蜘蛛 6
「どうでした?」
「いや。何処にもいねぇ」
散々探し回ったが、結局学園内では見つからなかった。
「やはり、お一人で……」
「だとしても、もう帰ってる筈だろ」
日はとうに沈みきっている。例え王都へ行っていたのだとしても、もう学園へ戻っている時間だ。
「とにかく、寮も確認してみよう」
焦る気持ちを抑え、必死にセリアの身を案じる候補生達が向かった女子寮の前で、意外な人物を見つけた。片手で青髪を弄りながら、不機嫌そうに佇んでいる。
以前もイアンにセリアの不在を伝えた彼女に、候補生は何かを知っていないかと近づく。すると、アンナは予想していたのか、深くため息を吐いた。
「彼女ならいません」
何を聞く前に言われたその言葉に、候補生達も目を見開く。
「何処へ行ったか知らないか?」
「昼頃、駅へ向かってそれきりです」
「っ、!!」
駅へ向かった。それが意味するところは一つ。セリアが王都へ行ったということだ。そして、未だに帰ってない。
考えられる最悪の事態が脳を過ぎり、候補生達は脇目も振らずに走り出した。その後姿を、アンナが再び訝しげに見つめていることには気付いていない。
「あれだけ探して見つからなかったのに、何故こんな時に!!」
「セリア殿が何かを掴んだということでしょうか?」
「だとしたら、何故我々を待てないんだ、彼女は!!」
頭を掻き毟りたくなるほどの苛立ちを抱えながらも、候補生達は必死に足を動かし、セリアを追って王都へ向かった。
「……ん…………?」
ズキリと痛む頭を押さえてセリアは起き上がった。身体に残るだるさは、恐らく薬の所為だろう。
そこまで理解して、自分の状況を思い出すと、セリアはバッと周りを見回した。
床も壁も石ばりのその部屋を照らす光は、天井に高い位置にある窓から射す月明かりと、やせ細り頼りなさげに佇む一本の蝋燭。唯一の出入り口であるのだろう木製の扉へ辿り着く為には、自分の目の前に聳える、無機質な鉄格子を通り抜ける必要がありそうだ。
一言で表せば、ここは牢なのだろう。しかも、かなり古い。何よりもセリアが気になったのは、ここにも所々に蜘蛛の巣が張られている事。そこまで広くは無いため、すぐそこにも銀糸が渦巻いている。
無意識の内に鉄格子に手を伸ばそうとした途端、手首に僅かな痛みが走った。しかも、全く動かない。嫌な予感はするものの、視線を下げて確認すると、両手は後ろ手にしっかりと縛られていた。ご丁寧に足まで縄で纏められている。
完璧に囚われの状態だ。
「あの……」
「えっ!?」
唐突に聞こえた声にセリアは驚く。声の方向を見ると、今まで気付かなかったが一人の少女が自分と同じように縄で拘束されていた。年も自分とそう変わらない。大きなエメラルドの様な新緑の瞳を、これでもかという程見開いている。
「もしや、ダムレス子爵令嬢では……?」
「えっ、あ!はい。シーナといいます。あの、大丈夫ですか?先ほどここへ運ばれてきた時はびっくりして」
「あ、いえ。ありがとうございます。その……どれくらいの時間が経ったか分かりますか?」
「えっと、多分一時間くらいだと思います」
なるほど。アルディの屋敷で眠らされた後、ここへ運び込まれたのか。そして、目の前にいるのはデナトワーレに誘拐された令嬢。ならば、ここは生け贄をその時まで捉えておく為の檻か。
「あの、一体何が起こっているのですか?私、ここへいれられてから怖くて、寂しくて」
「あ、えっと……とにかく、ちょっと待って下さい」
色々と説明したいことも、聞きたいこともあるが、まずはこの体制から抜け出さなければ。
セリアは不自由な足を懸命に動かして、履いていた靴を脱いだ。そして、靴を逆さに向けると、中からある物が転がり落ちる。チャリ、という音と共に落ちたのは、ガラスの欠片。それを後ろで縛られている手で掴み、唯一動く手首を駆使してゆっくりと縄を切った。
アルディ男爵の家でグラスを落とし、その破片を靴の中に忍ばせておいたのだ。セリアとて、大人しく囚われている積もりも、易々と生け贄などになる気もない。
両手両足の自由を取り戻したセリアは、驚いているシーナの縄も切った。
「貴方は、一体……何故こんな場所に?」
「えっとですね。最近貴族の女性が立て続けに殺される事件がありましたよね。あれの犯人に捕まってしまったようでして……なんというか、その……」
デナトワーレは、歴史から排除された存在である。それを話すわけにはいかないのでこの様な説明になってしまったが、シーナに今の状況を説明するには十分であった。こんな場所に囚われてさぞ不安だったろうに、儚げな少女を更に怯えさせてしまうのは憚られたが、仕方がない。
「シーナさん。ここが何処だか分かりますか?」
「えっ?えっと、多分街の中だとは思うんですが、分かりません」
「街ですか?」
「はい。昼になると、あの窓から人や馬車の音が聞こえてきたので」
街ということは、考えられる場所は王都。アルディの屋敷からまた王都まで逆戻りしてしまった様だ。そして、恐らくあの教会の地下だろう。
自由になった手で、セリアは鉄格子を軽く押したり叩いたりしてみるが、見事にビクリともしない。鍵もしっかりとかけられているようで、恐らくこの檻を破る事は不可能だ。それに、たとえ破ったとして、あの扉から無事に地上まで辿り着けるかは分からない。
となると、唯一の脱出手段は……窓
それほど大きくはないが、セリアやシーナなら通れそうである。ただ問題なのは、その位置だ。天井に高い場所にある窓は、手を伸ばしても届かない。もう少し身長があれば問題ないのだが。
シーナが、そこから人や馬車の音が聞こえると言ったことから、恐らくそのまま外へ繋がっているのだろうが。
牢の中には、踏み台に出来そうな物など無い。あるのは、無数の蜘蛛の巣のみ。ならば仕方無い、とセリアはシーナと向き合う。
「シーナさん。あの窓から出られますか?」
「えっ?窓…ですか?多分出られますけど、でも届きません」
「大丈夫です」
そういってセリアは窓の真下で四つん這いになってみせた。
「えっ!?あの……」
「背中に乗って下さい。窓に手が届いたら、そのまま少しぶら下がっていて下さい」
「でも……」
「シーナさん。今は時間が無いんです。お願いします」
そう言われてしまえばシーナも頷くしかない。人を、しかも同年代の少女を踏み台にするなど、かなり抵抗があるのだが、ここは仕方ないだろう。
一言断りを入れてから、シーナは恐る恐るだがセリアの背に乗った。そうすると、窓の縁にやっと手が触れた。そして言われた通りに縁にしっかりと捕まる。
シーナが窓に届いたのを見届けると、セリアは四つん這いの状態から立ち上がり、素早くシーナの足の裏を押し上げた。少女といってもやはり人だ。羽の様に軽い筈はない。これがカール達であったなら、楽々と彼女を持ち上げたのだろうが。などと頭の隅で考えながら、セリアは精一杯力を込めてシーナの足を押す。
「うっ、くぅ……」
少しずつだが、シーナが外へ這い出ているのが分かる。彼女も頑張っている、と自分を奮い立たせる。
あとほんの僅かというところで、セリアは力を振り絞った。
「くっ!!」
「で、出れました」
腕にかかる重さが無くなったと同時に聞こえた声にホッと安堵する。そして内心で妙な達成感を感じた。力が無い細腕だと言ったカールに見せてやりたいくらいだ。
「は、はやく、貴方も」
そう言ってシーナがこちらへ向かって手を伸ばした。しかし、セリアは首を降る。いくらセリアが小柄だといっても、シーナが相手では引き上げる事は無理だろう。それに、手を伸ばして貰っても、僅かに届かない。こうなっては、シーナに救助を呼んで来て貰う以外無いだろう。
「それより、その場所は分かりますか?」
「えっ?ここ、ですか?」
「王都の中の筈なんです。出来れば、警察にこの場所の事を……」
「っ!!ダメです!!」
へっ?と思ったセリアが驚くが、シーナは気にせず怯えた様な目をする。
「わ、私見たんです。警察の制服を着た方を、その牢で」
「えええええ!?」
ということはやはり、内部に協力者がいた、ということか。だとすれば、現場から証拠が見つからないのも、こんな王都の中に集会場があるにも関わらず見つけられていないのも頷けるかもしれない。
しかし、それではどうすれば良いのだ。今の今まで捕われていたシーナに、あまり目立つ行動はさせられない。
だとすれば、今考え付く方法は一つ。
「学園都市に行って貰えますか?」
「が、学園都市に?」
「フロース学園へ行って、マリオス候補生に会って下さい」
「イアン・オズワルト様達ですか…?」
「し、知っているのですか?」
「ええ。勿論です。お会いした事はありませんが」
セリアは気付いていないが、実力と地位、誰もが振り向く潤わしの美貌を備え持ち、社交界で常に注目を集めてきた候補生達を知らなかった年頃の娘はセリアくらいなものなのだ。
知っているのなら話は早い。候補生達にまた頼ってしまう事になってしまうが、他に手が無いのだ。彼等にこの場所を伝えて貰うしかない。
「とにかく、人の居る場所まで行って下さい」
「分かりました。本当にありがとうございました。お気をつけて」
そう言ってシーナが去って行くのを確認すると、セリアははぁっと息を吐いた。
彼女が逃げたのがバレるのも時間の問題である。それまでに彼女が安全な場所まで逃げ切ってくれるか。恐らくそれは心配要らないと思う。それよりも、彼女が候補生達へこの事を知らせ、彼等がこの場へ辿り着くまで、自分の命が保つかどうか。
生存できる確率は五分と五分だろう。しかし、万が一の場合になっても、確実にデナトワーレの件は解決へ向かう。あとは時間との勝負、といった所か。
セリアがそんな事を考えていると、早速扉の方から音がした。それを聞いた瞬間、顔からサッと血の気が引く。
まずい!幾ら何でも早過ぎるではないか!
絶望感に打ち拉がれるセリアの目の前で、無情にも扉は開かれてしまった。外から顔を出したのは、釣り眼の男。見るからに柄が悪そうで、狂信者というよりは、不良といった方が良さそうだが。
恐らく確認に来たのだろうその男と、薄暗い中で目がバッチリ合ってしまった。拘束していた筈の縄は無惨に切られ、囚われの少女の数が足りない事に気付いたのか、男は目を見開いていた。
「チッ!!」
「あっ……」
サッと身を翻して扉の後ろに消えて行く男を、セリアは内心悲鳴を上げながら見送っていた。
「………………」
「……………………………」
今、セリアが閉じ込められていた部屋の鉄格子の扉は開かれている。手足も拘束されている訳ではないので、逃げようと思えば逃げられる筈だった。目の前に立ち塞がる、この男の存在さえ無ければ。
ジロリと見下ろして来る視線を、負けるものかと懸命に睨み返す。先程から睨み合いの攻防で、微動もしないアルディ男爵は、かなりご立腹の様子だった。その怒りは、セリアにも十分伝わっている。
「……どうやら、私は君を甘く見ていたようだ」
「……………」
「縄を解いただけでなく、囚われのお姫様を逃がすとは、随分と勇ましいお嬢さんだ」
「……………もう無駄よ。シーナさんが今頃は警察へ逃げ込んでいる筈だもの」
セリアの精一杯の声に、アルディは動揺するどころか、肩を揺らして笑い出した。
「それは結構だ。そうしてくれた方がこちらにとっても手間が省ける」
「…………」
やはりか。
アルディが声を殺して笑っている間も、セリアは内心で新たな確証を得ていた。やはり警察内に協力者が居たのだ。鎌をかけただけなのだが、このアルディという男は、どうも多くを語る傾向がある。
「しかし、今夜彼女を逃したのは我々も歓迎出来る事態ではないな」
「うっ!!」
アルディが言い切ると、空気を切る音と共に頬に衝撃が走った。そのまま横に倒れ込んだと同時に、右の頬が異常な熱を持つ。ジワリと痛みが浸透する頬に手を添えながらアルディを見ると、その腕に見覚えのある物が乗っていた。
蔓草の中心に居座る蜘蛛。デナトワーレの紋章だ。そしてそれが彫られている位置にも覚えがある。
「まさか、あの時の!?」
「………やはり、君はただのご令嬢では無いようだね」
カールの屋敷からの帰り、女性の死体を王都の道端に捨て、セリアにナイフを突きつけたのは、この目の前の男だったのか。だとすれば、セリアがあの教会に居た時点で、標的にされていたのだろう。
「既に客は集まっている。予定では彼女を捧げる筈だったが、君に変わりを務めてもらうとしよう。それに、これ以上何かをされては困る」
「し、しかし男爵。来月の末までに消す筈の者が、まだ七人は残っています。間に合いますか?」
「だからといって、今から子爵令嬢を連れ戻すか?それこそ時間の無駄だ。それに、もう儀式は始まっている」
何時の間に後ろに構えていたのか。あの教会であった神父がアルディに慌てた様子で問いかける。その言葉にセリアは首を傾げる。
来月末まで、とはどういう事だろうか。王弟殿下の即位反対を唱えた貴族に対する成敗の意味で、デナトワーレを利用していたのだとしたら、期限が決まっているのは可笑しい。あまりこの件を長く続けたくないのだとしても、来月とは早すぎだ。
「あと一時間程の命を、存分に楽しむ事だ」
そういったアルディは、セリアの拘束を隣に控えていた男に命じると、背を向け扉の奥へ消えてしまった。その後ろを、先程の神父も急いで追う。
一時間。それでは、シーナが学園都市へ辿り着けても、候補生達がこの場へ来るまでは保たないだろう。ここでまた拘束されてしまえば、もう逃げ出す手だてが無い。そう思っても、再び縄で後ろ手に縛られてしまった。今度こそお終いか、とセリアも覚悟を決める。
その間も、アルディと神父の言っていた来月の末まで、という言葉がどうしても気になっていた。
悔しい。折角ここまで来たのに、こんな事になるなんて。結局、カールの言った通りなのか。だからって、大人しくやられてやるものか。私だって最後の抵抗くらいする。
彼等がどうして、ここに居るんだろう?