打算 1
なんとなく気まずい雰囲気だったが、セリアは一言聞きたくて口を開いた。
「あの、クラリスさん。お話しだけなら学園の中でも良かったのでは」
「……ご不満ですか?」
訝しげに眉を潜められてしまえば、セリアはそれ以上を言えなくなってしまう。
「い、いえいえ。滅相もない」
ブンブンと首を振るセリアに、クラリスは眉間に皺を寄せた。何故自分が彼女に劣っていると判断されたのか、見れば見る程解らない。
セリアの言う通り、クラリスが足を進めたのは学園の外。街の裏道にも近い場所だ。日も落ち、辺りは段々と薄暗くなっているのに、クラリスは迷いなく歩みを進める。そしてセリアは、その後を付いて行くしか無かった。けれど、言われてクラリスも考え直す。
指示には従った。が、はたしてこれで良かったのだろうか? 今の所、彼女を学園の外へ連れ出す意味は無いように思う。だからといって、それを違えることなどクラリスには出来ないのだが。
暫く歩いて漸く目的地に付いたのか、足を止めたクラリスはクルリとセリアに向き直った。
「セリアさんはどうやって候補生になられたのですか?」
「はい?」
「何か。あの校長やカール様達を納得させるだけの、何かが貴方にはあった筈です」
そうでなければ、自分には理解出来ない。自分を苛む敗北感を押さえられないのだ。
折角の機会だからここで確かめたい、と真剣な表情で聞かれたセリアは、非常に困惑した。どうやってと聞かれても、自分は答えられない。セリア本人でさえよく理解していないのだから。それよりも、候補生になる自信で溢れていたクラリスから、その様な質問をされるとは思ってもいなかった。その所為で、余計に言葉に詰まる。
ジッと答えを待つクラリスにセリアが何も言えないでいると突然、二人の背後に複数の気配が立った。気付けば何時の間に居たのか。数人の、いかにもガラの悪い男達がこちらをジロジロと睨んでいる。視線を彷徨わせれば、反対の方向でもやはり同じ様な男達が道を塞いでいた。
クラリスも異変に気付いたらしく、短く息を呑む声が響く。セリアは咄嗟にクラリスを守る様に男達との間に立ったが、如何せん相手が悪い。
「フロース学園の制服の女学生で栗毛。間違いねえな」
先頭に立った髭面の男の言葉に、セリアはピクリと反応した。何が狙いかは知らないが、自分が深く関わっているらしい。どうやら、ただの不良ではなさそうだ。
「何か御用ですか?」
セリアから放たれたその問いに答える者はおらず、ただニタリと笑いを浮かべるだけだ。
取り敢えず聞いてみたのだが、彼等は自分と雑談をしに来た訳ではないらしい。まあ、予想はしていたが。
「お話しがあるなら窺います。でも、関係無い人は解放して戴けますか?」
「ほぉ。ご立派なことだ。だが悪いな。二人共連れて来いって言われてるんでね」
言われている?誰かに指示されているということか。それではまるで、自分とクラリスがこの場に来ることを解っていたようではないか。だとすれば狙いは何だ。と、セリアは思考を巡らすが、ダメだった。今は解る事が少な過ぎる。狙いも、彼等が何者かも解らなければ、下手に行動も出来ない。
周りを強く見据えるセリアの陰に隠れる様にして顔を青ざめているクラリスは、突然の事態に怯えているようにも見える。けれど実際は違った。
男達は、明らかに自分達を待ち構えていた。けれど、こんなこと自分は一切聞かされていない。しかも、こんな男共を利用しなければならないとは、一体何事だ。指示には忠実に従って来たが、それはあくまでも学園内での問題だけだと思っていた。けれどもしかしたら、もっと大きなことに自分は加担してしまったのでは。
「ほら。さっさとしろ!」
歩く男達の後に従うセリアは、悔しさに奥歯を噛む。情けないが、この人数を相手に素手でやりあうのは無理だ。逃げ切るにも、囲まれるように道を塞がれていては自信がない。クラリスだけでも逃したかったが、彼女も重要視されているならそれは難しいだろう。下手に刺激して、より危険な状態になるのも避けたい。ここは不本意だが彼等に従うしかないか。
グッと力を入れた腕は、掌に深く爪を食い込ませた。
「マリオス候補生の皆様はいらっしゃいますか?」
「……?」
中々戻らないセリアに多少の苛立ちを走らせる温室に、そんな声が響いた。恐る恐る候補生達の温室に顔を覗かせた青年は、中を確認してから再び口を開く。
「あの、すみません……皆様にペンダントを持って街の広場まで来て欲しいと言う方がいて」
「はっ?」
フロース学園の制服を来た青年に言われた言葉を、候補生達は処理するのに一瞬遅れる。けれどその意味を理解した途端、ガタンと席から立ち上がった。
「君、それはどういうことだ!?」
「い、いえ、あの……自分はそれだけ伝えろと言われただけで……」
オロオロと震え出す青年を前に、候補生達は目を見合わせる。一体、何が起こっているのだ。その場に混乱が走るのを感じ取ると、青年は耐えかねた様子で、さっさと温室を後にしようと決めた。
「では。お伝えしたので」
「待て」
青年が背を向けた途端、静かな声が温室に響く。威圧的なその声に動きを制された青年は、ダラリと冷や汗が流れるのを感じた。
「貴様は何者だ?」
「なっ!? なんのことでしょうか?」
「サイズの合わない制服を無理に来ている生徒に、私は覚えがない」
「……!?」
その言葉に、その場の空気が凍った。瞬間、本能的に危険を察知した青年は地面を蹴ってその場から逃げ出す。
「させません!」
けれどそれを許さない者が居た。逃げようと動かした足を払われ、地面に叩き付けられる衝撃と共に上から押さえ付けられる。グッと身体に痛みが走った筈の男は、それでもニタリと笑みを口に浮かべた。
「へえ。流石は名門校の生徒様だ」
「先程の言葉の意味を吐いてもらおうか」
この世の誰もが竦み上がりそうな形相で青年を睨む銀髪の魔人は、無駄な問答をする気はさらさら無いらしい。それは他の候補生達も同じで、ザウルは押さえ付ける力を強める。
「いでででで!」
「ペンダントを持って来いとは、どういう意味ですか?」
「言った通りさ。俺達の雇い主がそのペンダントってのをご所望でね。何のことかアンタ達には分かるって話だぜ」
男の言葉に候補生達は再び顔を見合わせる。そして、その視線はイアンがまだ握る、ペトロフのペンダントへと向いた。
「あんまり下手なことしない方がいい。こっちは可愛い貴族のお嬢ちゃんを二人預かってるんで」
「なに!?」
「黒髪の方は中々の美人だし。栗毛の方は、まあ地味だが威勢は良かったな」
瞬間、その男を殴ってやろうと握られた拳を、イアンは無理やり止める。似たような感情は他の候補生達にも走ったようで、皆何かを堪えるように眉を顰めた。ここで、彼女が自分達の弱みだと曝すのは、その身の危険を高めるだけだ。未だにニタリと笑みを浮かべる男に、腹の底から怒りが込み上げるものの、候補生達はそれをどうにか抑えた。
兎に角、こちらは人質を取られてしまっている。下手な動きは出来ない。この男の言葉通り、ペンダントを持って広場へ行くしかないと判断した候補生達は、即座に動いた。
人気の無い広場は、街灯の明かりで僅かに照らされている。
日の沈んだ広場の中央では、二人の少女がその腕を拘束されながら並んで立たされていた。セリアが視線を動かせば、他にもまだ五人程、それぞれの位置で時が過ぎるのを待っている。自分達を拘束している後ろの二人を振り払っても、逃げ道を塞がれてしまっては意味が無い。この状況から抜け出す術を、セリアは必死に模索していた。
暫くそうしていると、聞こえたのは僅かな足音。ハッとして前を見れば、候補生達ともう一人知らない男が広場へと入って来る。何が起こったかを理解すると、セリアは再び青ざめた。
「なんだマーサ。戻ってこねえと思ったら、案の定ヘマやらかしたのか」
「勘弁して下さいよ頭。元々その積もりだったんでしょうが。俺は生きた心地がしませんでしたよ」
マーサと呼ばれた男が候補生達の横で叫べば、途端に笑い声が漏れた。セリアとクラリスの後ろに立つ頭と彼の会話に、セリアは更に絶望する。
ダメだ。自分の後ろに立つ男、恐らくリーダー格であろう彼はかなり信頼されている。それは、彼等の団結力と、男の力量を誇示することに他ならない。下手な小細工の効かない相手だ。
候補生達もそれを読み取ったようで、平静を装っているが、僅かに顔を渋らせる。
「わざわざ悪いな。なぁに。こっちは出来るだけ穏便に済ませてぇんだ。それを渡してくれりゃあ、危害は加えねえ」
声高に言った男がグッとセリアの髪を引いた。後ろから加わった力に、セリアは無理やり上を向かされる。そうして仰け反った喉にヒヤリと冷たいものが宛てがわれ、茶色の瞳が薄暗い空を見上げたまま見開かれた。
「けど、下手な事をするなら容赦はねえぞ」
……本気だ。喉の下に当たる刃の先から何の躊躇も感じず、セリアはそう直感した。
目の前で見せつけられた光景に、候補生達も揃って息を呑む。けれど、決して顔には出せない。相手の意識をこちらへ引き戻すべく、ランが声を上げた。
「分かった。従う。手順を言ってくれ」
「中々物分りがいいようで……まずはウチの奴にそれを渡せ」
その言葉と同時にイアンがマーサと呼ばれた男に、ペトロフのペンダントを渡す。それを確認したセリアは、途端に沸き上がった制止の声をなんとか抑えた。自分の下手な動きは、候補生達に更に負担を掛ける。そう判断し、今にも止めろと叫びたくなる喉を叱責するが、それでも手が震えた。
あれは、紛れもなくペトロフに託されたペンダントだ。彼等の狙いがそれであるのは理解したが、そんな簡単に渡して良い筈はない。セリアは、自分の現状に心底苛立った。候補生達を巻き込んでしまったのも、ペトロフの意思が他人に渡ってしまったのも、己の責任だ。
「二人のお嬢さんのどちらかを選べ。まずはソイツと交換だ」
「もう一人はどうなる?」
「そのペンダントってのを渡す相手が居るんでね。それまで預かることになるな。まあ、事が終わればちゃんと解放してやるよ」
男の言葉に候補生達はグッと唇を噛んだ。
初めに解放される者の方が、後で解放される者よりも遥かに危険は少ない。特に、一緒に連れて行かれてしまったのでは、安全を確認する術すら見失ってしまう。
「その保証はあるか?」
「俺達は殺し屋じゃねえんだ。命までは取らねえ。それは約束しよう」
「…………良いだろう」
仕方ないが、ここは従うしかない。他に方法がないのだ。こうするしか。
「それで、どっちを選ぶんだ?」
ニヤリと嫌味ったらしく笑う男の言葉に候補生達は全員グッと拳を握る。しかし、誰が答えるよりも先に、冷たい声が発せられた。
「黒髪の女が先だ」
静かな声は、それでも空気を割って少女達の耳にも届く。それと同時に、男はクラリスから手を離した。
「だってよ。よかったな。美人は得で」
男に背を押され、一歩ずつ踏み出すクラリスをセリアは静かに見送った。その腕は、まだ男に拘束されている。
首飾りを手にした男が離れて行くのと同じ早さで、黒髪の娘も歩く。その瞳は未だに不安げに揺れているものの、何処か安堵も含んでいた。
候補生達の傍まで来たクラリスは、安全を確保したことでそれまでの緊張が取れ、思わず自分を救ってくれた銀髪の青年に駆け寄った。
「カール様……」
「邪魔だ」
けれど、耳を突いた声があまりに冷たく、向けられた視線が今にも自分を射殺さんばかりに突き刺さったことにクラリスは絶句した。
銀髪の青年が自分を選んだ時は、感嘆に涙が出そうであった。やはり、彼は自分の味方だと思ったのだ。セリアよりも自分を優先してくれた。そう信じたのに、実際はどうだ。心底忌々しげに睨まれ、相手にもされない。
訳の分からない己の立場に動揺で混乱し出すクラリスを、横からスッと優しく引く手があった。振り返れば、真剣ながらも落ち着かせようと柔らかな笑みを向けるルネの姿。
その手に導かれ、クラリスは候補生達の後ろに立つ。けれど、そこから見る背は、何処か冷たく、突き放したようであった。隙間から覗き見れば、マーサという男も仲間の元へ戻ったようで、満足そうな声が聞こえた。
「遅くても三日の内にはこのお嬢さんも自由の身だ。それまで、下手な動きはするなよ」
念を押すように言うと、男達は言葉通りセリアを連れて広場から消え去った。
フッと走った安堵感に、クラリスは脱力する。とにかく、自分は解放されたのだ。何と言われようと、自分が優遇されたことに変わりはない。
「カール様。私は……」
「目障りだ。早々に戻れ」
「ま、待って下さい。カール様!私は……」
自分の言葉に耳を貸す事無く、先程と同じ冷えた瞳で睨まれた。再び背を走る悪寒に、クラリスは表情を歪ませる。
何故だ。自分の安全を優先したからこそ、先に解放させたのではなかったのか。いや、そうである筈だ。なのに、何故。
「クラリス。今は学園に戻って。一人で帰れるよね?」
「み、皆様は?」
「僕達はセリアを助けに行かなきゃ」
「ですが、先程の者は、セリアさんの安全も保証すると……」
「でも、やっぱり放って置けないから」
理解出来ない、と言った風にクラリスは眉を寄せる。そんなにセリアが気になるのなら、何故彼女を解放させなかったのだ。
その心を読み取ったのか、ルネはゆっくりとクラリスに言い聞かせた。
「僕達はね、どっちかを優先したから一人を選んだんじゃないよ。二人が絶対に無事でいられる確立を上げる為に、セリアを残したんだ」
「……!?」
「どっちの方が大事っていう感情は関係ないし通用しない。どっちも絶対に助ける。それが、僕達の役目だから。後に残った方はどうでもいいなんて、これっぽっちも考えていないよ」
ルネの言葉にクラリスは徐に俯く。そしてその意味を理解したクラリスは、グッと拳を握り閉め、弱々しく言葉を吐き出した。
「……私は、信用されていないのですか?」
「残念だけど、結果的にそういう事になるね」
決して、クラリスがこちらに害ある行動をすると考えている訳ではない。ただ、自分達がしっかりと力量も把握し、尚且つ信用に足る者が、セリアだった。
突き放すようなルネの言葉は、それでも優しげで。それが、更にクラリスの胸を抉った。
真剣な表情で語るルネに、クラリスは何も言い返せなかった。彼等の意思や思考は、到底理解出来ない。けれど、言っていることの意味は分かる。そして、これから彼等が何をするのかも。
広場の外から呼ぶ声に反応を示すと、ルネはゆっくりと立ち上がった。
「とにかく、クラリスは学園に戻ってて。後は僕達が何とかするから」
それだけ言い残し去って行く後ろ姿を、クラリスは呆然と見送るしかなかった。
「わざわざ依頼するっていうから、どんな豪華な物かと思えば。随分とチンケだな」
後ろでペンダントを眺めながらブツブツと文句を吐く男達を、頭と呼ばれていた男が笑い飛ばした。
「これも仕事だ。それで大金なら良いじゃねえか」
仕事、と言った男をセリアは訝しげに見遣る。その会話から、一つの疑念が生まれた。
「ほら。大人しくしてな」
浮かんだ考えに思考を飛ばしていたセリアがポイッと乱暴に放り込まれたのは、人気のない場所に止められた幌馬車の荷台。目の前を睨みつければ、頭目の男が猫の様な金色の瞳を細めた。
「そう怒るなって。こっちも面倒は起こしたくねえんだ」
凄む男から目を逸らし、セリアは辺りに視線を巡らせた。そこには、箱に積まれた林檎や小麦の袋が置かれている。一見すれば、荷物を運んでいるだけのただの馬車だ。けれど……
頭目が他の男達に指示しに行ったのだろう、馬車から離れた隙にセリアはこっそりと林檎の箱の一つを調べた。
「やっぱり……」
林檎を二、三個つまみ上げれば、現れたのは一枚の板。やはり、箱は二重底になっていた。その下に何が入っているのかは、大体想像が付く。予想はしていたが、彼等は窃盗団の類なのだろう。だとすれば、彼等は本当にただ金で雇われたにすぎないのか。
「お前等は先に戻ってろ。俺はコイツを引っ張って行くからよ」
頭目の声と同時に、荷台の横を誰かが軽く叩いた。それと同時に、バラバラと幾つもの足音が遠ざかる。彼が一人でこの幌馬車を動かすのだとすれば、行き先は彼等の拠点か。
そんな風にセリアが考えていると、幌馬車が動き始めた。振り向けば、先程の頭目の男が御者台に腰掛けている。
男が馬を操る方に集中しているのを確認したセリアは意を決し、自分が座った場所の横に置かれている小麦の袋の一つに手を伸ばす。そして、男に気付かれないよう、慎重に袋の端を破いた。途端に袋から小麦が溢れ出す。そして、馬車の床に溜まった小麦は、そのまま荷台の外へ向かって流れ出した。
サッと御者台を確認するが、男は気付いていないようである。セリアは再び安堵の息を吐いた。
これで候補生達に場所を知らせることが出来る。再び彼等を頼ることになってしまうことは心苦しいが。けれど、自分一人であのペンダントを取り返し、尚かつ逃げ切れるか、と聞かれれば自信はない。
己の不甲斐なさに、セリアは再び奥歯を噛み締める。
だからといって簡単に諦めることなど出来ない。誰だか知らないが、窃盗団を使ってまであのペンダントを欲するとは。ペトロフは何か余程重大なことを自分に託したのか。ならば、それは何としてでも守らねば。
自分のしてることが最善かなんて、そんなこと解らない。考えてる時間も無い。ただ、どうしても守りたかった。何としてでも、突き止めたかった。だから自分の出来ることをやる。
そしてこれが、今の私に出来ることだから。