試合 2
校長室では、先程から上機嫌で高笑いしている校長をクルーセルが微笑ましく見守っていた。
「嬉しそうねぇ、校長」
「それはそうだろう、クルーセル君。こんな面白い事はない」
そう言って校長が広げてみせたのは、各クラスから提出された競技会への立候補者の一覧だ。その中からある者の名前を見つけ出した校長は、その瞬間から今まで笑い続けている。クルーセルも同様に喜んでいる様で、クスクスと忍び笑いを響かせていた。
逆に、校長の笑いの原因である、己のクラスから立候補した者の名前を書いた紙を持って来たヨークは、顔を青ざめている。その横に立っているハンスも、笑顔とは程遠く、何処か不満を隠した様な顔だ。
「校長、本当に宜しいのでしょうか?私としてはやはり賛成しかねるのですが…」
「その通りです。仮にも女生徒が剣技など」
「代表決定戦への出場は許可したのですが、もしお怪我でもされたら」
「そもそも、この名門校フロース学園の生徒たるもの、慎みと奥ゆかしさを持って行動すべきです。にも関わらず彼女は次から次へと。彼女が伯爵令嬢である事をふまえれば、候補生達よりも質が悪い」
ハンスにしてみれば、女生徒が剣を振り回すなど考えられない事なのだ。逆にヨークは、あの何処か頼り無さげで、見ているだけで危なっかしい少女に剣など握れるのか、と危惧している。ブツブツと日頃から溜まっている不満を洩らすハンスと、不安を募らせるヨークに、校長が言い聞かせる様に言った。
「まあ二人共、そう心配をするな。全ては代表決定戦が決めるだろう。もし、彼女に実力が伴っていないのであれば、それは結果として出る。焦っても仕方ないだろう」
「………ですが……」
「それに、本人が強く希望しているのだ。若さ故の冒険、というのも好いものだよ」
どんな些細な物事でも、それを思い切り楽しむ傾向があるこの校長こそ若い、というより子供っぽいと言った方が適当かもしれない。隠す事もせず渋い顔をするヨークとハンスを気にする事なく、ハハッ、と愉快そうに校長は笑い続けた。そんな大事にはならないだろう、と校長は軽く考えているように見えるため、その言葉に説得力は殆ど見られない。試合で彼女に力がなければそれまでだろうと、言っている事自体は的を得ているのにだ。
「それはそうなんだけどねぇ……」
同僚と上司の会話を、微笑ましく聞いていたクルーセルがポツリと零した言葉は、残念な事に誰の耳にも届いていない。
代表決定戦を控えたセリア達は、稽古場で猛練習中であった。といっても、彼等に練習など必要ないようにも思うのだが。試合に備えて自分達も、と集まっていた他の生徒達は、候補生達の姿を見るなり遠慮してそそくさと退散してしまった。その為、今稽古場には候補生とセリアしかいない。自由に動き回れるので、それはむしろありがたいのだが。けれど、セリアにはどうしても多少の申し訳なさが込み上げて来る。候補生達は慣れているのか気付いていないのか、皆平然としていたが。
多くの生徒が去った稽古場からは、剣と剣が交わる音に混じって、候補生達の会話も聞こえて来た。
「それに、しても……こんな時に、仕掛けてくる、ってことは」
「王宮内でも、怪しまれている……という事か……」
「だから誰の……所為にでも出来る……競技会、ね」
息を切らしながら、それでも会話を続けるセリアとランは、尚も剣を下ろさない。真剣に相手を見据え、反撃の機会を窺っている。会話をしながら、それでも軽い動きで剣を繰り出す姿勢は、流石というべきか。
敵にとって、人の多い場所で行動を起こす利点といえば、考えつくのは容疑者が格段に増える事だ。つまり、王宮内では足がつき易い、という事だろう。しかし、人が多ければ、それだけ目撃者が増える危険も増える。その事を顧みずそれでも事を起こそうというなら、一体どの様な手を使うというのか。
腕に疲労を感じ始めたセリアが身を翻してランの突き出す剣を躱し、そのまま腕を振り下ろした。捕らえた!と思ったが、それは次の瞬間防がれてしまう。途端に、金属と金属がぶつかり合う鋭い音が辺りに響いた。
「アルディ男爵って、たしか……」
「コーディアス侯爵とも……親交があったと、聞いている」
「王弟殿下も、何も知らない、ってわけじゃ……ないわよね」
「恐らく……」
例え自分達の憶測だとしても、王弟が野心家だという噂を聞けば、それがあり得ない事ではないと言える。しかし、まだ何の確証もない。自分の聞いた来月の末という言葉が、この競技会を示しているのかも定かではない。 思い過ごしならばそれに越した事はないが、やはり警戒するくらいはした方がいいだろう。
その後、長く続いた剣の攻防を制したのは、セリアであった。
今まで剣と問答を交わしていた二人は、ランの負けを確認しながら息を整える。その様子を、遠くからイアン達は感心しながら眺めていた。
改めて見ても、セリアの腕がかなりのものだというのを感じさせる。体力こそ無いかもしれないが、それも自分達男と比較した場合だ。もし、深窓の令嬢等と比べれてしまえばその差は圧倒的であろう。そして、女性特有の身の軽さは確実に相手の動きを捕らえる。この分なら、代表決定戦も問題無い筈だ。何より、あのランやカールと互角に渡り合い、何度も負かしているのだから。もしかしたら競技会でも優勝してしまうかもしれない。
「二人共、お疲れ様」
稽古場の真ん中から戻って来る二人に、ルネが労りの言葉をかけ、それにセリアも笑顔で返す。けれど、体力も限界に近い所まできている為、その笑顔は何処か頼りない。もう一戦ランと交えれば、いとも容易くその剣を弾き返されてしまうだろう。
フゥ、と息を吐きながら稽古場の端にあるベンチに腰を下ろしたセリアは、そのまま次の試合に移る候補生達を眺めていた。彼等は次々と試合をやってのけるが、自分は連続で勝ち続けることはできないのだ。これが、他の生徒が相手であったのなら問題は無いのだろうが、相手がラン達では到底適わない。毎回、多少の休憩を挟む必要がある。
彼等のように、もう少し体力があれば、と思うのだが、それは流石に望めそうにない。
そんな事を考えていると、遠くで再び剣が弾かれる音が響く。イアンの握っていた剣を、ランが跳ね返したのだ。先程あれだけ動き回っていたというのに、この自分との差はなんだ。と、手合わせには勝ったにも関わらず、セリアは悔しさを覚える。
自分もいつまでも休んではいられない、と勢いよく立ち上がり、ベンチから離れた。
「セリア、もういいのか?」
「うん。全然平気」
「じゃあ次はカールだな」
あらかじめ誰と試合をするか決めていた彼等は、セリアの次の相手を呼ぶ。競技会が迫った候補生達は、一日少なくとも一回はお互い剣を交える様にしていた。といっても、剣技で出場する三人同士の手合わせが主であるが。
ちなみに、馬術も全員でイアンの練習に付き合っていたりもする。唯一ルネだけが、毎朝一人で弓を射ているのだが、これは集中力を要するこの競技は一人の方が効率が良いと言ったルネの希望だった。
一陣の風が吹く中、セリアとカールは稽古場の中央で剣を手にお互いを睨み合っていた。といってもカールの場合、四六時中相手を睨んでいる様にも感じるが。そんな事をセリアが考えていれば、それを敏感に感じ取ったのか、カールの瞳がより一層冷たさを増す。それにセリアもひぃっと内心悲鳴を上げた。
ランとの手合わせではそうでもないが、カールとの勝負は毎回、身を切る様な緊張感が襲う。恐らく、カールのこの冷たい雰囲気がそうさせるのだろうが。
「はじめ!!」
目の前の敵にすっかり集中していたセリアは、試合開始の合図を理解するのに、一瞬遅れてしまった。その間に、自分を射抜いたバイオレットの瞳が迫って来る。
確実に自分の手にしている剣が捕われそうになった瞬間、セリアは反射的に後ろに引く。それを追う様に、相手の剣が突き出されて来た。それを己の剣で防ぎ、力を込めて振り払う。
「ところで、せめて、国王陛下に………危険はお知らせした方が、良いんじゃないかと、思ったん、だけど……」
「そうした所で……それをどう証明、する積もりだ」
セリアは、今思い付いたかの様にカールに聞いてみた。流石のカールも、動きながらでは言葉が切れる様だ。それも相手がセリアやランの場合に限るのだが。
カールの冷めた声が発した答えに、セリアもうっと言葉に詰まる。確かに、ただの学生が何を言おうと、立証出来なければ戯れ言に過ぎないだろう。そもそも、自分達の話しを聞いてくれる様な人物だろうか。仮にも一国の王なのだ。根拠の無い言葉に耳を貸してくれるか、分からない。
「カールは……お会いしたこと、あるんでしょう」
こうして友人として手合わせしているカールは、ローゼンタール公爵家の嫡男。陛下の信用も熱く、忠臣である家の跡継ぎだ。何度か王宮にまで足を運んでいる上、彼の婚約の時は陛下自らの承認も得た。
交えた剣の先で頷いて見せたカールに、セリアの中に僅かな好奇心が湧く。
「どんな方だった……」
「……なに」
「国王陛下……どんな方だろうと、思って」
「…………」
突然の質問に、カールも戸惑っているのか、中々答えようとしない。しかし、その内に口を開いた。といっても、突き出される剣の力は少しも緩まないが。
「陛下、と呼ぶに相応しい方、だな……」
その言葉にセリアはかなり驚きを見せる。あのカールが、相手に対しここまで敬意を見せるとは珍しい。セリアは剣を振るいながらも感心してしまった。
人の器を正しく見極める目を持ったカールだ。もし、相手が尊敬に値しない人物であると感じれば、その容赦ない態度は露骨に出る。取るに足らない存在と判断したなら、興味も示さない。それだけの自信と、それを裏付ける努力があってこその行為だろうが。
そのカールが、おそらく彼にとっては最高、といっても良い程の言葉で表しているのだ。
「立派な方、なのね」
セリアの言葉にカールは無言で頷く。
長いクルダスの歴史を紐解けば、愚王と呼ばれる存在が国を統治した時代があった事は否めない。それが、どういった行いによってその様に評価されたかは様々だが。しかし、今は違う。英明な王である事は、クルダスの情勢からも窺い知れる。そして何より、実際に合った事のあるカールがこの様に言うのだ。
「なら、絶対に、何とかしないと、ねっ!!」
最後の言葉と同時に、セリアは勢い良く腕を振り抜いた。それと同時に、鋭い金属音が辺りに響く。
一瞬の時が止まった様な錯覚の後、セリアの視線の先では己が弾き飛ばした剣が転がっていた。
「フン。当然だ……」
先程まで握っていた筈の剣が、後ろに転がっている事を確認したカールが、それでもどこか満足そうに頷いてみせた。
先に温室へ戻っていてくれ、と言い残したセリアは急いで着替えを済ませていた。早足でこの場まで来たセリアだが、やはり女子の更衣室は遠い。早めに着替える積もりだが、彼等には先に帰っていてもらう事にした。
申し訳程度に建てられている上、殆ど見向きもされないこの場所は、所々がたついている。セリアが使用するようになる以前は、殆ど誰も見向きもしなかった場所なので仕方ないが。他に利用する者といったら、他生徒や教師に隠れて逢い引きする男女くらいだろうが、それも少ない。何もこんな場所でなくとも、他にもよっぽど雰囲気の好い場所はあるのだから。
年頃の娘とは思えぬ速度で着替え終え、乱れた髪もそのままに、セリアは足早に更衣室を飛び出した。年頃の娘ならば恥じらいを見せ、もう少し身だしなみを気にしたりするのだろうが、そんな事は欠片も望める筈がなく。セリアはただ、一刻も早く温室へ辿り着く事だけを目的としていた。
「セリアちゃ〜ん」
間延びした声が響いたと思えば、後ろから軽く肩を叩かれる。驚いて振り返れば、案の定クルーセルがいつもの様にニコニコと笑みを飛ばして来た。
「聞いたわよ。競技会に出るんですって?」
「あっ、はい。といっても、まだ代表決定戦に出るだけですけど」
「もう、逞しいんだから。惚れ惚れするわぁ」
セリアよりもよっぽど女らしく、寧ろ乙女らしく絶賛してくるクルーセルに、セリアも何と言ったら良いか分からず苦笑する。逞しいと言われた事に、喜ぶべきなのだろうか。残念ながら、悲しくもないが、嬉しくはない。
突然現れたクルーセルを無視して温室へ走る訳にもいかず、かといって温室に居る彼等を待たせる訳にもいかず、セリアは遅くも速くもない、なんとも微妙な速度で歩みを進めた。その速度に、クルーセルも文句一ついわず合わせる。
「だからイアン君達も骨抜きにされちゃうのよねぇ」
「……はっ?」
「ああ、いいわぁ。戦うお姫様なんて、憧れちゃう」
「………は、はぁ……?」
そのまま似た様な言葉を繰り返すクルーセルだが、セリアはその言葉の一つも意味を理解出来ていない。しかし、質問すると、更に訳の分からない言葉を連発されそうなので黙っておく。
「でもね、セリアちゃん」
「あっ、はい」
「あんまり無理はしないでね。セリアちゃんは女の子なんだし、危ない時だってあるんだから。」
クルーセルの言葉にセリアはうっ、と詰まった。言われなくとも、何度もその危ない目に遭遇しているのだ。しかし、クルーセルにまで言われるとは思っていなかった。候補生達にも言われたが、そんなに無謀をしている様に見えるのだろうか。
しかも、クルーセルの目がいつもと違い、どこか言い聞かせる様に見えるのも気になる。普段なら、もっと軽い感じで話しかけてくるのに。
「でも、セリアちゃんの勇姿は是非とも見てみたいけどね」
「は、はぁ……」
そう言って片目を瞑って見せたクルーセルに、セリアはもはや何と言って良いか分からなくなっていた。
少なからずクルーセルに「女の子」と言われた事に引っ掛かりを覚えたセリアは、トボトボと道を歩いていた。まるで、競技会に出るな、と言われた様でどうも気になる。直接な言葉はなくとも、何となくそんな意を含んだ様な目だったのだ。セリアがただそう感じただけかもしれないが。
それ以前に、真面目さは無くとも、妙な説得力はあった。危険が伴うだろう、というクルーセルの意見ももっともだ。たとえ、彼とセリアの言う危険の意味するものが違っていたとしても。
競技会に出る事を躊躇う訳ではない。自分が名乗り出る事を快く思わない者が居る事も想定内であった。ただ、ハンスや他の者ならともかく、クルーセルが真っ先に釘を刺して来るとは思っていなかったのだ。
「セリア殿、どうかされたのですか?」
「えっ!?」
いつの間にか温室に着いていたらしい。俯き加減で考え込んだまま無言で入って来たセリアに、候補生達は心配で声を掛けたのだ。
「なんかあったか?」
「心配事?」
そのままザウルの声に反応した様に顔を上げてセリアを覗き込むイアンとルネ。赤みがかった瞳と深緑の瞳がジッとこちらを見詰めて来る。
「競技会の事で、何か気になるのか?」
「フン。今更怖じ気づいたのではあるまいな?」
最後に何時もの様に鼻で笑ったカールが、呆れた様に尋ねて来た。いつもの軽い挑発だと分かってはいるが、ぼんやりしていたセリアは咄嗟に反応してしまう。といっても、普段からセリアはカールの煽る様な言葉に少なからず反発してしまう事が多いのだが。
「ま、まさか!」
「だったらさっさと顔を上げろ。やるべき事は残っている筈だ」
冷たく言われセリアは言葉に詰まった。今はもう慣れたとはいえ、やはりカールの冷えきった声にセリアは何も言い返せない。
「カール、言い過ぎだ。セリアにも悩みや不安くらいある」
「これがそんな可愛気のある思考する筈がなかろう。そんな事も分からないか」
「お前は人への配慮をもう少し表したらどうだ?だから政策もすぐ強引になるのだ」
「ほぉ。貴様こそ、その甘い思想を改善するべきではないのか」
なんだかカールに若干失礼な事を言われた様な気がしないでもないが、再び火花を散らし始める二人を、セリアはオロオロと見比べた。ランは段々と温度を上昇させているし、逆にカールの周りは急激に冷え始めている。こうなった二人は最後は犬も食わない様な舌戦に突入するので、始末が悪い。
その様子にイアン達は忍び笑いを始めてしまった。以前は二人の様子を心配そうに見守ったりもしたが、今は仲裁役がいるので大丈夫だろう、くらいに考えているのだ。
目の前で早々に臨戦態勢を整えつつある二人に、どうしたものかと頭を悩ませるセリア。こうなった二人が、何を言っても聞かない事は既に分かっている事だ。実は止めるのも面倒なのだが、ここで抑えなければ二人の壮絶な舌戦を聞かされ、運が悪ければ巻き込まれたりもする。なので渋々だがセリアも必死にランとカールを落ち着かせようとしていた。
こちらにまで被害が及ぶ様な事態に持ち込むものか、と二人を必死に止めようとするセリアは、クルーセルに言われた言葉で先程まで悩んでいた事など、既に忘れ去っていた。
あっという間にこの日が来ちゃったけど、皆は大丈夫かな?特に心配なのはやっぱりセリアだよね。気を張りすぎて怪我しなければいいけど。まあ、そんなに気にしなくても大丈夫だとは思う。
今の所は何処も問題なさそうだけど。でも、僕達の予想通りだったら、やっぱりこの後……
でも、その事ばかり気にしてたから、気付けなかったのかな。