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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第二章 磨かれる原石〜
71/171

打算 5

 日も落ち、病院内も随分と静かになったころ、セリアは閉じていた瞳をパチリと開いた。そのまま時刻を確認した後、深く息を吐きながら身体を起こす。が、途端に走った痛みに、思わず顔を歪ませた。

 異常を訴える身体は、寝台に戻れと懸命に信号を送る。けれどセリアはそれを無視し、病室の扉をゆっくりと開けた。ソロリと顔を覗かせ周囲に誰も居ないことを確認すると、ゆっくりと歩みを再開する。


 今夜だ。今夜、自分はある場所へ行かなくては。もしそれを逃せば、恐らく好機は二度と訪れない。幸運にも今日の内に目覚められたのだ。これはもう、行くしかないだろう。


 ただ、心に残るのは候補生達の事。彼等には話すべきだったのだろうか。心底心配した彼らの表情を思い出すと、僅かにそんな考えが浮かぶ。けれどそうは言っても、これは自分が背負った問題だ。ペトロフからペンダントの意味は解ったのだし、彼等をこれ以上巻き込みたくはない。


 僅かに沸き上がる罪悪感に負けじと、セリアは足を動かす。そして誰にも見つからぬようにと視線を彷徨わせた先で「非常口」と大きく書かれた扉が視界に飛び込んできた。









 寮の自室で一人頭を抱えていたクラリスだが、未だに答えは見出せていない。唯一の救いは、候補生達が何処か安心した面持ちで学園に戻ってきたことか。それで、あの少女も無事だったのだろうと想像が付いたから。

 けれど大怪我を負った事は事実だろう。それが、自分に原因があることも。


 言い訳にしかならないが、こんな積もりではなかった。ただ、地位を得ることを望んでいただけ。けれどそれが叶うと言われて舞い上がったことも事実だ。自分が何に加担しているかを深く考えず、ただ利用されただけ。

 今更悔いても遅い事は分かっているが、今はそんな場合ではない。兎に角、自分も何かしなくては、とクラリスは悩んでいた。


 そんな時だ。ふと見た窓の外に、そこにはある筈の無い影を見付けたのは。

「っ!?」

 驚いて窓に張り付けば、一瞬でその影は死角へと移動してしまった。けれど確かに見た。あの影の正体はどう考えてもただ一人。けれど、それはここには居ない人物である筈なのに……


 混乱で飛びそうになる思考を何とか引き戻し、クラリスはグッと拳に力を入れた。そして咄嗟に部屋を出た足で、フロース学園の男子寮へと向かう。


 自分は、何が起こっているのかを理解していない。彼等にしてみれば、ただ利用されるだけに終わった敵の駒も同じだろう。それから抜け出すことは、現状すら理解していない自分では幾ら望んでも無理だ。

 ならば、今自分に出来るのは……


 走ったクラリスが男子寮の前まで来ると、突然扉が開き中から驚いた様な声がかかった。



「クラリス様!?」

「っ!!」

 見覚えの無い男子生徒は、目を見開きながら非常に困惑した表情を見せる。けれどクラリスはそれに構わず、咄嗟に声高らかに口走っていた。

「候補生様達に火急の用があるのですが、取り次いで戴けますか?」

「えっ?あ、はい!クラリス様!!」

 偶然見えたクラリスの走ってくる姿に驚いて顔を覗かせた男子生徒は、その声に命じられるままに踵を返した。

 今、学園で最も支持を得ていると言っても良い彼女が、あの候補生達に用があると言って現れたのだ。その言葉に応えるべく、男子生徒は足を急がせる。


 どうやって候補生達に会おうか迷っていたクラリスは、好都合だと安堵する。

 セリアを追い落とす為に得ていた地位が、彼女を救うことに役立つとは、なんとも皮肉な話しだな。と、クラリスは小さくなる男子生徒を追う瞳を僅かに揺らした。





「……クラリスが?」

「は、はい!何でも火急の用件らしく、下でお待ちです」

 青白い顔を浮かべた男子生徒が転がり込んで来たその理由に、談話室でこれからどうするかを話し合っていた候補生達は同時に眉を寄せた。

 難しい表情をしたまま一向に動く気配の無い候補生達に、男子生徒は更に顔を不安に染める。

「あ、あの……」

「話しがそれだけならば去れ」

「はっ!?で、ですが……」

 冷たく言われた言葉に、男子生徒は無意識の内にそう反応していた。けれどそれがお気に召さなかったのか、紫の瞳がギロリと光る。

「後は我々が決めることだ。余計な行動で身を滅ぼしたくなければ、さっさと下がれ」

「は、はぃぃぃ!」

 鋭く睨まれ、男子生徒は脱兎の如く逃げ出した。


 彼の去った後、候補生達は再び顔を見合わせ困惑の色を表情に浮かばせる。

「今度は何だ?」

「解りませんが、もしや罠ということは。セリア殿が負傷している今……」

「あのお嬢さんもそこまで露骨な真似はしないだろ。だからって安心することも出来ねえしな」

 どう考えても、クラリスが今回の件に関与していなかったとは言えないだろう。例えそれが本人の意思であろうがなかろうが、敵と関わりがあった事は疑いようがない。セリアが弱っている今、候補生達も簡単に警戒心を解く訳にはいかないのだ。


「お前はずっと見張ってたんだろ?どうなんだよ」

「所詮は捨て駒に過ぎん。何も聞かされていない事は確かだ」

 冷たく言い放つ様子から、本当にクラリスを取るに足らない存在と思っている様が窺える。何かを考えるように閉じられた瞳の色も、きっと冷たいのだろう。



 戸惑う候補生達だったが、そのまま捨て置く訳にも行かない。クラリスが一体何用だ、とその腰を上げ、階下へと下がっていった。

 何の積もりだろう、と多少身構えていた候補生達だが、寮の玄関の外で見付けた姿に一瞬言葉に詰まった。その表情が青白く、今にも自分を殺してしまいそうな程、追いつめられた者のそれだったから。


「クラリス嬢」

「ランスロット様!」

「話しがあると聞いたが……」

「お伝えしたい件があって。私の言葉を信用して下さいますか?」

 唐突にそう叫ぶクラリスに、ランも困惑を露にした。

 切羽詰まった様子のクラリスは、必死に何かを訴えようとその瞳を向けて来る。それは数日前の自信に溢れた姿とはかけ離れていて、どうすべきか悩まされた。


 けれど、それを冷たく突き放す者が居た。

「己の立場を漸く自覚したようだが。其方の言葉に我々の信用を得るだけの価値があるのか?」

「カール様……」

 漸く自分が何に加担したかを悟り始めたクラリスに、カールは容赦なく敵意を示す。その威圧は凄まじいもので、この場に他の者が居たなら直ぐにでも卒倒しただろう。


 クラリスも当然怯んだが、ここで負けては償いにならない、と縋る様に口を開く。

「私がしてきた事を考えれば、信じろと言うのは虫がよすぎるでしょう。でも、せめて自分の行動の後始末をする機会を下さい。決して、無駄にはしません」

「…………」

 必死に食い下がるクラリスだが、候補生達は未だに警戒心を解かない。無力な少女の言葉だけでは、説得力が足りないのだ。


「……いいんじゃない?」

 ニッコリと微笑んだルネが静寂の中で声を発した。

「だって、クラリスは悪い子じゃないもの。ねっ?」

 あっさりと沈黙を破ったその言葉に、候補生達は驚きを示す。それはクラリスも同じだったようで、その空色の瞳を大きく見開いていた。

「それに、クラリスの話を聞いてから真偽を考えても遅くはないでしょ」

 尤もな意見に候補生達も納得したようで、承知したとばかりに頷いた。その様子に心底安堵し、漸く口を開く事を許されたクラリスは、けれどそんな場合ではなかったと早口に捲し立てる。

「せ、セリアさんが、」

「はっ!?」

「セリアさんが校舎の方へ向かう姿が見えて。でも、私ではどうすることも出来なくて。せめて皆様にお伝えしなければ、と……」

「まさか。セリアは今……」

 クラリスの言葉の意味を理解するのに一瞬遅れ、驚愕に絶句するしかなかった。だって、そんなことあり得ないから。幾らセリアでも、重傷を負った身体でこんな場所まで来る筈が。そもそもその理由が解らない。安静にしていろと、あれ程キツく言い聞かせた筈だ。


「クソッ!!あの馬鹿は」

 気付けば脇目も振らず、全員が校舎へ向かって走り出していた。けれど肝心な行き先が解らない。この学園は広いのだ。校舎の方向へ向かったとしても、その先に行き着く場所は幾らでもある。

「何処だ!?」

「とにかく、手分けして探そう」


 瞬く間に小さくなる背を、クラリスの案じるような瞳が静かに見送った。








 「くぅ……」

 何とか近くまで辿り着くと、セリアは視界にそれを捕らえた場所で息を大きく吐き出した。フラフラと覚束ない足取りで、少しずつ距離を詰める。

 その間も、足を踏み出す度に心臓が早鐘を打った。背筋を流れる冷や汗は、僅かに感じる恐怖と不安から来るものだ。けれど、ここはどうしても行かなくては、と気力を振り絞り、目的地である厩舎の扉にへばり付く。


 よ、ようやく着いた。と安堵したのも一瞬。セリアは息を整えると、静かにその扉を開けた。僅かにだが物音がした所為か、馬達が驚く様子を見せる。こんな夜中に安眠を妨害されたのだ。気の荒い彼等が歓迎する筈もなく、幾つかの鼻息がセリアの耳を掠めた。


 それに意識を向けることはせず、セリアはさっと視線を彷徨わせた。闇に視界を邪魔されるも警戒心を最大に、一歩ずつ中へ入っていく。


 ゆっくりと、少しずつ厩舎の中を歩く背の後ろに、そこには居る筈のない影が立った。


「まったく。本当に、貴方は厄介だ」

「………え、………えっ!?」


 突然背中に掛けられた声にセリアは驚きで動きを止める。響いた声が耳に浸透すると、セリアは瞳を見開き青ざめた顔のまま硬直した。



 自分は、この声の主を知っている。それが誰かなど、確認しなくとも解る。けれど、それを容易に受け入れられない自分も居る訳で、嘘であってくれ、と無意識の内に願っていた。

 だって、後ろに立っているのが、彼である筈がないのだから。


「せ、んせい……?」


 ギシギシと壊れた人形のようにゆっくりと振り返ったセリアは、確かにその姿を確認した。幾らここが暗くとも、僅かに入る月明かりがある。何より、顔など見なくともその声だけで十分だった。


「セリアさん。病院に居るはずの貴方が、どうしてここに居るのですか?」


 ニッコリと笑い、普段のように穏やかな雰囲気を纏いながらフロース学園の教師、ヨーク・バルディはまるで挨拶をするかの様に言って見せた。



 思いも寄らぬ人物の登場と、それが意味することを理解しきれず、セリアは驚愕した様にその顔を凝視する。心拍数が跳ね上がり、指先が震えて目が回りそうだった。まるで凍えている時のように震えが止まらないのに、身体の芯は頭が痛くなる程に異様な熱を放つ。

 「よ、ヨーク先生こそ……どうして、ここに?」

 にわかには信じがたく、否定してくれればと僅かな希望が顔を覗かせる。けれど、セリアも今更それが通用するような事態でないことは解っているのだ。それでも、どうしてもそれを認めたくなくて。


 しかし、表情に冷たい笑みを貼り付けた男は、とことん残酷な言葉でセリアの望みを打ち砕いた。

「そうですね。貴方がここに居ることを考慮すると、私はまんまと罠にはまったことになりますか」

「っ!?」

 息を呑んだセリアの目に、ヨークの言葉が現実であることを示す物が突き付けられた。

 ヨークが上着のポケットから取り出したのは、自分が己の血で書いた絵画の切れ端。そこには、確かに自分の字で、この厩舎の場所を記す文字が並べられていた。

「呆れる程の無謀さだ。敢えて私に自分を狙わせ、これを餌に誘い出すとは」

「…………」



 ペトロフのペンダントに記された文字。それは確かにある場所を記す物であったが、此処ではない。彼が欲しい物は、此処には無いのだ。


 ヨークの言うように、これは罠だった。罠と呼べる程巧妙とは言えないが。


 敵が学園内に潜んでいることは、セリアも薄々予想がついていた。それが決定的になったのは、やはり今回の件だ。自分達がペトロフと接触したことを知るのは、学園内の者以外ではあり得ない。にも関わらず、窃盗団を使った者は、それを知っていた。ならば、自ずと間諜の存在が浮かび上がって来る。

 けれどその相手が行動を制限されているのにも気付いた。でなければ、幾らでも彼は行動を起こしただろうし、わざわざ窃盗団なんて回りくどいやり方をする必要はなかった筈。

 そして、彼は少なからず自分を危険視していた。何度も危機を掻い潜る度にそう思ったのだ。けれどペトロフのペンダントを狙った者は違い。それまでの様に、あわよくば自分を葬ろうとする気配は無かった。

 そこから考え付くのは一つ。この二つが全く別の行動を取っているということ。そしてその原因は彼の行動の制限か、もしくは地位の低さか。理由は解らないが、意思の疎通が行き届いていなかったことは確かだ。


 用心深く、計画性を見せて来た彼が、このままにしておくとは考え難い。ならば、敢えて自分を泳がせたのだろうと、答えに行き着いた。ならばそれを逆に利用しようと思ったのだ。

 そして彼はこちらの予想通り、真っ先に動いた。だからこそ、彼は今この場に居るのだ。



 そこまで考え、けれどセリアはどうしても納得がいかなかった。理解したくなかったと言った方が良いか。

 目の前で冷たい空気を纏う彼と、記憶の中で温かく笑いかけて来る彼が、どうしても同一人物に思えなくて、あまりのことに目眩さえ覚える。内部に敵が居るとは考えても、それがまさかヨークだなんて、誰が思うだろうか。


 彼は、自分にとって初めての担任だった。このフロース学園でまだ慣れない内から、色々と世話を焼いてくれた。いつでも穏やかで、優しげに笑いかけてくれた。そして、なにより……

「どうして、ですか?」

「……」

「だって、先生は私を救ってくれました」

 あの時、この学園から去ろうとしていた自分を、彼は引き止めてくれた。母に逆らうのではなく、自分で決めて良いと言われ、自分がどれだけ救われたか。彼に背中を押して貰ったことで、漸くここに残る決心がついた。今の自分があるのはヨークのお陰だ。それが無ければ、自分はこの場を捨て、候補生になることも無かった。

 彼にとって自分の存在が邪魔なものであったのなら、そんなことはしなかった筈。



 悲痛な表情で声を絞り出したセリアに、ヨークはさも忌々しげに眉を潜める。

「あの時は、私も貴方を過小評価していましたから。もう少し、都合の良いように動いてくれると思っていたのですが」

 その言葉は何処までも冷たく、セリアの胸を更に深く抉る。一言一言の意味を咀嚼する度に、息が詰まる程に。


「私にしてみれば、貴方の存在は、最大の誤算でしたよ」


 ゆっくりと上げられたヨークの手には、黒光りする拳銃が握られていた。それにセリアも咄嗟に一歩後ずさるが、この狭い厩舎に逃げ場などある筈もない。

「今度こそ、確実に貴方をレイダーと同じ場所へ送って差し上げましょう」

「……ペトロフ氏も、先生が……」

 こんな風に淡々と冷たく述べるヨークの姿は今までに見た事がない。いや、これが彼の本当の姿なのだろうか。

 このままでは自分は非常にまずいことになる訳であって、どうしようかと必死に思考を巡らせる。


 そんなセリアを嘲笑うかのように、ヨークは続けた。

「素直に言えば苦しませることはしません。レイダーが記した場所は何処ですか?」

「し、知りません!」

 まだ事態を処理しきれない頭を無理やり叩き起こして、精一杯の虚勢を張る。

 本当は、形容しきれない程の動揺と混乱で今にも膝から崩れ落ちそうだ。けれど、ここで逃げる訳には行かなかった。


 キッと瞳を鋭くするセリアに、ヨークも呆れたように溜め息を吐いた。

「まったく。貴方もレイダーも、本当に愚かな。そうして必死に守ろうとするものに、真の価値などないというのに」

「っ!?」

 それはまるで、ペトロフが言っていた言葉ではないか。大きく目を見開き、セリアは言葉を失った。彼等は何故、こうも価値が無いと言うのだろう。何が彼にそこまで言わせるのだ。


 グルグルと回り出すセリアの思考は、ヨークが改めて拳銃の的を自分に定めたことで中断された。

「まあいいでしょう。あれが誰にも見つからないのなら、それで良い。元々、あれの処分が私の目的でしたから」

「そ、そんな!」

「貴方の事です。候補生達にも話していないのでしょう。なら貴方さえ消えれば、あれが人の目に触れることはありませんね」

「…………」

 まずい、と脳が警報を鳴らし、それに釣られるように背中を冷たい汗が流れた。

 ヨークは本気だ。彼はなんの躊躇もなく自分に向かって引き金を引く。この距離では外す可能性も、限りなく低い。


 必死に逃げ道を模索するセリアに、覚悟しろとばかりに向けられた拳銃を握る指に、ゆっくりと力が込められた。




何度も、何度も貴方には邪魔をされてきました。初めこそ、都合の良い存在が現れたと思っていたのに。そう簡単に事は運ばないということでしょうか。

けれど、これで最後です。当初の目的を果たすとしましょう。




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