要因 2
そんな。まさか彼等に同行を頼めというのか。困惑したままセリアは視線をクルーセルに戻した。その先で本人は、相変わらず楽しそうにしているが。
確かに、一人で行くなと言われたのだし、話の流れからクルーセルはそう言いたかったのだろう。けれどそんなことをすれば、また彼等に迷惑を掛けてしまうではないか。そもそも、自分が一人で確認しようとしたのは、彼等に無駄な手間を掛けさせない為であった筈だ。
心配性で責任感も強い彼等が、今回の件を解決しようとしていることは知っている。もし自分が願い出れば、彼等はそれを二つ返事で了承するだろう。けれどそれは同時に候補生達にとっては、厄介ごと以外のなんでもない。何しろ、確証が無いにも関わらず、無理に付き合わせてしまうことになるのだから。
だからといって、このまま一人で外へ出して貰える可能性は無に等しい。一体、どうすればよいのか。
「あ、あの……その、ご、ご迷惑お掛けしました。自分は戻りますから、えっと……」
仕方ない。ここは一旦引き、後ほどまた再決行するしかないだろう。クルーセルと候補生達の雰囲気から、どうしても一人では行かせて貰えそうにない。かといって、これ以上彼等に迷惑を掛けるのもどうかというものである。やはり、この場は諦めるしかないだろう。ペトロフの屋敷へ向かうのは明日にするしかなさそうだ。
まるでその場から逃げるようにジリジリと後ずさるセリアだが、それを候補生達が逃す筈もなく、ガチッとその手を掴まれた。突然の事に仰天したセリアに、苛立ちを隠そうともしない声が掛けられる。
「どうして君はいつもそうなんだ」
「へ、へっ!?」
「君のことだ。また明日にでも一人で、とでも考えていたのだろう」
「うっ!」
まさに考えていたことをそのまま言い当てられ、セリアは大いに怯んだ。い、いったいどうしてバレてしまったのだ。というより、このままではまずい。
青ざめるセリアを他所に、ランの瞳は静かな苛立ちに燃えていた。いや、もう怒りと言った方がいいかもしれない。昼間の様子が気になって、こうして来てみれば案の定、また一人で突っ走ろうとしている。しかも、クルーセルに自分達を頼れとまで言われたにも関わらず、頑なに一人で行動しようとする姿勢を崩さない。それがどれほど自分達を苛立たせているかなど知りもしないで。
守りたい、守りたい、と願っているのにそれを出来ない己も大いに腹立たしいが、何よりも気に入らないのはその鈍さだ。少し目を離せば、いつも手の中からすり抜けて行ってしまう。いや、手にしたことすらないのかもしれない。それが更に自分の苛立ちを募らせる。なのに、この少女はどうしてそれを理解しないのだ。
「いつも、いつも、一人で先走って。それで君に何かあったらどうする積もりだ」
「い、いや、でも。確かに、迷惑掛けてることは悪いと思ってるけど……」
「違う!」
怒鳴られビクリとセリアは肩を振るわせる。そして多少呆気に取られた。ランがここまで怒りを露にするとは、自分はよっぽど彼等の逆鱗に触れてしまったらしい。しかも、ランの勢いに共鳴するように、後ろの候補生達からも怒りがひしひしと伝わって来る。これはもしや相当やばい状態なのでは。
「はいはい、そこまで。ラン君も、ちょっと落ち着いて」
緊迫した場を打ち切る様に、クルーセルが呑気な声を発した。身を切る様な緊張感も、彼には関係ないらしい。
「もう、しょうがないわね。セリアちゃんったら。でも、そこが可愛いんだけど」
「はっ?」
「じゃあ分かったわ。素直じゃないセリアちゃんの為に、ここは私が……」
意味の理解出来ない言葉を発しながら、クルーセルは後ろで怒りの表情を必死に押し殺している候補生達に向き直った。そしてわざとらしく咳払いして見せ、注目を自分に集める。
「マリオス候補生に、今回の件の収拾の為にもレイダー・ペトロフ伯爵への交渉を頼めるかしら?」
「……っ!?」
「どう、セリアちゃん。勿論、マリオス候補生の一人として貴方にもお願いしたいんだけど?」
クルーセルの言葉にセリアは目を見開いた。というより困惑した。これでは、当初自分が一人で行こうとしたのに意味がない。何とか逃れる術を考えていたのだが、クルーセルに先手を打たれてしまい、ますます自分の望まない展開へと進んでいる。
「分かりました。任せていただけるなら、我々がペトロフ氏の元へ赴き、事の真相を確かめてきます」
「フフフ。流石ラン君ね。ありがとう」
一礼して見せるランに、クルーセルはニッコリと微笑みかける。その様子を、セリアは呆然と見詰めていた。まるでそうするのが当然だ、とでも言わんばかりのラン達の返答に、困惑を隠し切れない。
一人狼狽するセリアを他所に、クルーセルは頑張れ、とだけ言い残すとその場を去ってしまった。ハッと気付いた時には遅く、待ってくれ、と伸ばした手が届く事は無い。取り残された状態で恐る恐る後ろを見やれば、先程と変わらずご立腹の様子の候補生達に睨まれた。
「あ、あの……怒ってる……よね……」
「ほぉ。貴様にしては察しが良いな。ならば当然、言い訳くらいは用意してあるのだろう」
「うっ……、そ、その……」
魔人様が降臨した状態のカールにこれでもかという程睨まれ、セリアも震え上がる。迷惑をかけたことを謝罪したくとも、上擦った声ではまともに言葉が発せない。
青ざめながら口篭るセリアを見かねたルネが、僅かに苦笑しながら助け舟を出してやった。
「まあまあ。セリアも反省しているみたいだし、今はそんな場合じゃないでしょ」
候補生達が苛立っている理由を思い切り勘違いしているセリアが、正しく反省しているか、と聞かれれば答えは微妙なのだが、そんな場合ではない、というルネの意見も的を得ている。
天使の微笑みと一緒に、少しずつ柔和していく場の雰囲気に、セリアは心底安堵した。けれど、後ろめたさが残るのも事実。セリアは候補生達に向き直ると、もう一度頭を下げた。
「あの、迷惑かけてごめんなさい。その、こんなことになるなんて……」
言った途端に、その場の全員がイラッとしたのが表情から分かったので、セリアは慌てて口を噤んだ。そして、また怒らせてしまったか、と再び青ざめる。
「うん。あとでちゃんとお説教は受けてね」
「うっ……」
候補生達の視線を遮る様に話を進めてくれるのは有り難いが、ニコニコと笑顔で言われても嬉しくはない言葉に、セリアも閉口した。
「それでセリア。場所は分かっているのか?」
「う、うん。ここから遠くはない筈なんだけど」
「そうか。取り敢えず、行くぞ」
かなり不安があるのだが、セリアに先導を任せ、候補生達は先を目指した。
馬車に行き先を伝え一時間程、漸く目的の場所まで辿り着いた候補生達は、少し先で威圧的に聳える屋敷を前に身を引き締めた。
「セリア。ここで良いのだな」
「その筈なんだけど……」
自信なさげに答えると、セリアは改めて目の前の屋敷を視界に映した。辺りはすっかり夜に染まり、月を背後に構える屋敷は、どことなく不気味な雰囲気を醸し出している。
ここまで来たは良いが、本当に大丈夫だろうか。まだ証拠も何も掴んでいないのだ。フロース学園の生徒達との関わりを、ペトロフに否定されてしまえば強く言い出すことも出来ないだろう。そもそも、本当に彼なのだろうか。情報源が曖昧なだけに、やはり自信はない。けれど、ここに留まっていた所で何も出来ないのだから。とにかく、行ってみなければ。
セリアが意を決し、屋敷へ向かって歩こうと前を見やると、ぼんやりとした明かりが目に付いた。急な異変に、候補生達も警戒を強める。少しずつ近付くそれの正体を確認出来たのは、ランプを手にした男が候補生達の前に立った時だった。
候補生達からは数歩分の距離を開け恭しく一礼して見せた男は、恐らくこの家の使用人なのだろう。
「ようこそ御出で下さいました、フロース学園の皆様。旦那様がお待ちです。どうぞ、こちらへ」
丁寧に候補生達を誘う男に、セリア達も唖然としてしまう。まるで自分達が来る事を知っていたかのような対応だ。どうやら、ペトロフはフロース学園の生徒達との関わりを隠す積もりはないらしい。
クルリと向きを変え男が屋敷への道を歩き出す。置いて行かれる訳にはいかない、とセリアは慌てて彼の後に続いた。
屋敷へ通されたものの、中に明かりは無く、相変わらず男の持つランプだけが候補生達の頼りだった。廊下を歩く度に木霊する足音が、薄暗い所為か嫌に響いて聞こえる。
「どうぞ中へ。今宵は楽園にて、楽しい一時を」
男の言葉にハッとして前を見やれば、大きな扉が視界を覆っていた。脇にズレ、再び頭を下げる男を横目に、先頭に立っていたランがその扉をゆっくりと押す。その瞬間、中から溢れ出した光にセリアも思わず目を眩ませた。
フワリと漂う甘い香りに誘われ、恐る恐る目を開ければ、扉の向こうにはきらびやかな空間が広がっていた。大きなホールに、先程までとは打って変わって明るい照明。それも、贅沢な金色に輝く装飾を、更に眩く光らせている。
あまりの豪華な内装にセリアが唖然としていると、クスクスとした笑い声が聞こえた。驚いて視線を向けた先で見た物に、セリアもギョッとする。ホールの中で美女が寛いでいるのだ。しかも、何人も。それぞれ思い思いの場所で、ソファや柱に身を任せながら、こちらに熱い視線を送って来る。先程漂った甘い香りは、彼女達の香水のようだ。
輝く光に、女神のような美女達。まさに楽園といったこの場に、候補生達も一瞬言葉を無くす。
「よく来た、客人」
唐突に響いた声を追って行くと、奥の椅子にゆったりと腰掛ける、一人の男に辿り着いた。歳は四十代後半だろうか。ブロンドの髪を後ろに流した彼の周りにも、何人もの美女が傍に仕えていた。ニヤリとした笑みを讃えるその男に、セリアは反射的に引きかけた足をなんとか踏み留める。
「栄光あるフロース学園の生徒諸君よ。今宵は全てを忘れ、大いに楽しもうではないか」
声高にそう言うと、男は手に持っていたワインを煽る。その振る舞いや先程の言動から、恐らく彼がレイダー・ペトロフなのだろう。
セリアがペトロフにジッと視線を留めていると、横からスッと伸びた手に身を引かれた。驚いて目をやれば、美女の一人が優しい笑みを浮かべながら自分の腕を軽く引いている。どうやら、こっちへ来いと言いたいらしい。
「そのような所に立っていないで、さあこちらへ」
振り払うことも逆らうことも出来ず、セリアが美女の言葉に従うと、そのままホールの中央に置かれた卓まで連れて来られた。ハッと見ると、部屋の奥から移動したのだろう、ペトロフが向かい側で佇んでいる。彼がそのまま美女に合図を出すと、次には見事な料理が運ばれて来た。
「まずは、我々の出会いを祝して、乾杯と行こうではないか」
先程から手にしているワイングラスをもう一度赤い液体で満たすと、ペトロフはそれを掲げてみせた。候補生達の前でも用意されていた空のグラスが、美女達の手によって次々と満たされて行く。途端にホロ苦いアルコールの香りが周りを漂い始めた。
けれど、候補生達が今までの客の様に彼の誘いに乗る積もりが無いことを悟ったらしい。意味深な笑みを浮かべたまま、ペトロフは再び口を開いた。
「どうやら、君達は私と親交を深める為に来たようではないらしい」
「レイダー・ペトロフ氏。この様に、毎夜学園の生徒達を屋敷に招く行為は、今夜限りで止めて戴きたい」
「フフ、なるほど。マリオス候補生自ら、生徒の規律を正しに来るとは」
「………」
まるでこの状況を楽しんでいる風な口調でそう言うと、ペトロフは再びグラスを空ける。どうやら、候補生達が何者かも、何の為にこの場へ来たかも理解しているようだ。
そのままワインを煽るペトロフは、それきり言葉を発しない。話が中々進みそうにないこの状況に、候補生達も僅かに当惑する。
「何故、この様なことを……?」
「……何故かと?」
ザウルが口にした疑問に反応を見せたペトロフは、次の瞬間には肩を揺らして笑い始めた。
「フフフ。何故か。答えは簡単だ。退屈だったからだよ。若い青年達との出会い程、刺激的なものはない」
「そんな理由で……」
「ククッ。では聞くが、君達は何故ここへ来た」
「………?」
逆に質問された内容に候補生達も戸惑う。そんなことを聞かれた理由が思い当たらない。先程の言動で、自分達が何を目的としてここへ訪れたか、ペトロフが理解していないとは思えないからだ。それを何故また。
どう答えるべきかと言葉を選んでいると、ペトロフがまた口を開いた。
「学園の規律を正した所で、君達になんの得がある?」
「……我々は、マリオス候補生としての責任を果たそうとしているだけだ」
「責任……独り善がりの傲慢さを代弁するような台詞だ」
「なに!?」
挑発するようなペトロフの言葉に、それまで対峙していたランも怒りを露にする。それを後ろからイアンが押さえた。その様をも楽しむようにペトロフは再びニヤリと笑むと、更に続ける。
「なら、君達は何故マリオス候補生になった? 何故そこまで国に尽くそうとする」
「この国の国民として生まれたから、国に尽くそうとするだけです」
セリアがすかさず答えれば、一瞬目を見開いたペトロフは、更に笑みを深くする。
「これは勇ましいお嬢さんだ。では聞くが、国に尽くし、身を削り、その果てに君が得る物はなんだ?」
「はっ?」
「国に生きる他人の為に、負う必要の無い義務と責務を背負い、それを果たそうと奮闘する。その結果君が実際に手にする物はあるか?」
「国の為に何かが出来るのなら、それが自分の喜びです」
負けるものかとセリアが言い返せば、ペトロフは心底可笑しそうに、嬉しそうに口の端を吊り上げた。そして、その挑戦的な瞳をセリアにジッと定める。
「……なるほど。興味深い意見だ。だが、君がその将来を捧げる程の価値が、この国にあるのか?」
「何を……?」
ペトロフの言葉に、セリアは目を見開く。そんな事を聞かれたのは初めてだった。周りが自分の夢に反対する声なら確かにあった。自分の様な者に何が出来る、と。そんなものは今のマリオスと候補生達に任せればよいと。けれど、国に忠誠を捧げるだけの価値があるのかを問われたことなどなかった。そんなこと、考えたこともない。
「優秀な君達ならば予想はしている筈だ。君達が進もうとしている道は茨の道。辛酸を嘗める目に合う事を覚悟してまで、この国の為にしてやることはなんだ」
ペトロフの言葉に言い返してやろうとセリアも口を開く。しかし、言葉が喉を通る前に目の前の景色が揺れ、フラリと蹌踉けた。咄嗟に立ち上がろうと足を動かすも、鼻に纏わりつく甘い匂いに思考が奪われ、そのまま抗えずに膝からガクッと力が抜ける。
倒れると思った時には、腕を強く引かれ、誰かに抱き上げられていた。ハッとして上を見上げれば、冷たいバイオレットの瞳が前を見据えている。
「失礼だが、どうもこれは酒の匂いに酔ったようだ」
「ああ。ならば部屋を用意させる。君達とは、まだ話したいことが多く残っているのでね。続きはまた後ほどとしよう」
とくにセリアの状態を咎める様子もなく、ペトロフは横に仕えていた美女に案内を任せる。そのまま他の者にも簡潔に指示すると、別の扉から屋敷の奥へ消えてしまった。
その様子を見届けると、案内を任された美女が導くままに、カールはセリアを抱き上げたまま歩き出す。
「カール……ごめんなさい」
「喋るな。今は休め」
怠い体と、痺れる脳の所為でまともに考えることも出来ず、セリアは不本意ながらもカールに身を任せた。ペトロフに言われた言葉が未だに脳の中を巡っていたが。
あの人の言葉は、確かに正しいかもしれない。私だってそれは解ってる。そんなの、今に始まったことじゃないもの。
でも、だからって私の考えは変わらない。それを伝えなきゃいけないなら、私はそうする。