手紙 3
「ったく、なんだって次から次へと」
「しかし、理由が何も思い付かない、というのが……」
候補生達は苛立ちを募らせながらも、先程からその疑問に思いを巡らせていた。けれど、いくら考えても、その答えは出ない。むしろ、訳が分からず更に苛立つだけである。
「ご本人がまだ残りたいと望んでいるのに……」
「セリアは分かりやすいからね」
「何故、あれ程頑なに学園を出て行こうとなさるのでしょう」
夢がある、この学園でやり遂げたい事がある。と語った彼女が、軽い気持ちで退学しようなどと考えるだろうか。しかも、この場所を去りたくない、と内心で思っているのは周りにまで伝わって来る。それを抜きにしても、退学を決意するには時間が早過ぎるのだ。流石のセリアでも、よっぽどの理由が無い限り、一晩で退学しようなどと決めるとは思えない。では、何が彼女をそこまでさせるのか。
「あれが決めた事ならば捨て置け。我々が何かを強制する必要もあるまい」
「っ!!カール!?」
「己の行動に責任が取れぬ程、あれも子供ではあるまい」
冷めた瞳で腕を組みそう言うカールを、候補生達は驚いた目で見詰めた。
確かにカールの言っている事は正論だ。しかし、この状況でそこまで冷めた事を言うとは思っていなかったのだ。しかも、セリアを相手に。
「お前、それ本気で言ってるのか?」
「自身で下した決断なら、後悔するもしないも己次第だ」
「そうは言ってもだなあ……」
「ただ、それがあれの決断ならば、の話しだ」
ハッとした候補生達が改めてカールを見れば、その額はくっきりと青筋を浮かべていた。
「そうでないのなら、こちらも口を出すくらいの事はしてもよかろう」
他人に強いられて出した答えなら、こちらもその積もりで対応しようではないか。そう言うカールに、候補生達も妙に納得させられてしまった。セリアが、自ら望んでこの学園を去る事を決心した訳ではないなら、それに疑問を持つくらいはしても良いだろう。
セリアが去った温室で、候補生達は互いに顔を見合わせた。
日も沈み、学園もすっかり静まりかえった頃、セリアは再び机に向かい、昨日届いた手紙をボンヤリと眺めていた。
あと数日の内にはこの場を去る事になる。自分で蒔いた種とはいえ、やはり実感すると辛い。
胸の内でこの場に留まりたいと、幾ら叫んだ所でその声が手紙の送り主に届く事はない。今までもそうだったのだから。だからといって、セリアには逆らう事も出来ない。そんな権利、自分にはないと思っているからだ。手紙の送り主の言葉に反抗するような行動を、自分は出来れば取りたくなかった。そして、その為に自分が学園を退学しなければならないなら、そうしようと思ったのだ。
恐らく、今フロース学園を去れば、二度と戻る事は出来ない。つい先日、共に「帰ろう」と言ってくれた友人達の手を払い、「帰る場所」まで捨てようとしているのだ。その事実に、肩が押しつぶされそうになる。
そんな時、ふと候補生達の顔が思い浮かんだ。今頃、彼等はどうしているだろうか? 今まで散々迷惑を掛けたのだ。せめて、世話になった礼はちゃんとしたい。
彼等と過ごした時間は本当に楽しかった。この学園で、自分を友人と呼んでくれた候補生達には、いくら感謝しても足りない。入学前は、会う事すら叶わないだろうと思っていたマリオス候補生と、毎日議論を交わす様な仲になるとは思わなかった。それだけでも、十分満ち足りていたのではないだろうか。
彼等と離れるのは寂しい気持ちもある。だがそう思っても、やはりこの学園に留まり続けるという選択肢は、セリアの中には生まれなかった。
そうしてセリアがボンヤリしていると、突然窓を軽く叩く音がした。ハッとして振り向くと、窓の直ぐ傍まで伸びている枝に足を掛けたイアンの姿。セリアはあっと声を上げ、急いで窓を開ける。
「よぉ。入っていいか?」
「えっ!?う、うん」
真剣に問われ、セリアは窓の前から少し離れる。
今までに何度かイアンがここを尋ねた事はあったが、部屋に入るのは始めてだった。セリアが離れた事を確認すると、イアンは自分の前に作られた隙間に影の様に静かに降り立つ。そして素早く窓を閉めた。外から見えない様にとカーテンまで引く。
セリアは、突然の来訪者に目を見開いて驚いていた。まさか、彼の方から出向いて来るとは思っていなかったのだ。それも、こんなに早く。
「俺が何で来たかは分かってるよな?」
「えっと……」
クルリと振り返りながら確認するようにイアンが問う。正直言って、あんまりよく分かっていないセリアは途端に目を逸らした。恐らく、自分の退学の事についてなのだろうが、明確な理由は分からない。その様子に、イアンは諦めた様に息を吐く。
「なんでいきなり退学なんだ?何がお前をそうさせた?」
「え、いや、それは……」
ああ、そういうことか。とセリアは納得したが、どう答えようかと戸惑う。言葉によっては誤解を生んでしまうし、安易に人に話したいと思える事でもない。しかも、完璧に個人的な事情が絡んでいるのだ。彼等に相談してまた頼る様な形にはしたくないし、相談されても彼等もきっと困るだろう。
そこまで思ったセリアはハッとした。机の上に手紙が出しっ放しなのだ。反射的にチラリと後ろを窺ったセリアをイアンは見逃さなかった。
「それか?」
「えっ!?あ、ちょっ!!これは違う!!」
セリアの後ろに何があるのか、と伸ばされたイアンの手がそれに到達する前に、セリアは手紙を引っ掴みイアンから隠した。普段の、のほほんとしたセリアからは考えられないその様子に、イアンは更に眉を顰める。
「それ、見せてみろ」
「だ、ダメです!!」
「じゃあ説明しろよ!!どうして退学なんだ!?」
「そ、れは……」
やはり言えない。と意思表示する様にセリアは横に首を振った。頑なに自分を拒絶するセリアを見たイアンの苛立ちも、ついに最高潮に達する。
「いい加減にしろよ!!!」
「っ!!」
突然距離を詰められたと思ったら、両肩を強く掴まれた。そのままグイッと今までに無い程の力で引き寄せられる。一気に縮まった距離に、セリアが驚きで上を見上げると、怒りを隠そうともしないイアンの赤みがかった瞳と遭遇した。
「いつもいつもいつも。一人で何でもかんでも決めやがって!!俺達が毎回どんだけ心配してると思ってるんだ!!」
「あ、あの……」
「お前は俺がなんで来たのかって顔してたけどなあ、はっきり言ってやる。俺はお前にここから出て行って欲しくないんだよ!!」
離れたくない。手放したくない。傍に居たい。そんな思いが込み上げて来て、どうしようもない。自分勝手だとは思っても、ここを去ろうとするのがセリアの意思でないなら、どうしても自分の気持ちを抑えられないのだ。勿論、自ら離れようとするなら、それもそれで面白くないが。
知らぬ間に自分の心にズカズカと入り込んで来たクセに、こちらが関わろうとすると、いつも既に突っ走ってしまった後。こちらを全く頼らないセリアも、そんな彼女を守り切れないのでは、と不安になる自分も気に入らない。本人がいつでも自分達に迷惑を掛けていると思っている、その思考も大いに好ましくない。自分が彼女に頼られるのを、どうして迷惑だと思うだろうか。むしろ、何も知らされずに、一人で抱え込もうとする方が、よっぽど腹立たしい。
確かに、どうしてこうも面倒事に巻き込まれるのだ、と思う事はある。それに眉を寄せた事もある。けれど、彼女と接するうちに、その動向には他の人間の様な欲も裏も無い事を知ると、どうしても放って置けなくなった。むしろ、危なっかしくて目が離せない。そうして、いつしか全てを受け止めてやりたくなったのだ。彼女を全身全霊で力一杯守ってやりたくなった。
だからこそ、セリアが一人で傷つく様なこと、させたくはなかった。それは、他の候補生達も同じだ。
真剣に見詰められて、セリアは何と言っていいか分からなかった。驚きで茶色の瞳を見開く。いや、驚き、というより困惑といった方が適当かもしれない。正直、まさかここまで引き止められるとは全く、これっぽっちも予想していなかったのだ。
イアンは、自分にここを出て行って欲しくないと言った。あれほど真剣な雰囲気を纏っていたのだから、言い間違えたのではないだろうし、自分の聞き違いでも無いと思う。しかし、そう言われた理由がセリアには理解不能だった。というのも、イアン達にとって自分は迷惑以外の何者でもない存在だと思っていたからである。いくら仲間だと言ってくれても、それは変わらないだろう、と。それに、以前アシリアが退学届を提出した時も、候補生達は黙って見守った。だから、イアンがわざわざこの場所を尋ねてまで、自分を説得するとは思わなかったのだ。
「えっと……なんで……?」
非常に聞き難かったのだが、セリアはポツリとそう零した。その途端イアンは、はぁ!?と声を上げる。イアンの反応にセリアはビクッと肩を竦めた。やはり聞いてはいけない質問だったのだろうか。真剣な雰囲気だったし、やはり失敗したか。でも、どうしてそこまで出て行って欲しくないと言われたのか分からないのだから、仕方無いではないか。
目の前でビクビクと怯える少女に構わず、イアンは眉間に思い切り皺を寄せていた。その額は、明らかに「不快」の二文字を表現している。
今、自分は何を聞かれたのだ、と本気で考えた。あれでも一応、意を決して伝えた言葉だと言うのに、セリアは意味を微動も理解しなかったということか!?いくら普通の娘らしい思考が抜けているとはいえ、これはあまりに鈍感すぎるだろう。というより、何で分からないんだ。
そんな内心の苛立ちが表情に出てしまったようで、イアンにしては珍しく目つきがキツくなる。しかし、ここで引き下がる訳にもいかない。こいつの鈍さは今に始まった事ではないので諦められるが、居なくなるのは耐えられない。そう思い、ここはグッと衝動を堪え、脱線した話しを元に戻す。
「とにかく、お前は俺達の仲間であり友達だ。急に出て行くと言われれば、引き止める。それに抗うなら理由を言え。こっちも真剣なんだから、お前も誠意を持って答えろ」
なんだか押し付けがましく、半ば八つ当たりにも聞こえる。というより、明らかに先程肩透かしを食らった事に対する腹いせだろうイアンの言葉を、セリアは妙に納得する思いで聞いていた。
確かに、彼の言葉はもっともである。今まで散々振り回したのに、出て行く時には何の説明もなしでは、多少自分勝手が過ぎたかもしれない。
なるほど。彼はそれを怒っていたのか、とセリアも自分の疑問が解消されてすっきりした気持ちになる。これほど真摯に向き合ってくれているのだ。どんなに言いたくない理由でも、彼等にはそれを知る権利があるだろう。ならば、自分も腹を括るしかない。
セリアはゆっくりと頷くと、腕の中に隠していた物をイアンに見せた。
「これは?」
「実家からの、手紙……」
「いいのか?」
イアンが、読んでも良いのか、と尋ねるとセリアは静かに首を縦に振った。他人の手紙を見る事に多少の抵抗はあるが、これでセリアがここに留まってくれるかもしれないなら迷いはない。セリアから紙を受け取ると、イアンはジッとそれに目を落とした。
しかし、書かれた文字に目を走らせる内に、自然と表情が険しくなっていく。そして、手紙の最後の方に書かれている部分を読み顔を歪めた。
『……それと、競技会の事は聞きました。殿方に混じって剣を振り回すなど、貴族の令嬢にあるまじき行為だということは言うまでもないでしょう。フロース学園で少しは子女らしく振る舞うかと思えばこの醜態。学園へ転入する際に出した条件は覚えていると思います。それを違えたのですから、約束は守ってもらいます。直ぐに家に戻りなさい。ワイトローズ学園へ再度転入してもらいます。フロース学園には二日以内に退学届を出す様に』
イアンが慌てて差出人の名前を確認すれば『クリスティーネ・ベアリット』と書かれている。
「母親か?」
イアンの言葉にセリアも戸惑いがちに頷く。
「条件ってのは何だ?」
「貴族として恥じない振る舞いを覚えること。それを条件に、フロース学園へ来る事を認めてもらったから」
フロース学園転入を希望した際、母は最後まで反対していた。今までの、自分の貴族令嬢らしくない行動が一番の理由だと言える。そんな時に、令嬢らしい姿勢を守るなら良いのでは、と父が母を説得してくれたのだ。母も、それを破った時はワイトローズ学園へ戻る事を条件に、漸く許してくれた。セリアにとって、フロース学園はそこまでしてでも入りたい世界だったのだ。
「でも、あの競技会は……」
「参加した事は後悔していない。でも、だからって母に逆らう訳には……」
「理由を話して、許してもらうってのは出来ないのか?」
「…………」
理由を話す。そんな事考えもしなかった。今まで自分の声が母に届いた事はなかったから。
俯いたままのセリアを見てイアンは何と言おうか迷っていた。あの頑固なセリアが、母といえど相手に何の意思も示さず、ただ言われた通りに行動するなど想像できなかったからだ。
「悪かったな。無理やり聞き出す様な事して」
「ううん。そこまでしてくれて、ありがとう」
これほどまでに自分と真摯に向き合ってくれた事が、セリアは素直に嬉しかった。ここまで真剣に引き止めてくれた事にも、喜んでしまう自分が居るのは嘘ではない。この学園に来て彼等に出会えて、本当に良かったと思える。もう残り僅かになるかもしれない友人との会話に、セリアは心がほんのりと温まった。
「そうだったのか……」
「黙っていて、ごめんなさい」
「いや……君の個人的な問題を、無理やり聞き出す様な事になってしまってすまなかった」
次の日の温室。セリアは改めて候補生達全員に事情を説明する事にした。イアンに誠意を持って答えろ、と言われた事もあるが、やはり、ここまで親しくしてくれた友人に、何も告げずに去る事は失礼だろうと思い直したからだ。昨日は言いたくなかった事でも、彼等の真剣さを目の当たりにしてしまえば、自然と自分の覚悟も決まった。
やはり詳しくは語れないが、少なくとも母からの手紙が理由だ、という事は納得してもらえたようだ。
「君の事情に、無闇に介入しようとは思わない。しかし、やはり君はこの学園に留まるべきだ」
「ラン……そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……」
「我々も全力で力になる。君には、望まない決断をしてほしくはない」
やはり、退学はセリアの意思ではなかったのだ、と候補生達は確証を得た。ならばもはや引き止めるのに、何のためらいも無い。理由はどうあれ、事情が何であれ、セリア自身が望まないのであれば、それをするべきではない。そう改めて思ったのだ。それでなくとも、今彼女がこの学園を去る事が正しいとはどうしても思えなかった。好いた相手だ、という事を抜きにしても、彼女はいずれ自分達にとっても、国にとっても貴重な人材になることは明らかだからだ。
その後も候補生達はセリアの説得を試みたが、本人は決して首を縦に振らなかった。
「セリア……本当にそれでいいの?」
「…………それは……」
「だって、この学園でやりたい事があるって言ってたのに」
候補生達の力になりたい。国の為に何かしたい。そうセリアは言った。その目標は今も変わっていない。むしろ、候補生達と触れ合い、彼等を知って行く内にその思いは増々強くなった。しかし、夢は少しも達成されていない。これから、という時に、本当に学園を去らなければならないのか。
しかし、どんな事を言っても、それは自分の夢である。母の命令を前には、己の理由は優先順位を下げなければならない。悔しいが、どうしても母に逆らう気にはなれないのだ。
「皆には本当に感謝してる。それに、私はまだ諦めてはいないから」
「セリア……」
候補生達の傍にいれば、いつか自分の夢は達成されるかもしれない。けれど、フロース学園を離れたからといって、自分の国への忠誠心が揺らぐ訳ではない。遠く離れても、彼等の為に力をつけよう、とする事は出来る。ただ、夢が実現する事が難しくなるだけ。昔の様に、憧れの対象になってしまうだけだ。
「私、その……用意があるから、ごめん」
「セリア殿……」
候補生達の強い視線にいたたまれなくなり、この場を離れるためセリアは適当な理由をつけて温室を出る。後ろから引き止める声があったが、今は無視する以外出来なかった。しかし、温室の扉を潜る前に地を這う様な声で呼び止められ足を止める。待て、と言った本人を振り返り見ると、その射る様な視線に身が凍る様な錯覚を覚えた。
「……カール…………」
「…………」
冷たい眼差しでこちらを睨むカールの周りは、やはり冷えた空気が漂っている。しかも、いつも以上に緊迫感を醸し出していて、こうして対峙しているだけで足が震えそうだ。もはや魔人を通り越し、内に鬼でも宿しているのでは、とセリアは本気で疑った。
「あの……カール……」
「お前は何の為にここへ来た」
「……っ!?」
「それ相応の覚悟と目的があって此処へ来たと、息巻いていたのではなかったのか?」
「……それは……」
確かに、覚悟があると自分はカールに啖呵を切った事がある。そして、その言葉は嘘ではない。けれど、こんな事態になる事は予想していなかったのだ。己の身がどうなろうと国の為に尽くす覚悟ならあった。しかし、それが母の意に背くことになるとは思っていなかったのだ。
「口先だけの戯れ言ではないと思ったのは、私の見込み違いだったか」
「…………」
「だが、そうではないのなら、それをこの学園で示せば良いだけだ」
この場所に残れば良い、とカールも言っているのだ、という事はセリアにも分かった。素直でなくとも優しい彼だ。此処に留まり、本来の自分の目的を果たせ、と言いたいのだ。
候補生達が言葉を掛けてくれる度に、自分の中で決心が揺らぐ様な感覚を覚えた。しかし、それはどうしても出来ない。候補生達には申し訳ないが。
尚もこちらを見据えるカールから視線を外し、セリアは急ぎ足で今度こそ、その場から離れた。
理想や叶えたい願いを持って、それを糧としてこの場へ赴いたお前なら、困難を乗り越えられる筈ではないのか。それでもなおこの場を捨てるというのなら、その覚悟を見せてもらおう。
だが、今一度考えろ。お前の居るべき場所は、何処だ。