訪問者 4
気品を漂わせる豪華な調度品が飾られ、主の趣味の良さを十分窺わせる部屋で、セリアは大いに渋い顔をしていた。子供の頃から何度も訪れたこの部屋に、今は半ば強制的に拘束されている状態だ。目の前では、覚悟しろ、とばかりに潤わしの従姉様がニッコリと微笑んでいる。
「あ、姉様。服ならちゃんと持って来たのに……」
「駄目よ。折角なんだから、もっと可愛らしいのを着なきゃ」
言ってみた途端にピシャリと却下された。
今までカレンが自分に夜会への参加を強制した事は滅多に無かった。時折、どうしても一緒に居て欲しい、と言われた時に、申し訳程度に顔を出すくらいだ。今回も、苦手な場ではあるが、カレンの頼みであるし、何より候補生達も出席するというので、仕方なくこうして赴いたのだ。けれど、屋敷に入った途端カレンに捕らえられ、こうして部屋に連れ込まれたという訳である。
セリアが持って来た服というのは、侯爵家のパーティーには似つかわしくない、華やかさとはかけ離れた、枯れ草色の地味さを全面から漂わせたような物だ。そんな物を選んで来たセリアが、部屋一杯に派手なドレスが広げられた中から、さあ選べ、と促されても戸惑うだろう。
ここに用意された物は、全て昔カレンが着ていた物である。今はサイズが合わないので着られなくなった物を引っぱり出して来たのだ。流石、社交界の花形が着る物だけあって、色も形も様々だが、豪華ながらに気品がある。けれど、やはりセリアには似合わない。地味な容貌に、無理に派手なドレスを着せても滑稽になるだけだ。
初めのうちこそ必死に抵抗していたのだが、それが無駄だと分かるとセリアも諦めたようで、大人しくされるがままになっていた。
「やっぱり貴方に似合うのは、これかしらね」
膨大な量のドレスの中からカレンが取り出したのは、派手さとはかけ離れた、良く言えば清楚で大人しい、悪く言えば単に地味な白のドレス。ドレスといっても、その形はワンピースに近い。この派手な服の山の中、何故そんな物が混じっているのだ、とは聞けないでいた。けれど、やはりセリアに似合うのは、どうしても地味目の服になってしまうらしい。
セリアは大人しくそのドレスを手に取ってまじまじと見た。褒められる点といえば、袖と裾に細やかにあしらわれた刺繍だろうか。手が込んでいるそれは確かに見事で、品がある。
さあ着て来いと命令され、セリアは渋々それに袖を通した。
「あとは、髪を後ろで束ねて、軽く肩に流せばいいかしら。それと、少しお化粧もしましょうね」
「…………」
もはや逆らう気力も残っておらず、そんなセリアをカレンは楽しそうに弄り回している。ドレスが地味な事には変わりないが、やはりカレンは趣味が良いのか。初めにセリアが着て来たドレスとはやはり何処か違い、地味な中にも清楚な感じが残っている。そうして出来上がれば、セリアは一応の変貌を遂げていた。とはいっても、大変身ではなく、普段より多少粧し込んだといえる程度だが。
「どうしたの、セリア。気に入らない?」
「いや、そういうことじゃないんだけど……」
はぁっと溜め息を吐いたセリアにカレンが問いかけた。気に入らないという訳ではないが、ただ非常に疲れたのだ。慣れない事をすると、その分疲労も半端ない。けれど、カレンはそれを別の意味で取ったのか、セリアの顔を覗き込んで来た。
「もっと可愛いドレスがよかったかしら。それなら、アレにする?」
「……っ!?」
カレンがアレ、と言って指差した先にあった物を見て、セリアは固まった。ここに多くある、大人びた服とはまた違い、目に痛い桃色の可愛らしいドレス。レースがふんだんにあしらわれていて、全体から伸びた大きなリボンが目立っている。胸元に散りばめられた小さな宝石が、キラキラと嫌味な程に輝きを反射していた。
「け、結構です!!」
あんな物を着せられるなんて、たまったものではない。似合わない以前に、絶対に嫌である。まるで道化師の衣装ではないか。何故あんな物がここにあるのだ。というより、カレンはあれを本気で自分に着させる気だったのだろうか。
そんな感じでセリアがショックを受けていると、ノックの音が部屋に響いた。カレンがそれに応えると、扉の向こうからは、正装した姿のギルベルトが好奇心を含んだ瞳を覗かせてくる。
身分を持たない者が侯爵家で開かれるような夜会に参加するのは、メイドや使用人としてが殆どだ。そういった貴族とそうでない者との間の溝は、クルダスではまだ深い。 本来ならギルベルトも、参加するだけで醒めた視線で見られても可笑しくはない。だが、彼の容姿は毎回驚く程貴族達の夜会の場に溶け込んでいた。聞かれない限り、間違いなく庶民だなどと誰も思わないだろう程に。
また、レディー・カレンの横に立つ事で描かれる一枚の絵画の様な光景に、人々は惚れ惚れせずにはいられない。その瞬間だけは、誰もが身分を忘れ、二人に魅入られてしまうのだ。
「姫君達。そろそろ、準備は出来たかい?」
「ギル。女性を急かすのは、礼儀知らずではなくて」
つん、と拗ねたような顔をするカレンに、ギルはその手を取ってゆっくりと口づけた。
「美しく着飾った愛しい姫を、早く見たいと思うのが、男心というものだよ」
慈しむような瞳を向けて来るギルに、カレンも顔を綻ばせた。熱の籠った瞳で見詰め合う二人の間は、バラでも咲いているのではと疑いたくなる程に輝いている。
「では、聞かせて下さる。今夜の私はどうかしら?」
「もちろん、他の者の目に留めさせてしまうのが惜しい程に、美しいよ」
目の前で繰り広げられる、甘ったるい恋愛劇に、セリアはどうしたらよいか分からず、とりあえず事の成り行きを見守っていた。この二人は、年中この調子なので、セリアも今更驚きはしないが、未だに反応に困る。
オロオロと視線を彷徨わせていると、ギルベルトが思い出した様にこちらに顔を向けた。
「セリアも、随分可愛らしいじゃないか」
「勿論よ。私が見立てたんですもの」
といっても、普段の地味さは健在である。可愛いという言葉で表すには、やはり何処か違うように思うのだが。階下のホールで踊っている姫君方の方が、よっぽど可愛らしいだろう。
「さあ、セリア。行きましょう」
「…………はぁ」
逃がさないようにガッチリと腕を取られて、セリアはどうすることも出来ず仕方なく頷いた。
侯爵家のホールでは、憧れのレディー・カレンに招待された貴族の紳士淑女が集っていた。場は既にかなり盛り上がっていて、流れる円舞曲に混じって軽快な笑い声が響いている。そんな場であっても、独特の雰囲気と輝きを放つ 候補生達を見つけ出すのは簡単だった。残念ながら、その中に銀髪の青年の姿だけは見受けられないが。カールはどうも私用が入ったらしく、この場に来られなかったのだ。
セリアが候補生達の姿に気付いた時には、彼等は既に複数の姫君達に囲まれていた。幾ら断っても次から次へと言い寄られては、流石のマリオス候補生も対処に困るようだ。
その様子にどうしようかと迷ったセリアだが、わざわざ姫君達の中へ突っ込んで行く気にはなれず、取り敢えず引き返そうと踵を返す。けれど、それは横に立つ従姉様に止められてしまった。
「セリア。お友達にご挨拶しなくては」
「でも、ほら……なんだか今忙しいみたいだし、後にしても……」
「まあ、セリア。そんな事を言っていては、彼等を取られてしまいますわよ」
「は、はぁ!?」
ちょっと待て。取られるとはどういう意味だ。彼等は物ではないし、取られるも取られないもないというのに。そんな事を思っている間も、カレンはセリアの手を取ってぐんぐんと進んで行く。青ざめたセリアが心の中で悲鳴を上げているのに気付いても、おかまいなしだ。
スイスイとホールの中を進むレディー・カレンの姿を目に留めた者は慌てて道を譲る。誰もが輝くその容姿に見惚れ、その腕の先に捕らえられている哀れな少女は目に映らなかった。
「皆様」
「レディー・カレン!!」
突然後ろから声が掛けられ、それまで候補生に夢中になっていた姫君方は途端に振り向いた。後ろには潤わしのマリオス候補生、目の前には憧れのレディー・カレン。まるで夢のような状況に、姫君達は一層頬を赤く染める。
「今夜はいらして下さってありがとう。どうか楽しんでいって下さいね」
ニッコリと上品に微笑むカレンに、姫君達も感嘆の溜め息を洩らす。そうしてフラフラと蝶が光に引き寄せられるように離れて行く姫君達に、候補生達は心から安堵した。
「だ、大丈夫?」
何が大丈夫ではないのか自分でも分からなかったが、今までに無いほど脱力しきった彼等に一応そう聞いてみたのだ。
「ああ、まあ……んっ!?」
「……?」
そう言って顔を上げたイアンがまじまじと自分を見詰めるので、セリアは首を傾げた。はて、何か可笑しい事でも言っただろうか。とセリアが困惑していると、イアンが途端に目を逸らした。
「相変わらず地味だけど、可愛いんじゃねえか?」
「はっ!?」
「うん。似合ってる」
「は、はぁ……ありがとう」
どうやら褒められたらしい。可愛いというより、地味なだけだろう。先程まで彼等を取り囲んでいた令嬢達の方が、よほど可愛いく見えたが。
イアンの言葉は、普段これでもかという程地味な人間が、たまに少し着飾るとかなり違って見える、というなんとも便利な効果の所為なのだが。それに気付く者はこの場には居なかった。
そんな感じでイアンの言葉に礼を述べると、突然セリアは後ろから大きな腕に抱きすくめられた。
「マリオス候補生ともあろう方が、僕の大事なセリアを、そんな安っぽい言葉で口説き落とそうとするとは」
「ギル!?」
突然の事に驚いたセリアだが、こんなことをしてくる人物はほんの数名しか思い浮かばない。てっきりカレンと一緒に居ると思っていたのだが。
「セリア。付き合う男はちゃんと選ぶものだよ」
「は、はぁ!?」
そう言ってセリアの肩に軽く流された髪に指を絡める仕草には、優しさが溢れている。何を言われたのかまったく理解出来ず、セリアは思わず顔を顰めた。
「着飾った女性に、最低限の敬意を払うのは、男として当然の義務ではないかな?」
挑戦的な笑みを向けて来るギルに、イアンは多少ムッとした。けれど顔には出さない。変わりに、不穏な空気にオロオロとしているセリアの手を掴み引き寄せると、軽く腰を折り、その指にそっと唇を這わせた。
「これは失礼しました。普段の愛らしさとはまた違った、気品に溢れる美しさに魅せられ、言葉を忘れてしまった自分をお許しください、姫君」
普通の令嬢なら頬を真っ赤に染めて失神しそうな状況に、セリアはポカンと口を開けた。普段の姿からは想像もつかない程のイアンの変わりように、思い切り戸惑う。
なんなのだ、これは。まさか、変な物でも食ったのか?そうでなければ頭でも打ったか、と思いっきり失礼な事を考えながらセリアは青ざめた。
セリアはこんな風に思っているが、これが本来貴族の子息である彼等の姿であって、決して体に異常がある訳ではない。
「まあ!」
あり得ない程紳士的なイアンに、嬉しそうな顔を見せたのは、当人のセリアではなくカレンであった。まるで面白い事を見付けた時のように、その瞳を輝かせる。何時の間に戻っていたのか、先程まで周りに居た令嬢方は、遠くで別の男性と談笑を初めていた。
「そうだわセリア。お父様が貴方に会いたがっていたわよ」
「伯父様が?」
「ええ。ギル、セリアを案内して下さる?」
カレンが言うと、ギルベルトは全てを悟った様にニコリと笑い、セリアに手を差し伸べる。それにセリアはイアンに掴まれていた手を離すとギルベルトの後について、さっさとその場を離れてしまった。その姿を、何処か不満気に見送る候補生達にカレンが再び向き直る。
「セリアを取り上げてしまったこと、悪く思わないでね」
「……いえ。そんなことは……」
「でも私、彼方がたと是非お話ししたい事がありましたのよ」
「…………?」
絶対に何かを企んでいる顔で微笑まれて、候補生達は背中に冷たいものが走ったような気がした。
「私、セリアの事が心配で。普から大人しくする事が出来ない子だったので。学園でもどうしているかが気になって」
頬に手を添えて少し俯く姿に、多方面から感嘆の溜め息が漏れる。不安そうに伏せられた眼は、儚げでとても繊細だ。その様は、周りに居た者が男女問わず見惚れてしまった程に麗しい。
カレンのセリアを気遣う言葉に、候補生達も苦笑しそうになりながら応えた。
「仰る通り無謀な面もありますが、そう心配される事もないと思います。なにより、学園内は安全ですし」
そう。本来ならそこまで心配する必要は無い筈なのだ。セリアが学園内に大人しく留まってさえいてくれれば。けれど、それが望めそうにないことは、取り敢えずは言わないでおく。けれど、カレンはそれがお気に召さなかったようで少し拗ねたように口を尖らせた。
「そういう意味ではありませんわ。あの娘が大人しく何処かに留まってくれるなんて期待するだけ無駄ですもの」
「そ、それは……」
流石従姉様、よく分かっていらっしゃる。と候補生達も感心してしまった。そして、本人の居ない間に散々言われている事を、セリアが知る事は無い。
「私は、あの娘をちゃんと支える事が出来るだけの殿方が居るか心配ですの」
その言葉に候補生達も困惑の表情を隠し切れなかった。彼女を助けて行く意思があることは、先日しっかり示した積もりだ。けれど、それでは伝わらなかったのか。それとも、よっぽど自分達は頼りないと思われているのだろうか。
眉を寄せる候補生達にカレンは満足したのか、先程の拗ねた様な表情とは一変し、今度は嬉しそうに語り出した。
「私ね、セリアには素敵な恋をして欲しいと思っていますのよ」
「はっ!?」
「でも残念なことに、セリアはそう言った事に中々興味を示してくれませんの」
「…………」
「それで、出会いが大切だと思って、丁度良い殿方を紹介しようと思っていたのですが、止められてしまいましたし」
「そ、その件は……」
カレンが目を向けたのは、バツが悪そうに口籠るザウル。身に覚えがあるのか、非常に居心地悪そうにしている。
「ザウルさん。あのお言葉の真意を聞かせてもらえるかしら?」
「うっ、それは……」
矛先を向けられザウルは押し黙った。何故彼がカレンの言葉に異を唱えたかなど、ここに居る誰もが承知している。カレンも、ここまで言うからには分かっているのだろう。
「実はね、例のお方をここにお招きしているの。今からでもセリアに紹介することは……」
「レ、レディー・カレン!」
ピクリと反応してしまったザウルに、カレンは何、と聞いてきた。その自信たっぷりの態度に、ザウルもついに白旗を上げる。それに、セリアの事になれば、レディー・カレンはいずれは通過しなくてはならない道の様な気もするのだ。
「自分は……その……確かにセリア殿をお慕いしています。ですから……」
「まあ、そうなの?」
カレンは、そんなことまるで知らなかったかのように聞いて来るが、絶対に分かってやっている。それは誰が見ても明らかだ。まるで自分が告白されたかの様に頬を染め、はしゃぐカレンの姿にザウルも顔を青くした。どうも、自分は手の上で踊らされたような感がする。
その肩に、友人が手を乗せ軽く叩いてやり、気力の復活を促したが、効果は期待できそうにない。
「では、横槍を入れるのは無粋というものですわね」
「はっ?……あの」
「セリアとの仲を邪魔することは出来ませんもの」
まるでザウルとセリアとの関係が決定しているかのような物言いに、ランが一歩前に出た。
「レディー・カレン。失礼ですが」
「あら、ランスロットさん。何かしら?」
「少し気が早いように思うのですが。まだ本人の心を聞いてはいないのでは?」
冗談ではない。まだセリアの意思が決まっていないどころか、こちらを意識しても居ない内から、身内の、しかも姉のような存在に、相手を決められてはたまったものではない。
少し強めに言うランに、カレンはニヤリと笑みを返した。
「ランスロットさん。貴方は恋とは落ちるものだとでもお思い?」
「はっ?」
突然のカレンの言葉に、その場の全員が息を呑む。
「恋に落ちるまで待っているのでは、あの娘は捕まえられませんわよ」
「……で、ですが、最終的に決めるのは彼女です」
この時点で自分の気持ちを暴露しているも同然なのだが、ランがそれに気付くのはもう少し後になる。必死で食い下がるランに、カレンはクスリと笑みを深くすると、言い聞かせるように口を開いた。
「勿論、その通り。決めるのはセリアですわよ」
「……ならば」
「でもね。貴方は一つ誤解していらっしゃるようだわ。他の候補生の方もよくお聞きになって」
「…………」
「恋はね、落ちるものではなく、落とすものですわよ。それが出来ないようでは、やはりセリアを十分に支えられませんわね」
ニッコリとカレンが言うと同時に、候補生達は固まった。それを見計らったかのようなタイミングで、栗毛の地味な少女が姿を表す。
「お待たせしました」
ひょっこりと現れたセリアに、候補生達は同時に我に返る。と同時に小さな火花が散ったかと思うと、顔に熱が昇り始めた。その様子に、セリアは首を傾げる。クスクスと横で笑うルネに尋ねてみれば、心配要らないと押し切られてしまったが。
「セリア。この場は君に任せて良いかな」
「そうね。私もギルに用事がありますの。では、マリオス候補生の方々、今宵はお会い出来てよかったですわ」
そういって笑いながらその場を去って行くカレンを見送りながら、セリアはその場に固まったまま微動だにしない候補生達に困惑していた。
「例の令嬢は、上手く相手を丸め込めたみたいで安心したよ」
「丸め込んだのではなく、心を掴んだのよ。でも、バラ園という演出は素晴らしかったわ。だから貴方のシナリオは好きよ」
「君の情報があってこそだよ。あの手の男なら、手は幾らでもあるからね。それに、役者も良かった」
片目を瞑って見せるギルベルトに、カレンも微笑みで返す。セリアの婚約相手になる筈だった男性、深窓の令嬢、そしてレディー・カレンを巻き込んだ茶番劇の脚本を書いたのは、小説家でもあるギルベルトだった。一騒動を起こした今回の件は、既に決まっていた展開に持って行かれただけということを知るのはこの二人のみだが。
「それにしても、君もよくやるね」
「あら、なんのことかしら」
少し離れた場所では、未だに複雑な顔をした青年達を心配げに見守る少女の姿。
「まだ子供の彼等に、わざわざ暗示を掛ける様な事言わなくても良かったんじゃないか」
「あら。小説家にしては、随分と見解が甘いのね。やっぱり、筋書きが決まっていない恋劇となると苦手なのかしら」
ツンとそっぽを向く婚約者に、ギルベルトもやれやれと肩を落とす。
「私は、セリアには素敵な恋をしてもらいたいだけですのよ。その為には、沢山、色々な経験をして貰わないと」
「それで、彼女が傷ついたら?」
「それも経験の内よ。悲しみも、辛さも、どんなことになっても、何一つ無駄では無いわ。そうしていつか、その果てにきっと素敵な相手を見付けられます」
「……全ては、セリアの為かい」
ギルベルトの言葉に、カレンは当然だ、と返す。
普通の娘だったなら、経験は自然と積んで行くだろう。けれど、セリアはそれとは無縁の場所に留まろうとするのだ。それも、無意識の内に。けれど、それでは太刀打ち出来ないのだ。この世で最も、面倒で下らない渦には。
もし、彼女が生涯をその渦の外で生きようとするならそれで良い。けれど、そんな事は不可能である。少なくとも、彼女は将来的に誰かを伴侶として選ぶ事になるのだ。それと無縁の人生など、あり筈がない。現に彼女の周りにいる青年達は、セリアをそういった目で見てしまっているのだから。それをセリアが理解した時に、感情が絡まない訳が無い。
何も知らない少女が、何の経験も知識も無しに、人間の感情の中で最も厄介な部分が絡む面倒事に巻き込まれればどうなるか。抗う術を知らなければ、それがセリアの夢の妨げになる可能性は十分にある。それだけは、カレンも避けたかった。
「勿論、私は外から応援するだけですわよ」
「是非とも、君の悪戯心が疼かない事を祈っているよ」
白々しく言うカレンに、ギルベルトは彼方で難しい顔をしている青年達に同情するように、やれやれ、と肩を落とした。
ちなみに、レディー・カレンの(ありがたい?)言葉を聞き逃したカールは、その後天使の笑みを浮かべたルネによって、同じ言葉を嫌という程聞かされる事になる。




