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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第二章 磨かれる原石〜
69/171

打算 3

 学園都市に設置された病院は、フロース学園の生徒もよく利用する。貴族達が利用する為か、彼等からの寄付が多い為か、設備も医師も王都の大病院と並ぶ程優秀であることが有名だった。フロース学園の敷地からも歩いて十分程度の距離で、学園の付属病院と呼ぶ声もある。




 血に塗れたセリアが運ばれてから、候補生達は彼女が眠る病室の前で過ごしていた。不幸中の幸いとして、貫通した銃創は急所を外れていたが、出血が酷く。手術の後も、彼女の意識は戻っていない。


「君達は、もう学園に戻りなさい」

 ジッと何かを耐えるように待つ生徒達に、校長がそっと声を掛けた。

「先生……」

「少し休んだ方がいい」

 虚脱したような候補生達の中、唯一反応を返すルネに校長が戻るように勧める。チラリと横に視線を向ければ、静かに目を閉じたカールの横で俯くラン。ジッと病室の扉を見詰めるザウルと、横の壁に持たれながら虚空を睨みつけるイアン。いずれも最後に見た時から微動だにせず、まるで彼等の方が死んでいるかのようだった。

「出来れば、彼女の傍に居たいんです」

「そうか……」

 先程と何ら変わらぬ答え。彼等にこれ以上を言っても耳には入らないだろう、と諦めた校長も生徒達の好きにさせる。



 医者と話があると言ってその場を校長が離れるが、その後ろ姿に目を向ける者は居ない。

 虚ろな目の仲間達を見回し、ルネは一つ溜息を吐いた。セリアのことは勿論心配だが、何より、友人達のこの状態も問題だ。自分も同じではあるが、彼等は一日近く寝食を取っていない。恐らくセリアが目覚めるまでそれは続くだろう。体力が持つ内は平気だろうが、それまでにセリアが目覚めるだろうか。

 それぞれの心情は大体察しがついた。一人一人違う形であっても、栗毛の少女が大切なことに代わりはない。

 手術も順調に進み、今はセリアの意識の回復を待つのみだと言うのに。けれど、少女が実際に目を覚ますまで候補生達が安らぐことはない。それだけは、はっきりしていた。

 


「くそっ!なんでアイツは……」

 悪態と同時にすぐ傍の壁が叩かれる。音に驚いたルネがイアンを見遣れば、彼は踵を返し廊下の奥へ進んで行ってしまう。


 拳に伝わる痛みに、現実に引き戻されるような感覚を覚えながら、イアンはギリッと奥歯を噛み締めた。

 何故、また護れなかったのだ。何をどうすれば良かったというのか。何故、あの少女はいつも自分の思い通りにならないのだ!

どうしようもない程の苛立ちに、吐き気すら覚える。けれど、何を言っても今更だ。自分がセリアを護れなかったことに変わりはない。血が抜けたように青白く悲痛な少女の表情を、なかったことになど出来ない。

 気付けば衝動のままに、周りの物を片っ端から壊してしまいそうで、そんな自分を誤魔化すように、足早に病室の前を離れた。






 遠くでイアンがもう一度吐いた悪態も、ランの耳には入らない。彼の心を支配している物は、恐怖。他の事は何も考えられず、ただ彼女の無事を祈る。

 先程見た、横たわるセリアの眉が苦しげに歪められている姿に、代わってやれたらと何度も思った。


 ――恐ろしい。


 かつてこれ程恐怖したことがあっただろうか。姉を失ってから、悪夢に苛まれることすら己への罰だと諦めていた自分が。

 どんな理由があって、彼女がここまで傷つく必要があるのだ? 何故、それが自分ではなかったのだろう。何故、セリアでなければならないのだ。もしこれが自分であったなら、どれほど楽だっただろうか。

 あの時響いた銃声に、我も忘れて必死にその場へ走った。目の前を阻む男達を叩きのめして、死に物狂いで少女の下へ向かったのだ。それでも間に合わず、その先で見た光景に背筋が凍った。今もその身体を這い上がる不安は、どうしても消えない。

 ようやく見付けたのだ。自分に安らぎを与えてくれる存在を。それを傷付けたくないと願うのに……






 心配したルネがそっと追いかけた先の洗面所で、イアンは我武者羅に壁を殴りつけていた。叩きつけられた拳は、皮膚が切れ、血が流れている。それを気にすることもせず、痛みの走る筈の拳を、何度も振り上げていた。

「イアン……」

 居た堪れない。

 まるで鬼の形相のそれで鏡に映る己を睨みつけるさまに、ルネは僅かに眉を潜めた。その心の慟哭が、痛い程に伝わってきたから。どれほど後悔しているのだろうか。あの少女を守れなかったことを。もしかしたら、彼女に恋焦がれてしまったことすらも。

 壁を殴りつけるのをやめたかと思うと、イアンはズルズルと膝から崩れ落ちた。一歩、その後姿に近づいたルネに、か細い声が届く。

「……アイツは……」

「……?」

「なんでアイツはああなんだよ」

「……」

 どうして、いつもあの少女は傷つくのだろうか。どうして、自分を大事にしてくれないのだ。此方がどんな思いで、離れて行く小さな背中を追っているかなど、微動も解っていないくせに。その姿に手を伸ばしても届かず、彼女を捕まえていられない自分が、更に腹立たしい。


 さっさと帰って来い。自分を置いて何処にも行くな。胸に去来する願いはそんなものばかり。

 










    夢を見ていた。

 

 右も左も真っ暗で、一寸先すら見えない。ただ、その場に自分が佇むだけ。動こうとしても、まるで手足に枷を嵌められているように、微動だに出来なかった。


 ここは何処だろう?

 辺りを見回すも、孤独と闇が広がるばかりで。光も音も無い、本当に何も無い世界だ。

 そんな場所に一人放り出された寂しさに耐え切れず、つい俯くと背後から声が聞こえた。

 

  ―ねえ―


 驚いて振り返れば、そこには栗毛の少女が居た。いや、少女というには少し違うか。彼女は自分よりも大人びていて、背が高い。年の頃は17といったところだろうか。

 見慣れたフロース学園の制服を着たその少女は、次に自分に向かってにこりと微笑んだ。


 ーどうして泣いてるのー

「泣いてる……?」


 言われた言葉にそこで初めて、自分の頬を伝う温かいものに気付いた。その途端、それは堰を切ったように溢れ出してくる。そして、気付けば周りの闇は晴れ、懐かしい部屋の中に立っていた。

 一瞬そこが何処だか解らず、キョロキョロと見回し漸くその場所を思い出す。

 ここは、自分の部屋だ。ベアリット家の屋敷の一角にあり、ずっと自分が住んでいた部屋。そして目の前には、鏡に映った小さな、十にも満たないだろう程の女の子が、目から涙を零していた。

 そこで再び、今度は見えない場所から、またあの質問が響く。


  ーどうして泣いてるのー



 そうだ。自分は叱られたのだった。


 思い出すと同時に、再びその瞳から溢れるものの量が増した。


 父に読み聞かされた一つの絵本。国を築いた一人の王と、彼を愛した女神。そして、王を生涯支えたマリオスの話。胸に走った興奮に任せて、自分もマリオスの様になりたいと言った。

 けれど、次に見た父の顔は困惑した者のそれ。今なら解るが、きっとその心は戸惑いで溢れていたのだろう。

 困り顔の父は、それでも僅かに苦笑すると、頭を優しく撫でてくれた。それが嬉しくて、自分も国に忠誠を捧げると、絵本の中のマリオスの台詞を繰り返して屋敷の中を駆け回った。

 そして、他の大人達に叱られたのだ。自分には無理だと。国の為に生きるなど、マリオスのように王を支えるなど、馬鹿なことを言うなと。


  なんで!?なんで私はダメなの?


 叫んだ疑問に答える者はなく、ただ虚しく自分の声が響き渡るだけ。気付けば、辺りは先程の真っ暗な世界に戻っていた。


  なんで女の子はマリオス様みたいになっちゃダメなの!?


 遂に耐え切れずに嗚咽が漏れた。一人きりという孤独も手伝って、目から溢れる涙は止まらず、悔しさと悲しさが止め処なく流れ出す。

 小刻みに震える小さな肩に、誰かがそっと優しく手を置いた。振り返れば、先ほどの栗毛の人が口にしたのは、再び同じ質問。

「どうして泣いてるの?」

「ひっく。私はダメだって……私は、クルダスの為になっちゃ、いけないんだって……」

 嗚咽交じりに紡がれた言葉に、栗毛の人は短く頷いた。

「女の子は、そういうこと…えっく…言っちゃ、いけないんだって……」

「そう。じゃあ、諦める?」

「そんなのやだ!私だって、頑張る!一生懸命頑張るもん!」

「……そっか」

 優しげに茶色の瞳を細めたその人は、長い栗毛を揺らしながら立ち上がると、スッと前を指差した。


  ―じゃあ、彼等のところに帰らなきゃね―


「へっ!?」

 その人の指差す方を振り向けば、ぼんやりと遠くに見える五つの影。顔はよく見えないが、自分は彼等を知っている気がした。

 何処で見たのだろう、と思い出すべく立ち尽くしていると、その背をやんわりと押される。驚いて振り返れば、そこに立っていたのは小さな、十にも満たないほどの女の子。栗毛と茶色の瞳を持つ、自分によく似た少女は、こちらへ向かってニッコリと微笑みながら手を振っていた。


 そこでハッと思い出す。そうだ。自分は戻らねば。


 咄嗟に踏み出した足は、先ほどまで動かなかったことが嘘のように軽い。


 自分は一刻も早く起きなければ。国の為になることを望んで、フロース学園に入学したのだった。そこで、彼等に出会って……


 まだぼんやりとしている影を目指して、懸命に足を動かす。少しずつ近づくにつれて、その表情もはっきりとしてきた。それと同時に、確信がより一層強まる。自分は彼等を知っていると。


 学園に入学し、色々なことを知って。大変な目にもあって。彼等にも迷惑を掛けて。それでも、たくさんの経験をして。そして、マリオス候補生にまでなったのではないか。


 だから、自分は早く戻らなければ。彼等の元へ。

 今まで他人には否定されてきた夢を、初めて受け入れてくれた人物達。知らない内に、彼等は自分の中でどんどん大きな存在になっていって。

 同じ夢を語る事を許してくれた。仲間だと言ってくれた。驚かされたり、色々なことに気付かせてくれたり。そんな、大切な。



 もう少し、もう少し、と脇目も振らず走り抜ける。彼等まであと一歩というところで ―― 光が弾けた。




一体、お父様は何を考えて……

あんなことまでするなんて、私は一言も聞いていない。それよりも、そんなこと起こって良い筈ではないのに。

私は、何てことをしてしまったの。



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