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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第二章 磨かれる原石〜
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訪問者 2

 本日も、ハンスのため息が吐き出された先では、最近の彼の悩みの種である三人の生徒が白熱した議論を交わしていた。最初こそ、ランスロットとカールハインツと対等に意見を述べるセリアに感心したりもしたが、三日も聞けば、当然耳が痛くなるというもの。しかも、他の教師達からも、この三人が居ると授業にならない、との苦情が殺到している。苦情というより、何とかしてくれ、と縋り付いて懇願する声が多いが。

 授業内容や与えられた課題から、どんどんとお互いの意見を出し合う三人によって、教師でさえ手が付けられない程に授業事態が発展してしまうのだ。この現象はセリアが候補生になる以前から問題になっていた事だが、地味な少女が加わってから、更に悪化してしまった。

 教師達からの苦情は、本当なら担任であるクルーセルに言って欲しいのだが、生憎誰もそれをしようとはしない。逃げ惑い、授業にすら碌に顔を出さないクルーセルに変わり、担任補佐である自分に全ての責任と問題がのしか掛かる訳である。本当に勘弁してもらいたい。

「まずは農村に支援金を配布するべきよ。農村は国の穀物庫。荒れれば国全体に影響が出るわ」

「しかし、近年は大きな災害もなく、生活も安定している。特に早急な対策が必要だとは思わない」

 資料と資料を付き合わせて、意見が飛び交う。

「削減出来るところとして上がるのは、まず軍事費だけど」

「それよりも、お前の言う支援金こそ削る方向で考えるべきではないのか」

 ああでもないこうでもない、と全く終わる気配の無い攻防に、ハンスの眉間の皺が深くなる。その様子に気付くことなく、教室内を飛び交う資料と意見は、留まる事をしない。

 ハンスが胃痛と頭痛に懸命に耐えていると、救いの音が教室内に響いた。その日の授業の終了を知らせる鐘だ。今も鳴り続けている鐘の音を待ちわびていたハンスは途端に教卓を叩き、生徒達の注目を集める。

「授業は終わりです。明日までに課題は終わらせてくる様に」

 それだけ言うと、もう知らん、とハンスは教室を飛び出す。これ以上付き合っていられるか、と足を急がせ、自分に全ての責を課した同僚の元へ急いだ。

 取り残された生徒達は、授業が終われば教室に用はない、とイソイソと帰り支度を整える。セリア達も同様で、続きはいつものように温室で、という事になった。その会話をこっそり聞いていたクラス内の生徒達が、まだ続くのか、と内心でおおいに突っ込んだのは、誰も知らないだろう。


 セリアが候補生になってから、既に一週間が過ぎていた。初めこそ慣れない環境で気を張ったままだったが、セリアが候補生クラスに適している、ということでのクラス替えなのだから、そこまで戸惑いはしなかった。しかも、ラン達候補生が何かと気を使い、色々と世話を焼いてくれたので、呆気無い程すんなりと馴染めたのだ。けれど、それがセリアだからこそ慣れるのも早かった、ということを知るのは、ほんの数名だろう。

 周りからの風当たりが強くなったのは言うまでもないが、マリオス候補生、という地位に就いた事で下手に手出しをしてくる生徒は減った。とはいっても、女性の嫉妬が治まる筈もなく、あれこれと絡まれる事はまだあるが。




 授業も終わり、セリアは今温室へ向かって一人廊下を歩いていた。他の者は、色々と用事があるとかで先に行っていてくれと言われたのだ。

 候補生になっても、授業内容が大幅に向上した以外、生活にあまり変化はない。相変わらず授業後は候補生達と温室で過ごしているし、夜は女子寮に帰り、次の日にまた彼等と顔を合わせ一日を過ごす。けれど、セリアはこの生活がとても気に入っていた。退学届を撤回して貰えて、心底よかったと安堵する。

 と、そこで思い出すのは、母の事。実家に送った手紙だが、まだ返事が来ていないのだ。学園に残る事を認めてくれたのだろうか。それならば嬉しいのだが、はっきりとそう決まった訳ではない。何時、どんな内容の連絡が来るかと思うと、本当は気が気でないのだ。それでも、出来る限りこの学園に通いたいと思ったのは本当であるが。

「ちょっと、アナタ!!」

「ひぇっ!?」

 考え事をしている時に後ろから怒鳴り声が聞こえ、セリアは飛び上がって驚いた。振り返れば、二人のスラリとした美人がこれでもかという程こちらを睨んでいる。なんだか最近こんな事ばかりの様な気がするが、セリアは取り敢えず体制を立て直して彼女達と向き合った。

「まったく。さっきから何度も呼んでいるのに、ちっとも答えないなんて」

「あ、すみません。聞こえませんでした」

 セリアが慌てて謝罪すると、横に立っていたもう一人が意地悪そうに口を吊り上げた。

「仕方ないわよ。候補生様のお声以外、耳に入らないんだから」

「ああ、それもそうね」

 クスクスと笑い出した二人に、セリアは眉を潜める。けれど、そんな事気にした様子を見せず、二人の女生徒は尚も続けた。

「全く、一体どんな手を使ったのかしら。厚かましいにも程があるわ」

「見た目がアレな分、人に取り入る技だけは一流なようね」

 そこまで聞いてセリアはああ、と納得する。彼女達もか、とセリアは肩を落とした。ここ最近、自分がマリオス候補生になってから、似た様な文句は散々受けて来た。しかしそれだけだ。別にその程度では傷つきもしないし、悲しくもない。こんな事は覚悟の上だ。

 けれど、どうにかしてこの状況からは抜け出したいなとは思う。特に怖くは無いのだが、このままでは何だか面倒な事になりそうなのだ。

 その後も続く中傷の言葉をケロリとして聞いているセリアに、二人の女生徒も機嫌を損ねたらしい。

「とにかく、候補生様達にこれ以上近づかないで」

「いや、近づくなと言われましても……」

 同じ候補生クラスに居るのだから近づかないなど無理なのだが。とセリアが口籠っていると、突然髪を掴まれ強く引かれた。これには流石のセリアもバランスを崩し前のめりになってしまう。

「目障りなのよ、アナタ!!」

 その声と同時に乾いた音が響き、右頬に衝撃が走った。ジワリと浸透する熱と痛みに、セリアは自分が引っ叩かれたのだと認識する。今までに無い事態に混乱するが、パチパチと瞬きをして意識を現実に引き戻した。

「大人しく返事をすればいいのよ!!」

「で、ですから、近づくなというのは無理でして……」

 それくらい分かるだろう、とセリアがオロオロとしていると、もう一人が目の前に立った。その手にはペーパーナイフが握られ、ばっちりとこちらに向けられている。これには流石のセリアも焦ったが、離れようとしても髪を強く掴まれていて、それは叶わない。

「これが最後よ。痛い思いをしたくなかったら、候補生様達に近づかないと誓いなさい」

 だからそれは無理だと言っているだろう、とセリアが内心で叫ぼうともその声が二人に届く事は無い。まさかここまでするとはセリアも驚いてしまう。いくら気位が高かろうと、腐っても貴族。暴力沙汰を起こせばそれなりの問題になるのは、彼女達も分かっている筈なのに。というより、もしかしなくてもこれはかなり危機的状況なのでは。

 とセリアが思考をフル回転させていると、いつまでも答えないセリアに痺れを切らした女生徒がナイフを突き出した。

 まずい、と思ったセリアは咄嗟に突きつけられたナイフの刃先を素手で掴んだ。刃物といっても所詮はペーパーナイフ。その刃は鋭利な訳ではない。とはいっても、自分に突き刺さろうとする物を素手で防げば、少なからず打撃はある。

「いっ!?」

 ビリッとした痛みが手の平に走り、恐る恐る見てみれば、そこはざっくりと切れていた。先端が手の平に当たったまま強く押された所為だ。傷はそこまで深くはないだろうが、ポタリと血が垂れている。頭に血が上っていた女生徒も、赤い斑点が広がる床を見て我に返ったのか、驚きの声を上げた。

「何をしている」

 その瞬間、後ろから響いた凍える声に驚いて振り返れば、そこには見慣れた人物達が立っていた。どうして彼等がここに居るのだろうか、とセリア呆然としている間にも、輝く容姿を持ったカールとザウル、そしてイアンがこちらを睨んでいる。その表情は今までに見た事が無いもので、凄く怒っていらっしゃるのが分かった。その気迫が恐ろしくて、セリアも手の痛みを一瞬忘れてしまう。

「あっ、カ、カールハインツ、様……これは」

 目の前まで来た彼等に、女生徒達もすっかり圧倒され、声が満足に出ていない。

 ガクガクと震える女生徒を他所に、ザウルがスッと脇を通り、呆然としているセリアの手をやんわりと取る。サッと傷を視ると、それが深くは無い事を確認し、後ろの二人に目で応えた。

「何をしているのだと聞いている」

 それで落ち着くかと思いきや、そんなことはまったくなく、カールは再び胃に響く様な低い声と冷ややかな瞳を二人に向けた。その身も凍る様な声と視線が突き刺さっている彼女達にしてみれば、もう答える所ではないだろう。

「どうしたのだ!?」

 そうしていると、今度は反対側から二つの足音が近づいて来た。セリアが振り向けば、焦った様なルネとラン。ゾロゾロと集まった候補生達に、女生徒二人はもう訳が分からなくなっていることだろう。セリアとて同じなのだから。しかし、この状況がまずい、という事は彼女達にも分かったようだ。

 カールに怯える二人の女生徒と、手の平から血が流れ出ているセリア。そして、床に転がっているペーパナイフで、現状を理解したランの表情にも、驚きと苛立ちの色が沸き上がる。

 先程から冷えきった視線に射竦められ、ただ震えているだけで答えられない二人と魔人の間に、ルネが割って入った。

「とりあえず、まずはセリアを医務室に連れて行かなきゃ。二人は僕達と一緒に来てね」

 今はそちらが先だろう、とルネはセリアをザウルに頼むと、他の候補生達と女生徒二人を連れて何処かへ行ってしまった。困り顔は見せるものの、他の候補生達のように怒りの表情ではないルネに安心したのか、女生徒達は縋るようにルネの後ろを付いて行く。けれど、決してルネがなんとも思っていない訳ではないと、彼女達は後々理解することになるのだが。

「セリア殿」

 自分の手にやんわりとザウルの手が這わされて、それまで半ば放心していたセリアは驚いた。傷には触れぬように、丁寧にザウルの指が手の平を伝う。その声色は、普段よりも一層弱々しい。

「とにかく、医務室へ行きましょう」

「う、うん」

「……すみません」

 小さく呟かれた最後の謝罪の言葉は、残念ながらセリアには届かなかった。








「セリア。大丈夫か?」

「うん。そんなに深くはないし、大した事ないよ」

 そう言うセリアの手には、痛々しい包帯が巻かれている。ヒラヒラと振って大事無い事を伝えるが、それでも候補生達の疑いの眼差しは消えなかった。けれど、普段から剣を振り回し、今までに幾つもの怪我を追って来たセリアにしてみれば、本当に大した事ではないのだ。血は流れはしたものの、傷の痛みは然程ない。むしろ、包帯を見詰める候補生達の視線の方が苦しげだ。

 ぶたれた頬も多少腫れたが、直ぐに冷やしたのでそこまで酷くはない。セリアとてそれほどひ弱ではないのだ。赤くなってはいるが、明日にはそれも引くだろう。

「それより、あのお二方は……」

「気にする必要はない。少なくとも、二度と下らぬ真似をしようなどとは思わぬだろうがな」

 セリアが恐る恐る聞くと、カールが透かさず返した。気にするなと言われてもかなり気になるのだが、カールの続きの言葉が恐ろしいのでそれ以上を追求するのはやめた。一体何をしたのだろう。

「本当は包帯も必要ないんだけど」

「そうはいかないだろう。君はもう少し自分の身体を労るべきだ」

「いや、そんな大袈裟なものでも……」

 そんな感じでセリアが平気な事を一生懸命説明していると、今まで姿が見えなかったルネが温室に顔を覗かせた。どこか戸惑いの色が見えるその表情に、セリアもどうしたのだろうかと疑問に思う。

「セリア。あの……お客さんだよ」

「私に?」

「うん……どうぞ」

 そう言ってルネが中へ招き入れた人物の顔を見るなり、セリアは驚きでガタンと椅子から音を立てて立ち上がった。

「母様!?」

 ルネに連れられ、温室へ入って来たのは一人の女性。背筋をきっちりと伸ばし、ブロンドの髪を上で丁寧に纏めている。隙が無く、感情の全てを捨てた様な瞳で自分を見下ろす母、クリスティーナ・ベアリットの姿にセリアは慌てた。

 何故、彼女がここに居るのだろうか。確かに、近々何らかの連絡は入るだろうと思っていたが、まさか本人が直接尋ねてくるとは思わなかったのだ。

 急な母の来訪に、緊張からセリアも手の平の傷を血がドクドクと脈打つのが分かる。親子とは思えない緊迫感に、セリアは背筋を冷たいものが流れるのを感じた。

「何時、いらしたので?」

「つい先程着きました。何故私が来たかは、言うまでもないでしょう」

 カールの様な冷たさとは違い、温度そのものが感じられない様な声。言葉とセリアを見詰めるその視線に、実の親とは思えない妙な刺々しさを感じ、候補生達は驚く。

「セリア。僕達は外に行ってた方が……」

「あ、うん。ありがとう」

 セリアの言葉に候補生達が立ち上がろうとすると、それを制したのはなんとセリアの母であった。

「そこまでして戴く必要はありません。貴方とそう長く話す積もりはありませんから」

「…………」

 冷めた瞳でセリアを睨みつけるクリスティーナの言葉に、候補生達は戸惑う。このままここに居ても良いものだろうか。これ以上、立ち入ってはならない様な雰囲気を醸し出しているが、当人の一人に必要無いと言われてしまった。それに、セリアの瞳が揺れているのも気になる。普段なら滅多に見せない、不安の色だ。その事が、候補生達の足を地面に縫い付けていた。

「手紙は読みました。その気の無い者にもう家に戻れとは言いません。この学園に留まる事は認めます」

 所々に棘を含んだ様な言葉と視線が、立ち尽くすセリアに突き刺さる。

 クリスティーナの言葉に、セリアを含めその場の全員が安堵した。取り敢えずは学園に残る事を許されたのだ。これで、彼女がセリアを無理に連れ戻しに来たのではないことが分かった。

 しかしそうなるとセリアの中に疑問が生まれる。では、母は何故わざわざ学園まで来たのだろうか。それを伝えるだけなら手紙でも十分だった筈だ。こうして本人が出向いたのには、何か他に理由があるのだろうが、それが分からない。

「その変わり、貴方には結婚してもらいます」

「なっ……!?」

 言われた言葉にセリアは目を見開いて驚く。途端に、足下が掬われるような感覚に襲われた。「結婚」の二文字が上手く脳で処理出来ない。自分は一体、今、何を言われたのだろうか。

「ま、待って下さい。私はまだ……」

「お話は早い内が良いでしょう。相手の方にはもう既に了解を得ています」

「そ、そんな……」

「在学中は婚約の形ですが、卒業したらすぐに正式に嫁ぐように」

 理解が追い付かなかった。結婚が在学の条件ということなのだろうか。一週間も音沙汰無しだったのは、これを準備する為だったのか。それにしても、いくらなんでも話しが急過ぎる。自分が結婚だなど、まだ考えられない。けれど、有無を言わせぬ母の視線に、言葉が上手く出て来ない。言いたい事が纏まらないのだ。

「で、でも……」

「口答えは許しません。これで、貴方も漸く家の役に立てるのですから」

 強く言われてセリアは押し黙った。クリスティーナは冷静に言葉を発しているようで、その発言は一つ一つが本気の様だ。決して、自分の意にそぐわぬ行動をした娘に対する怒りの感情に任せて言葉を吐き出している訳ではなかった。けれどそれは、とても実の娘にする様な発言ではない。

 何も言い返さないセリアに、遂に痺れを切らしたのか候補生が声を発した。

「失礼ですが」

「……貴方は?」

 立ち上がったランが声を上げれば、クリスティーナがお前は誰だ、という意味合いを込めた視線を投げてきた。それにランは丁寧に頭を下げる。普段カールと対立している時のような緊張を纏って、ランは相手をしっかりと見据えた。

「ランスロット・オルブラインです」

「ランスロットさん。それで、何でしょうか?」

「失礼ながら、彼女は女性ながらマリオス候補生になるだけの実力を示し、その役目を立派にこなしています。それは伯爵家にとっても名誉なことでは」

「地位や権力で名誉を得られるのは殿方だけです。けれど、女性は違います。名誉を得た殿方に嫁ぐ事こそ女性の名誉。そう私は娘に教えてきた積もりです」

「ですが……」

 そういう考えがクルダスではまだ深く根付いているのはランも知っている。それが正しいとは思わなくとも、昔からの人の考えまでは変えられない。そう教育してきた、と言われてしまえば黙るしかないのだ。けれど、セリアが決してそんな考え方をしていないのは、この場の誰もが知っている事である。それなのに、何故こうも強引に押し進めようとするのか。

「貴方も、自分が長女だという自覚を持つ事です」

「…………」

「とにかく、明日、相手の方と会ってもらいます」

「あ、明日!?」

 またもやセリアは母の言葉に驚かされる。いくらなんでも、話が強引過ぎる。

「明日の午後、こちらまでいらして下さるとの事です」

「えっ!?」

「前からお話だけは出ていた方ですが、最近どうも貴方に興味が湧いたとか」

「そ、それは……」

 そんなわざわざ学園まで来るとは、相手にも面倒な筈なのに。しかし、聞かなくとも相手がそこまでする理由はイアン達にも分かった。もしかしなくとも、セリアがマリオス候補生になった事が原因だろう。

 フロース学園のマリオス候補生と姻戚関係を結ぶ事を望む者は多い。それだけの実力者であり、将来も期待された存在だからだ。例えマリオスになれずとも、なんらかの形で大きな影響力を持つ可能性が高いのだから。それが、初の女性マリオス候補生ともなれば、興味が湧くのは当然だろう。

 候補生というものが常に注目の的である事は理解していたが、この時ばかりはそれが恨めしい。とイアン達にしてみれば苦虫を噛み潰した思いだ。

「とにかく、妥協はしません。明日は失礼の無いように。これ以上私に迷惑を掛けないで」

「……母様」

「唯一、子供を生める体は持って生まれたようですから、然るべき方に嫁ぐ事が貴方の義務です」

「…っ!?」

 明らかに侮蔑を含んだ様な物言いに、セリアはとうとう俯いた。その顔は絶望や失意からすっかり血の気が引き、真っ青だ。小さな肩も、普段より一層縮められ、小刻みに震えている。しかし、怒りや悲しみの色は何処にも無い。というより、もう諦めているといった風である。

「それは!!」

「ま、待って」

 途端に立ち上がった候補生達が、何かを言う前にセリアが彼等を止めた。頼むから何もするな、と縋る様な視線を向けられ、候補生達も口を噤む以外無い。しかし、胸の内は抑え難い激情が渦巻いている。これがセリアの母でなければ、止めたのがセリアでなければ相手に掴み掛かっていたかもしれない。

 何より、悪びれもなく、赤の他人である自分達に聞かせる事を躊躇もしない程、クリスティーナが己の言葉を当たり前に思っている事に愕然とした。

「分かりました。相手の方とお会いします」

「セリア!?」

 一礼してそう言ったセリアに、候補生達は唖然とする。何故言い返さないのだ。クリスティーナの言葉は、どれを取っても娘に対して言うそれでは無い。そうでなくとも、あそこまで言われれば、一言くらい言い返しても良い筈である。まるで、心底憎んでいる相手を見る様な目つきで睨まれて、何故すんなりと相手の言葉を受け入れるのだ。

 セリアの返事を聞いて、もう用は済んだとクリスティーナは娘に対する挨拶も無しに温室の外へ向かって歩き出した。一秒でも早くこの場から出たい様子だ。その背中をセリアは慌てて追う。

「お、お見送りします」

「結構よ。そんな暇があるくらいなら、その包帯の下にある傷を目立たない程度に治す努力でもしなさい」

「あっ!」

「その様に醜い物を、相手の方に見せない様に」

 それだけ吐き捨てると、クリスティーナは今度こそ本当に温室の外へ出て行った。

 それを見送った候補生達は驚きで言葉が見つからなかった。けれど、それは母親の娘に対する態度にではない。まるで当たり前だとでも言わんばかりに、憎しみを隠そうともしないクリスティーナと、それを何も言わずにただ受け止めるだけのセリアにだ。

 普段の気の強い彼女からは、決して想像がつかない。もし、他の者に女性の価値は男と結婚するだけだ、などと言われればそれはもう必死になって怒りを露に、訂正を要求するだろう。しかし、今のセリアは怒る様子は見せず、文句すら言わなかった。いや、それどころか、本人から怒りやそういった感情が伝わって来ない。ただ絶望しているだけのようだ。

 そして、明らかな娘に対する母親からの憎悪。色々と政略や陰謀が絡む事の多い貴族社会だ。体裁や地位に固執するあまり、娘や息子を売る様な形の婚姻を結ぶ家も少なくはない。最近では減っているが、まだまだ望まぬ結婚を強いられる者は多いのだ。その中には、それを理由に自分の子供や伴侶に、行き場の無い怒りをぶつける者も居る。それが理由でないにしても、家庭によって家族間の関係は変わって来るだろう。しかし、先程の言葉や態度は行き過ぎている。何か、尋常ではない理由が絡んでいそうだ。

 だからといって、今のセリアからそれを聞き出そうとは思わない。むしろ、それは無理だろう。

「セリア……」

「ご、ごめんなさい。見苦しいものを見せちゃって」

 ハハッと軽く笑っているが、その表情はいつものようにのんびりとしたものとはかけ離れている。その様子に、ルネが心配そうに問いかけた。

「でも、」

「いいの……」

 そう言って俯くセリアに、候補生達は掛ける言葉が見つからなかった。もう何も言うな、と全身で意思表示するセリアに、候補生達も言葉を失う。セリアの個人的な問題であるからこそ、不用意に介入するのが憚られたのだ。

「ごめん。なんだか疲れちゃって、今日はもう帰るね」

 そう言って歩き出したセリアの足下はフラフラとしていておぼつかない。今までに無い程弱った姿のセリアに候補生達も慌てて駆け寄る。けれど、助け起こしたと同時に、胸の内に疑問が沸き上がった。

「明日、本当に相手と会うのか?」

「うん」

「……君は、それでいいのか?」

「出来れば、私も婚約なんてしたくはないけど。でも、どうなるかは分からない。相手の人とはちゃんと話そうと思ってるけど」

「…………そうか」

 今はそう言うしかないだろう。所詮、自分達は部外者なのだ。幾ら不満に思っても、他人の家の事情にまで簡単に関与は出来ない。セリアがこの婚約を望んでいないと言うなら、それに賭けるしかないのだ。今は。



あれからずっと悩んでたあいつの顔が、あの人に会った途端晴れたんだ。あんな人が突然前に現れれば、そりゃあ誰でも驚くよな。

知らない間に圧倒されちまうんだ。あいつとは何もかもが違うのに、誰よりもあいつに似てるのかもしれない。



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