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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第二章 磨かれる原石〜
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確執 3

 薄い明かりのみが照らす廊下を、ランは静かに歩いていた。静寂に支配されている筈の男子寮で、今動いているのは彼の影だけだ。そのまま静かに歩みを進めていくと、目的の場所からはやはり僅かに明かりが漏れていた。真夜中をとうに過ぎた時間の談話室に、まだ誰かが居る証拠だ。そしてその人物が誰かも容易に想像出来る。

 フッと短い息を吐き出し、ランは迷わず中へ足を踏み入れた。

「まだ起きていたのか。イアン」

「……それはお互い様だろ」

 ソファの一つに腰掛け、背凭れに身体を預けた状態のまま、イアンが答えた。月は既に高く昇り、誰もが寝静まっているだろうにも関わらず、一人この様な場所に留まっている友人にランは浮かない顔を向ける。

「眠れないのか?」

「まあ、今更だけどな」

 言葉少なに返すイアンに、ランの不安は更に増した。今更、と彼は言っているが、彼がこの言葉に到達するまでどれほど掛かったか。

 反対側に置かれた一人掛けのソファに身を預けたランに、今度はイアンから口を開いた。

「セリアの事、感謝してる」

「……聞いたのか?」

「本人にな」

 何を、と聞かずとも、その言葉が意味する事は、お互いが良く理解していた。

 あの後、セリアに向ける予定だったのだろう嫌味をアルフレドは自分に向けて来た。貴重な人材だけあって、よほど過保護に守ってるのだろう、と。苛立ちまぎれに言葉を放つ姿は、まるで獲物を逃した狩人のものであった。その様子に、イアンはこっそりと胸を撫で下ろしたのだ。

 彼も、セリアが必要以上にアルフレドと関わることは避けたかった。今まで、アルフレドによって多くのものが消えた事は事実だ。例えそこにどんな真実が隠されていたとしても、その矛先が自分の周りにいる者にまで向けられる可能性は否めない。それが心配でならなかった。自分の周りから消えていった様々な物のように。そして、もし本当にセリアに何かあった時、自分と弟の仲は取り返しようがなくなるだろう。それが一番恐ろしかった。

 イアンの不安をランも感じ取り、あの時出来るだけセリアをアルフレドから遠ざけたのだ。その事に礼を述べると、ランも僅かに表情を穏やかにする。

「借りを返しただけだと思っていてくれ」

「……借り?」

 イアンがその言葉の真意を推し量ろうとしているとランが再び口を開いた。

「私がセリアへの想いを受け入れることが出来たのは、お前が言ってくれたからだ。あれがなければ、私は未だに失う事ばかり恐れていただろう」

「……」

 イアンが真摯に語ってくれた、自分自身の想い。それがなければ、自分はその気持ちに気づくことなく、未だに葛藤していたに違いない。守りたいと思う理由を理解せず、ただ失うことを恐れて。彼にはどれほど感謝していることか。 己の中の変化を、自分よりも先に感じ取り、告げてくれたのだから。気持ちが伝わるとか、そうでないとか、そんな事は関係無い。それ以前に、自分の心に気付けた事が嬉しいのだ。

「それに、お前は私の仲間だ。力になれるのなら、出来ることはしたい」

「…………すまねえな」

 静かに囁かれた言葉に、ランは気にするな、と返す。けれど、二人の居る談話室に入って来る別の影の姿があった。

「だからといって、このままという訳にもいかないだろう」

 冷めた声に振り返ると、視界の先で透き通る銀色の髪が揺れた。何時の間に背後に立っていたのか、閉まった扉の前に立つカールの突然の登場と発言に、ランは片眉を上げる。

「立ち聞きとは無粋ではないか?」

「この様な時間に、堂々と語るお前達が悪い」

 確かに、誰も起きてはいないような時間に、明かりをつけたままでいれば、怪しまれて様子を伺われるくらいされても文句は言えないだろう。候補生の会話を立ち聞きしようなんて思う生徒は限りなく無に等しいだろうが。

 立聞かれた事をランも咎める積もりは無く、カールもそれを理解している。なのに、出会い頭に衝突するのは、もう二人の癖のようなものだ。

 数秒の睨み合いの後に、カールが再び口を開いた。

「事を先延ばしにしたところで、問題は解決しない。いつまで手を拱いている積もりだ」

「強引に推し進めたとしても、事が進展するとは限らないだろう」

 反論したランに、カールは冷ややかな視線を向ける。

「ならばあの者が去るのを待つか。同じ事の繰り返しで、何かが変わるとは思わんが」

「…………」

 カールの厳しい一言に、さっそく言い返そうとしたランを、イアンが腕を引いて静止する。そして、立ち上がると真っ直ぐカールに向き合った。

「確かに、このままって訳にはいかねえよな」

「…………」

「お前達にまで色々気を使わせてるのは分かってるんだけどよ。それでも、もう少し待ってくれねえか。俺も、ただ闇雲に関係を絶ちたい訳じゃねえんだ」

「…………何をすべきか見失っていないのであれば、私がこれ以上言うことはない」

 それだけ言うと、カールは用は終わったと目を伏せる。そしてこれ以上の長居は無意味だと判断したようで、さっさと廊下へ出て行ってしまった。

 明らかにイアンを気遣った上の行動なのだが、そんな素振りを欠片も見せず、言いたい事だけ言って消えるとは。なんというか。まったくもって、素直でない。







 さっと背後を振り返り誰にも姿を見られていない事を確認すると、セリアは短く息を吐いた。こそこそと動き回る姿は、はっきり言って思い切り怪しい。けれど、それを突っ込む者がここに居ない為、彼女がそれに気付く事はないだろう。

 肩にほんの少し残っていた力を抜くが、あまりのんびりもしていられないな、と再び足を急がせる。

 アルフレドが学園に顔を見せてから、何故か自分の行動は制限されてしまった。それも、監視するかの様に目を光らせている候補生達にだ。といっても、勝手に歩き回るな、とか一人で出歩くな、というものなのだが。

 なんとなくアルフレドの事が関連しているのだろうことは予想出来るのだが、明確な理由は分からない。まあ、そこまで不便はないし、校則が少し厳しくなった程度に考えているので深くは追求しないが。なにより、緊張と警戒心で気を張り詰めている候補生達に、改めて聞く気も消失してしまった。

 どうして自分の行動が関係するのだろう、と首を傾げるセリアは、イアン達が彼女の身を案じているのだということは相変わらず毛程も理解しちゃいない。

 そんな理由で、セリアは厩舎へ向かう足を改めて急がせた。授業が終わり、そういえばヴァーゴをそのままにしてしまっていたな、と思い出したのだ。少し様子を見るくらいはした方がいいだろう、とセリアはこっそり教室を出た。

 候補生達に言えばきっと付いて行くと言われてしまう。けれど、それでは逆に馬達を驚かせてしまうだけだ。ならば変わりに行ってやるから待っていろ、と誰かに言われてしまっても意味がない。そんな理由で、セリアは内密に一人で静かに、速やかに行動する事にした。



 漸く目的地まで辿り着き、恐る恐る厩舎の中へ顔を覗かせれば、中には誰も居なかった。ホッとしながら足を踏み入れ、目的の馬の前に立つ。セリアの姿を捉えたヴァーゴも突然の来訪者に視線を向けると、鼻息荒く足踏みし出した。その様子に、驚かせてしまったか、と焦ったセリアは慌てて宥めようと鼻先を撫でてやる。

 暫くそうして漸く落ち着いたのか、立派な黒馬も暴れるのはやめてくれた。その様子に、セリアも思わず笑みを向ける。

「案外、守りは薄いのですね」

 今まで馬の嘶きしか拾わなかった耳に、突然人間の声が飛び込んで来たものだから、セリアは驚いて振り向く。その視線の先では、こちらを見てニッコリと笑うアルフレドが立っていた。そしてその笑顔を、何処か胡散臭いと感じるのは仕方ないだろう。

「それとも、貴女が思っていたよりも軽卒なのか。どう思います?」

「え、えっと……」

 軽卒かどうかを堂々と聞かれ、セリアも困惑した。

 一体何を言っているのだろうか。というより、なんでここに居るのだろう。と沸き上がる疑問を必死に追う。けれど、自問自答しようとした所で、何一つとしてまともな答えは得られなかった。

「あの、イアンならここには居ませんけど……」

「…………」

 相手がこちらを見据えたまま動こうとしないので、取り敢えずそう言ってみた。彼が用があるとすれば、それは自分ではなく彼の兄の筈だ。

 けれど、セリアの言葉にアルフレドは一瞬呆気に取られたような顔をすると、ククッと肩を揺らして笑い出した。その様子にセリアは更に混乱する。

「いいえ。今日も貴女に用事があったんですよ」

「わ、私……ですか?」

 また自分になんの用だろう、とセリアは疑問を抱く。彼とイアンの事なら友人の口から直接説明された。目の前の彼からも、決定的な言葉を既に聞いている。なのに、これ以上自分に何を言う積もりだろう。

 驚いたようにキョロキョロと視線を動かすセリアを、アルフレドはもう一度小さく笑ってから、ジロジロと見詰める。そして、唐突に言葉を切り出した。

「ちょっとお願いがあるんですよ。兄さんに関わるの、もうやめてもらえませんか?」

「はっ!?」

 いきなり言われた言葉にセリアは思い切り疑問符を浮かべた。いったい、それはどういう意味だろうか。

「だって良い事ないでしょう。貴女にとっても、兄さんにとっても」

「……その……」

「だから、離れた方がいいんじゃないですか?そんなに、無理な事をお願いしてはいないですよね?」

 アルフレドの言葉を理解していく内に、セリアは眉を顰めた。何故、彼にそんな事を言われなければならないのだろうか。彼が弟だといっても、それはイアンと自分が決める事だろう。そして、自分は出来ればイアンとの交友を続けて行きたい。

「あの、それはイアンと私の問題ではないでしょうか?」

「……あの人と付き合っても、貴女に利点はないでしょう?」

「で、でも……」

 利点があるとかそういう問題ではない。彼は自分を友人であり仲間だと言ってくれた。そして自分にとっても、彼は大切な友人だ。それを、突然関わるなと言われても、無理な話である。

 渋るセリアに、アルフレドは痺れを切らした様に顔を歪めた。

「目障りなんですよね。兄さんなんかの周りに、貴方みたいな人が居るなんて」

「…………」

「本当に、見ていて吐き気がしますよ」

 吐き出された言葉と、自分を心底憎む様な視線がセリアに突き刺さった。兄さんなんかとは、まるで心からの嫌悪を含んだかの様な声だが、それがセリアには納得出来ない。先日から胸の内で持て余していた疑問が、再び沸き上がって来る。セリアは一度大きく息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。

「あの、どうしてそこまでイアンを嫌っているフリをするんですか?」

「っ……!?」

 それが、これまでアルフレドを見ていてセリアが気付いた事だった。彼の発言の中に、イアン自身を罵る様な言葉は極端に少ない。彼が向ける嫌悪を含んだ視線の対象も、イアンではなく、周りにいる自分達だった。イアン本人には、挑発するような言葉や瞳しか向けられていない。イアンがアルフレドを嫌っていないように、アルフレドもイアンを嫌悪しているとは、どうしても思えなかった。


 セリアの言葉を聞いて、アルフレドは大きく目を見開く。突然の核心を突いた言葉に、驚きで一瞬息が詰まった。けれど、目の前の少女の言葉を理解すると同時に、腹の底から可笑しさ込み上げて来る。それを無理に抑える理由は無く、遠慮も無しに大口を開けて笑い声を響かせた。

「フハハハハ。へえ。伊達にマリオス候補生に選ばれた訳じゃないんだ」

「…………」

「まあ、嫌ってるフリをしてる訳じゃないですよ。俺の行動が、周りにそう見えるだけみたいですけど」

「……でも、どうして」

 一人笑い続けるアルフレドに、もう一度問いかけた。けれど、それに返されたのは答えではなく、今までに無い程冷ややかな瞳。先程まで愉快そうに笑っていたのが嘘のようだ。温度を失ったかの様な赤い瞳に、セリアがビクリと肩を揺らすとその背筋を冷たいものが流れた。

「さっきも言いましたけど、目障りなんですよ。だから兄さんに近づかないでくれますか?」

「ですから、事情も知らないままに、大切な友人から一方的に距離を置くのは、私も納得しかねる訳でして……っ!?」

 最後まで言う前にセリアの言葉は遮られた。いきなり目の前に迫ったアルフレドに首を掴まれたのだ。咄嗟に詰められた距離に、セリアは一瞬対応に遅れた。ハッとしたセリアがアルフレドの手を引き剥がそうともがく。けれど既に遅く、己のそれよりも一回り大きな手は、しっかりと首に廻っていた。

 巻き付くようにして絡まる指に、ゆっくりと力が込められていく。急に圧迫された気道から、驚きでそのまま搾り取られるように酸素が抜けて行った。

 けれど、締め付けられてはいても、それは決して窒息しそうな程での力ではない。意識を保ちつつ、息が吸い難くなる程度だ。それでも、息苦しいのに変わりはなく、足から力が抜けた所で後ろの壁に身体を思い切り叩き付けられた。それでも首を掴むその手は離れない。

「貴女が離れてくれないのなら、俺が消すしかないですよね」

「なっ…なに、を……」

「兄さんは随分と君に執心してるみたいだったから驚いたよ。君がこのまま消えてくれたら、兄さんがどんな顔するのか、見てみたくなりました」

 息が出来ない訳では無いが、それでも明らかに酸素が足りない。けれど、そんな事はどうでもいい。なぜ、こんな状態になっているのか理解出来ない。というより、自分が消えたらとはなんだ。

 そうは言うものの、首に回された指がそれ以上気道を締め上げる様子はない。本気で窒息させる積もりはないのだろう。けれど、このままでは非常にまずい訳で、セリアは必死に状況を打開するべく思考を巡らせる。

 そんなセリアに構う事なく、アルフレドは再び口を開いた。

「兄さんを惑わすものが無くなれば、きっとまた正気に戻ってくれる」







 小さい頃から、兄は目標だった。何でも完璧にこなし、常に自分の前を歩く存在。それこそが、自分の誇りだったのだ。どんなに努力をしても決して追い付けず、どんな時でも必ず前を進む、そんな存在。それこそが、正しいあり方であり、理想の姿だと信じていた。それこそが、自分の求めるものだったのだ。

 何事に置いても、自分が兄に叶う事は無かった。それでも追い付こうと必死に努力し、自分は周りの上に立つ程に力を付けた。そして、兄はその自分の上を行く。どんなことにおいても、自分は他人を踏み倒し、兄はそんな自分を打ち負かす。それが、全てだったのだ。


 けれど、それは突然崩された。自分の理想が、根底から崩壊したのだ。

「兄さん、チェスやりましょうよ」

「アルフレド……俺はカササギの巣に行くとこなんだぞ」

「いいじゃないですか。一回だけ。今度は負けませんよ」

「しょうがないな。一回だけだぞ」

 いつもの様に、自分が黒の駒で、兄が白の駒を操り、盤の上に集中する。チェスは自分の得意なゲームだ。相手が誰であろうと大方倒して来たし、大人にだって負けない自信がある。けれど、それでも自分は兄に勝てた事は無い。そして、今度も自分は兄に大敗する。そうなる筈だった。

「なあアルフレド。お前は俺に勝ちたいか?」

「そりゃあ勝てるなら勝ちたいですよ。でも、どうせ今回も僕の負けですよ」

「……そうか」

 手を抜く事はしない。そんな事をしなくても、兄さんは自分に勝てる筈なのだから。負けない事を望みながらも、負ける時を待つ。実に矛盾した勝負。

 そうして、真剣に、慎重に駒を倒して行く。ゆっくりと、確実に。

 勝ちたいと望み、勝負を挑み、真剣に向き合い、そして負ける。それが、何よりも自分が心地よいと思える瞬間だった。なのに……

「ああ……負けた」

「えっ!?」

「ほら。お前のルークが、チェックメイトしてるだろ」

「あっ!!」

 一体、どういう事だ!?チェス盤を確認すると、確かに自分の駒が兄を追いつめていた。白のキングは逃げ場を失い、防ぐ手立ても無く、ただ倒れる時をじっと待っている。どこにも動けないその駒と同様に、アルフレドもその場で静止した。目を瞬かせて、状況を整理しようと脳が奮闘する。

 勝った?自分が?何故?

 後は、兄の言った通りに自分が駒を動かすだけ。それだけで、自分は兄に勝てるのだ。しかし、それは起こるべきではない。兄が、自分に負ける筈が無い。ならば何故、自分の駒はそんな場所に立っているのだ。考えても分からなかった。

「俺もまだまだだ。初めて負けちまったな」

「……そんな」

「ん?嬉しくないのか?ほら。いつまでもそんなとこに居ないで、カササギの巣の所に行こうぜ」

 ニッコリと微笑んだ兄は、破れた事などさほど気にしていない様子で、そのまま外へ行ってしまう。その後ろ姿を、自分はぼんやりと見詰めることしか出来なかった。

 何故、平然としていられるのだ。自分に、弟に負けたのに。何故。


 今まで絶対に犯された事の無かった理想が、ガラガラと音を立てて崩れて行った。何もかもが分からなくなり、一歩先すらもまともに正視出来ない。グルグルと廻る視界の中で、自分が出した一つの答え。

 兄も結局は弱い存在だったのだ。自分よりも優れている、崇高な存在だった筈が、いつの間にか衰えていたのだ。そして今日、彼は自分に負けた。そのことを彼が全く気に留めていなかったのは、兄が自分など眼中にいれていなかったからだ。勝とうと、負けようと。そんな事、兄は歯牙にもかけていなかったのだ。真剣に勝負していたのは、自分だけだったのだ。

 カッと頭に血が上った。周りが急激に赤く染まり、何も見えなくなった。唯一目に映ったのは、自分の前を歩く兄の背。

 気付けば、突き飛ばしていた。自分より劣っている兄の背など、もう見たくはなかったのだ。自分の上に立っていない兄ならば、本気で消してしまえと。

 けれど、兄は見事に生還した。自分が突き飛ばした水の中から、無事助け出されたその瞬間、目の前を覆っていた色が冷え、またあの理想が戻って来た。やはり、兄は自分などに劣るような存在ではなかった。自分が叶う相手ではないのだ。自分は完全に不意を突いた積もりだったが、それでも兄はこの場に帰って来たではないか。

 喜びが溢れると同時に、再び疑問が沸き上がる。ならば、何故兄はあの時自分に敗北したのだ。

『俺はカササギの巣に行くとこなんだぞ』

『いつまでもそんなとこに居ないで、カササギの巣の所に行こうぜ』

 その時理解した。兄が自分に負けたのは、兄を惑わせる存在があったからだと。自分の理想を崩そうとする、邪魔なだけで、必要の無いモノ。崇高な筈の兄を、そうでなくす卑しい存在。それらに兄が気を取られていたからだ。

 ならば、自分がそれらを全て消してしまえばいい。そうすれば、兄はまた自分の前を歩いてくれる筈だ。

 そう決めたと同時に、兄から少し距離を置くようになった。この世から、兄を惑わす存在全てを消すまでは、と決めて。また、兄が自分より劣っている姿を見るなど、耐えられなかった。だから、今はまだ、と。

 一つ、また一つ。兄が執着するものを壊していった。兄が執着していいのは、彼と同じ様に崇高で、自分という存在に勝るものでなければならないのだ。それ以外は、全て兄を貶めるだけ。






「貴女みたいな存在、兄さんには必要無い。立場が確定していない上に、威厳の無いマリオス候補生だなんて、絶対兄さんの仇になるに決まっている」

「……あっ、ぐ……」

「このままじゃ、どんどん堕落していくだけなのに。 なのに、兄さんはその事に気付いてくれない。だったら、俺がなんとかするしかないですよね」

 酸素が足りないのはこちらなのに、そう言ったアルフレドの声の方が苦しげであった。兄を貶める存在を忌々しげに睨みつけるその姿に、セリアは理解した。アルフレドは、イアンに強い憧れを抱いているだけなのだと。彼の、唯一無二の兄が好きなだけなのだと。


今更、だなんて思う必要ない。どんなにすれ違いがあっても、イアンは貴方を待っているから。まだ手遅れではないのだから。だから、せめてそれだけは理解して欲しい。


貴方に何かあったら、彼はきっと……



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