訪問者 1
今日も空は青々と広がっていた。時折視界に白を移す雲も、温かな光を注ぐ太陽も、全ては昨日と同じである。ただ、それを自室の窓から見上げる少女の心は、昨日までとは少し違っていた。
珍しく早起きしたセリアは、一つ大きく伸びをして簡単な身支度を済ませると、ゆっくりと自室に背を向けた。本来なら、今日は大荷物を手に自室を出る筈だったが、そんな物は見当たらない。変わりに、いつもの鞄が手の中で揺れていた。
校舎へと続く道を歩く栗毛の地味な少女の姿を、目に留める者は少ない。憧れのマリオス候補生達と親しくしている、という事からある種の敵意の視線ならば集まるが。しかし、この時は何が起きるでもなく、セリアは平和に教室を目指していた。だから、彼女が普段とは違う方向へ足を向けていても、気付く者は居ない。
「セリア」
後ろから軽快な声が聞こえて振り返れば、水色の髪がふわりと撥ねたルネがこちらへ向かって歩いて来る所であった。向けられる深緑の瞳にセリアも笑みを返す。
「おはよう」
「ルネ。おはよう」
なんてことない朝の挨拶だが、セリア達にとってこれは斬新であった。マリオス候補生の教室は、今までのセリアの教室とはかなり離れている。しかもセリアは男子寮とはそれなりに距離のある女子寮で寝泊まりしているのだ。その為、朝から候補生達と鉢合わせる事は少なかった。まあ授業の後で温室で会えるのだから、と今まで気にしたことはなかったが。けれど、今は違う。
「おっ!寝坊せずにちゃんと起きたみたいだな」
「セリア殿。おはようございます」
よっ、と軽快に手を挙げるイアンと、それは見事な程丁寧に頭を下げるザウル。正反対の二人がルネの後ろからひょっこり顔を覗かせた。
今の時間帯、普段ならば会う事はない候補生達にここまで遭遇するのには理由がある。それは、セリアも候補生達と同じ場所へ向かっているからだ。
「ほら行こうぜ」
さっさと進もうとするイアンに背を押され、セリア達も先を急ぐ。時間にはまだ余裕があるので特に急ぐ必要はないのだが、イアンにはセリアを早く教室へ案内してやりたい理由があった。何かを企んだようなイアンの表情に、ザウルもルネもその意図を読み取ったのか、少し歩調を速める。
セリアがそれに気付く事はなく、せっせと三人に付いて行くと、あっという間にマリオス候補生クラスまで来た。扉の前に立つイアン達は、何処かニコニコとこちらを見詰めている。セリアはそこで、イアンの普段と違う様子に漸く気付いたようで少し首を傾げた。
そんなセリアを気にする事なく、イアンは扉に手をかける。
「ようこそ。マリオス候補生クラスへ」
そのままセリアに見せるように扉を勢い良く開く。ガラッと音を立てて開いた教室の中を覗くと、そこには今までとは全く異なった雰囲気の教室が広がっている、訳ではなかった。それどころか、セリアが既に見慣れてしまった光景が目に飛び込んで来る。
「そろそろ間違いを認めたらどうだ。カールハインツ」
「貴様こそ、己の愚鈍さを理解することだな。ランスロット」
お互いを睨み合いながら、一歩も引こうとしないダークブロンドとプラチナブロンドの青年二人。その姿を見て、セリアは目を見開く。その表情には驚き、というより困惑のような色が見えた。まさか、朝っぱらからこんな言い合いを続けていたのだろうか、この二人は。
そのまま横に立つイアンに視線を移すと、当の本人は笑いを必死に堪えようと肩を揺らしていた。けれど、我慢出来ずにクッと喉の奥から声が漏れている。
「どうだ?これが、いつもの風景だ」
「は、はぁ……」
つまり、目の前に広がるこの光景は毎日のものだ、ということだろう。よくもまあこんな所まで言い争いを持ち込むものだ。飽きないのだろうか。などと呆然としていたセリアだが、普段の条件反射で二人の間にある資料に目を落とした。そのまま参戦しそうな勢いで資料の内容を頭に入れて行く。
突然現れたセリアに、その教室に居た他の生徒達が驚きざわつき始めた。
ここはマリオス候補生のクラスであり、しかも今は授業前だ。栗毛の地味な少女の居るべき場所ではない。にも関わらず、一体何用だ、と生徒達が訝しげな視線を送っていると、廊下から薄緑の髪を揺らすクルーセルが現れた。
「おはよう!二人とも落ち着いて。早く皆にセリアちゃんを紹介しなきゃ」
ねっ、と嬉しそうに顔を覗かせたクルーセルは、ランとカールの舌戦に臆する事無く、教師らしく全員に席を進める。そのまま手でセリアを教室の前に呼び寄せると、それはもう満面の笑みで口を開いた。
「今日から、このセリアちゃんもマリオス候補生クラスの仲間よ」
「セ、セリア・ベアリットです。宜しくお願いします」
ペコリとセリアが頭を下げた途端、教室内に動揺が走った。マリオス候補生は全員で十二名。内五人とセリアはもう既に知っていた事だが、残りの七人にとってこの事態は寝耳に水だった。今までマリオス候補生になれたのは男だけ。それは誰もが知る常識であり、伝統であったというのに。そこに、栗毛の地味な少女がいきなり入って来たのだ。突然の事に生徒達の間に動揺と混乱が生じるのは仕方ないといえるだろう。
「貴方は……珍しく授業に出て来たと思えば、それを言うためだったのですか!?」
「まあまあ、ハンスちゃん。いいじゃない。折角なんだし」
クルーセルの後ろで控えていたハンスが声を上げれば、クルーセルはあっけらかんと返した。そのままハンスは、酷い胃痛に耐えながら、同僚の教師にあるまじき行為の改善を懸命に願う。
珍しくも、今日は真面目に授業に顔を見せたので、ついに改心してくれたか、と淡い期待を抱いた。けれど、それはただ単に新参者を教え子達に紹介する事を目的としていたのだ。それが意味することは、今日が終わればまたこの同僚のサボり癖が再発するということ。そう理解したハンスは内心で大きなため息を吐いた。
「ホラホラセリアちゃん。貴方も座って」
「あ、はい」
後ろから漂うハンスの不穏な空気から逃げるように、セリアはいそいそとクルーセルが指差した席に座った。けれど、席に座れば座ったで、また後ろから刺す様な視線を感じる。もしかしなくとも、他生徒による物だろう。まぁ、覚悟していたことであるし、特に害はないので気にしないが。
動揺する教室内を平然と見回すと、クルーセルはそのまま授業を始めるべく、口を開く。非常に珍しいことに、この日の授業は、クルーセルが教卓に立ったまま開始されたのだった。
教室の前で、ハンスは眉を潜め、今の状況をどう打開しようかと模索していた。その視線の先には、問題になっている三人の生徒。前日までは二人だった筈が、今となっては三人だ。もうどうしたらいいか分からない。
「先程から言っているだろう。弱者を切り捨てるだけでは、意味が無い!」
「不穏分子は早めに取り除く事が先決だ。対処を誤れば、新たな火種になる」
「だからといって、それだけでは国家は成り立たないだろう!!」
ドンとランが拳を机に叩き付け、目の前で涼しい顔を向けるカールを睨む。ここまではハンスも既に慣れている光景だ。別に今更動揺したりはしない。しかし、今現在問題になっている人物が間に割って入った。
「この場合、ある程度の犠牲は仕方無いわ」
「だからといって、これはあまりに強引過ぎる」
「その後の待遇と保証を改善すれば、可能よ」
バシバシと自分の意見を言って行くセリア達の議論を聞いている内に、ハンスは言い知れぬ頭痛を感じ始めていた。チラリと横を窺えば、珍しく教室に留まっているクセに、教師らしい行動を一切せず、クスクスと笑いながら白熱する議論を眺める同僚の姿。
「でも、カールのやり方だと、緊急事態への対処で問題が生じるかもしれない」
「必要な処置だ」
「無理に押し進めても、不満の声が上がる可能性があるわ」
その後も、ああでもない、こうでもない、と続く議論に、ハンスは頭を抱えた。どこからどうしてこうなったのだろうか、と思い出そうとしても一向に心当たりが思い浮かばない。つい先程までは普通の授業を行っていた筈だ。少なくとも、記憶の限りでは。それも、全ての授業が終わり、ただその日の纏めを行うだけの。それだけの筈だったのに、どこをどうすればこんな事になるのだ。
ハンスは深い溜め息を洩らし、クルーセルはクスクスと忍び笑いを見せる。その間も、イアン達は予想通りの展開に苦笑を洩らしていた。
しかし、この事態に理解が追い付かないのが残り七人のマリオス候補生達。普段から聞き慣れているランとカールの議論だが、どうしてこの少女がそこに何の違和感も無しに加わっているのだ。以前にも似た様な事があった気がするが、未だに目の前の光景が信じられない。それ以前に、セリアという少女が候補生なった事自体、全くの予想外なのだ。
この後彼等によって、フロース学園の歴史上初となる女性マリオス候補生の誕生は、学園中に広まる事になる。その報は瞬く間に全生徒の間を駆け抜けた。セリアやカール達が自然に受け止めていたので忘れてしまいそうになるが、これは一大事なのだ。
マリオス候補生は既にクルダス中の注目の的だ。将来を期待され、マリオスに最も近い場所にいるとされている。その地位に、何処にでも居る様な、地味な少女が納まった。一体どうなっているのだ!?と疑問や不満を洩らす生徒も当然出てくる訳である。そんな生徒は、直ぐに教師達に確認にするため立ち上がった。
「ハンス先生!!一体どういう事ですか!?」
「マリオスになれるのは、男性だけの筈です!!」
「それより、候補生様達は何も仰らないのですか?」
「そもそも、どうしてセリアさんなのですか?もっと相応しい方は居る筈でしょう!?」
生徒達、主に嫉妬に駆られた女生徒達に詰め寄られ、ハンスは黒縁眼鏡の奥の瞳を揺らす。素直に疑問だけを抱き、この場へ赴いた生徒も居たようだが、ハンスの前に立ち塞がる女生徒に恐れをなし、逃げてしまった様である。さっと周りを見回しても、同僚はとうに安全地帯へ非難した後。この処理を全て自分に任せる気か!!と、ここには居ない同僚への恨みを募らせながら、ハンスは声を発する。
「候補生に相応しいだけの力があると判断され、決定した事です。君達が心配するような事はありません」
さぁ帰れ、と追い出そうとしたハンスだが、女生徒の方が何枚も上手だった。というより、ハンスの言葉など最初から耳に入っていないようである。
「ハンス先生は、あの人の事をご存じないのですか!?」
「女性らしくない上に、裁縫の一つも碌に出来ないのですよ!!」
「それなのに、何故か候補生様達には気に入られていて」
「今回の事も、候補生様方が関わっているのではないのですか?」
根拠の無い憶測を立てる女生徒達に、ハンスは心底うんざりする。どうしてあの少女と候補生達はこうも問題ばかり起こすのだ。と、響く頭痛に悩みながら、辞職願を着々と胸の内で準備し始めた。
そんなハンスの苦労を知る由もなく、安全地帯の一つである温室で、候補生達は和んでいた。
「どうだったセリア。候補生クラスの感想は」
「うん。やっぱり、前の授業より内容は高度だと思った」
それが、今日一日の素直な感想である。授業内容は、やはり以前のものよりも範囲も広く、内容も複雑だ。それに加え、この場に居る二人が何でもかんでも議論に持ち込む為、授業は教師の手に負えない程にまで発展する。
「でも、お前なら大丈夫だろ」
「多分。なんとか付いて行けそう」
確かに、途中から入る為、遅れた分は痛い。それでも、全く付いて行けない程ではなさそうだ。そんなセリアに、候補生達も精一杯支えて行く積もりである、と意思表示した。というより、彼女が傍に居る事が、素直に嬉しいのだ。
「それより、実家の方は大丈夫?」
「えっと……昨日、ちゃんと手紙を送ったけど、どんな返事が来るは分からない。でも、何を言われても今は学園に残るつもり」
候補生達に必死に説得され、ヨークにまで引き止められた。最終的に何が自分にそう決断させたか、と聞かれればやはり彼の言葉だろう。手紙にも、これは自分の意思ではあるが、逆らう気ではない、とはっきり書いた。そのことに何と言われようと、もう自分からこの学園を離れるような事はしない。
学園に留まる事を伝えた時、ヨークは心底安心したような顔を見せた。ある意味で、人生を救ってくれたヨークには、感謝してもしきれない。そう言っても、大袈裟だ、と笑われてしまったが。
「セリア殿が考えを改めてくださって、本当に良かったです」
「ごめんなさい。また、迷惑かけて」
彼等にもいらぬ心配を掛けてしまったようで、心底申し訳ない。そう言ってセリアが顔を俯かせると、その額を長い指で軽く弾かれた。
「ひぇっ!?」
特に打撃は無かったが、驚いたのは事実。パッと顔を上げると、不機嫌そうなイアンの顔があった。
「だから、迷惑なんかじゃねぇって言ってるだろ」
「その通りだ。君は我々の大切な仲間なのだから」
また迷惑だのなんだの言いやがって、とイアンが不満を洩らすと、その言葉にランが付け足した。二人の言葉でその場の雰囲気も温かなものに変わる。
「騒々しい事に変わりは無いがな」
しかし、カールの一言にセリアはうっ、と言葉に詰まった。まさにその通りなので返す言葉もない。
遠慮も容赦もないカールの言葉に、ランが言い返すと、また再び強烈な舌戦の幕開けである。
候補生達が温室でのんびりと過ごしていると同時刻、クルーセルは校長室でまったりと寛いでいた。
「楽しかったわよ、今日の授業は」
「やはりな。苦労した甲斐があったというものだよ。出来るなら私も顔を出したかったのだが、それでは邪魔になってしまうからね」
「フフフ。それは仕方ないわね」
「しかし、いいのかね?今頃ハンス君は大変なのではないか?」
混乱する生徒達を必死に追い返そうとするハンスの姿を想像して、校長はクルーセルに聞いてみる。しかし、クルーセルはそんな事気にした様子はなく、むしろクスクスと笑っているのだ。
「大丈夫よ、ハンスちゃんなら。とっても優秀だもの」
この場合、優秀は関係無いように思うのだが。どう考えても、クルーセルが同僚の危機に駆け付ける事は期待出来そうにない。そう理解して校長もやれやれ、と肩を落とす。それでも、校長は彼を追い出すような事はしない。
「今後暫くは慌ただしくなるな」
「特に、校長と私がね」
今は生徒間の噂にとどまっているものの、その生徒達が発信源となり、この報が広まるのは時間の問題である。そして、そのことに対する不満や疑問は学園に向けられるだろう。そうなれば、その対処に負われるのは当然校長と、仮にもマリオス候補生クラス担任の肩書きを持つクルーセルである。なので、今はハンスに頑張ってもらおう、という訳だ。
とはいっても、国王の承認も得ている今回の件は、誰が何と言おうと覆る事はない。混乱や動揺も、数日の内には治まるだろう、と校長は予想していた。
フロース学園が始めて女性のマリオス候補生を出した、という報は騒ぎ立てる生徒達によって、その日の内に彼等の家族に伝えられた。そして、次の日には殆どの貴族に。更に、数日の内には庶民の間にまで噂は浸透していた。尋常ではない早さだが、それも仕方がないと言える。まだ学生とはいえ、フロース学園の候補生とは、マリオスの地位に就く可能性があるのだ。そこに女性が納まるなど、前代未聞であるのだからクルダス中がこの噂で持ち切りになった。あげくの果てには、新聞でも報道される程であった。誰もが、それほど優秀で才ある女性は、一体どんな見目麗しい、利発な姫君なのだ、と想像を膨らませたに違いない。セリアにとって、これほど迷惑なことはないのだろうが、本人がそれを知るのは随分先になる。
しかし、校長の予想通り、人々が色めき立ったのも数日だった。実際にマリオスになったならともかく、まだただの学園の候補生になったというだけである。今までも、候補生にはなれても、マリオスになれなかった者が殆どなのだから。きっと今回も、マリオスになるまでには至らないだろう、という結論に落ち着いた。
納得いかない者は、変な言い掛かりをつけるか、騒ぎ立てるかした様だが、校長が上手く対処した。それ以外は、その者の行く末に興味と感心を向けるだけに留まったらしい。好機の視線が学園の中に向けられる事は仕方無いが、それ以上特に害にはならないようである。何より、国王の承認も得ている、という事実が、やはり大きな盾の役割を果たしたようだ。
かといって、女性マリオス候補生の誕生を快く思わない者が居るのも事実。
高級な調度品が揃えられた部屋で、壁に激突したグラスが、中のワインを飛び散らせながら粉々に砕けた。一人の男が怒りに任せ、手に持っていたグラスを扉の近くに立っていたもう一人に向かって投げつけたのだ。男の顔のすぐ脇を通り過ぎたグラスは、そのまますぐ後ろの壁に叩き付けられ、無惨にも砕け散った。
「一体貴様は何をやっていたんだ!!完全にそちらの不手際だぞ!」
「否定はしません。ですが、それなりの手違いは想定内でしょう」
「よくもそんな事が言えたものだな!!自分の仕事が分かっているのか!!!」
「それは十分理解しています。しかし今回の事、利用価値があるのも事実です」
でなければ、自分は必死に動き回っていただろう。それを、自分の主が理解しているかは別として。
涼しい顔でしれっと言われ、グラスを投げた男の眉間に、更に皺が寄った。自分が幾ら怒りを見せた所で、全く臆する様子を見せない相手に、男も遂に痺れを切らす。
「もうよい!!さっさと出て行け!!」
自分の主が扉を指差したので、男は静かに退室する。その後も、壁の向こうから何かを割ったり、倒したりする音が響いていたが、男は気にも留めない。言われた通り、さっさとこの場を去ろうと背を向けた。しかし、廊下の反対側から予想外にも声がしたので振り返る。
「荒れていますね。あの男も」
「……これは珍しい。貴方がここに居るとは」
滅多にこの場に顔を見せる事をしない相手に、男が眉を上げる。嫌味ではなく、本当に珍しいと思ったのだ。
「私にも、色々と不満があるようですので」
「……それはそうでしょう」
肩を竦めてみせる相手に、男は頷く。
「貴方にも、なんらかの手を打つ事は可能だった筈ですから」
「確かに、可能ではあったでしょう。けれど、わざわざあの男の為に、全てを無駄にする積もりはない」
元々相手を責める積もりの無かった男は、相手の言葉に胸の内で同意する。ここに居るのは自分の目的を果たす為であって、あの男の使い捨ての道具になるためではない。己の身を危ぶめてまで、あの者の為に身を投じてやる必要はないのだ。
男は二人とも、まるで自分の行動に非は無いといった態度を崩さない。いや、実際に非があるとは思っていないのだろう。
「そちらは、どうなのです?」
「慎重に動いていますよ。今の所、心配は要りません。貴方の働きにもよるでしょうが」
「そうですか。では私も尽力しましょう。こちらも、そちら次第になりますが」
お互いそれ以上言葉を交わす事はせず、男は今度こそ廊下を進む。後ろで再び聞き慣れた怒鳴り声が響いた気がしたが、振り向く事はしなかった。
ああは言ったが、暫くは目立った動きは出来なくなりそうだ。また、期待の出来ない者達を利用して、その失敗を見届ける事になるのか。と男は喉の奥でクッと笑った。
ここに残ると決めた時から、何があっても出来る限りそうしたいと思った。そして、それを支えてくれる友達も居る。だから、ここに残れるなら、どんなことでもするって覚悟した積もりだったのに。まさかここまでだなんて。
結局、あの人は……