確執 1
ボワモルティエ家の夜会から数日、セリアは何故か校長室へ呼ばれていた。
「セリア君。よく来てくれたね」
見るからに上機嫌の校長は、先程から気味が悪い程こちらをニコニコと見詰めて来る。
「あの、どういったご用件でしょうか?」
「うん。実はね、昨日漸く君の馬が届いてね」
「はっ!?」
「マリオス候補生への寄贈馬だよ」
マリオス候補生に選ばれた者には、学園から記念として一人ずつ馬が寄贈される。ラン達候補生も一頭ずつ贈られていたな、とセリアも思い出した。幾らセリアが女性だといっても、れっきとしたマリオス候補生には違いない。当然、馬も贈られる訳で、それがやっと届いたということだ。
以前、候補生達に誘われ遠乗りへ出向いた時は、セリアに騎乗の許可が下りていなかった為、カールと相乗りという形だった。その時の、後ろから降る背が凍る様な視線を思い出しセリアは青ざめる。他の女生徒が聞けば、何を贅沢言っているんだ、とたちまち怒声が飛んできそうな話だ。そうは言ってもやはり相乗りはどうしても慣れないため、あれから彼等と遠乗りに出掛けた事は殆ど無い。
けれど、これからはそんな思いをしなくても済むのだ。マリオス候補生に寄贈された馬は、当人ならば何時でも乗り回して良いとされているのだから。
「気が荒いって言われてるんだけど、セリアちゃんなら大丈夫よね」
「なにしろ、競技会の時はあの立派な馬を見事に操っていたからね」
競技会の場でセリアが咄嗟に飛び乗った馬も、かなりしっかりとした体躯を持っていた。しかも、飛び乗るなんて乱暴な真似をすれば馬が暴れて振り落とされるくらいの事になっても文句など言えない。にも拘らず、セリアは臆する事無く、軽々と乗りこなして見せたのだ。それならばどんな馬でも乗りこなせるだろう、と校長は上機嫌で寄贈馬の選出にかかったらしい。
「今日の授業が終わったら、是非厩舎に行ってみてくれ」
「はい」
話が終わると、セリアもその日の授業を受けるべく校長室を出た。その姿を中の二人が温かく見送る。本来ならクルーセルもここで同じ教室に向かうべきなのだが、相変わらずソファで寛いでいたのは、言うまでもないだろう。
授業の終わりを告げる鐘が鳴ると、セリアは言われた通り厩舎へ向かった。折角寄贈された馬なのだし、慣れる為に遠出でもしないか、と候補生達に誘われたのだ。
まだ新しい場所に慣れていないだろう馬に、大勢で詰め寄っては驚かせてしまうから、とイアン達は少し後に来る事になっている。校長も気が荒いと言っていたし、彼等が来るまでに少しでも懐いて貰えればよいが。
授業の緊張も解けたその足で、セリアはのんびりと厩舎を目指す。
マリオス候補生一人一人に馬を寄贈するとは、本当にこの学園の懐は広いらしいな、と感心していると、突然厩舎から大きな馬の嘶きが聞こえたので驚く。その音に焦り、セリアが厩舎へ慌てて入ってみると、中の光景に目を見開いた。青毛の立派な馬の鼻を、見た事の無い青年が落ち着かせるようにゆっくりと撫でているのだ。青年は学園の制服ではなく私服を着ているので、恐らく生徒ではないのだろう。
慌てて入って来た栗毛の地味な少女に気付いた黒髪の青年は、驚いたように一瞬目を見開いたが直ぐにニコリと微笑んだ。
「申し訳ない。どうも俺が来た事に驚いてしまったみたいでね」
そう言ってポンポン、と今でも鼻息を荒くしている馬の鼻を軽く撫で宥める。それを見てセリアはおや、と引っ掛かりを覚えた。どうもこの青年に以前会った事があるような気がしてならないのだが、それが何処か思い出せない。
セリアが必死に記憶を探っていると、また再び青毛の馬が暴れ出した。それを青年は手綱を引いて落ち着かせようとする。
「どうも興奮してるみたいだな。俺が気に入らないのか?」
「あ、それは多分、この場所にまだ慣れてない所為だと思いますよ」
見事な青毛と立派な体躯の馬は校長によってヴァーゴと名付けられた。カールへの寄贈馬、アルセウスにも引けを取らないのでは、と思う程の威圧を備えたこの馬は、これからセリアのみが乗ることを許されるのだ。といっても、小柄なセリアには不釣り合いなのでは、と思える程馬の体躯は立派である。けれど、人並みよりも乗馬の腕があるセリアなので、問題は無いだろう。
青年とセリアが懸命に宥めたので、ヴァーゴも多少落ち着きを取り戻したようである。とくに、セリアには鼻を摺り寄せる程までに懐いてくれた。気位の高いアルセウスもが直ぐに受け入れた所を見ると、もしかすると馬に好かれる体質なのかもしれない。本人は全く気付いていないようだが。
後ろの方からは、新参者を歓迎しているのか、追い返そうと躍起になっているのか、はたまたセリアに構って貰えない事に対する不満を表しているのか、アルセウスやヘルメスなど、候補生への寄贈馬達の足踏みが聞こえる。その所為で、ヴァーゴの気を鎮めるまで更に時間が掛かってしまったが。
「あ、ありがとうございました」
「いや。俺が驚かせたみたいだから。それより、君はフロース学園の生徒だよね」
「あ、はい。セリア・ベアリットと申します」
「俺はアルフレド。実は人に会うために来たんだけど、学園が広くて迷ってたんだ」
アルフレドの言葉にセリアも納得する。確かに、この学園は広い。広過ぎると言ってもいい。外からの来客など、一発で迷ってしまうだろう。自分も初めの頃は何度も迷いそうになったものだ。とセリアはあまり思い出したくない記憶を懐かしんだ。
「君には悪いんだけど、よければ案内を頼めないかな?」
「私、ですか?」
アルフレドが心底困ったように頼んで来たので、思ってもみなかった事態にセリアは咄嗟に言葉に詰まった。けれど、直ぐに承諾する。
候補生達が来る前に、少しでもヴァーゴを乗り回す積もりだったのだが、後に回そう。案内の後に戻ってくれば十分間に合うのだから、と快く了承した。それを聞いてアルフレドも助かった、と安堵したように肩を下ろす。
「それで、どちらまで案内しましょう?」
「俺もよく知ってる訳じゃないんだけど、マリオス候補生達が居る場所って分かるかな?」
「マリオス候補生……ですか?」
アルフレドの言葉にセリアは一瞬首を傾げた。会いたい人物が居ると言っていたが、マリオス候補生の誰かなのだろうか。だとしたら、温室に行けば会える筈だ。
セリアは、心得た、とばかりにアルフレドを連れて温室へ向かった。それにしても、やはり何処かで見た事があるような気がするのがどうにも引っ掛かったのだが。
「セリア、大丈夫かな?」
「心配ないだろ。俺達が行っても、逆に興奮させちまうかもしれないしな」
厩舎に居るだろうセリアの姿を想像しながら、候補生達は温室でのんびりと時間を潰していた。
「しかし、あまり一人にさせるのも不安だ。我々もそろそろ行った方が、」
「あの……」
此処には居ないと思っていた人物の声が聞こえ、ランも咄嗟に言葉を飲み込んだ。声のした方へ目を向ければ、ゆっくりと顔を覗かせながら温室へ入って来る栗毛の地味な少女。てっきり、今頃は厩舎に居ると思っていたのだが。
「どうしたんだ、セリア?」
「それが、お客さんみたいで」
「……?」
そう言ってセリアが外の人物を中へ入るよう促すと、アルフレドが顔を覗かせた。その途端、候補生達は目を見開く。そして一瞬で今までに無い程の警戒心と緊張感が温室を走った。
ピンと張り詰めた空気に、セリアも反射的に身を固くする。急な事に戸惑いを隠せず、オロオロと視線を彷徨わせた。いったい、どうしたというのだろうか。
「……アルフレド」
「久しぶりだね。本当に、この学園の構造は分かり難い。彼女に案内してもらえて助かったよ」
ゾクリ、と背筋が凍る様な声にセリアは驚いた。この温室に入った途端、アルフレドが纏う空気が変わったのだ。先程までの、温厚そうな雰囲気とは真逆の、何か冷たいモノを含んでいるような声だ。
ニヤリと笑ってセリアに視線を移したアルフレドに、チッとイアンが小さく舌打ちすると、固まっているセリアの腕を強く引いた。そのまま小さな体を背中に隠すように後ろに押し込め、改めてアルフレドと対峙する。
「あの、お知り合いですか……?」
なんだかただならぬ空気だが、完全に状況が読めないためセリアは取り敢えずイアンに聞いてみた。
「……俺の、弟だ」
「弟?」
セリアは一瞬目を見開いてもう一度アルフレドの顔を確認した。そこで漸く気付く。言われてみれば、確かにイアンと顔の造形が似ている。瞳の色も、同じ赤色ではないか。アルフレドを見たことがあると感じたのはその所為か、とセリアは納得した。けれど、それと同時にセリアは違和感を覚える。兄弟だ、と言っている二人の間に流れる身内とは思えない程の、嫌な緊張感。これは、自分も良く知っている類のモノだ。
「そう警戒しないでくれますか兄さん。俺は別にアナタの友人にまで危害を加える気はありませんよ」
「…………」
「まあ、興味はあったんですけどね。マリオス候補生に選ばれた者が、どれほどの才女か。見た目が地味だったので、名前を聞くまでまさか彼女だとは思いませんでしたけどね」
「わざわざそんな事を言いに来たのか?」
イアンから感じるこの緊張は、自分が、母と対峙している時に感じるものと同じ。決して、気を抜けない相手を前にした時のものだ。相手が何をしてくるか分からない、けれど、こちらからは絶対に一歩も動けない時の。
「まさか。兄さんに会いに来たに決まってるじゃないですか」
「…………」
そう言って再びニヤリと笑ったアルフレドに、候補生達も警戒を強める。その様子を、セリアは呆然と眺めていた。というより、アルフレドの変貌ぶりに心底驚いていたのだ。
後ろに隠したセリアの腕を掴む腕にイアンがギュッと力を入れると、アルフレドもフッと笑う。
「折角なんで、俺は学園内を散策してきますよ。じゃあ、またあとで」
「待て!」
温室を出ようと背を向けたアルフレドをイアンが呼び止めた。
「俺も行く」
「……へえ、嬉しいな。兄さんに大事な学園を案内してもらえるなんて」
クルリと首だけ振り返った状態でそれだけ言うと、更に笑みを深くしたアルフレドは静かに温室を出て行った。その後を、候補生達の刺す様な視線が追う。アルフレドの姿が完全に見えなくなると、その場に張り詰めていた緊張が一気に和らいだ。けれど、妙な警戒心が漂うその状態に、セリアは困惑する。
「セリア、悪かったな。……まあ、あんまり気にしないでくれ」
「……うん」
気にするな、と言われても難しいのだが、イアンがあまりにも必死な表情だったのでセリアはゆっくりと頷いた。気にならない事は無いが、あまり込み入った事情を聞く積もりはない。
セリアが頷いたのを見ると、イアンも慌ててアルフレドを追った。案内などと言ってはいるが、イアンが監視の意味でアルフレドに付いて行ったのは明確だ。アルフレドから少しでも目を離すという選択肢は、彼の中には無いらしい。
悠々と前を歩いていたアルフレドに追い付くと、その腕をイアンはグッと掴んだ。動かしていた足を止め、ゆっくりと振り返ると、眉間に皺を寄せた兄の瞳が真剣にこちらを見据えている。その様子にアルフレドは臆する様子も見せず、むしろ楽しそうに喉の奥で笑った。
「アイツには何もするな」
「珍しいね。兄さんがそんな風に言うなんて。マリオス候補生に選ばれただけあって、随分と周りに気に入られてるんだ?」
「候補生かどうかは関係ない。いいか。アイツには絶対に手を出すな」
「ふうん。まあ、考えておくよ」
本気の力で掴まれた腕が痛いので、アルフレドは適当にそう返す。イアンの腕を振り払うとアルフレドは何も無かったかのように歩き出した。
地位を除けばなんてことないただの娘を、ここまで気にかけているのだ。兄には元々お人好しの傾向はあったし、周りの人間に自分を近づけたがらない姿勢も分からないでもない。けれど、こんな風に誰か個人をかばい立てしたのは、あの候補生達以来であった。なんてことない一人の少女に、増々興味をそそられる。
感心した様に頷くアルフレドの背から注意を逸らすことなく、イアンはその後ろを歩いて行った。
イアンとアルフレドが温室を出て行ってから随分と時間が経つ。その後、もう一度厩舎へ行く気にはなれず、セリアもイアンが帰ってくるのでは、と期待して温室で待っていたのだ。が、結局夕食時になってもイアン達が帰って来る気配はない。待つ事を諦め、今は食堂へ行く前に鞄を置こうと寮の自室へ戻って来た所だ。
何があったのかは知らないが、少なくともあの二人が仲の好い兄弟でない事は分かった。アルフレドから感じた、イアンに対する挑発的な態度は、確実にセリアにも伝わって来たのだ。それにイアンも随分と警戒していたようである。普段ならば世話好きで、他人思いのイアンとは思えない程に。
セリアが難しい顔をしながらも食堂へ向かっていると、その肩をポンと軽く叩かれた。驚いて振り返ると、そこにはまさに今思考を占めていた人物、アルフレドがこちらに笑みを向けている。けれど、最初に会った時のような、爽やかな笑みではなく、何かを企んだような。
「さっきはどうも。実は君に話したい事があるんだけど」
「わ、私、ですか……?」
言われてセリアは非常に困惑した。
彼が自分に何の用だろう。考えても全く心当たりが無い。けれど、話があると言われてしまえば、無下に断るのもどうかというもの。セリアが静かに頷くと、アルフレドはニッコリと笑ってそのまま歩き出した。その後ろを、セリアも慌てて付いて行く。
「あの、何処へ?」
「あんまり人に聞かれたい話じゃないんでね。俺は構わないけど、兄さんは困るんじゃないかな」
「…………」
明らかに何かを含んだ様な物言いに、セリアも眉を顰めた。けれど、アルフレドはそれに構わず足を進める。はたして、その背に付いていってもよいものだろうか。と一瞬悩むが、今更引き返す事も憚られたため、セリアは大人しくその後を追った。
そうしてアルフレドが足を向けた先は、学園内の林の一角。辺りは段々と暗くなって来ているので、なんだか不気味にすら見える。
「何も聞かないんだね」
「はっ!?」
「普通のお嬢様なら、他人の噂話とか事情とかに興味が湧くんじゃない?」
「……誰でも、そういう込み入った事は、やはり知られたくないと思うのですが」
いきなり何を言い出すんだろう、とセリアは首を傾げる。イアンの事は気になるが、それは彼が友人として心配だからであって、興味や好奇心からではない。たとえここでアルフレドから話そうか、と言われても本人の居ない場所で勝手に詮索するような事は、出来ればしたくなかった。
「へえ。やっぱり普通とは少し違うんだな」
ジロジロと上から下まで品定めするように見て来るアルフレドの視線に居心地悪くなってセリアは一歩下がった。それに構わず、アルフレドは興味深げにセリアに視線を留める。噂話もしないなんて、増々年頃の娘らしくはない。マリオス候補生になろう、なんて言う時点で娘らしさに欠ける部分が有るだろう事は予想していたが。そもそも、厩舎なんかに一人で来る所からして、普通の娘とは言えないだろう。深窓の令嬢は、野原を駆けたり、悠然と立つ立派な馬に興味はあっても、土や埃で汚れた厩舎なんかには行かない。
「それで、お話し、というのはなんでしょうか?」
「うん。兄さんの事でね。どう?上手くいってる?」
「はぁ?」
アルフレドの言葉にセリアは思い切り混乱した。自分は何を聞かれたのだろう、ともう一度その言葉を思い起こしてみるが、全く理解出来ない。
セリアが首を傾げる様子に、アルフレドは増々楽しそうに口の端を吊り上げた。
「ふうん。そういうことか。じゃあ質問を変えるよ。兄さんとは仲良いの?」
「えっと、友人としては多分仲がいい方なのではないかと……」
少なくとも、ランとカールの様に顔を会わせる度に仲違いはしないし。とセリアは心の内で付け足した。
セリアの答えに、先程まで楽しそうにしていた筈のアルフレドが一瞬顔を歪める。それにセリアが気付く間もなく、静かな声が響いた。
「面白くないな」
「はっ!?」
先程よりも一層低い声で言われセリアは思わず聞き返した。けれど、そんな事気にした様子は見せずアルフレドは続ける。
「本当に聞きたくない?兄さんがどうしてあんなに警戒するのか」
「で、ですから、それは個人的なことで、当人の居ない場所でお話しする事ではないと思う訳でして」
ランの時とは明らかに状況が違う。彼の言葉から、アルフレドがイアンの事を思って行動しているとは考え難たい。ならば、ここで不用意に深入りする事は憚られた。
話はそれだけか、と確認するとセリアは踵を返して立ち去ろうとする。あまり長居する必要もないし、出来れば彼の自分に向けられる、敵視のような物からも逃れたかった。そう思って足を踏み出すと、急に別の力によって腕が後ろへ引かれた。慌てて振り返ると、逃すまいとするように己の腕を捕らえたアルフレドが、こちらを見据えている。そして次に吐き出された言葉は、セリアの背をゾッと凍らせた。
「それは、俺が兄さんを殺そうとしたからだって聞いても?」
「っ!?」
はっきりと聞き取れたアルフレドの言葉にセリアは目を見開いた。殺そうとした、だと!?それは一体どういう意味だ。もし言葉通りだとするなら、一体何故。幾ら憎くても、二人の間にどんな仲違いが起きようと、家族を、兄弟を手にかけようとするだろうか。
混乱と動揺でセリアが動けないでいると、背後から荒らしく草を踏む音が聞こえた。
「何してる!?」
「……へぇ。思ったより早かったね。そんなに大事?」
走って来た勢いのまま、イアンはセリアとアルフレドの間に入ると、セリアを自分の後ろに押し込め、怒りの籠った目つきで目の前の弟を見据える。その兄の姿に、アルフレドは更に好奇心をくすぐられた。自分が何をしようと、ここまで感情を露に怒鳴る事は滅多にしなかったのに。
「言った筈だぞ。コイツには関わるな!」
「別に俺は了承した覚えはないけど、まあいいや。今日はこれで帰るよ。 学園都市に泊まるつもりだから、また明日宜しく頼むね」
それだけ言うと、アルフレドはイアンの言葉を待つでもなく、セリアに目もくれず、そのまま林から出て行ってしまった。ヒラヒラと手を振るその姿を見送ると、セリアもはっと気付く。アルフレドはイアンを殺害しようとしたと言った。その真相がどうであろうと、自分は彼等の事情に不用意に立ち入ってしまったのではないだろうか。
サッと顔を青くしていると、イアンが膝を折って目線を合わせて来たので視線を上げた。焦った様な、必死の表情にセリアも我に返る。
「セリア、何処も怪我ないか?」
「うん。大丈夫」
「本当だな?何かされたか?」
「なにもないよ。平気」
何度も同じ質問をしてくるイアンに、セリアも一つずつ返す。暫く同じ事を繰り替えして漸く安心したのか、イアンは張り詰めていた緊張を抜くと唐突にセリアの腕を引き、その身体を引き寄せた。急な事にセリアが驚いて目を見開いていると、イアンの体がフラリと蹌踉き、後ろにあった木の下に座り込んだ。セリアも抱きしめられたままなので当然一緒に崩れ落ちる。
「ひぇっ!?」
年頃の娘ならキャーとか言ってそのまま凭れ掛かるのだろうが、セリアは今更ながらあり得ない程近いイアンとの距離に慌て始めた。木に背を預けるイアンから、なんとか離れようと身を捩らせるのだが、動けば廻された腕に更に力を込められて余計に密着してしまう。ちょっとこれは本気でまずいのでは、とセリアは青ざめたのだが、イアンはそれに構う事なく小さく呟く。
「悪い、少しだけ……」
「へっ!?」
聞いたことのないような縋るような声に、セリアもどうしたらいいか分からず抵抗を止めたが、それでもイアンは解放してはくれず、そのまま二人で暫くそこに座り込んだままだった。
他人の事情に、必要以上に干渉する事は出来ない。私に出来るのは、彼を横から支え、見守る事だけだ。それがどんなに心苦しくとも、それ以上の行為は彼の意に反する。これは彼等の問題であって、我々が口出しをするべきではないのだから。
けれど、イアンは私達の大切な友人だ。彼の望まないような事態は引き起こしたくない。だから、彼女と彼を不用意に近づける訳にはいかないんだ。