷に響いたのか、再び腹部を押さえ、今度こそセリアは小さく踞った。それにラン達も動揺し、すぐに病院へ運ぼうと判断する。それでもセリアはまだ抵抗を止めなかった。


 弱った身体で未だ抗う姿に痺れを切らしたのか、流れる銀髪が暴れる少女にズカズカと歩み寄ると、その細い腕を捻り上げた。勿論加減されているが、加わった僅かな痛みにセリアは仕方なく動きを止める。そして、瞬時に凍り付いた。バッと振り返った先では、周りを一気に凍結させる勢いで、バイオレットの瞳がこちらを睨みつけたのだ。


「……頭を冷やせ」

 言われた通り、脳が凍るのではと思う程の冷たい声に、セリアもグッと口を閉じる。抗う力を失った腕を離され、その場に崩れ落ちた。

「おい!幾ら何でもやり過ぎだ!」

「煩い。さっさとその愚か者を連れて行け!」

 非難される謂れはないとばかりにカールは吐き捨てる。その姿は正にご立腹の一言につき、相当お怒りだということは誰にでも解った。


 確かにここはセリアを病院に連れて行く方が先だ、とランはセリアを抱え上げる。腕の中の少女は、傷が相当痛むのか、額に脂汗を流しながら顔を苦痛に歪めていた。そんな状態でありながら、この少女は彼を追おうとしていたのか。

 驚愕するようにランは瞳を見開くと、グッと腕に力を加えた。







 病院に再び運び込まれたセリアは大事には至らなかったが、多少傷口が開いたようだ。それはやはり、候補生達の怒りを加減出来ない所まで引き上げる訳で、セリアの病室は殺伐としていた。医師や看護士達も、入院している筈の少女を抱えて来たマリオス候補生達のただならぬ様子に、足を遠ざけている。



「申し訳ありません。取り逃がしました」

 ザウルとルネが戻ったのも丁度その頃で、暗い表情で病室の扉を開けた。夜の暗闇に紛れ見失ったヨークに酷く責任を感じているようだ。それは候補生達も仕方ないと判断し、いずれ何らかの形で彼は追われる身になるだろうと結論付けた。それよりも、今は先に解決するべき問題が残っている。


「もう言い逃れは出来ねえぞ。何があったのかさっさと吐け!」

「……そ、それは…………」

 詰め寄られるが、セリアの口からは上手い説明が出てこない。自身にとっても、今日起こったことは未だに信じ難いことなのだ。


 隙あらば脳が都合の良いように現実から目を逸らそうとするが、その考えを頭を振って追い出す。幾ら自分が何を言った所で、事実は変わらない。

 ヨークがどの様な思いかは知らないが、彼が自分とは対立する立場に居る事は覆せないのだ。



 候補生達に再び問われ、セリアはポツリポツリと頭がついていく範囲で事実を話し始めた。自分がわざとあの時一人になった事も。ペトロフのペンダントに何かあるのだと知った事も。


 其処にある場所が記されていたのだと話していた時、丁度病室の扉を叩く者が居た。誰だろうと思って扉を見遣ると、顔を覗かせたのは一人の看護師。

 気まずい雰囲気に非常に困惑していたようだが、おずおずと手に持っていた物を差し出した。セリアが居なくなったベッドの上に置かれていた物だと説明し、先程渡すのを忘れてしまい早い内に返した方が良いだろうと持って来たと言うのだ。

 看護師はこの緊張した場に、さっと手の中の物を近くの候補生に手渡すと、病室から静かに退場していった。



 扉の近くに立っていたカールが受け取ったのは、一枚の紙。書いた者の焦りが見える程に、ある場所を記す文字が殴り書きされていた。けれど、それは学園の厩舎ではなく別の場所。

 これを置いて行ったのはセリアだろうが、それがこの紙に気付いた者に助けを求める為ではなかったと解る。


 ピシリッとその額に青筋を浮かべると、カールはセリアのベッドまで詰め寄り、それを鼻先に突きつけた。


「これは何だ?」


 声は温度の一切を失っており、瞳や表情からも感情がすっかり欠落していた。これが、彼の怒りが最高潮に達した証拠だと悟った候補生は慌てて止めに入ろうとしたが、セリアの慌てたような次の言葉に動きを止める。

「そ、それは、その……私も、もしかしたら、って考えて。その、万が一の時の為に、せめて場所は伝わればと……」

 必死に説明する本人は自覚していないのだろうが、それは候補生達から熱を奪うような言葉だった。


 言葉を正確に理解するなら、自分にもしものことがあったら、ということを彼女が想定していたということを示す。それは彼女が自分の身を顧みず、剰え最悪の結果すらも視野に入れていたという意味。それでも、それを解っていても尚、この少女はあの場へ赴いたのか。何の相談も、言葉も無く。

 

 見る間に険しくなるこの場の空気に、セリアは自分の発言の過ちに気付いた。

 セリアにしてみれば、勿論死にたくはないし、そんな事にはさせない積もりだ。ただ何が起こるか解らないのだから。自分が当分意識が戻らない状態になどなろうものなら、それこそペトロフの意思が朽ちてしまう。それなら、せめて彼の記した場所だけでも候補生達に伝えねば、と残したメモだったのだが。



 これは、もしかしてまずい状況なのでは、とセリアは咄嗟に口を再び開いた。

「あ、あの、だから、その……ここに置いておけば、皆には伝わると思いまして。ペトロフ氏が託してくれたんだから、何が何でも守らなきゃと思って……っ!!」

 セリアの言葉は、目の前で自分のメモが無残に握り潰されたことで中断させられた。グシャリ! とそれは見事な音を立てて拳を作ったカールを、セリアも驚愕したように見上げる。

「思い上がるな」

「っ!?」

 あくまでも冷静な声でそう言ったカールに、セリアは最早この世の終わりでは、とまで考えた。それほど、目の前の彼の雰囲気は形容し難いものだったのだ。


 今にも殺されそうな勢いで睨む視線が漸く逸らされると、カールはそのまま何も言わずに踵を返す。ルネが慌てて呼び止めれば、彼は反応を示さず背を向けたまま言い放った。

「これ以上、それの不始末に付き合う積もりはない」

 その言葉を残してカールは病室から消えたが、その背を追う者は一人として居ない。




 -ー不始末ーー その言葉が、セリアの胸を酷く抉った。思い上がるなと言われたことがじんわりと脳に浸透して、余計に気持ちをかき乱す。

 「思い上がり」だったのだろうか。自分には、大それたことだったのか。



「……あの……お話が終わったのなら、面会時間を過ぎていますので、そろそろ……」

 病室を出て行くカールの姿を見付け、用事は終わったのだろうか、と看護師が恐る恐る中に声を掛けた。その瞬間、呆然としていたセリアの病室内も、ハッと我に返ったように時間の流れを取り戻す。



 無言で立ち上がる候補生達は、困惑したような顔で、それでも言葉を選べないでいた。


 カールの言った言葉は、残念だが的を得ている。しかし、それは決してセリアが力不足だと言っているのではない。ただ、その命を危険に晒してまで、セリアがそれをする必要はなかった。

 また一人で解決しようとしたのも、この言葉に十分値する。きっとまた迷惑を掛けまい、とでも考えていたのだろうが、それこそ勘違いである。

 どのような事態であろうと一人では行動するなと、あれほど言っているのに。それでもこの少女の中には、頼るという考えがない。それこそが、セリアの「思い上がり」だ。

 けれど、それを言葉にしたところで、この少女は理解などしない。今も思い詰めたように俯くだけで、何を考えているのかが窺えてしまう。


 言葉に迷う候補生達の誰よりも早く、一人がその頬を優しく両手で挟んで、俯く顔をやんわりと上げさせた。

「セリア。カールの気持ちも解ってあげてね」

「ふぇっ?」

「何で僕達が怒ってるのか、セリアは理解してないよ」

 ルネの言葉に、セリアも慌てて口を開いた。そんな、とんでもない。彼等が怒っているのは自分が迷惑を掛けたからで、それは解っている積もりだ。

 そう言おうとしたが自分の名を強く呼ばれ、セリアは再び押し黙ることを余儀なくされた。けれど、理解していないと言われる理由が解らない。


 迷惑を掛けたことや、また自分勝手に飛び出して行ったことを怒っているのではないのか。もしや、ペンダントの内容を自分が独り占めしようとしたと思われたのか?けれど、どんなことがあってもメモは彼等に渡った筈だし、彼等もそれは解っているのでは。


 グルグルと思考が廻りだすセリアの顔を離すと、ルネは満足したように頭に手を優しく置いた。

「じゃあ明日までの宿題。ちゃんと考えてね」

「……」

 また明日、とルネは渋る候補生達を無理やり連れ出した。


 一人取り残される形で置いていかれたセリアは、その背を見送りながらも必死にルネの言葉を理解しようとする。けれど、いくら考えてもその答えは解らなかった。








「貴方も災難だ」

「…………」

 追跡から逃げ延びたヨークは、約束の場所へ辿り着くと事の成り行きをその場で待っていた男に説明した。それを聞いた男は、別段咎めるでもなくただ肩を竦めて見せる。

「ではどうします? 貴方は顔が知られてしまった訳ですし、もうあの学園へ戻ることは出来ないでしょう」

「……」

「かと言って、このまま国外へ逃してやるのも惜しいですね」


 さてどうしようかと手を顎に添える男から顔を逸らし、ヨークは軽く息を吐いた。その思考は、自分の計画を悉く打ち砕いたかつての教え子達に向いている。

 中でも、あの栗毛の少女がより一層忌々しい。何度も自分の手を掻い潜り続けた悪運の強さと、愚かなほどの忠誠心は認めるが、自分にとってそれは邪魔以外の何でもない。確実に、何処かでその勢いを止める予定であったのに。


「この後はどうするのです?」

「仕方ありませんが、あの男の下へ行く以外ないでしょう。私は、国を出る積もりはありません」

 自分の目的を遂げるまで、逃げる気など毛頭ない。非常に不本意だが、あの学園での自分の役目が終わってしまった今、自分の主の下に着く他あるまい。


 そう言うヨークに、男は一瞬瞳の奥に宿る光を強くした。

「それは賛成出来ませんね」

「……どういう意味です?」

「どうせあの男のことです。また計画が滞ると、暴れまわるだけだ」

「仕方ありません。しくじったのは私ですから」

 そう言うヨークに男は深い溜息を吐いた。あの男に、ヨークを使いこなすだけの技量がある筈がない。使いようによっては、これ程都合の良い存在は居ないというのに。


「どうです?私の擁護を受ける気はありませんか?」

「……仰る意味が解りませんが」

「言葉の通りですよ。最悪の場合貴方は指名手配だ。顔も割れている。私は、そんな貴方に安全に身を寄せる場所を提供出来ると言っているのですよ」


 目の前に立つ男に、ヨークも視線を定める。彼も、自分と同じく立場的にはあの男の下に就いている身だ。とはいえ、彼ならその言葉を実行することが可能だということも知っている。

「その代わり、貴方に従えと?」

「貴方が聡明なことに感謝します。そんなに悪い条件ではないと思いますよ。ただ、もう少しその手を汚して戴きたいだけですから」

 どうだろうか、と問う男に、ヨークは冷めた瞳を返す。答えなど解りきっているクセに、何を今更。

「たとえ使い捨てられようと、私は目的を果たすだけです」

 ゆっくりと頷くヨークに、男は満足したように微笑む。


「ですが、まずは彼に報告ですね」

「ええ。明日も貴方の首と胴が繋がっていることを願いますよ」

 茶化す男に、ヨークは再び睨みをきかせる。

「全く。貴方も本当に災難ですね。ペトロフの報告書が渡ったところで、損害は極僅かだというのに」

「……」

「その所為で、あの学園を失うとは」

 ペトロフの報告書が渡るのは、こちらにとっても痛いのは事実だ。けれど、それに対処出来ない程、こちらも能無しではない。使えない駒を切り捨てる準備は周到にしてある。

 どんな事態になっても、足が付くやり方はしていない。不運にも、自分の主は誤算や計画の不備を、嘆き暴れるしか頭が廻らないようだが。

 けれど、あの学園から手の物が消えるのは痛い。そうなると、自分達もことを急ぐ必要が出てくるのだから。


 さてどうしようか、と考え込む男に、ヨークは薄く笑みを作った。

「ご心配はなさらずに。種は植えてきましたから」

 暗闇の中でも映えるその笑みに、男は一瞬目を見開く。そして、この男がこちら側の人間であることに対し、思わず喉の奥から笑いがこみ上げた。






どうすれば、君は理解するのだろうか。もう決して失いたくはないのだと。

彼女の気持ちも解る。その行動も、責められるだけに終わるべきではないことも。

しかし…………


私が望むのは君一人だと、告げれば君はどうするだろうか。



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