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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第二章 磨かれる原石〜
70/171

打算 4

 容態が不安定だったセリアの呼吸も、漸く落ち着きを見せた。医者にも大丈夫だろうと言われ、校長もホッと一息吐く。けれど安心したのは校長だけで、他の候補生達は未だに黙ってセリアの病室の前に居座っていた。入室の許可も下りたので、時折様子を見に入ったりしているようだ。

この二日間、候補生達は食べることも寝ることもせず、ただ黙って眠る少女に寄り添っていた。始めこそ、医者や看護婦達も休むように促していたが、途中から諦めたようだ。




 普段は直ぐに色々な表情を見せたそれが、静かに瞼を閉じたまま少しも動かない様子に、ザウルは何度目になるか解らない溜め息を吐いた。

 何時になったら、この少女は起きてくれるのだろうか。その琥珀の瞳を細めながら、ベッドに横たわるセリアの顔を覗き込む。最初の内は苦しそうに歪められていた表情も、今は穏やかな顔だ。一見すれば、静かに眠っているだけにも見える。


 安らかに瞳を閉じるセリアに、ザウルは腰を屈め、その顔を近づけた。そして、何処かの国の童話を思い出す。

「……このまま自分が口付けたなら、貴方は目を覚まして下さいますか?」

答えなど返ってくる筈もなく、少女は未だに眠ったままだ。返事を望んでいた訳ではないザウルは、そのままゆっくりと顔を落とす。そして、開く様子の無い瞼に軽く唇を押し当てた。一瞬の静寂の後、そっと離した顔でもう一度少女の表情を覗き込むが、少女は眠ったままだ。

 何の反応も返さないセリアに、ザウルはフッと自嘲する様に表情を曇らせる。けれど、普段の穏やかな顔に戻ると、眠る少女の長い栗毛にその指を絡ませた。

 何時まででも待とう。この少女が瞳を開けるまで、自分はいくらでも待つ。だから、その時はまた、自分に笑いかけて欲しい。

 切実な想いは、眠ったままの少女に届いたのだろうか。







 早く起きなければ。

 ずっとそれだけを考え、それでも閉じた瞼は重く、身体も思うように動かない。ぼんやりとした頭でそんなことを考えるが、それでも指の一本すら動かせないのだ。

 あれから、何度も夢の間を彷徨っていたように感じる。どんな夢だったのかは覚えていないが、懐かしい様な、寂しい様な。


 とにかく、今は起きなきゃ。彼等の所に戻らなければ。

 そんな風に考えていると、近くで声が聞こえた。誰だろう、と一瞬考えたがその答えは直ぐに出る。


 ああ、そうだ。これは、彼等だ。温かく、優しい。心配性で、いつも自分を気に掛けてくれて。迷惑ばかりかけて。それでも自分を仲間だって言ってくれた、同じく国を想う者。



「………う、ん」



 僅かに聞こえた声に、その場の全員が動きを止めた。弾かれた様に振り返り、その声の源を見付ける。幻聴かとも疑ったが、振り返った先で少女の瞳は開いていて、それが現実だと知らされた。

「セ、リア……?」

 蹌踉けそうになりながら駆け寄った候補生達に、セリアは何度か瞬き、彼等の姿を一人一人その瞳に映す。それと同時に、ああそっか、と色々な事が頭に蘇ってきて。そして、彼等の瞳が酷く不安げに揺れているのを見ると、また心配を掛けてしまったのだな、と無意識の内に理解した。

「……ご、めんね……」

 口の端を僅かにだが精一杯持ち上げたセリアは弱々しく、困った様に微笑んだ。






 セリアが目を覚ましてすぐに呼ばれた医者も、後は安静にしていれば問題無いと判を押した。未だにセリアはボンヤリとして、事態を把握し切ってはいない様子だったが。


 検査をすると言って看護婦に病室から追い出された候補生達は、廊下で思い切り深く安堵の息を洩らしていた。

 よかった、と初めて候補生達の心は安らいだ。張り詰めていたものが一気に解かれ、同時にどっと疲労が押し寄せる。もう目覚めないのでは、と恐怖した候補生達の心情など全く知らぬ風に、セリアは笑ってみせた。それだけで、何もかもが救われたような気さえする。


 学園に報告するべくルネが立ち上がったと同時に病室の扉が開き、中から先程の看護婦が顔を出した。容態をもう一度確認すれば、まだ熱はあるが、それもじき下がるだろうとのことだ。

 覗き込んだ病室の中、寝台には変わらず栗毛の少女が横たわっている。ただ、その瞳は今も開かれており、入って来る候補生達を見詰めていた。

「大丈夫なのか?」

「……うん、平気……」

 幾らそう言われても、やはり心配になってしまう。けれど、当のセリアがまたニッコリと笑ってみせるのだから、ラン達もその頬を若干緩ませることが出来た。

「聞きたいことはまだあるが、それは君が回復してからにしよう」

「うん。ごめんね、迷惑掛けて。付いててくれてありがとう」

 今の看護婦から、笑みを交えて彼等がずっと付き添っていてくれたことを聞かされた。それを知った時、申し訳ないと思うと同時に、喜んでしまう自分も居て。彼等には幾ら感謝してもしきれない。

「……その、あれからどれくらい経ったの?」

「二日だ。本当に、こっちは生きた心地がしなかったぞ」

「ご、ごめんなさい……」

「まあ、後でたっぷり説教してやるから覚悟しておくんだな」

 イアンが意地悪く口の端を吊り上げたので、セリアはうっと怯んだ。それは是非とも遠慮願いたいのだが、回避することは不可能だろう。


 ゆっくりとだがそんな会話をしながらセリアは一人、内心で焦っていた。


 二日、とイアンは言った。ならば、あのペンダントは昨日渡った筈だ。なんとギリギリのタイミングで自分は目覚めたのだろうか。我ながら、感心してしまう。


 考えに耽りそうになったセリアは、再び病室の扉が開かれたことで我に返った。向こうから現れたのは、ルネの後ろに立つ校長。

 難しい顔をしたままの彼の突然の登場に、候補生達も反射的に背筋を伸ばす。ゆっくりと部屋に入った校長は、そんな彼等を見渡した後、セリアに視線を定めた。


 わざわざ校長がこんな所にまで来るとは、とセリアも一瞬呆然とする。まさか、今回の事についてお咎めを食らうのだろうか。もしかしなくとも、校長や候補生達には多大な迷惑を掛けたのだから、当然かもしれないが。

 ビクビクと怯えるセリアを前に、校長はそれまでの表情を崩しやんわりと微笑んだ。

「セリア君の意識が戻ったと聞いてね。少し様子を見に来たのだが」

「そうなのよ。私も気になって来ちゃった」

 何時の間に居たのだろう。今まで校長の背に隠れ見えなかったクルーセルがひょっこりと顔を覗かせる。そして心底嬉しそうな表情でセリアの寝台に駆け寄った。

「セリアちゃん、大丈夫? 私もう心配で心配で」

「す、すみません。ご迷惑お掛けして」

「ああ、もう。こんなにボロボロになっちゃって。女の子なんだから無理しちゃ駄目だって言ってるのに」

 一人で騒ぐクルーセルに、セリアはこちらにも相当心配を掛けたようだと思い知らされる。本当に、心底申し訳ない。


「とにかく、セリア君も大丈夫そうで何よりだ。君達も、もう心配はいらないだろう。一度学園へ戻りなさい」

「……はい」

 セリアが目覚めれば、彼等もここに意地でも留まる理由はない。

 笑顔のクルーセルに連れられて出て行く候補生達を、セリアは黙って見送った。

「ではセリア殿。失礼します」

「安静にしててね」

 まだ何処か心配の色を含む言葉に、セリアは笑顔を返す。その笑みに押されたように、残りたい気持ちがあるものの、候補生達は二日ぶりにその場を離れた。



 

 校長とセリアの二人きりになった病室は、やはり先程よりも広く感じる。唐突に訪れたその空気にセリアは何処か居た堪れない気持ちになった。

「セリア君。君の家には報告しておいたよ。ご家族は、来られるようになれば直ぐに来るそうだ」

「ご迷惑お掛けして、すみませんでした」

「何があったのかはまた後ほどきちんと報告して貰うことになるが。いいかね?」

「はい」

 その答えに満足したようで、笑みを含んだ校長にセリアも僅かに緊張を解く。目の前で肩を落とした栗毛の少女を、校長は笑顔の向こうの瞳から強く見据えた。

「私もこれで失礼しよう。あまり長居をすると身体に触るからね」

「あの、校長先生。ありがとうございました」

「うん。近々また様子を見に来るよ。それまでは安静にしていた方が良い。それは君も解っているね」

 何かを含んだ様な物言いに、セリアもギクリと肩を揺らす。恐る恐る視線を上げて確認すれば、その表情は相変わらず穏やかで。けれど、その瞳に何かが潜んでいるのを、セリアは見てしまった。それが何かまでは読み取れなかったが。

「は、はい……」

「宜しい。では、ゆっくり休むんだよ」

 優しく言い聞かせ、校長は病室を後にした。やっと一人になったセリアは、疲れ切ったように全ての息を吐きだす。

 なんだったのだろう、あの校長の眼は。自分達のしていることを知っているのだろうか。それとも、いつもの様にからかわれただけなのだろうか。

 まあ、考えても解らないな。と結論付けたセリアは時刻を確認する。その頃には既に夕刻で、僅かに赤みを増した日が少しずつ傾いて行く様が窓に映った。









 セリアが目を覚ます前日。クラリス・シュライエは、久しぶりに帰郷していた。そしてある場所へ向かって、己の屋敷の廊下を急ぐ。

 目的の部屋の前に辿り着いたと同時にノックすることも忘れ、クラリスはバンッとその扉を開け放った。

「お父様!!」

 見回した部屋の中にはやはり探していた人物がいて、自分の登場に全く動じた様子も見せず、椅子に座ったまま何かの資料に目を向けていた。彼の目の前に立つと、クラリスは胸に留めていた疑問をここで吐き出す。

「一体どういうことですか!あんな者達を使うなんて」

「……何の事を言っている」

 低い声で娘の言葉に返したのは、この家の当主であり、クラリスの父でもあるシュライエ子爵だ。子爵は娘の言葉に興味を示した様子も見せず、ただ手元の資料を捲る作業を続けている。それでもクラリスは続けた。

「とぼけないで下さい。あんな野蛮な輩を使うなんて、一体何を考えておられるのですか!?」

「……私は娘に、余計な詮索をしろと教育した積もりはない」

「お父様が何をなさろうとしているのかを聞いているだけです。結果的に、私はその片棒を担いだ事になるのですから」

 食い下がるクラリスに、子爵も肩眉を上げやっと娘と向き合った。そこにクラリスは決定的な言葉を投げる。

「人が一人大怪我をしているのですよ!しかも、私と同じ女学生が。そこまでして、お父様は何に関わっているのですか!」


 セリア・ベアリット入院の理由は、表向きには街で事故にあったということになっている。けれど詳しい事情は全て伏せられていた。校内の誰も関心を持っていないのだから強く追求する者も居ないが。

 けれど、候補生達の誰も病院から戻らないのだ。それが意味している所は、彼等の仲間であるセリアが危険な状態であること。しかも、学園で一瞬見た校長やクルーセル達の反応から推測するに、それは命に関わる重体かもしれない。

「その点は予定外のことだよ。その者には気の毒かもしれんが、それ以上のことを私は知らん」

「では、あの盗賊の様な輩はどうご説明されるお積もりですか。その前に、そもそもあの学園に居るのは誰なのですか」


 自分に届いた数々の指示。カールハインツを味方に付けたり、生徒達を焚き付けたり、全てその者に従った結果だ。自分にそれをさせたのは、一体何者なのか。


「その事については何も聞くなと言わなかったか?」

「フロース学園に行き、指示に従えば地位を得られるとだけ聞きました。私はそれに従うことを承諾しましたが、それが人の命に関わる事にまでなるなんて、私は聞いていません。これは明らかに犯罪ですよ!!」

 冷静を完全に失い、声を振り絞って怒鳴るクラリスに、子爵は何処までも冷めた視線を向ける。その表情が、今まで見て来た父親の物とかけ離れていて、クラリスも一瞬怯んだ。

「いい加減にしろ。お前はただ命令に従っていれば良い。その代わり、地位を得ることに尽力しようと言っているのだ。何が不満だ」


 ここまで聞けば嫌でも解るが、自分の父は明らかに何かよからぬ事に関わっている。しかも、それは小さくはない。少なくとも、栗毛の地味な少女の命を危険に曝すまでに。

「マリオス候補生は、国の将来にとっても大切な存在。実力や能力によって追い落とすならまだしも、暴力で命を奪うなんて。国に対する反逆とも取れる行為です!」

 自分は、彼女を蹴落とす事になんの躊躇も無かった。けれどそれはあくまでも実力での事であって、こんな形で望んだことなど無い。むしろ、こんなことがあって良い筈がないではないか。

「己の役目を放棄し、こんな所で怒鳴り散らす愚女に、どうこう言われる覚えはない」

「お父様!!」

「貴様はさっさと学園へ戻れ。まだやることは残っている筈だ。それが全て終わった後なら、話しを聞くくらいはしてやる。それまではこの屋敷へ戻るな」

 そう言い残した子爵は、娘には目もくれず部屋を乱暴に立ち去る。その姿に、クラリスはただ呆然としたままその場で立ち尽くしていた。





そんな……  そんな筈ない。

でも、あの人がここに来たってことは、やっぱり今までのも?

だけど、そんなことって……



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