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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第二章 磨かれる原石〜
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確執 4

「これ以上、兄さんの邪魔はしないで貰えますか?」

 グッと手に加わった力が伝わり、確かな圧迫感を感じたセリアは堅く目を瞑る。けれど次の瞬間、何かを殴りつけるような音と共に首に絡み付いていた手が離れた。途端に喉を通り始めた酸素を、軽く咳き込んで必死に取り込むが、ただならぬ空気を感じて顔を上げる。すると、そこには蹌踉けた体制を立て直そうとするアルフレドと、怒りの籠った瞳で彼を見据える、イアンが居た。

「てめえ!!」

 怒鳴り声と同時に吐き出されたのは、今までに無い程の怒り。まさに、激情と呼ぶに相応しいかもしれない。突然の乱入者に、アルフレドも理解が追い付かなかったようで、一瞬呆気に取られた表情を見せる。

「自分が何をしたのか分かってるのか!!」

「っ!!……そこまで固執しますか?そんな人に」

 言われて正気を取り戻すと、アルフレドは蔑む様な視線をセリアに向けそう吐き捨てた。挑発しようと意図した訳ではないが、それはイアンの神経を更に逆撫でする結果に終わる。

「いい加減にしろ!!言った筈だ!!コイツには手を出すなと!!」

「だからなんですか!周りが見えなくなっている兄さんの変わりに、俺が要らないモノを整理してるんだ」

「黙れっ!!お前のごたくに付き合う積もりはない!!」

 イアンの言葉に、アルフレドは衝撃を受けたように目を見開いた。その意味を受け止め切れずに、思わず一歩後ずさりする。

 兄が自分の言葉を撥ね除けた。今まで自分が何をしようと、ここまで怒りを露にしたことなどなかったのに。再び自分は蔑ろにされた。兄の視界から、自分は追い出されてしまったのだ。そして、その原因を作ったのは他でもない、目の前の栗毛の地味な少女。


 イアンの尋常ではない程の怒りに、セリアは驚きで目を見開いた。それが自分に向けられているものではないにも関わらず、一瞬背筋を悪寒が走るまでに。

 これはまずい。二人の間で明らかに、大きなすれ違いが起きている。そして、それにイアンは全く気付いていない。アルフレドも、その事を伝える積もりはないのだろう。でも、それでは更に大きな溝が生まれるだけだ。それに、このままでは取り返しのつかない状況になってしまうのでは……

「イアン……」

 友人の怒りを抑えようと、セリアはその腕を掴んだ。せめて彼が冷静になるように。というより、イアンがあまりの剣幕で怒鳴りつけるので、次には突然殴り掛かったりするのではないかと不安になったのだ。その後の事など全く考えていないのだが、ここで取っ組み合いにでもなれば、それこそ取り返しがつかないというもの。

 唐突に自分に触れた手に、イアンは振り返った。そこには、必死に何かを訴えて来る茶色の瞳。

 嫌な予感がしたのだ。今日はまだ姿を見せないアルフレドと、いきなり消えたセリアに。あれだけ勝手に動き回るな、と言っておいたのに。本当に、言う事を聞いてくれない。普段なら苦笑するだけに終わったのだろうが、今は不安を拭い切れなかった。

 急いで探しまわってみれば、厩舎の方へ向かったと言われた。そうしてその場所の扉を開けてみれば、遭遇したあの光景。弟の手が少女の細い首に回され、セリアの顔は苦しそうに歪められていた。一番恐れていた事が、現実に起こってしまったのだ。

 状況をよく理解する暇も無く、目の前が赤く染まった。そして、訳も分からないまま腕を振り上げ、弟に叩き付けていた。本当は、そのまま殴り倒したいところだったが、それを躊躇したのはアルフレドだったからだろう。他の者だったら、自分は何をしていたか分からない。背を駆け上がったのは、恐怖と怒りと焦りと苛立ちと。その他にも名前を言いたくもない感情が次々と一瞬で沸き上がった。

 けれど、腕に感じた温もりに、それらが一気に鎮火する。こちらを見詰めるセリアの姿に、イアンもハッと我に返った。

「さ、触るな!!」

 しかし次の瞬間、その温もりが消えた。焦りに駆り立てられたアルフレドがセリアを後ろへ突き飛ばしたのだ。驚いた時には既に遅く、蹌踉けたセリアはそのまま盛大に躓き転倒した。

 急に離れて行ったその感覚に、イアンは咄嗟に小さな手を追うが間に合わない。その瞬間、胸に広がる抑え様のない、目の前が黒く染まる程の激しい怒りにも似た熱情。以前に何処かで感じたことのある、未知でとても嫌なモノに酷似したものだ。

 名の付け様がない感情のままにイアンがアルフレドを睨めば、その表情が余程恐ろしかったのか、初めてアルフレドも恐怖を覚え息を呑んだ。尊敬してやまない筈の兄が、まるで別人である。背筋を悪寒が駆け上がり、足が竦んだ。


 けれど、誰が動く前に聞こえた、大きな嗎に全員が顔を上げた。

 響く怒声と傍に倒れ込んだ少女の身体に驚いたのだろう、馬の一頭が後ろ足で立ち上がる勢いで騒ぎ出したのだ。それを皮切りに、周りの馬も次々と興奮し、激しく暴れ始める。

 転倒したままの体制だったセリアは、驚きで呆然としたが、次の瞬間目の前を黒い影が覆った。あっ!と思い反射的に避ければ、馬の堅い蹄が自分の元居た場所に叩き付けられている。サッと血の気が引く感覚と同時に、強い力で手を引かれた。

「大丈夫か?」

「う、うん」

 心配そうに自分を見詰めるイアンに礼を言うと、セリアは暴れる馬達をサッと見回した。とにかく、今は彼等を落ち着かせることが先だろう、と思い自分を立ち上がらせてくれたイアンから離れる。けれど次の瞬間、一層大きな嗎と同時に悲鳴にも似た声が響き、動きを止める。

「う、うわあああああ」

 即座にそちらを向けば、周りよりも一回り大きな体を待ち上げたアルセウスと、そのアルセウスの首から伸びる手綱に手首を取られてしまったアルフレド。

 初めて感じた兄への恐怖心から蹌踉けた所を、馬の嘶きに驚いたことで大きく体制を崩したのだ。そして、倒れ込んでしまった先は、運の悪い事に気性の激しく、体躯も立派なアルセウス。そして暴れ出した時に垂れていた手綱が腕に絡み付いてしまった。まずい、と思った時には既に遅く、アルセウスは混乱した場に対し、激しい怒りをぶつけだした。

 この場に相当腹を立てた黒馬は、ギロリと大きな瞳で辺りを睨む。そして、アルフレドを自らの身体に縫い付けたまま、一度後ろ足で立ち上がると、そのまま周りの物を蹴倒しながら厩舎を飛び出してしまった。

 扉を蹴破り外へ駆け出したアルセウスに引き摺られながら、アルフレドは必死に手に絡まった手綱を外そうと試みるが、全く効果はない。それどころか、地面に打ち付けられる身体を、硬い蹄に蹴飛ばされないように勤めるのが精一杯だ。

「アルフレド!!」

 兄の呼びかけも空しく、馬は青年を縫い付けたままもう見えない所まで走り出してしまっている。突然の事に一瞬唖然とするも、セリアはすぐに動いた。数居る馬の中から、アルセウスに劣らぬ体躯を持つヴァ-ゴに飛び乗る。

「イアン!乗って」

「どうする積もりだ!?」

「いいから!はやく」

 自分の前に乗るよう言うと、イアンは戸惑いながらもそれに従った。そして、すぐに飛び出して言ったアルセウスを追う。見事な黒馬は二人も人間を乗せている事など、微動も感じさせないほどの速さで、自分の背に乗る主の命に従った。

 イアンに手綱を任せると、セリアはしっかりと自分の前に座るイアンにしがみ付く。未だに慣れない体制であるし、密着間にも落ち着かないが、今はそんなこと気にしてはいられなかった。二人を乗せているにも関わらず、前を走るアルセウスに追いつく程の速さを見せるヴァーゴから振り落とされないよう必死だ。

「アルフレド!!」

 イアンの叫び声の先では、アルフレドが懸命にアルセウスの身体に縋り付いていた。最早手綱をどうにかするのは諦め、次の瞬間を生き抜く事に必死だ。

「イアン!アルセウスの横につけて」

 セリアの言葉にイアンはヴァーゴに更に加速するよう命じ、興奮したアルセウスの横を走らせる。それを確認すると、セリアは振り落とされそうになりながらも、イアンの肩をグッと掴み、走り続ける馬の背で立ち上がったのだ。

「な、何する積もりだ!?」

「いいから、そのまま!!」

 突然のセリアの行動に驚き、馬の操縦を疎かにするイアンに、セリアは慌ててそのままの姿勢を維持するように言う。再びヴァーゴを操ることに集中するも、イアンは後ろの少女が何をしようとしているのかに意識を向けた。その間も、セリアは必死に何かの機会を窺うように、ヴァーゴとアルセウスを交互に見やる。そして、その考えを理解した途端イアンも叫んだ。

「無茶だ!やめろ!」

 イアンの声も空しく、セリアは意を決したように瞳を鋭くすると、思い切りヴァーゴの背を蹴り、暴れるアルセウスに飛び移った。宙に舞った長い栗毛が、小さな身体の後ろを流れ、鳥の尾のように風に揺れる。

 一瞬、周りの時が止まった様な感覚の後、セリアは目一杯腕を伸ばした。そして、飛び移った衝撃をそのままに黒馬の身体に抱きつく。

 ギリギリで手が届いたその背に、セリアも必死に縋り付いた。そのまま何とかアルフレドに絡み付いている手綱を手に取ると、握れる範囲で無我夢中にそれを操る。

 その手綱捌きに覚えがあったのか、アルセウスも背に飛び乗った者を振り落とそうとはしない。そしてセリアが発する、こちらを落ち着かせようとする声に反応を見せ、次第に走る速度を緩めていった。

「はあ、はあ。……いい子」

 まだ鼻息を荒くしているが、何とか足を止めてくれたアルセウスの首を、セリアは優しく撫でてやる。そして素早くアルフレドの腕から綱を解いた。

「だ、大丈夫ですか?」

 腕が自由になった途端、地面に座り込んだアルフレドに慌てて駆け寄る。服の至る所に埃や泥が付いているので、恐らく打撲や痣はあるだろう。けれどそれ以外の目立った外傷は無さそうである。それでも、脱臼などしてやいないだろうか、とセリアは不安の色を瞳に映す。

 セリアの声などまるで聞こえていないかの様に、アルフレドは腕を押さえ、俯いたまま動こうとしない。一見、痛がっているようにも見えるその姿に、セリアはまさか骨にまで異常があるのだろうか、と顔を青くした。

「貴方は……」

「あの、何処か怪我を?」

「貴方は本当に何考えてるんですか!?あんなことするなんて、無思慮にも程がある。俺なんか放っておけばよかったじゃないですか!!」

 言われた言葉にセリアは目を見開いた。

 行動が利口でなかった事は否めないが、あんな状態だったのだから仕方ないではないか。それに、放っておけばよかったとはなんだ。そんな事出来る訳がない。あのままではアルフレドがどうなっていたか分からないのだから。まあ、これだけ大声が出せるのだから、彼の身体も一応は大丈夫だろう。

 そう一人で納得したセリアだが、まだ不満だと言った顔のアルフレドに答えるため、取り合えず言葉を選んだ。

「放っておくだなんて出来ませんよ。アルセウスは気が荒いので、アルフレドさんも大怪我をする可能性だってありましたし」

「だから、俺がどうなろうと貴方には関係ないだろう」

「…………そんなこと言われましても……」

 セリアは非常に困惑した。どう考えても、彼がああなる状況を作ってしまったのは自分にも責任があったわけだし。それに目の前で誰かが怪我をしそうになっていて、何もしないなんて考えられない。そしてなにより……

「貴方にもしものことがあったら、イアンが悲しみます」

「おい!!」

 セリアが言った瞬間に響いた声に、二人は同時に振り返った。すると、焦りを隠す余裕すら無いといった表情のイアンがこちらに走り寄ってくる。その後ろでは、一仕事終えたヴァーゴが、何処か誇らしげにジッと佇んでいた。

「二人とも、怪我は!?」

「兄さん……」

 地面に座り込んだ二人が大きな怪我を負っている様子が無い事を確認すると、イアンは漸く安堵する。けれどそれも一瞬の事で、途端にその顔を怒りに歪ませた。

「お前は、一体なんの積もりだ!」

「…………」

「どういう積もりだって聞いてるんだ!」

 先ほどよりはマシだが、それでも恐ろしい程の形相で睨む兄に、アルフレドは何も返さなかった。そのことが更に苛立ちを増徴させたようで、その声はますます荒くなっていく。

大声で怒鳴るイアンの腕を再びセリアが掴んだ。オドオドした様子の少女に視線を向ければ、焦ったような表情をこちらに向けている。

「あ、あの……そう怒らないでも……彼も無事だったんだし……」

 興奮したアルセウスに引き摺られてしまったのは事故なのだし、そこまで怒らなくてもよいのでは。とイアンに恐る恐る言ってみる。

 必死に自分を宥めようとする少女に、そう言えばコイツにも言いたい事があった、とイアンは思い出し、顔を強張らせながらセリアに向き直った。

「お前はお前で、何考えてるんだ!」

「は、はい?」

「またあんな無茶しやがって!何度同じ事をやれば気が済むんだ!?」

「い、いや。そんな事言われても……」

 セリアは視線を逸らしてみるが、イアンの怒りは納まる様子が無い。イアンも、あの状況ではあれが正しい選択だったのだろう事は理解している。もたもたしていればその分、アルフレドが大怪我を負う可能性が増えるのだから。しかし、イアンにしてみればそれは自分の役割であって、決してセリアがするべき事ではない筈だった。一歩間違えばセリアも惨事に巻き込まれていたのだ。だから自分は待てと言ったのに。

「勝手な行動はするな!無鉄砲なのは何時もの事だが、少しは俺の言う事も聞け!!」

「……なんで」

 まるで親が子供に説教する様なイアンの言葉に、ポツリと返したのは当のセリアではなく、今まで横で呆然としていたアルフレドだった。どうしたのかと視線を移せば、その瞳は動揺からか酷く揺れてる。

「なんでですか。兄さんも解ってるじゃないですか。その人がどれだけ無謀か。そんな人と一緒に居るから、兄さんまで身を滅ぼすことになるって」

「お前、何言って…………」

「解ってるじゃないですか!!なのに、なんで!?」

 兄が栗毛の少女と行動を共にしているのは、固執している故に、盲目になっているからだと思っていた。けれど、今のやり取りから、兄は決して少女の全てを肯定的に受け止めている訳ではない事が解る。自分に優しく語りかけた、ある人物の言葉通り、その無謀さがどれ程のものかも分かっているではないか。ならば、それによって兄にも不利益があることも理解している筈。にも関わらず、何故兄はそれでも彼女を庇うのだ。



 本気で解らないと言った顔をするアルフレドに、セリアは非常に困惑した。このままでは、またすれ違いが出来てしまう。アルフレドが伝えない限り、彼の考えをイアンが理解する事はないだろう。というより、横に立つ友人の周りの空気が少しずつ不穏なものになりつつあるのが非常に気になる。けれど、だからといって自分が余計な事を言うべきではないわけであって、どうしたものか。と、珍しく冷静に、かつ的を得た考えをしたセリアは、意を決して地面に座り込むアルフレドに目線を合わせるべくしゃがみ込んだ。


「あの、アルフレドさん」

「…………」

 名を呼んだ瞬間、ギロリと睨まれセリアは一瞬怯んだ。けれど、そんなことで言葉を止める様な事はしない。

「そ、その……イアンは、とても頼りになる人ですよ。貴方が危惧している程、周りに流されたりすることはないです」

「…………」

「どんな時でも、友人や他の人の事を気遣って、それでも自分には厳しくて、いつも己を高めようとしていて。貴方はそういう所に憧れたのではないですか?」

「…………」

「だから、アルフレドさんがそんなに心配する事はないと思いますよ。兄弟だから、やはり気になってしまうのは当然なのかもしれないですけど」


 セリアの言葉に、アルフレドは目を見開いた。いったい、この少女は何を言っているのだろうか。自分の行動を振り返れば、責めたり恨んだりするのが当然だろうに。にも関わらず、呑気な声で困ったような笑顔を向けてくる。その姿に僅かな不信感を覚えると同時に、言われた言葉が胸に突き刺さった。

 兄は周りに影響されて、自分を見失うような、そんな弱い人間ではない。そんなことは解っているのだ。けれど、それを認めたくなかった。認めてしまえば、あの日兄が負けた事に説明がつかないから。とにかく、何かの所為にしなければ、己を保っていられなかったのだ。


「今更……どうしろって言うんだ?」

「……?」

 弱々しく吐き出された言葉に、セリアはキョトンと目を見開いた。その声が、とても苦しそうで、まったく覇気が無かったから。

 自分は彼に何かを強制したい訳ではない。ただ、これ以上二人の関係が拗れる事態は避けたかっただけだ。イアンはアルフレドとの不仲をどうにかしたいと望んでいる。けれど、実際彼等の間に不仲と言えるような溝は出来ていないのだ。イアンもアルフレドも、互いを嫌ってなどいないのだから。

「その。私はアルフレドさんに何をしろ、と言う積もりはありません。ただ、イアンは貴方の事を待っていると思いますよ」

「…………」

 アルフレドが、今更だなんて思う必要はない。イアンは、今だってずっとアルフレドと歩み寄る時を待っているのだから。



 目の前でしゃがみ込んだまま動かないセリアと、その言葉を聞いているのだろうアルフレドを、イアンは複雑な思いで見ていた。ボソボソと何かを話しているのは聞こえるが、内容までは聞き取れない。何を言っているのか非常に気になったが、何となく自分が聞くべきではないと思い、そのまま動くに動けなくなってしまったのだ。

 というより、相変わらずの警戒心の無さに、僅かばかり苛立ちを覚える。つい先程、自分に危害を加えようとした相手に、のほほんと微笑みかけるセリアの姿に、出そうになる溜め息を必死に我慢した。

 先程まで周りを張り詰めていた緊迫感も、当に打ち壊されている。今、怒りを蒸し返せと言われても、無理な話だ。ついに堪え切れずに、一度大きく息を吐き出せば、目の前でしゃがんでいたセリアが立ち上がった。それと同時に、アルフレドも起き上がる。

 反射的に身体に力が入ったが、その警戒も、目の前のアルフレドの思い詰めたような顔を見た途端、薄れてしまった。今まで強気な瞳しか見せて来なかったのに。一体、どうしたと言うのだろうか。

「兄さん……」

 自分を呼ぶ声にハッとし、いつの間にか泳いでいた視線を戻す。

「俺は、今までの自分の行動を後悔してないし、謝る積もりはありませんよ」

「…………」

「でも……少しだけ、目が覚めました」

 それだけ残し、背を向けたアルフレドがゆっくりその場を離れていく姿を、驚きで見開かれたイアンの瞳が追う。

 いったい、何が起こったのだろうか。目が覚めた。とアルフレドは言ったが、その言葉を自分は理解できない。戸惑い、考えた末に答えを知っているだろう人物に視線を移す。いきなり振り向かれたセリアは、一瞬困ったような顔を見せたと思ったら、また柔らかく微笑んだ。

「彼にも、もう少し時間が必要なんだと思う」

「…………」

 その先を語る様子を見せないセリアに、まるで一人だけ置いてけぼりを食らった様な感覚がして複雑な心境になる。けれど、アルフレドから感じた僅かな変化に、セリアの言うように待ってみようか、という気にもなった。何より、セリアが安心させるように隣でそっと微笑むものだから、イアンもこれ以上を強いる気は起きなかったのだ。







「それでね、アルフレドから手紙が来たみたいだよ」

 嬉しそうに語った友人の姿を思い出し、ルネは目の前に座るプラチナブロンドの青年に喜ばしい知らせを伝えた。けれど、カールは全く興味を示した様子を見せず、相変わらず目の前の本に集中している。その姿に、ルネは内心で小さく笑った。

「でも、カールも行けばよかったのに」

「必要がない」

 今頃、セリアを連れた友人達は今度こそ遠乗りを楽しんでいるのだろう。アルフレドが去った数日後、ようやくヴァーゴを乗り回す機会を得たらしい。ルネとカールも当然誘われたのだが、生憎ルネは花の世話があり、カールも当然頷くことをしなかった。

「ヴァーゴにもすっかり懐かれたみたいだよ」

「……ヴァーゴとはな」

「あ、気付いたんだ」

 一瞬口元を緩めた友人の姿に、ルネも嬉しそうに頷く。

「ヴァーゴとは、乙女座の事であろう」

「セリアにぴったりだと思わない?」

 乙女座に纏わる神話の一つとして、その星はギリシア神話の女神の一人、ペルセポネであるとされている。冥界の神に誘拐されたペルセポネを想う女神の母、豊穣の神デメテルの悲しみは世界に冬を齎した。大地が枯れ果て、不作に苦しむ世界を見た大神ゼウスが、冥界の神にペルセポネを帰すよう命じるまでは。そして、ペルセポネの帰郷と同時に、荒れた大地には豊かな花が咲き誇った。けれども、冥界でザクロの実を口にしたペルセポネは、一年の三分の一を冥界で過ごさなければならない。そしてその間、世界は冬を迎える。

「でも、ペルセポネが地上に戻ると、世界は豊かな春の季節に変わる」

「フン。あれに女神にでもなれと言いたいのか」

「そこまでは分からないけど。でも校長らしいよね」

 ヴァーゴの主人であるセリア。きっと今頃無邪気に馬を乗り回しているのだろう。

「本人は全然気付いてなかったみたいだけどね」

「……驚きはしないな」

 呆れたような視線を、遠くに居るだろう少女に向けると、カールはもう一度本に集中しなおした。



苦手、といえばよいのでしょうか。昔からどうしても、好きになれない。ここまで気にする必要は、無い筈なのですが。

理由を聞かれれば、自分は答えられないでしょう。けれど、本当は分かっているのです。


好きになれない理由。嫌いだと言ってしまう理由は、それがまるで……



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