試合 1
学園内の、丁寧な細工が施されたテーブルやソファが置かれた校長室は豪華だ。しかし今校長が居る場は、そことは比べ物にならない程質の良い調度品が揃えられている。大きさも桁違いで、漂う空気すら輝いている風に感じるのは、決して気のせいではないだろう。
その部屋で向かい合った椅子に座った男二人は、目の前に置かれた盤の上でチェスの駒を何処か楽しそうに動かしていた。
「まったく驚いたぞ。いきなり連絡してきたと思えば、一言目に王国軍を貸してくれとは」
「まあそう言うな。可愛い生徒を守る為だ。それに、そちらにも有益ではあっただろう」
「その事は感謝しているさ。中々尻尾を見せない上に、こちらの動きには敏感だからな」
軽い口調でフロース学園校長が会話している相手は、黒のビショップを進めた。そしてそれは校長が操る白のナイトを倒す。
「まったく、最近の生徒達は無鉄砲で困っているのだよ。まるで、昔の誰かを思い起こさせる」
「無鉄砲はお互い様だろう。お前も十分教師達の悩みの種だった筈だ」
男の言葉に笑みで返した校長は、白のポーンで己のナイトを奪ったビショップを盤の外へ追い出す。
「まあ、それは否定しないがな。それより、お前も忙しい身だろう。そろそろ負ける気はないか?」
「お前を勝たせてやるくらいなら、例え国の存続に関わろうと駒を動かす事に専念するさ」
校長の問いを受け流すと、男は黒のクイーンを動かす。
国の最高位に君臨する筈の男の言葉とは思えない発言だが、彼も本気でそんな事を考えている訳ではない。ただ、目の前に座る昔からの友人に、そう易々と勝ちを譲ってやる気が無いだけだった。
「それで、例の件はどうだった?」
「他でもないお前の提案だ。私はそれなりに信用しているが、彼等を納得させられるかはお前と今後の流れ次第だな」
「そうか。それは良い傾向だ」
「……随分自信たっぷりじゃないか」
そう言われた校長は、それは嬉しそうに己のクイーンを動かす。
「それはそうだろう。私が見出した宝石だ。輝かない筈がない」
「まあ、今回の事を見れば、お前がそこまで押す理由も分からないでもないがな」
黒の駒を操る男に、校長はうんうんと頷いてみせる。なにしろ、歴史からも排除され、存在すら知られていない組織の隠れ家を見つけ出し、自分達でさえ手を焼いていたにも関わらず、それを壊滅に導いたのだから。
その話題が持ち上がった途端、それまでにこやかに話していた校長が、途端に目を細め真剣な表情を作る。
「しかし、警備が甘かったな。私の生徒が命を張って捕らえにいったというのに」
「例の事ならこちらも驚いている所だ。恐ろしいほど動きが早い」
指摘された点に、男は苦虫を噛み潰した様な顔をする。
校長が警備が甘いと言ったのは、王国軍が捕らえた筈のアルディ男爵が一晩の内に変死した件だ。デナトワーレの中で、今回の事の裏を知っているだろう人物は彼のみ。彼が居ない今、残ったのは本当に蜘蛛を崇拝する者だけだ。つまり、首謀者も目的も、アルディが口を利けない状態にされた今となっては、知る術が無い。黒幕におおよその見当はついても、それを裏付ける決定的な証拠を失ってしまったのだ。
「その日の内とは予想外だったな。自殺する隙を与えたか……」
「もしくは、敵もそう甘くはない、ということかな」
「どちらにしろ、厄介な相手だという事に変わりはない」
二人の男は真剣な顔をしながらも、チェスの駒を動かす手を止めない。今の所、男の操る黒の駒が比較的優勢に見えるが、双方負けてやる気はさらさら無いらしい。
「それで、どうする積もりだ?敵の策にまんまと乗ってやるのか?」
「私の身を案じてくれるのは有り難いな。まあ、ここはお前の生徒を信じてみようと思っている」
「それは光栄だな。ついでに言うと、お前の負けだ」
「むっ!?」
言われて盤に目を落とすと、白のクイーンが黒のキングをチェックメイトしていた。さっと目を動かしても、キングが逃れる術は無い。完全に追い込まれてしまった。
「これは幸先が良いな」
「成る程……お前のクイーンがこちらを負かすと言いたいのだな」
「負かすとは人聞きの悪い。しかし、クイーンにキングが敗北したのは事実だな」
ハハッ、と笑う校長に男は恨めしそうな眼を向ける。久しぶりの対局を負け戦にするのは面白くないが、仕方ない。愉快そうに笑い続ける友人に、男も釣られて笑みを作った。
「来月の末?確かにそう言ったのだな?」
確認する様に聞いたランに、セリアは力強く頷いた。あの後、学園で自分達を出迎えた校長と教師数名に、無事であった事を安心されたり、無謀な行動を咎められたりと、色々あって候補生達に話す機会が無かったが、数日後に漸く伝える事が出来たのだ。
「どういう事だ?それまでに七人とは」
「それは私にも……」
助け出された後も、セリアはアルディと神父の言っていた、来月の末までに、という言葉がどうしても引っ掛かっていたのだ。セリアにとっては全く意味の分からない言葉だが、候補生達には何か思い当たる点がある様で、瞬時に難しい顔を作った。
「来月っていうと、あれだな」
「だとすれば、やはり目的は………」
そのまま話しを進めようとする候補生達に、セリアは疑問符を浮かべる。その様子に気付いたのか、候補生達が説明しだした。
「来月にはな、競技会があるんだよ」
「競技会?」
「知らないのか!?」
キョトン、と聞き返したセリアにイアンが逆に驚いた。剣が得意な彼女が、競技会を知らないとは思っていなかったのだ。しかし、セリアが女性だということと、彼女がフロース学園へ来る前の学園の名を思い出して納得する。
「まぁ、ワイトローズ学園じゃ仕方ねえか」
「……?」
競技会。それは一年に一度、クルダスの全州の高等学校の中でも選ばれた生徒が集まり、それぞれの分野で己の技を競い合う日だ。王都で行われるこの行事だが、フロース学園は何年もその栄冠を守り抜いているらしい。少なくとも、入賞者を出さなかった年は一度も無いという。競技は、剣、馬、弓、等に分かれ、それぞれの優勝者を決めるのだ。
「でも、それが今回の事と関係してるの?」
「デナトワーレの犠牲者が王弟殿下王位継承に反対していただろう?」
イアンの言葉にセリアはゆっくりと頷く。
「その競技会には、国王陛下も参列されるんだ」
「えっ!?それって………」
ランの言葉にセリアは驚きに目を見開いた。
こうなってしまえば、どんなにそれが恐ろしい予想であっても、何が起こるか大体想像出来てしまう。
「ま、まさか……いくら何でも……」
「では、他に何か思い当たるか?」
カールの止めの一言に、セリアは押し黙った。
王弟殿下の王位継承に反対した者が次々と理不尽な制裁を受けた。反対する者を煩わしく思う理由は、王弟殿下が王位を継ぐ機会が近づいたから。しかし、今も国王は健在で、例え王位継承権を保持していようと、まだ王位に就く事はあり得ない。しかし、来月の末までに、力のある王弟殿下に反対する者が標的とされた。そして、同時期に国王は安全な王宮から離れる。
これらから考えられる事は一つ。
「お、落ち着けって!」
「どう落ち着けって言うのよ。王弟殿下王位継承よ!国王暗殺よ!!」
「だからって、何をする積もりだよ」
「何だって出来る事はあるでしょう。噂を流すだけだって、陛下の周りの警戒が強まるんだから、その分だけでも安全になるわ」
座っていたガーデンチェアからガタッと音を立てて立ち上がり、温室から出て行こうとするセリアを、イアンが後ろから抱え込んで止める。咄嗟だった為につい後ろから抱き込む形になってしまった事にイアン自身も戸惑うが、それどころではない。
戸惑うイアンを他所に、それでも外へ出ようと抵抗を続けるセリアだが、そんなもの男の前では全く無意味に終わっている。それでも構わず尚も出て行こうとするセリアには、流石のイアンも呆れてしまった。つい数日前にその行動をキツく注意したばかりだとういうのに。
しかし、セリアが焦るのも無理はない。自分達はいち早く情報を掴んだのだから、何らか事は起こせる。だが、それもその場凌ぎだ。何より、相手が大き過ぎる。少しの動きを見せた所で、根本的な解決には至らない。
「だからって、何もしないなんて」
「今は手を出すな」
冷めた口調のカールが発した声に、セリアは抵抗を止めそちらを向いた。そこでは腕を組み、偉そうにベンチに座っているプラチナブロンドの少年。
「どうして……?」
「敵が自ら飛び込んで来ようと言うのだ。その場で捕らえるのが一番効率的であろう」
「でも…それじゃ陛下が……」
「例え今回を凌いだ所で、敵を逃がす事と同じだ。敵が内部にいるなら、あぶり出す良い機ではないか」
競技会を逃せば、また敵は内部に潜み、次の機会を狙うだけだろう。それならば、多少の危険を冒してでもその場で叩き潰す方が結果としては合理的だ。
「上手く行けば、大本は潰せなくとも、足下は崩せる。そこから暫くは立ち直れない程に叩く事も可能だ」
「………でも」
そんな事が出来るだろうか。相手の動きも策も分からないのだ。しかも、今回の標的は国王。 それを顧みず危険を冒す程の勝算があるのだろうか。
それでも、カールはその厳しい視線を、変える事はしなかった。
「ええ、先程も説明しましたが……」
不穏な動きがある時でも、フロース学園の授業は何事も無く行われている。セリアが上の空でヨークの話しを聞き流す間も、生徒達は懸命に教師の言葉を拾う。
あれからセリアの頭は競技会の事がずっと占めていた。国王暗殺など、物騒かつ厄介な事になるのは当然。暗殺、とまでいかないにしても、穏やかではない事件は起きるだろう。クルダス国民として、是非とも阻止したいが、自分にはその力が無い。けれど、何か出来ないだろうか。
そんな事を必死に考えるセリアは、ついこの間己の行動で危険な目にあったのは、すっかり忘れている様だ。
「それでは競技会ですが、他に立候補の方はいますか?毎年フロース学園は各競技三人選出する事になっていますが……」
ヨークの言葉にセリアはあっ、と声を上げた。その瞬間クラスの注目を集めてしまったが気にしない。
国王陛下も試合を観戦するなら、試合場こそが一番陛下に近い場所ではないか。直接声が届く様な距離には行けなくとも、少しでも近くに居られれば、何か動きがあった時に対処出来るかもしれない。
そう思ったなら話しは早い。という事でセリアはさっと手を挙げた。
「セリアさん。どうされました?」
「ヨーク先生。競技に性別の制限はありますか?」
「え!?ええっと、一応女性の参加も可能ですが……立候補ですか?」
ヨークは目を見開いた。名目上は男女問わないとされているが、実際に競技に出る女性は無に等しい。たまに勇ましいお嬢様が名乗りを上げても、予選で敗退している。それ以前に、各校が選出する選手の中に入れるだけの実力を持った令嬢は、数が限られている。
それを、地味でいかにも鈍臭そうな少女がやろうと言っているのだから驚きだ。しかも、毎年優勝者を出し、マリオス候補生という実力者が居るこのフロース学園で。
驚くヨークに、セリアは変わらず凛とした顔を向けていた。
「剣技の選手に立候補した!?」
「うん」
驚く候補生達を他所に、セリアは真剣な顔で頷いてみせた。その様子に候補生達は顔を見合わせ困惑した表情を作る。しかし、セリアの考えを聞き納得した。
「確かに、それが今は一番良いかもしれないな」
この少女の実力なら、間違いなくフロース学園の代表として勝ち残って来るだろう。だとすれば、少しでも陛下に近い場所へ行ける。敵の策も方法も、何も分かっていない自分達にとって、それが唯一の手かもしれない。
本当ならば、セリアには是非とも後ろの安全な場所で見ていて欲しい所だが、今回はそうも言っていられない。出来るだけ陛下の周りを信頼出来るもので見張る必要があるかもしれないのだ。その点では、候補生以外の生徒で信頼に値し、尚かつ力量があるのはセリア以外考えられない。
「それは良いとして、認められたのか?」
「取り敢えず、フロース学園からの代表選手を選ぶ試合には参加させて貰える事になったわ」
セリアはこう言っているが、そこまで行き着く為にかなりの葛藤が生じた。
一言で言えば、クラスからの猛反発。男子生徒は、そもそも女性が剣を握る事に嘲りの視線を向け、女子生徒は、そんな候補生達の目に止まる様な、目立つ行為をさせてなるものかと反対。誰もセリアの剣の腕を見た事が無いので、この反応も仕方ないのだが。
それをやっとの思いで鎮めたヨークが、戸惑いながらも許可してくれたのだ。彼には感謝してもしきれない。
「だとすると、剣技の選手は決まってくるな」
「はい。間違いなく、ランとカールの他はセリア殿になりますね」
そういったザウルは、残念ながら例年の如く不参加である。人並み以上の腕を持っているといっても、得意としている競技が無い為だ。彼の特技といえばハモネス伝統の体術だが、残念ながらクルダスの競技ではない。なので、今回ザウルは観客席を見張ると言っている。
イアンも、ランやカールが出る剣技は避け、馬術を選んだようだ。とはいっても、彼の馬術の腕はかなりのもので、間違いなく学園代表にはなるだろう、という話しだ。
気になるルネだが、デナトワーレの件でセリアを救った弓で出場する予定である。セリアは後になって知った事だが、彼の弓の腕はかなり誇れるものがあり、狙った的は百発百中らしい。そんな姿、普段の温厚な天使の微笑みからは想像もつかない。けれど、あの暗い地下で短剣を振りかざすアルディの腕を正確に射抜いた事から、その技量が窺える。
ランとカールだが、当然の如く剣技で参加する事に決めていた。カールは出場辞退するのでは、とも思われたが、ランスロットには負けたくない、と普段の対抗意識が彼を動かしたらしい。
こういう行事にカールを参加させるには、よっぽどの理由かランへの対抗心、そしてルネの鶴の一声を用いない限り、不可能である。
こうなってくれば、セリアが剣技で勝ち残る可能性は低くはない。というより、間違いなく代表入りであろう。学園一、ニを争うランとカールに、まともに対抗出来るのは学園内を探してもセリアだけなのだから。
なにはともあれ、問題なのは国王陛下である。事態がどう動こうと、敵が国の君主の命を狙っている可能性があるのだ。その事が、今候補生達の頭を最も悩ませている事であった。
今回は、流石に下手には動けないな。だからって、慎重にとも言ってられねぇけど。とにかく、俺達に出来る事はこれくらいだからな。
それにしても、あいつはやっぱり只のお嬢様で収まる様な奴じゃねぇな。