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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第一章 埋もれた小石〜
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試合 4

 候補生達は先程まで見当たらなかった友人が、急に外から駆け込んで来た姿を見て驚いた。そして、その後セリアが語った話しに、更に目を見開く。

「襲われた!?」

「……う、ん」

「それで、大丈夫だったのか?怪我は!?」

「なんとか平気……それより」

 男性用の休憩所に顔を出したセリアは、候補生達を見つけ出し、今しがた起こった事を相談した。話しを進める内に、候補生達の視線が段々睨む様なものに変わって行ったので、少し恐ろしかったが。咄嗟の事でよく確認できなかったが、伝えられる事は全て伝えたつもりだ。

「それより、じゃねぇだろう!何があった?本当に大丈夫なのか!?」

「この通り無事。それよりも、やっぱり今日……」

 両手を広げて何処にも怪我が無い事を目一杯意思表示するが、候補生達の不安そうな顔は崩れない。まさか矛先がセリアに向けられるとは思っていなかったのだ。

「どうしてセリアが?」

「分からないが、デナトワーレの件に関係があるのでは?」

 ランの言葉にセリアも思考を巡らせる。ランの言う通り、恐らくデナトワーレと関連性があるのだろうが、やはり分からない。何故自分が襲われたのだろう。今回の国王陛下暗殺の件も、敵が本気ならば慎重に動く必要があるのだから、派手には動き回っていない筈である。国王やマリオス達に動きを知られてはならないのだから。そんな状態で自分にそこまでして構う程の理由があるのだろうか。

「とにかく、今日ここで何かがある、っていう事は確かよね」

「ただの思い過ごしではなかった様だな」

 決して有り難くはないが、これで確証を得た。参加選手の一人が襲われたのだ。何かがある、と陛下に危険を知らせる理由くらいにはなるだろう。

 しかし、嬉しくはない。と候補生達は顔を険しくさせる。もしかすればセリアもただでは済まなかったのだ。向こうが本気で殺意を持っていたなら、この後も十分危険だと考えられる。まさか、一度失敗してそれきり、とは考え難い。相手の狙いは分からないが、またセリアに矛先が向けられる事はあり得るのだ。かといって、それを理由に競技会を中断させるような事は出来ない。そんなことをすれば、最初に危惧した通り、敵を逃す事になるのだ。それでは、ここまで来た意味がない。

「セリア。お前は棄権しないか?」

「は、え?……」

「ここまでで十分だ。後は俺達に任せて……」

「……………」

 言い聞かせる様に言ってみたものの、セリアは直ぐにブンブンと首を横に振った。ここまで来ておいて、そんな今更逃げるなどとんでもない。それに一番危険なのは国王陛下であって、自分では無い筈だ。この通り自分は無事なのだし、出場辞退など考えられない。

 答えは分かっていたもののイアンは提案してみた。しかし、返って来た答えは案の定否定するもの。全く、本気で呆れてしまう。たった今襲われたばかりだろうに。気が強いのか、怖い物知らずなのか、もはや言葉で表し切れない。

 もう慣れてしまったとはいえ、こうも見せつけられると、言いようのない苛立ちに襲われる。とイアンが頭を抱えている間にも、遠くがざわつき始めた。

「二次試合が開始します!」

 その場に声高に響いた言葉に、それぞれ別の考えを巡らせていたセリアと候補生達は同時に顔を上げた。それに続いてゾロゾロと参加者達が列を成してテントの外へ出て行く。

「腹を括った方が良い見たいだな」

 もはや時間切れ。思い悩む事も、後戻りも出来ない。今出来るのは、当初の予定通り、国王陛下にその身の危険を知らせる為に最善を尽くすだけだ。





 セリアが忙しなく視線を動かしながら、やっと遠目に見つけたのは、国王が座る観客席の最前列に位置する団体。周りを少数の王国軍が警備している真ん中に、ゆったりと腰掛けているのが陛下だろう。しかし、この距離ではまだはっきりとは確認出来ない。メインの競技場は広く、一度に多数の試合を行っているので、セリアはどうしても国王の席からは離れてしまうのだ。その近くでは、優勝候補の選手達が剣を交えている。やはり、競技会の主催側としても、国王には見応えのある試合を、という考えの様だ。

 折角姿を拝見出来ると思ったのだが、と少々セリアは肩を落とした。それでも、自分の相手は容赦無くこちらを見据えている。折角ここまで勝ち残ったのだ。ここで引き下がる訳にはいかない、とセリアは剣を構えた。

 そんな栗毛の地味な少女の姿を遠目に捕らえた男は、ほぅっと感心の声を発した。何処か危なげに剣を握る姿はやはり少女の物。凛々しく相手と対峙していても、とてもこの競技会に似つかわしいとは言えない。それを見た男は堪え切れない、といったようにくっ、と喉で笑った。

「あれが、そうか」

 そう呟いて視線を走らせれば、遠くに見える自分の友人の姿。豆粒程度の大きさで、その顔をはっきりとは確認することは叶わないが、向こうもこちらを見ているのだろう事は容易に想像がつく。

 先日の対局では自分が敗退したが、今度はどうであろう。そう思った瞬間、遠くの友人の目がキラリと光った気がした。






「そこまで!!」

 ハァハァ、と息を荒くしながら、セリアは勝利した事に安堵する。しかし流石は二次試合。やはり強豪が揃っている。ここまでは勝ち抜いたが、体力が徐々に削られて行くのも事実。グイッと頬を伝う汗を拭いながら、セリアは再び視線を彷徨わせる。

 先程の男が今回の国王と王弟殿下の件と全く無関係だとは考えられない。咄嗟の事で相手の顔も、着ていた服も確認出来なかったが、何か手掛かりになるものは無いだろうか。そう思ってセリアは先程から勝負の度に視線を動かしているのだが、未だに何も見付けられていない。また、何時再び何か仕掛けて来るかも分からない為、始終気が抜けないのだ。その分肩に掛かる疲労の重みは増す。その事も、セリアの体力を奪っていった

 ただ、国王陛下の姿だけはしっかりと見る事が出来た。

 陽の光に照らされ、尚も堂々と居座る姿は、正に国王。大勢の観客に埋もれる事なく、未だその存在感を持って人々を圧倒している。思わず見上げてしまう程の威圧感に、セリアはしばしの間見惚れた程だ。

 いずれ、ラン達も彼の為にマリオスとなって尽くす様になるのだろうか、と。そんな事を考えて、セリアは言い知れぬ感動を覚えたのだ。彼がこのクルダスを導き、支えているのだ、と実感出来た瞬間であった。

 そんな国王の姿を見て、セリアも俄然やる気を出す。こうなれば、何が何でも、相手が王弟殿下であろうと、何かが起こる前に阻止してやろうではないか。

 そうは思っても、実際はまだ何の動きも無い。可笑しい。もう既に競技会は終盤に近づいている。残る試合も数少なくなってきているというのに、何処にも何の不審な点は無い。それが却って不気味さを増している。



 セリアがそんな風に考えていると、遠くで新たに勝者を讃える歓声が上がった。

「そこまで!!」

 声高に言い渡された試合を制したのは、冷たい瞳を宿したカール。その先では、ダークブロンドの青年が髪に纏わりつく汗を拭い払っている。ついにランとカールが当たってしまった様だ。そして、そのまま予定通りカールに勝利を譲ったのだろう。本当なら本気で相手をしたかったであろうに。しかし、今回はそうも言っていられない。ランもそれは十分理解しているようで、不満そうな顔は一切見えない。むしろ、セリアと同様観客席に注意を向けている。

 次はいよいよ決勝。その日の勝者を決める試合だ。数々の強者を負かし、そして勝ち残ったカールの相手は、やはりセリアであった。ここまで来れば勝負の行方は初めから決まっている。しかし、セリアは何処か浮かない顔をしていた。その理由は決して、この後に負けるからではない。

「はじめ!!」

 試合開始の合図と共に金属同士がぶつかり合う音が響いた。

 剣を交えている内に、セリアの不安を読み取ったのだろう、カールが刃の反対側から静かに問いかけて来た。

「……どうかしたのか?」

「その……」

「…………」

「未だに何も分かっていないし、中々動きがないから、どうなるのかと思って……」

「ならばどうする?この場から逃げるか?」

 そう言ったカールが強く剣を振り下ろせば、セリアはそれを透かさず防ぐ。ムッとした表情で睨み返せば、冷たい瞳に見据えられた。

「そうは言ってない」

「なら、普段の気の強さを見せたらどうだ」

 そう言いながら挑発する様にセリアとの間合いを詰めるカールに、セリアも攻撃を仕掛ける。

 弱気になっていたのは事実かもしれないが、どうしてこうも神経を逆撫でする様な言い方しか出来ないのだろうか、この男は。しかし、考えてみればカールの言っている事ももっともである。今更逃げる事も無視する事も出来ない。ならば唯一の可能性に賭けてみるしかないのではないか。




 優勝候補と名高いローゼンタール家の嫡男と互角に渡り合っている、あの地味な少女は一体誰だ。と観客がざわつく中、不穏な空気をまき散らす人物が一人、握った拳を振るわせていた。その視線の先には、今その場に居る筈の無い栗毛の少女が、素早い動きで駆け回っている。

 どういうことだ。少なくとも、二次試合には参加させるな、と言っておいたにも関わらず、何故今あの場で何事も無かったかの様に剣を振り回しているのだ。

このままでは確実に、事態はまずい方向へ向かう。こうなっては、もう自分では対処し切れない。

 そう思った男は、サッと身を翻し、自分の主に今回の件の失敗を伝える為にその場を離れた。まだ事は起こっていないとは言っても、こうなってしまえば結果は容易に想像出来る。ならば今自分に出来る事は、計画を強引に押し進める事ではない。潔く手を引き、己の身を守る事であった。




 再び鋭い金属音が響いたと同時に、セリアとカールは交差する剣を押し合っていた。試合はほぼ互角に見えるが、その様子を見守る数名は、二人が本気ではない事を知っていた。普段から二人の動きを見慣れている候補生達は、二人が剣を振るいながらも、慎重に機を窺っているのが分かる。でなければ、とっくにどちらかが勝負を仕掛け、試合は終わっている筈なのだ。それを分かっている候補生達も、用心深く回りに視線を集中させている。

 緊張感を高める候補生達の視線の先では、腕力で劣るセリアに、カールが小さく言葉を発した。

「そろそろ、頃合いか」

「うん。これだけ粘って何も起きないなら、これ以上続ける意味はないよね」

 本気で動いているわけでない二人は、息も乱れていない。

 カールの言葉に小さく頷いたセリアは、剣を握っていた手の力をフッと抜いた。その瞬間を逃さず、カールはセリアの手から剣を弾き飛ばす。空気を切る様な音が響いたと同時に、高く弾かれた剣はカランと音を立てて地面に落ちた。


 一瞬静まり返った会場は、次の瞬間大きな歓声に包まれた。「ワーッ!!」という声と共に広がる拍手を背に、セリアは咄嗟に国王に視線を向ける。目で捕らえた王は軽く拍手をしているだけで、特に何か回りで起こっている様子は無い。一先ず安心するが、そうも言っていられないのだ。何故、何も起きないのだろうか。その方が好ましい事には違いないが、決してこのまま終わる事はないだろう。では、一体何時、どのような形で敵は動くのだ。

 セリアが不安に駆られる間も、観衆の声援は鳴り止む事をせずに、競技場全体を響かせていた。





 今年の競技会は残す所を表彰式と閉会式のみ。敵が何かを仕掛けて来るとすればその間だろう。

「カール」

「…………」

 不安そうなセリアの呼びかけに、カールは冷たい視線を寄越しただけで、直ぐに場所を移動してしまった。ここで何を言っても無意味だ、ということだろう。競技場を横切るカールは、未だに声援を贈る観衆に目もくれない。涼しい顔で完全に無視している。仮にも優勝したのだから、もう少し愛想よくしても不自然ではないだろうに。相変わらずの反応にセリアも思わず苦笑してしまう。

 剣技の優勝者であるカールには、陛下が直々に優勝杯を渡される。その時が唯一陛下に自分達が知り得た情報を伝えられる機会なのだ。もし不審な動きがあればセリア達は直ぐにでも行動する積もりだが、何しろ相手が悪い。下手に突っ走る訳にもいかないのだ。

 セリアが考えを巡らせている間にも、表彰式の準備が着々と行われていた。




 弓の競技で見事優勝したルネ。優勝は逃したが、二位と十分誇れる結果を出したイアン。それぞれの競技での入賞者を発表して行く間も、セリア達は緊張の糸を張り巡らせていた。今まで以上に警戒する様子は、周りの者にも伝わってしまったようで、一体どうしたのだ、と同じように表彰されるのを待つ選手達に訝しげに見られている。

 ワッと上がった歓声に視線を上げれば、競技場へ入って来た国王の姿があった。数人の王国軍と青色の長いローブを纏った男性二人を従えた国王はゆっくりとこちらへ向かって歩いて来る。

 赤い制服と対になる青のローブは、王宮内ではマリオスのみに着る事を許された色。つまり、今国王の後ろにピッタリと付いて歩いて来る二人の青年が、マリオス、ということだろうか。

 今まで憧れ続けていた存在が目の前にいるのだ。セリアは沸き上がる好奇心を抑え切れず、その姿を少しでも見れないかと視線を走らせた。始めて見たマリオスに僅かに興奮を募らせるセリアだが、肝心のマリオスは俯いているのか、顔をはっきりと確認することは出来ない。

 そうしている間にも、国王が前へ出て来た。それに合わせて周りの視線も動く。今、この場に居る全ての者の視線は、間違いなく王を捕らえているのだろう。近くで見ると、やはり圧倒的な威圧感を感じた。その存在感もかなりのもので、王が一歩動くだけでも空気が揺れる様な錯覚を覚える。

 国王が参加者達へ祝いと労いの言葉を贈っていると、その横へ影が近づいて来た。ハッとしてセリアが視線を移すと、歩み寄る男の手には優勝杯が握られている。どうやら国王陛下に杯を渡すだけらしい。

 気を張り過ぎだろうか、と少し肩透かしを食らった様な感じで、セリアもホッと息を吐く。だが、目に入った優勝杯に興味が引きつけられそのまま視線を止めていると、気になるものを見つけてしまった。優勝杯を持った男の手の甲に乗っている、真新しい引っ掻き傷。

 他の時ならば気にならなかったのだろうが、セリアは先程首を羽交い締めにされた時、確かに相手の腕の一部を爪で深く引っ掻いたのを思い出す。抵抗する事に必死だったので、腕のどの部分だったかは分からないが、相手にも多少の傷は残った筈だ。そして、傷を負った手を見付けてしまった。もし、男の傷が自分の爪がつけた傷だとしたら、それはあの男こそ自分を襲った男だということだろうか。

 けれど、手に傷を負った者などいくらでもいる。考え過ぎだろう、とは思いながらも、セリアはどうしても気になって目を逸らす事が出来なかった。



 遂にカールの名が呼ばれ、プラチナブロンドの青年は表彰台へと上って行く。それを確認して男も国王に優勝杯を渡した。

 他の者は誰一人気にならなかった様だが、注意深く男の動作一つ一つに目を光らせていたセリアは見た。一瞬だけ優勝杯の底へ伸びた男の手を。

「っ!?」

 そのまま男は何事も無かった様に国王に優勝杯を渡した。そして、役目は終わったとその場に背を向ける。男は務めを果たしたのだから、その場から離れて良いのは当たり前だ。しかし、今のセリアには、彼が一刻も早くこの場から去ろうとしている様に見えた。

 その途端、セリアは飛び出した。周りの者を押しのけ、表彰台の上へ駆け上がる。そのままセリアは懸命に手を伸ばし、驚きの表情を見せる国王の手から優勝杯を奪い取った。自分でもなんて無礼な事をしているのだ、とは思っても、今は時間が無いのだ。

「なっ!?」

「っ!!!」

 周りから驚きと戸惑いの声が上がる間も、セリアはその足を止める事なく、台の上から近くに居た馬に飛び乗った。馬術競技の優勝者の横で、主を栄光の座へ導いた馬だ。優勝した馬だけあって、毛並みも美しく、体躯もしっかりしている。しかし、そんな事を気にしている余裕はセリアにはない。

「無礼な!!」    

「なんてことを!!」    

「なんの積もりだ!?」    

「子娘の分際で!!」

 所々から沸き上がる怒気を含んだ声に動じる事はせず、セリアは勢いに任せて馬の腹を蹴った。それと同時に馬は大きく嘶くと、力強くその場を駆け出す。走る馬を操り、セリアは必死に競技場の外を目指した。


 迂闊であった。こんなに人目があり、注目されている陛下だ。周りもそれなりの警護で固められている。自分達は、敵はその警護をすり抜けて、隙を狙うのだろうとばかり考えていた。しかし、もし、周りの者も諸共標的にする様な手段を使用してきたならばどうだ。その点を見落としていたのだ。自分の予想が間違いであれば文句は無いが、もしかしたら、という事もある。

 手の中にある優勝杯を抱え、セリアは尚も競技場の外を目指した。それと同時に後ろに向かって大きく叫ぶ。

「その人、逃がさないで!!!」

 セリアの声の先では、サッと青ざめる手に傷を負った男。その言葉が自分に向けられたものだと理解したと同時に、男は背筋に悪寒を感じ、咄嗟に地を蹴った。

「させません!」

 そのまま逃げ出そうとした男を、観客席の上から優雅に舞い降りた影が阻止する。そして同時に顎を蹴り上げた。男がぐっ、と息に詰まりその場に崩れ落ちれば、途端に上から赤い髪の青年に取り押さえられる。




「一体どうしたのだ!!」

「あの娘、何の考えがあって?」

 国王の後ろに控えていた二人の青年が声高に叫ぶ。ただの娘が、国王陛下の手から優勝杯を奪い取ったのだ。そして、そのまま逃げ出してしまった。予期していなかった事態に誰もが驚き動揺する中、マリオスの二人は冷静に対応し、そのまま事態を掌握しようと王国軍に指示を出す。しかし、彼等がセリアを捕らえる様に命令する前に、国王の前に出た者がいた。

「陛下」

「…………カールハインツ」

「ご無礼お許しください。しかし、あの者の行動には必ず意味がある事はご理解戴きたく」

「……」

 跪くカールをジッと見据える王が言葉を発する前に、男の声が遠くで響いた。ザウルに取り押さえられた男が、必死に逃げようともがいているのだ。しかし、上からガッチリと拘束したザウルを撥ね除ける事は叶わず、まるで水から上げられた魚の様に小刻みに震えている。

「離せ、この!!あの女!!」

 その姿を見てマリオスは迅速にその場を押さえる為に動いた。素早く状況を判断し、ザウルと、彼に取り押さえられている男を囲むよう指示を出す。こうなっては、男にもう逃れる術は残されていなかった。ゾロゾロと自分を囲む赤い制服を見ては、顔を絶望の色が覆って行く。

「カールハインツ。この場はお前の言葉を聞こう」

「ありがとうございます」

「しかし、説明はしてもらうぞ」

「……心得て」

 そう言って国王は、後ろで控えるマリオスに目配せした。それを見た二人の青年は、納得いかないといった表情をしたものの、ゆっくりと頷く。例えどんな時であっても、彼等は自分の主には逆らえない。

 国王の言葉にカールが再び深々と頭を下げるとその瞬間、競技場の外で大きな爆発音が響いた。その音に反応した者達が同時にバッと振り返る。しかし、競技場の壁に阻まれ、何が起こっているのか確認は出来ない。しかし、音だけでも動揺を与えるには十分だ。只事ではない事態に、その場をいっきに緊張が走る。

「セリア!!」

 近くで事の成り行きを呆然と見送っていたランやイアンも、正気を取り戻し慌てて外へ向かって走り出す。その姿を尻目に、カールはそれでもその場を動かなかった。今自分がしなければいけない事は国王への説明である。セリアはラン達に任せて問題はないはずだ。そう理解はしていても、意識して体を押さえつけねば、今にもその場を駆け出してしまいそうな衝動に駆られていた。

 言い知れぬ苛立ちが背筋を走るがそれに気付かぬ振りをして、バイオレットの瞳を自分の前で佇む国王に合わせる。






「セリア!!」

「いったた……」

 ラン達が競技場の外に出ると、すぐ外にある湖の傍で倒れた馬の横に転がり、地面の上で頭を押さえるセリアの姿。そして、何故か周りは雨が降った後の様にずぶ濡れだった。

「おい!大丈夫か!?」

「うっ……なんとか…………」

「何があった!!?」

「えっと……私も咄嗟で、何が何だか。とにかくさっきの優勝杯を湖に放り投げたんだけど、そしたら……」

 競技場の直ぐ外に広がる湖。その中へ優勝杯を投げ込んだ途端に、中に仕組まれた爆薬が絶妙のタイミングで破裂したのだ。爆発に巻き込まれる事はなかったが、そのかわり、大きな音に馬が驚き暴れたものだから、セリアは放り出されてしまった。その所為で軽く地面に叩き付けられたのだが、大した事ではない。それよりも、もしあとほんの僅かでも遅れていたらどうなっていたか、と背筋に冷たいものが流れる。

「相変わらず、無茶をする」

「あっ、それより陛下は?さっきの人は?」

「心配無い。男はザウルが取り押さえた。陛下もカールがお傍についている」

「よ、よかったぁ」

 それを聞いてセリアはホッと安心したのか、そのまま地面に倒れ込む。地面の上に直に横になるなど、貴族どころか年頃の娘なら決してしないだろう行為でも、今は見逃して欲しい。情けない話しだが、杯が水に落ちた瞬間に激しい爆音と共に上がった水柱に、腰が抜けてしまったのだ。意気込んで咄嗟に動いたは良いが、実際は手の中の物が何時どのような惨事を生むかと気が気でなかった。

 すっかり気の抜けたセリアを、イアンが軽々と抱き上げる。

 あまりこの様な所に寝かせておくのは得策ではない。何処か休める場所へ運んでやった方がいいだろう。と思ったのだ。しかし、いきなり持ち上げられたセリアはそれどころではなかった。

「わっ、ちょっ!イアン!?」

「分かった分かった。お前は大人しくしてろ」

「いや、だから、その……」

 急に歩き出したイアンの手から、動かない身体を駆使して何とか逃れようとするが、全く無駄な抵抗に終わった。

「まあ、今は休め。話しはそれからだろ」

「でも、歩けるから、下ろして」

「却下」

 突然の状況にセリアは内心で悲鳴を上げたが、イアンにとってそんなのは知った事ではない。その後ろではランが少々納得いかない表情を見せたが、状況を報告するため再び競技場内へ戻って行った。

 下でギャアギャアと騒ぐセリアを他所に、イアンはドンドンと進んで行った。今はとにかく、結果的に国王を救った少女を休ませてやりたい。陛下への説明や、他の面倒事は、カール達が請け負ってくれるだろう、と若干無責任な事を考えながら。





序奏は終わった。後は、ここでどう出るかだな。まったく、アイツはいつもながら驚く事を私に提示してくる。まあ、それが外れた事はないが。

アイツも生徒達には苦労しているようだが、十分楽しんでいるようだからいいだろう。


折角の好機だ。無駄にするなよ。





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