試合 3
普段は人が少ない稽古場だが、この日ばかりは多くの生徒が集まっていた。その中には、しっかりとセリアの姿もある。
フロース学園は、所謂勝ち抜き戦で代表選手を決める。それぞれのクラスの担任が審判を勤め、格クラスから二人程選抜し、その上で競い合わせるのだ。稽古場は広く、既にあちらこちらでクラスの代表を決める試合が行われている。
「セリアさん。大丈夫ですか?」
知らぬ間に力が入っていたのか、少し意識が飛んでいた為動かなかったセリアを心配した様子のヨークが後ろから声をかけた。周りには怖じ気づいたか、放心している様に映っていたようで、所々から忍び笑いが聞こえてくる。慌ててヨークの声に答えたが、彼はまだ何処か不安そうにこちらを見ていた。
「今からでも棄権は出来ますが……」
「と、とんでもない。お願いします!!」
そんな棄権だなんて冗談ではない。こちらは何が何でも勝ち残らねばならないのだ。学園内で候補生以外の相手と手合わせをするのは始めてだが、負けるわけには行かない。
よしっ、と気合いを入れ視線を上げると、その先ではセリアに気付いた候補生達が軽く手を振っていた。彼等の話しによれば、ランやカール以上の剣の腕を持つ者はまず居ないとの事だったが、それでも油断は禁物だ。
「それでは始めても良いですか?」
「は、はい」
ヨークがやんわりと問いかけると、セリアは力強く頷いた。
そのまま彼の指示に従い、セリアは一人の男子生徒と向かい合う。お互い手には練習用に刃の潰れた剣を持ち、相手を見据え構える。ここ最近は毎日の様に経験した姿勢だが、候補生達と唯一違うのは、相手がどうも嘲りの視線を向けてくる事だろうか。この学園へ来る前から、もう慣れてしまっているものだ。その視線の理由も分かっている積もりだし、文句はないのだが、やはり好い気分はしない。
男子生徒にしてみれば、軽い好奇心で剣を握ってみただけの貴族令嬢に、自分が負ける訳はない、と思っているのだろう。それこそ、地味なだけの小柄な少女に自分が剣で劣る筈がない、という自信で満ちていた。しかし、それが大きな間違いであったことは、すぐに証明される事になる。
「……始め!」
やはりまだセリアに対する不安を拭い切れていないヨークが声高に合図すると、すぐに金属同士がぶつかり合う音が鳴り響いた。
「おめでとう。君達には競技会でフロース学園代表として頑張って貰いたい」
心底上機嫌の校長の前では、ザウルを覗いた候補生とセリア。その他数名の生徒が一列に並んでいた。
剣技の代表決定戦は、驚く程早く決着がついた。女など大した事はないだろう、と軽んじて向かって来る相手を、セリアがバッサバッサと一蹴して行ったのだから当然といえば当然かもしれないが。それに目を見開いて驚くヨークや他生徒の視線を物ともせず、セリアはさっさと挑戦者を一掃していったのだ。そして、最終的に勝ち残ったのは候補生とセリアのみ。
その結果に大満足の様子の校長は、先程からニコニコと頬も緩みまくりである。クルーセルも同様で、嬉しそうに目を細めていた。それとは対照的にハンスやヨークは納得がいかないといった感じに眉を顰めている。セリアが代表戦を勝ち抜いたという事態に、理解が追いついていないのだ。
「二週間後、君達には王都へ赴いてもらう。我々も応援に駆け付けるよ。それでは、頑張ってくれ」
はっきりいって、気味が悪い程嬉しそうにする校長の言葉を、セリアは半分聞き流していた。今セリアの脳を占めるのは、国王陛下の事ただ一つである。なんとか代表にはなれたのだから、あとはどうすれば陛下を守れるだろう。下手に動き回る訳にもいかず、だからといって相手の出方も全く分からない。せめて、いざという時の弾除けくらいにはなれるだろうか。
そんな風にグルグルと思考を巡らすセリアを、ジッと見詰める視線が一つあった。それは、決して好意的なものなどではなく、むしろ悪意に満ちている様なものだった。
代表決定戦で、一人の貴族令嬢が剣技で勝ち残った、という噂は瞬く間に学園中に広まった。そうなれば当然、ある人物の耳にも届き、それを疎ましく思うのは仕方ないといえる。なんといっても、彼女には今までにも何度か己の計画を阻まれた経験があるのだから。
……まったく好ましくない。
一体、何処まで邪魔をすれば気が済むのか。大きな障害になる可能性は少ないが、だからといってすぐ傍に居座られていい筈が無い。間違いなく、多少の妨害にはなるだろう。彼等を見くびっていたかもしれないと、丁度思い始めた矢先にこれだ。全てを知っている風ではなかったが、何かしら感じ取っているのは確かだろう。
どうも目障りである。あれさえ居なければ、どうとでもなったものを。
あまり気は進まないが、仕方あるまい。出来る限りの手は打っておく必要があるだろう。
「よかった……」
その後、漸く校長の説明から解放されたセリア達は、温室で長く続いていた緊張を解いた。
一体どうなるだろうか、とセリアはかなり心配していたが、なんとか代表に選ばれた事にホッと安堵する。
「言ったろ。お前なら大丈夫だって」
「ああ。君の腕なら問題は無いと思っていた」
息を吐くセリアの肩をイアン達が笑いながら軽く叩く。
しかし、安心ばかりはしていられない。問題は次だ。自分達はどう動けば良いだろう?
いくら代表選手といえど、容易に陛下には近づけない。それどころか、その周りは恐らく王国軍できっちりと警護されている筈だ。敵も動き難いだろうが、それは自分達も同じ。
「やっぱり、陛下に直接お話しすることは出来ないのかな?」
「本気で伝えようと思うなら、一度だけ機会はある」
「えっ!?」
突然のカールの言葉にセリアは驚いた。相手は国王陛下。いくら近くへ行けたとしても、直接言葉を交わすなど到底叶わない人物だ。しかも、証拠も何も無い状態で、危険を知らせる事は容易ではない、はずだが……
「剣技の優勝者には、陛下が直々に優勝杯を渡される」
「そ、それって…………!?」
「無礼を承知で、確証も無い危険を伝える積もりならば、その時以外あるまい」
「っ………」
痛い所を突いた言葉に、セリアは一瞬言葉に詰まったが、カールのありがたい情報に目を輝かせた。
カールの言う通り、もし陛下に何かしら危険を知らせるなら、その時が唯一の機会だろう。優勝杯が直々に手渡しされるならば、声が届く距離に行けるという事なのだから。
しかし、その前に何らかの確証が欲しい。まだ確信がある訳でもないのに、国王に対して命が危ういなど、軽々しく言える事ではない。しかも、それが実の弟が企てているかもしれないのだから。
「でも、王弟殿下とは実の兄弟の筈なのに……」
「色々あるんだろ。それこそ、王族の事となれば複雑なのは、歴史が物語ってる」
そんな色々で済まされるような事ではないのだが、自分達が考えても始まらない、とイアンは敢えて軽く言ってみる。ただの貴族と違い、王族はまた特殊だ。国の頂点に君臨する分、責任も、栄光も、次元が違う。
「いつの時代にも、分不相応な野心を持った輩とはいるものだ」
「な、それは……ちょっと」
冷たく言い放つカールに、セリアは冷や汗を流す。仮にも王弟殿下に対して、いくらなんでも言い過ぎではないだろうか。
けれど、王族ともそれなりに関わりのあるローゼンタール家の嫡男であるカールだ。何かと王弟殿下とも接触があったのだろう。カールがいくら冷たいといっても、人を見る目は持っている。その彼がそう言うのだから、少なくとも現国王陛下以上に英明という訳ではない、という事だろうか。
なにはともあれ、 これで目先の目標は決まった。
「優勝する以外、無いってことよね」
「どうしても、というならそうなるな」
恐らく、カールの言うようにその時が唯一の機会。無礼だろうとなんだろうと、国の未来がかかっているかもしれないのだ。その時を逃す手はないだろう。そう納得した候補生達は、お互い顔を見合わせてゆっくりと頷いた。
その後の話し合いの結果、陛下に一番近しい人間、という事で陛下に伝えるのはカールに頼む事になった。何度か直々に言葉を交わした事があるというのだから流石というべきか。対抗心むき出しのランと負けず嫌いのセリアも、この時ばかりは何の文句も言わない。それどころか、優勝にはカールを、という考えはランの案だった。
そうなれば、ランとセリアの役目は他の選手を出来るだけ蹴散らして行く事になる。しかし、その点は心配無いだろう、と候補生達は余裕の表情を浮かべる。優勝が難しい、とはいってもカールやランならば問題は無いのだ。なにせ、カールは去年の剣技優勝者であり、ランも準優勝しているのだから。
「しかし、何時どんな形で妨害が入るか分からない。それに、それまで陛下が安全かどうか」
「陛下の警護もそれなりの筈だ。早々に手を出す事はしないだろう。なんらかの機を計らっている筈だ。それを見逃さない事だな」
こうして候補生達が不安を募らせる競技会は、直ぐに訪れる事となる。
「セリア。大丈夫か?」
「あう。えっと、その……」
王都へ向かう汽車にフロース学園代表選手が乗り込む中、セリアは懸命に人混みを掻き分けていた。自分達と同じ理由で王都へ向かう者で溢れかえる駅内を、鈍臭いセリアがすんなりと通れる筈もなく。先を行く候補生達を必死で追いかける。
人波に押し返され、あっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返すセリアを、冷や汗を流しながら見守る候補生達。先程から何度か助けようと手を伸ばしたりしているのだが、差し出された手を掴む、などと可愛らしい思考、焦るセリアに浮かぶ筈もなく。ただただ必死に候補生達に向かって歩くだけだ。しかし、実際には殆ど意味を成しておらず、ズルズルと流されるだけ。
やっとの思いで辿り着いた車内に、セリアは大きく息を吐きながら腰を下ろす
「つ、疲れた……」
「お疲れ様」
ニッコリと笑うルネに、セリアも乾いた笑みを返した。どうしてあの人混みの中を彼等はああも容易くすり抜けてしまうのだろう、と疑問に思う。背の高いイアン達は納得出来るとして、ルネは彼等より幾分か小柄である。平均男性よりも若干低いくらいだろうか。それでもセリアよりは十分身長があるのだが。にも関わらず、あの様にスルスルと人の間を歩けるのはどうしてだろう。
「本当にセリアって面白いよね」
「ヘっ?」
あんなに身軽に剣を振るうくせに、こういう時にはどうしてああも鈍臭いのだろうか。けれど、決して別人という感じはせず、やはり何処かセリアらしい。 セリアがルネの事を疑問に思う以上に、ルネ達候補生の方がセリアの行動を不思議に思っていた。
「本当に面白いよね」
「……?」
再び言われた面白い、という言葉にセリアは首を傾げる。はて。何か可笑しな事をしただろうか?
頭を捻って考え始めるセリアを他所に、候補生達は現状を思い出し、表情を厳しくした。
「何かあったら直ぐに言う様に。約束出来るな」
「……はい」
数日前から何回も言われた言葉に、セリアは再度頷いた。もう何度目になるだろうか。何か気になる事があればまず彼等に言う様に、と散々言われ続けているのだ。まあ、それも当然だろう。
セリアがいくら理解した、と意思表示しても全く聞き入れて貰えず、何度も同じ言葉を聞かされている。いい加減セリアもうんざりしてくるが、デナトワーレの件で彼等に迷惑を掛けてしまった後ろめたさから、何も言えない。
セリアは話しを逸らす様に、先程ヨークから渡された今日の予定表に視線を移した。
「開会式の後に、剣技の……一次試合?」
「剣技は参加者が多いので、一次と二次に別れている。その間に弓や馬術等の競技が行われるんだ」
「あ、なるほど」
その間は休憩していて良いらしい、ということにセリアは喜んだ。その後のランの話しでは、一次でも参加者が多いため、一人一人試合の間に十分な時間があるようだ。 体力が続かないセリアにとってキツくなるか、とも思っていたが、これなら大丈夫かもしれない。
競技会、という今まで触れた事の無い世界への期待で忘れてしまいそうになるが、今日は物騒な事件が起きるかもしれないのだ。十分に注意する必要がある。沸き上がる不安を押さえ込み、セリアはグッと気合いを入れ直した。
普段からかなり賑わっている王都だが、今日は少し違っていた。この日は沸き上がる熱狂的な声援が、王都の空を埋め尽くしている。
「そこまで!!!」
弾き飛ばされた剣に、観客からは「オオッ!」と歓声が上がる。特に今の試合では、見た事の無い少女が、屈強な若者を打ち負かしたのだから尚更だ。始めにセリアが競技場に現れた時は、所々から忍び笑いや批判的な声も聞こえたが、今はそれも治まっている。直ぐに敗退するだろう、と笑っていた者達だが、今は少女の活躍に驚くか、貴族令嬢にあるまじき行為と呆れるか、二つに別れていた。
そんな中、汗を拭いながらセリアは辺りを見回す。
思っていたよりも人が多い。一般にも解放されているらしく、何処を見ても人で溢れかえっていた。競技場は幾つかに別れていて、予選はそれぞれ小さめの場で行われているようだ。今も金属同士がぶつかり合う鋭い音が耳に響く。
メインの会場では別の競技が行われているらしい。そして恐らく、国王もそこで試合を観戦しているのだろう。
セリアは再び競技場の外に設けられた休憩所へ向かう。次の試合に備え、体力を回復させる為だ。流石に各校から選ばれた選手だけあって、強者が多い。とはいっても、毎日ランやカール達と剣を交えていた為か、それほどの手応えは感じなかった。それよりも、客席の方に不審な動きは無いかと気になる程である。
そうしてセリア達が順調に勝ち進んでいると、剣技の一次試合が終了となった。ここで大幅に数が減らされるらしく、元の三分の一も残っていない。剣技は二次試合からメインの競技場も使うらしく、その間に他の競技を全て済ませるのだ。
負けた選手は殆どが観客席に引き上げ悔しさを噛み締めながら自分を負かした者達のその後の試合を観戦する。残った者は専用の休憩所へ移り、次の試合に備え英気を養うのだ。
競技場の外に設けられた休憩所は、テントの様な幕で仕切られている。広さはそれなりに確保されていて、格競技の選手が集められている様だ。その中にはしっかりとセリアの姿もある。ただ、周りには逞しい青年ばかりで、かなり浮いて見えるのは仕方ない。しかし、なんだか周りからジロジロと奇異の視線を向けられてしまい、セリアもいたたまれなくなる。
オロオロとしだすセリアに、声を掛ける者があった。
「あの、女性の方はこちらでお願いします」
「えっ!?あ、はい!!」
どうやら女性専用の待機場所があるらしく、セリアはそそくさと声に誘われるまま付いて行った。あまりこの場に留まりたくなかったので、助かったと胸を撫で下ろす。流石に周りの視線を一身に集めていては、精神的に休まらないというもの。
案内された場所は、今までの休憩所の隣にあり、同じ様にテントで仕切られている場所。ただ唯一違うのは、大幅に面積が減っている点だろうか。中には当然だが誰も居ない為、セリアはポツンと一人で取り残される形になった。明らかに即興で作ったな、というのが分かるほど、こちらは何も無かった。唯一、簡易椅子だけがセリアと同じ様にポツンと置かれている。男性の休憩所には、色々とベンチだの何だのと用意されていたのだが。
どうしようかと悩んだセリアは、取り敢えずその椅子に座ってみることにした。右も左のテントの白に包まれた空間だが、その直ぐ外には湖が広がっていて、かなり落ち着ける。湖といっても、それほど広い物ではない。それでも、無いよりはマシ、という事だろうか。湖の向こうは広々とした公園で、休日には家族連れや恋人達が街の喧騒から逃れるために集まる。クルダスでも大きく発展している王都だが、その端の方にはまだこの様に自然が残されているのだ。
時折聞こえる歓声を背に、セリアは思考を巡らせていた。なんとか二次までは勝ち残った。今後どうなるかは分からないが、なんとかカールに国王陛下に会ってもらわねば。
一見した所、客席に不審な点は見当たらない。出場選手や係員の中にも、怪しい人物は居なかった。観客の方はザウルが回っている筈だが、一人で確認するには無理がある。なので、出来るだけ国王陛下が列席されている場所の近くを見ると言っていた。しかし、陛下の周りは警備も注意を払っている筈である。なので、観客に混じって、という可能性は低いだろう。
こんな派手な場である。カールの言った通り早々に手を出して来る事はしないだろうが、一体どんな方法を使うのだろうか。
そんな風に頭を捻るセリアに背後から近づく影が一つ。
「グッ!?」
突然、後ろから口を何かで塞がれたと思ったら、羽交い締めにされた。それも、かなり強く。急な事にセリアは驚き抵抗するが、全く意味を成していない。混乱しながらバタバタと手足を振るが、空を切るだけである。その間も首を強く絞められ、肺に送られる酸素が少なくなって来た。
「うっ……」
なんだ!?一体どういうことだ!!
焦り出す思考と足りない空気に、必死に腕を振って抵抗する。その瞬間、自分の爪が何かを引っ掻いた感触がした。と思えば、後ろの相手が一瞬怯む。わざとではないが、相手に多少の傷を与えてしまったようだ。その隙を見逃さず、セリアは相手の足の甲を思い切り踏みつけた。
「くっ!?」
急な打撃は相手も想像していなかったのか、一瞬緩んだ拘束から抜け出し、セリアは咄嗟にテントの外へ転がり出た。そして敵を確認する為バッと振り返る。しかし、後ろには人の影は見当たらず、すぐ横で誰かが走り去る音が響いた。反射的に視線でその後を追うが間に合わず、確認出来たのは競技場内へ消えて行く黒い影だけ。その後を追うが、その姿を見失ってしまった。
「……………………」
一体なんだったのだろうか、今のは。感じたのは確かな殺気。首を絞める力が相当の物だったことから、本気で殺意があったのだろう。しかし、何故自分を……
敵に取って自分は何の関係も無い存在の筈である。確かに、国王陛下に対する謀反の企てを承知してはいるが、相手がそれを知る術は無い筈である。こういった事を恐れて、自分は候補生以外の誰にも話していないのだから。それは、候補生達も同じの筈だ。では今自分の首を占めていた人物は、一体何の目的があったのだ?
疑問に思っても、返って来る声といえば、再び湧き上がった歓声のみであった。
ここまでは何とか来れたけど、後はどうする。まだ動きはないけど、ただ待っているだけも出来ない。そんな事してる間にも、時間は少なくなってきてるのに。
とにかく、もう一瞬も気は抜けない。