表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第二章 磨かれる原石〜
61/171

来寇 1


「それで。のこのこと手ぶらで戻って来たわけか」

「……仰りたいことは重々承知しています」

「フン! 涼しい顔をしおって。こんなことが続くようならお前もレイダーと同じ目に遭わせてやるぞ」

「いつでもお好きな時に。しかし、今はそのようなことを話している場合ではないように思いますが」

 言葉通りの涼しい顔で言ってのけた男に、男の主はグッと言葉を詰まらせた。

 この男が自分の脅しに臆することがないのは十分解っている。だからといって、このまま言い包められるのは、やはり面白くない。それでなくとも、再び生じた誤算に機嫌は急速に降下していっているというのに。

 やり場のない怒りをぶつける様に、主はその場にあったティーカップを床に叩き付けた。粉々に砕けた白い陶器が、雪のようにその場に散らばる。

 主の怒りを表すそれを、まるで大したことではないかの様に冷めた瞳で一瞥した男は続けた。

「今度ばかりは私の手にも余る事態です。宜しければお力添えをお願い出来ますでしょうか?」

「貴様!? なにをヌケヌケと……」

 つい今しがた、自分を小馬鹿にしたような態度を取っておきながら力を貸せだと!? 何を調子のよいことを言っているのだ。あまりに太々しさに、主は顔が茹で上がらん勢いで男を睨みつける。

「ご判断はお任せします。ですが今のままでも、我々にとって歓迎出来る事態だとは思えませんが」

 淡々と述べられた男のもっともな意見に、主も押し黙まった。男の態度には大いに不満を感じるものの、だからといってその言葉を無視する程、愚かではない。怒りで震える拳を押さえ付けながら、短く了承の意を伝える。

「ご理解、感謝致します」

 僅かに口の端を吊り上げた男は、丁寧に頭を下げて見せた。








「転入生……ですか?」

「正確には、転入希望者だね」

 ニッコリと笑みを浮かべる校長に、セリアは小さく首を傾げた。急にマリオス候補生達が召集されたので何かと思えば、来週から新たな生徒が来ると伝えられたのだ。

「本人が強くこの学園への転入を希望していてね。今在学中のアロスクロテーヌ学園からも是非にと推薦状が届いたのだよ」

「アロスクロテーヌ学園といえば、このフロース学園に並ぶ名門。たしか、校長のご友人が理事をされていると聞き及んでいますが」

「流石カールハインツ君。その通りだよ」

 上機嫌でカールの言葉に頷く校長は、今にも踊り出しそうな勢いだ。一体、何を企んでいるのだろう。とセリアは僅かばかり不安を覚える。

「校長。それで、我々が呼ばれた理由は……」

「ああ。知っての通り、本来中途での転入は難しいのだが、セリア君の例もあるからね。不可能という訳ではない。そこでだ。少し様子を見たいと思ってね」

「……様子を見る、とは。一体どういう意味ですか?」

「本人は早期の転入を望んでいるのだが。しかし、セリア君の時もそれなりに時間がかかった。覚えているかね」

 途端にランから自分へ視線を映した校長に、セリアも頷いて見せる。確かに転入する際、試験やその他の手続きから、実際に自分がこの学園に転入する日まで、随分と間が空いた。

「そこで参考材料でもある、人物や生活態度を見極める為に、君達にも強力してもらおうと思ったのだよ」

「はっ?」

「アロスクロテーヌ学園でも成績は大変優秀で、他生徒や教師の人望もあると聞いている。マリオス候補生制度にも強い感銘を受けているようでね。実際に転入を認めるかはまだ決まっていないが、暫くの間ここで生活をして貰うことになったのだよ。その間の生活は君達に任せたいのだが、どうだろうか?」

 どうだ、楽しそうだろう。と笑顔を振りまく校長の申し出に対し、候補生達は一瞬戸惑いを見せるものの、すぐに心得たといった感じで頷いた。

「我々と志を同じとする仲間が増えることは、何より喜ばしいことです」

「流石ランスロット君。きみらしい答えだ」

「それで校長。彼の名は……?」

 ランの質問に校長はよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりにニヤリと笑った。その笑みに候補生達は再び首を傾げる。

「『彼』ではないよ」

「はっ?」

「シェライエ子爵家令嬢。クラリス・シュライエ君だ」





 校長の突然の呼び出しから数日。到着した新たな生徒を迎えるべく、候補生達は再び校長室に集められていた。

 先程から妙に上機嫌な校長を見ると、心底この人物は新しいことが好きなのだ、と思い知らされる。いい歳をした大人が、鼻歌まじりに頬を緩ませている様は、はっきり言ってしまえば怪しいのだが。

 飽きる事なく校長を観察していると、部屋へ来客が来たことを告げるノックの音が静かに響き渡った。その音を聞いたセリアは、自分もこんな感じだったのだろうか。と、そんなことを考える。


「入りたまえ」

 校長の入室を許可する言葉に、セリアも身を引き締めた。それと同時に開いた扉の向こうから現れたのは、言われていた通り娘だった。

 肩の下まで真っ直ぐに伸ばされた黒髪は柔らかに揺れ、少し見ただけで解る凛とした立ち振る舞い。キリッと整えられた眉と、スッキリと通る鼻筋は利発そうな印象を与える。一見して「美人」という形容詞が適当だろう容姿だ。

 ゆっくりと入室したクラリスは部屋を見渡したかと思うと、その空色の瞳をセリアに定める。その視線に気付いたセリアが不思議に思い見返すと、クラリスの口の端が僅かに上がったような気がした。


「諸君、紹介しよう。先日話した通り、転入を決めるまでの間ここで生活してもらう、クラリス・シュライエ君だ」

「誉れ高きマリオス候補生の皆様とお会い出来て、真に光栄です」

 伸びた背筋に似合う真の通った声だ。この場に緊張した様子もなく、堂々としている。

「ランスロット・オルブラインだ。これから宜しく頼む」

「ルネ・レミオットです。解らない事があれば、なんでも聞いて」

 柔らかなルネの言葉に、クラリスは静かに頷いた。

 二人が終わったので自分も名乗るべくセリアは口を開いたのだが、それが音になる前にクラリスから言葉が発せられたので、反射的に声を飲み込んだ。

「フロース学園初の女性マリオス候補生、セリア・ベアリットさんですね。お噂は予々」

 クラリスの確信したような瞳に、セリアも目を見開いた。ズバリ言い当てられたことに戸惑いを見せるセリアの前に、クラリスは手を差し出す。驚いて視線を上げれば、次には強い瞳で射抜かれた。

「どうぞ、仲良くして下さい」

「あっ。こちらこそ宜しく」

 半ば呆気に取られていたセリアは、慌ててクラリスの真っ白な手を取った。それは驚く程冷たく、血が通っていないのではと一瞬疑ってしまう。そんなことはあり得ないので、すぐにその考えも消えたが。

 お互い好印象を抱いた様子の生徒達に、校長も微笑ましいものを見る様に笑顔を向けた。

「クラリス君。ここには居ない候補生も居るが、後で彼等に紹介して貰うと良い」

「はい。ありがとうございます」

 この部屋に始めて入った時から今まで、僅かな隙も見せず、落ち着きながらも威厳を保ってみせたクラリスは、その後も一寸の乱れもなく、凛々しい姿勢でその場に存在していた。






 クラリスを女子寮の部屋へ案内したセリアは、少し荷物を整理したいという彼女の為に、自分の部屋へ戻っていた。校長室での挨拶が終わり、他の候補生達は温室で待っている。セリアも片付けを手伝う積もりでいたのだが、一人で平気だと断られてしまい、暫くすることがなくなってしまった。

 自室の扉を閉めると、セリアは真直ぐ机に向かい、その引き出しを開く。そこには、金の細い鎖に繋がれたペンダントが今も静かに置かれていた。

 ペトロフ氏が託してくれた物だ。彼の死は、セリアも新聞で知っていた。

 自殺だとの事だったが、セリアにはそれがどうしても信じられない。少なくとも、自分が話した限りでは、ペトロフはたとえ死に繋がる道を選んだとしても、自らその命を絶つ様な人間には見えなかった。それが、何故。

 疑問ばかり沸き上がり、考えても答えは出ない。結局、このペンダントが一体なんなのか、自分で見つけ出すしかなくなってしまったのだ。これも、彼の茶番の一つに過ぎないのかもしれないが。

 候補生達以外で首飾りの存在を知っている者はいない。少なくとも自分が知る限りでは。彼等も一緒になって色々頭を捻ってくれたのだが、答えは見つからないまま。そうして今では、毎晩数分の間だけ手に取って見るだけの物になってしまっていた。そうして暇さえあればこうして眺めてみるのだが、いくらそうして結果は同じだ。

「セリアさん」

「あっ!はい」

 部屋の外から聞こえた声に、セリアも瞬時に我に返る。いかん、いかん。自分がぼんやりしている場合ではないのだった。

「すみません。大丈夫ですか?」

「お待たせしましてすみません。ありがとうございました」

「じゃあ、行きましょう」

 部屋での用事を終えたらしいクラリスと共に、セリアは寮を出た。この後は、校長室へ来れなかった候補生達を紹介することになっている。しかし、温室まで二人並んで歩く内に、セリアは聞かされた事実に驚いた。


「彼等を知っているのですか!?」

「はい。先程紹介して戴いたランスロット様とルネ様の他に、イアン・オズワルト様。ザウル・アルシャーノフ様。そして、カールハインツ・ローゼンタール様。とても優秀な方々だと聞き及んでおります」

 彼等を既に知っていると言われ、更に名前まで見事に言い当ててみせたクラリスに、セリアは再び驚く。

「それに、カールハインツ様は以前パーティーでお見かけしたことがあります。数年前の話ですが」

「はあ……」

「マリオス候補生様のご活躍には、以前から敬服しておりましたし。未来の国の中核ともなり得る方々です。お名前くらいは存じていて当然では?」

 訝しげな視線を向けられセリアはうっと言葉に詰まる。そして、初めて彼等に出会った時、彼等が何者であるか全く知らずに、ある意味衝撃的な出会いとなってしまった事を思い出した。彼等と親しくなり思い知ったことだが、候補生達はそれなりに名が知られているようだ。なのでそう言われれば、確かにクラリスの言っていることは正しいような気がする。

 そんな会話をしていると、いつの間にか温室が見えて来た。この後は学園内を案内する予定なのだが。さて、今日一日でどれだけ見て廻れるか。なんだか、また自分の時のことを思い出してしまう。

 そんな風に考えてしまい、セリアは少し胸躍るような気分を覚えたのだった。






「本当に広いのですね。フロース学園は」

「ええ。私も最初は迷ってばかりでした」

 一日を終え、寮へ戻って来たクラリスとセリアはその日を振り返っていた。案内するといっても、やはり一日では回りきれず。必要になるだろう場所を半分程見終わったところで切り上げてきたのだ。

 それでもかなりの場所を歩き回り、セリアが僅かな疲労を感じながらクラリスの部屋の前まで来た時だった。

「ちょっと!」

 残りはまた明日にでも、と話していた所を唐突に遮られ、セリアは慌てて振り向く。すると、そこには数名の女生徒達が立っていた。

 目を吊り上げてこちらを睨みつける女生徒達に、嫌な予感を覚えるものの、セリアは引き攣る頬をそのままに一応聞いてみる。

「えっと、なんでしょうか?」

「貴方に用はないわ」

「は、はぁ……」

 聞いた途端ピシャリと言われ、セリアはそっと胸を撫で下ろした。取り敢えず、自分が何かした訳ではないらしいので一瞬安堵する。しかし、次に聞いた言葉に顔を青ざめた。

「貴方ね。ここの生徒でもないくせに、候補生様達と慣れ慣れしくしようとしてるのは」

「一体どういう積もりかしら? 候補生様達は、他の学園の生徒の相手をする暇なんて無いくらいお忙しい方達なのに」

 次々と降り掛かる怒りの声に、状況を理解したセリアは途端にオロオロし出す。これはもしや、まずい展開なのでは。まさかクラリスにまで女生徒達の嫉妬の手が伸びるとは思っていなかった。とはいっても、彼女達が実際に被害が出るような事をしてくることは稀なので、そう心配することはないかもしれないが。けれど、だからといって放って置く事も出来ないので、どうしたものか。

「まさか、候補生様達に気に入られれば、この学園にすんなり入れるなんて思ってるんじゃないでしょうね」

「あ、あの……ちょっと待って下さい。彼女は……」

 セリアがなんとかこの場を打開しようと口を開いたのだが、その前にクラリスが立った。驚いて視線を移せば、当人は凛とした立ち姿で目の前の女生徒達を強く見据えている。

「彼女達は、私にお話しがあるようですから」

「ク、クラリスさん?」

「私の問題です。セリアさんは、余計な事はなさらないで下さい」

「えっと……は、はぁ……」

 そう言われてしまえばセリアも頷く他ない。まるで子が親に咎められた時のように、セリアも取り敢えずは口を噤む。けれどやはり心配になってしまうもので、女生徒達の後に続いて廊下を進んで行くクラリスの背中を、セリアは視線で追っていた。




 余計な事はするな、と言われたセリアだが、本当に何もしないべきかと悩む。いくら女生徒達が嫉妬深いと言っても、実害が及ぶような事はしないだろうから、心配しても仕方がないのは解っているのだが。それにあの時、冷たく、強い視線で睨まれた。まるで、絶対に何もするなと念を押すかの様に。確かに、下手に出しゃばっても、自分では女生徒達を静めることは出来ないのだが。とは言っても、やはり心配になってしまう。

 結局、どうしたら良いか解らず、かと言って自室へ戻ることも出来ず、セリアはクラリスの部屋の前でジッと彼女の帰りを待っていた。他に何も思い浮かばず、妙な唸り声を発しながらウロウロと一つの部屋の前を行ったり来たりする様は、かなり奇妙に見えただろう。

 中々変化の生じない状態に、はぁともう一度息を吐き出すと、廊下の向こうから幾つかの足音が聞こえた。ハッとして視線を上げれば、こちらへ向かって歩いて来るクラリスの姿。慌てて確認するが、先程と何ら変わりはない。その事に安堵してセリアもホッと胸を撫で下ろした。それに気付いたクラリスは、セリアとは対照的に訝しげな視線を向ける。

「……こんな所で何を?」

「あ、あの……やはりクラリスさんが心配でして」

 言った瞬間、クラリスは表情を呆れた者のそれに変える。けれど次の瞬間、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ピンと伸ばした背筋をそのままに首だけを後ろに向けた。その視線をセリアが追ってみると、数名の女生徒達が後ろに控えていた。その行動からクラリスの意図を汲み取ったのか、女生徒達は心得たようににっこりと微笑む。

「それではクラリス様。ごきげんよう」

 頭を下げて笑顔で去って行く女生徒達に、セリアもポカンとしてしまう。彼女達からは、先程まで漂っていた敵意も嫉妬も、全く見受けられなかった。それどころか、まるでクラリスを慕っているようではないか。ついニ十分程前の出来事が嘘のようだ。

 廊下の奥に消えた女生徒を確認したクラリスが、唖然としているセリアにゆっくりと向き直った。

「お気遣いは嬉しいのですが、心配には及びません」

「はぁ……そうみたいですね」

「では、また明日」

「は、はい。おやすみなさい」

 それだけ言うと、クラリスはさっさと部屋の扉を閉めてしまった。消えた後ろ姿に、セリアは呆然とすると同時に、感心してしまう。あの女生徒達を、これほど容易く鎮めてしまうとは。アロスクロテーヌ学園でもかなりの人望を集めていた、というのはただの噂ではなかったようだ。

 どうやら自分の心配は、クラリスの言うように杞憂だったようだな。と安心したセリアは、肩の荷が下りたような気がして、漸く自分の部屋向かった。




変わったお嬢さんだけど、今のところ大丈夫みたいだな。ただ、ちょっと気になることがあるってのも本当だ。アイツはあの通りのほほんとしてるし。あの二人は相変わらずだしな。


まあ、それほど心配することもないと思うけどよ。

……今のところは


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ