出会い 4
カーテンの隙間から入り込んだ朝日によってセリアは起こされた。
寝過ごしたか、と思い、急いで時計を確認するが、まだ時間には余裕がある。ほっと息を吐くものの、余りのんびりはしていられない。
まだ眠気の残る身体を起こし、洗面所へと向かった。
片手に真新しい教科書の詰まった鞄を下げ、セリアは学園への道を歩いていた。昨日の朝は走った道のりだが、今は緩い歩調でも十分に間に合うだろう。
周りは、自分と同じ目的で学園を目指す生徒達で賑わいでいる。今まで、規律の厳しい学園にいた為、こういった光景はセリアには珍しい。
興味深げにキョロキョロと辺りを見回していると、整備された道から少し離れた林の中に、見慣れた人影をみつけた。
「クルーセル先生?」
「あら、セリアちゃんじゃない。おはよう」
クルーセルは特に驚いた様子もなく、こちらを振り向いた。
「おはようございます。あの、先生はここで何を?」
「ああ。朝の日向ぼっこよ」
教師は皆、学園で授業の準備を始めているというのに、彼はまったく気にした様子はない。名門校フロース学園の教師でありながら、ここまで自由にしているクルーセルを、彼の相方が見れば激怒することだろう。
「そういえば、昨日は面白い物が見つかった?」
聞いた途端、それは温室の事を言っているのだろうとセリアは理解する。
「はい。ありがとうございました」
「いいのよ。折角の学園生活なんだから、楽しまなくちゃね」
茶目っ気たっぷりに言う姿は、何と表現したものか。可愛らしい、とセリアは思った。大の大人に、しかも男に可愛らしいという言葉はどうかとも思うが、そう感じたのだから仕方ない。
「あの、先生。そろそろ時間では……」
「あら、そうなの?じゃあ急がなきゃね」
残念と言いながらも、全くそんな気は見せず、クルーセルはさっと踵を返した。「おいで〜」と自分を呼ぶ彼の自由奔放ぶりに少し戸惑うが、授業に遅れるのはまずい。
セリアも再び学園へ歩き出した。
授業も滞りなく受け、二日目も順調に進んでいるかのように見えたが、周りから自分に向けられる好奇の視線は、段々強くなっているようにセリアは感じていた。転校生という事もあるのであろうが、その最大の理由は、
「よお、セリア。迎えに来たぜ」
間違いなく彼等だろう。
授業の終了を伝える鐘が鳴り、帰り支度を済ませていた所に、教室の外からひょっこりと顔を覗かせたイアンに声を掛けられた。
彼の凛とした顔が覗いた途端、女生徒達の歓喜の声が上がる。
確かに、今日また案内をしてもらう事にはなっていたが、まさか迎えに来るとは思ってもいなかった。というより、何故来るのだ。これでは良い見せ物ではないか。と、半ば八つ当たりに近い事を考えながら、自分を呼ぶイアン達の元へと向かった。
何故彼等がこれほどまで注目を浴びるのかは、男にしておくには勿体無い程の端麗な容姿と丁寧で華麗な動作、そして周りから集まる女生徒達の黄色い声で、容易に想像が出来る。
「今日は僕も一緒に案内させて」
「自分もご一緒して宜しいでしょうか?」
ランとイアンは十分に目立つ。それは昨日嫌という程見せつけられた。が、恐らくそれに匹敵するであろう注目度を集める人物が更に二人現れた。可愛らしく話すルネと、落ち着いた雰囲気を持つザウルである。
昨日会ったばかりなのに、ここまで良心的に接してくれる四人に感動すると同時に、昨日以上の視線を集めるだろう事にセリアは肩を落としてしまった。
「ここが、フロース学園記念館」
薄暗い建物に足を踏み入れると、イアンの声と自分達の足音がよく響いた。
校舎とは別になっているその建物は、フロース学園創立時からあり、これまでの学園の歴史などが伺える場所だ。
「この人達は?」
セリアが指した先にはずらりと並んだ、髭を伸ばした男性達が描かれた肖像画。部屋の端から端まで並べられたそれらは、とても古い物から新しい物まで様々であった。
「フロース学園歴代校長の肖像画です。右端の方が初代校長。左端がマクシミリアン現校長です」
成る程。どうりで全員髭を伸ばして立派にしている訳である。
記念館には、他にも昔の校舎の模型や生徒の心得等、いかにもな物が並んでいた。
中を進むと、ある一角にセリアの興味を引くものが置かれていた。
歴代のマリオス候補生クラス卒業生達の名前覧である。この中の多くは、国の為に尽くし、また大きな実績を残している。
一覧を追っていると、ルネが後ろから覗き込んで来た。驚いてセリアはビクッと肩を振るわせたので、イアンにまた笑われてしまった。
「どうしたのセリア」
「えっと。この人達が国の未来を築いてくれたんだなと思って」
変に思われただろうか、とルネの顔を伺うと、思いのほか明るい顔で微笑まれた。
「セリアってやっぱり変わってるね」
彼女こそ、国の事を想っているのかもしれない。素直に国の事を話すセリアの反応は、自分達にとってはとても新鮮な物だ。
変わっていると言われて、困り顔で少し焦り出すセリアに、ルネは笑みが深くなるのを感じた。
「なあ、次は面白い所に行ってみないか」
「面白い所?」
記念館を出るとイアンが提案して来た。
その言葉に首を傾げるが、イアンはまるで子供のようにワクワクしている。今度は何をさせる気だ、と不審げに彼を見ていると、後ろからランが答えた。
「稽古場だそうだ」
「稽古場?」
その言葉に嫌な予感を覚えると、案の定イアンが言い出した。
「剣術用の稽古場でさ。お前に手合わせ願おうと思ってな」
予想はしていたが、言われてセリアはかなり困惑した。
一体何を考えているのだ、こいつは。何をさせるかと思えば、手合わせと来た。勿論、勝負をして貰えるのは有り難い。というか、是非とも受けて立ちたい。
だが、転校したばかりの学校で、いきなり手合わせだと。しかも男子生徒とだ。問題が有りまくりなのに、周りにいる彼等は全く気にした様子は無い。唯一、ザウルが若干複雑な顔をしてこちらを見て来るが。
「ちょっと待って。そんな手合わせなんて」
「別に良いだろう。ランの剣筋を見切ったんだ。勝負出来ない事はねえだろ」
さも辺り前だと言わんばかりに聞いてくるイアンに、セリアはかなり驚いた。
今まで、自分が剣を握っていようものなら、女だという事を理由に反対されたものだ。中には嘲りの目で見る者さえいた。そして、また女だという事を理由に、誰一人剣の相手をしてくれる者がいなかったのだ。
女は剣よりも花を持って笑っていれば良いのだと。散々聞かされた言葉に、毎回本気で嫌気が差していた。それでも辞めなかったのは、剣が好きだったからと、そんな環境でも熱心に教えてくれた伯父の存在があったからこそだ。
なのに、今この場にいる彼等は、嘲笑うどころか、手合わせまで持ち出して来た。彼等は本当に自分の常識を覆す事ばかりしてくれる。それと同時に、自分がどれほど小さな世界に居たかを改めて認識させられる。
「じゃ、話が纏まった所で、行くか」
「ちょっ!」
だからといって、今この場で手合わせするなんて、冗談ではない。もし学校側にバレて問題になりでもしたらかなりまずい。
そんな空気も気にせず自分の背をズンズン押して来るイアンに、話を聞け〜、とセリアが訴えるが、本人は全く聞いちゃいない。
無理矢理な形で連れて来られた稽古場は、予想を裏切らず、見事に整備されていた。
その広々とした場所に、刃の潰れた練習用の剣を持ったセリアが、複雑な表情で立っている。
「ねぇ。本当に大丈夫なの?」
「良いだろ。俺が手合わせしてみたいんだから」
こちらの意見を完全無視した発言をしたイアンは、横で準備運動なんかをしている。こちらが何を言っても聞き入れるつもりは無いらしい。
駄々を捏ねる子供のように剣を押し付けて来る彼に、思わずそれを手に取ってしまった。そして今に至る。本当に勘弁してくれ、と言いたくなる気持ちをぐっと抑えて前を見れば、もう準備万端にして立つイアンの姿がある。
「それとも負けるのが怖いか」
ニヤリと笑ったイアンは、からかう様に一言呟くように言った。
これにはさすがのセリアもカチンときた。元々根っからの負けず嫌いであった為、ここまで言われれば黙ってはいられない。挑発だと分かっていても、勝負に燃えてしまう。
「……手加減は無しだからね」
ここまで来ると、半ば自棄になったのか、セリアはやる気を出した。
なんだかんだといっても、久しぶりの手合わせだ。それも、今まで殆ど相手をしてくれる人間が居なかった中で。こうなったら負ける訳にはいかない。相手も気合いが入っているようで、燃えてくるではないか。こちらはワンピース型の制服だ。動きにくい分少し不利ではあるが、そんな事は気にしない。
セリアのやる気を感じ取ったのか、イアンは一層嬉しそうな顔をする。試しに口にした言葉が、思いのほか効果あったらしい。
だが、すぐに真剣な顔になる。自分が負ける可能性もあるのだ。油断は出来ない。
正直、女相手に自分が剣で負けるかもしれないと思うなど、今まで考えもしなかった。これは偏見なのかもしれないが、そう思わせる者が周りにいなかったのだ。そして、その考えを打ち砕いた少女と、どうしても勝負がしてみたかった。
周りで見守るラン達もセリアの剣筋に興味があるのか、じっと息を飲んでいた。
練習場に立った二人が構えると同時の一瞬の静寂。その静寂の間にイアンは確信した。目の前の相手の強さを。
「始め!」
ランの声と共に、空気を切りながら突き出された剣で勝負は始まった。剣と剣とが交わる音が、辺りに響き渡る。
セリアの剣を突き出す姿勢は男性と同じである。違うのは、男よりも確実に細いその腕と、長い栗毛が風と共に揺れる事だ。
お互いの剣先から視線を外さず、詰め寄っては距離を取り、突きを送ってはそれを防ぐ。それを繰り返すうち、少しずつ押されているのは驚いた事にイアンの方であった。
体格、体力、共にイアンの方が確実に勝っているが、セリアは女性特有の身の軽さでイアンの懐に入り込む。力で劣る分、技で攻めて行くのだ。繰り出す技は全て防がれ、その隙に詰め寄られる。
一つ一つの突きは男相手に比べて多少軽めだが、その分確実に急所を狙って来るのでやりにくい。
少しずつ焦りが出て来たイアンは、一か八か勝負に出る事にした。覚悟を決め大きく腕を突き出す。がその瞬間、目の前の人物が消え、何かが弾かれる音がした。
「そこまで!」
ランの声に我に返ると、気付いたのは遠くに弾かれた剣が一本転がっている事と、自分の手に数秒前まであった筈の物が無くなっている事。
呆気に取られて自分と対峙していた人物を探すと、彼女は少し低い位置から剣を上に突き出していた。ほっと息を吐いて立ち上がるその表情には安堵が映っている。自分は負けたのだと理解するのと、腹の底から沸き上がる興奮を感じるのは同時だった。
「すごい、セリア!」
同じ事を言おうとイアンが口を開いた瞬間、別の声に遮られた。そちらを見ると、驚いた表情のザウルの横からルネが笑顔で手を振っている。
「イアンに剣で勝てる人なんて、ランかカールくらいだと思ってたよ」
拍手を送って来るルネに、今度はセリアが興奮気味に話だした。
「イアンも凄いよ。こんな真剣勝負始めて。今まであんまり他の人とした事がなかったから。ありがとう」
セリア自身、試合の前は迷っていたものの、いざ勝負してみれば驚く程にそれを楽しむ自分がいた。先程までの戸惑っていた様子が嘘のように、心底嬉しそうに語るセリアが、また対戦してくれと頼むと、イアンも口元を綻ばせながら頷いた。
負けはしたものの、十分楽しめたし、後味の良い試合だったので是非ともまた勝負したい。
次は負けねぇ、と言いながらセリアを見れば、また花の様な笑顔を浮かべていた。
「いや。しかし凄かったな」
場所は変わってセリア達は温室で寛いでいた。本来なら校舎の案内を続ける予定だったのだが、一試合終わった二人の為に、ここで一休みしようというわけである。
「とにかく動きが軽いんだよ。なんつーか、小動物みたいでよ」
未だ冷めぬ興奮を抱えながら、イアンはセリアの剣筋の感想を詳しく述べていた。
「周りから見ていても、無駄の無い動きだった。女性だからこそ、あそこまで身軽なのかもしれないが」
「でも、イアンも凄かったよ。やっぱり一振りが重いし、体力あるしで」
ランの感想にセリアも返す。セリアにとっては、こんな会話が出来る日がくるなんて夢のようである。
「それ程の腕だ。前の学園でも相手はいたのではないのか?」
さり気ない一言だが、セリアはギクリと反応した。
「……えっと、そういう事は余りしない学校だったから」
「へぇ。何処の学校だ?」
やめてくれ、と願っても、恐れていた一言が出てしまった。ここで話をそらせれば良いのだろうが、上手い誤魔化し方が思い浮かばない。
「……ワイト…ローズ学園」
「あの有名花嫁学校か!?」
渋々と口にした言葉を聞いた途端、その場にいた全員が驚きの表情を見せた。
ああ、やはりこうきた。だから言いたくなかったのだ。
耳まで赤くしたセリアは思わず俯いた。イアン達が驚くのも無理はないだろう。卒業出来れば間違いなく女性として申し分ないと言われる学園。
良家の子女が集まるその場所に通う事は、将来有望な貴族の後継者との縁談を約束される場所である。これだけなら、さぞ華やかで学のある学園のように聞こえるが、実際は窮屈以外の何ものでもない場所である。
学ぶ事といえば、椅子の上での仕草や話し方。紅茶の煎れ方や裁縫などばかり。規則は厳しく息がつまりそうであった。その中で、少しでも爵位が上の貴族の子息方とお近づきになろうと、女生徒は自分に磨きをかける。
学園の中はしとやかに笑う女生徒達が溢れる、いわゆる女の戦場である。それでもその先にある約束された未来を手にする為に、笑顔の仮面を貼付け通い続ける生徒は後を絶たない。
「でも、どうしてこの学校に?」
まあ、当然の疑問であろう。女性があるべき、といわれる道で約束された将来を捨てたも同然なのだから。しかし、あの場所では自分の目標は果たせないのだ。
「憧れ、かな」
「憧れ?」
「今この国があるのは、今までこの学園で学んだマリオス達がいたから。彼等が学んだ場所で、もっとこの国のことを知りたい。そういう憧れがあったから」
「……憧れだけか」
突然響いた声に、弾かれたようにそちらを向けば、いつのまに温室へ入ったのか長いプラチナブロンドの髪と冷たいヴァイオレットの瞳があった。
「その程度の感情、誰でも口にできる物だ。糧となるべき目的も覚悟もなければ、何も生まれない。憧れだけを追い求めるなど、浅はかな行為だ」
言われた言葉を理解しながらセリアは俯いた。いきなり現れたかと思えばこの言われよう。確かに、彼の言う事は正論だ。憧れだけで突っ走れるほど、自分が入ろうとしている世界は甘くはない。
しかし、何故、名前も知らないような者にここまで言われなければならないのだ。そもそも、こいつは誰だ。
一昨日のランの決闘相手である事は分かるが、それ以外の事などまるで知らない。それはお互い様な筈だ。なのに、何故ここまで否定されなければならない。怒りが沸々と沸き上がるセリアは拳を握ると勢いよく立ち上がった。
「おいカール。いくらなんでも言い過ぎじゃ……」
イアンが諌めようとしたが、その前にセリアがカールの前に立ちはだかった。
冷たい瞳に見下ろされ、普通の人間ならば間違いなく怯むだろう状況でも、頭に血が上ったセリアには通用しない。大きく息を吸い込むと、一気に捲し立てた。
「私だって、憧れだけでここに来たわけじゃない!今は、まだ私には何の力も無いけど、この学園で色々な物を見て、経験して、学んで。そして力をつけて、いつか国の為にマリオス候補生様達を押す、踏み台くらいにはなって見せるわよ!」
自分にだって目的や覚悟ならある。ただ、それを口にする勇気がなかっただけだ。根拠はないが、何かが終わってしまう気がして、今まで誰にも、自分自身にさえ言わなかった。
しかし、今なら。学園に入学した今なら言える気がする。自分の言葉を受け入れる事が出来る。だから今、目の前で偉そうにしている男に言ってやったのだ。踏み台とは少し小さいかもしれないが、今の自分にはこれが精一杯の夢だ。
それを聞くと、固く結ばれていたカールの口元が少し緩んだ。
「ほお。では、精々我らの良い踏み台になる事だ」
えっ、と驚くセリアを他所に、温室を出ようとしたカールの前に一人の男子生徒が息を切らして入って来た。
「ああ、皆様こちらでしたか。校長からマリオス候補生の方々に集まって欲しいとの伝達です」
それだけ言うと、男子生徒は失礼しましたと急いで温室を離れてしまった。
彼の言葉にますます混乱するセリアだが、事の成り行きを見守っていた彼等が立ち上がった事で更に衝撃を受けた。
「収集が掛かったようだな。イアン。お前もこれ以上は隠せないだろう」
「別に隠すつもりなんかなかったんだって」
「ごめんセリア。ちょっと行って来る」
「失礼します。では、また後ほど」
「行くぞ」
次々に温室を出ようとする彼等の背に声を掛けようとするが、状況をやっと理解したセリアは声を飲み込んだ。そして、途端に顔が青くなるのを感じた。
聞かれてしまった。厚かましいにも程がある夢を。しかも、本人達に。
「……彼等が………マリオス候補生…」
国の未来を背負ったその背を見つめながら、セリアは一人呟いた。