蜘蛛 5
汽車の車両がゆっくりと停止した駅から、セリアはひょっこりと顔を出した。目の前では同じ様に駅から出る人間や、反対に入って行く人間で溢れている。時間的にも早いので、目的も様々だ。
もうコレで何度目かになるが、やはり王都の華やかさには毎回感心してしまう。
少し人の波を眺めていたセリアだが、何時までもぼぅっと突っ立ってはいられない。行き交う人々の間をすり抜け、セリアはさっさと歩き出した。ヨークに教えられた「教会」という言葉を頼りに、王都を探しまわる積もりだ。
流石にセリアも王都中の教会を回ろうとは考えていない。まずは以前見た、影が女性の身体を置き去りにした場所へ赴く事にした。既にあの場所の周りは候補生達と探しまわってみたのだが、今回はあの時とは違う。教会という当てがあるのだ。
なんだかそれだけでもう見つかりそうな気がするセリアは、王都内で乗合馬車に乗り込み、早速あの場所へ向かう。
以前来た時に迷子になった所為で、あの後候補生達に必要以上に執拗に道を教え込まれた。そのお陰で、今はこうして迷う事なく目的の場所へ辿り着ける訳だが。
近くへ着いた馬車から降りると、セリアは身を引き締めた。この近くに何か無いかと必死に視線を彷徨わせながら、早足でその道を進んで行く。
フラフラと歩き回っていた所為か、気がつくと自分の知らない道へ入ってしまっていた。大通りから大きく外れ、どうも裏道っぽい。日はまだ沈み始めてもいないのに、かなり薄暗く、気味が悪い。野良猫ですら嫌がって近づかなさそうである。それでも、全く人気が無い訳ではなく、遠くの方からは姿はなくとも幾つか足音が聞こえてくる。時折、ぼんやりと人影も見えるので、人は居るのだろうが、かえって怪しさを強調しているだけだ。
やはり気味の悪さに耐えられなくなり、セリアは引き返そうと思い踵を返す。しかし、どちらへ行けば良いのかさっぱりだ。サッと視線を彷徨わせるが、今自分が居る場所に心当たりが全く無い。
うっと絶望しそうになった時、通りの奥に人影を見つけた。これは幸い、とばかりにその影に近寄る。
「す、すみません!」
セリアの声に振り向いたのは、野菜の詰まったバスケットを提げた、気の良さそうな年配の女性だった。幾ら気味が悪いといっても、この道は王都のあちこちへ続いており、ちょっとした近道なのだ。その為、時間によってはこの道を利用する者も少なくはない。
女性は突然現れた栗毛の少女に一瞬目を見開いたが、すぐに笑みを返す。微笑みかけてくれたことに、セリアはホッと胸を撫で下ろした。
「なんですか?」
「そ、そのですね……っ!?」
女性に追いついたセリアがふいに横を見ると、そこにはかなり古びた扉がひっそりと構えていた。大きさ的にはそれなりなのに、どうも存在感が無い。後ろには所々に亀裂が入った壁が広がっている。視線を動かし全貌を確認すれば、そこには間違いなく教会の役割を担わされた建物。
「あの、その建物について教えて下さい!」
「はっ?」
セリアは思わずそう口走っていた。
急な問いに、どことなく不審気な視線を送って来る女性。それにセリアははっとして自分の失態に気付く。いくらなんでも、これは怪し過ぎるだろう。
「あ、あの、その。教会みたいだったので、その………」
必死に弁明しようと口を動かすが、上手い言葉が思い付かない。
女性は、あまりにも慌てるセリアを多少不審に思ったものの、見た目や雰囲気から害は無さそうなので、質問に答える事にした。
「そうね。確かに教会よ。随分長い間放置されてたんだけどね。最近はまた使われてるみたいよ」
「最近?」
「ええ。ある貴族様が援助してくれる事になったの」
「貴族、ですか?」
「確かアルディ男爵っていったかしら」
「…………それは、いつ頃から?」
「ええっと、三ヶ月くらい前かしら。でも、折角援助してもらっても、皆存在すら忘れていた教会だから、まだ誰も通っていないみたいね」
「………………」
気の良い女性に礼を述べると、セリアはその教会の前に立った。自分が探している教会である可能性があるからか、改めて見るとやはり怪しい。そんなセリアの視線を気にすることなく、教会は尚もひっそりと佇んでいた。
貴族がいきなり援助金の寄付を申し出るとは、どうも気になる。それも、ここ最近のことだ。貴族が教会や慈善事業に寄付をするのは珍しい事ではない。自分の財産なのだから、好きにしていい筈なのだが。
しかし、こんな裏町の小さな教会を、何故急に援助する気になったのだろうか。しかも、ずっと使われていなかったのに。
可能性の域を出ないが、確かめる必要がある。そう思ってセリアはゆっくりとその扉に手を掛けた。
「失礼しま……うっ!!」
恐る恐る覗いた内装に、セリアは思わず後ずさった。それは、中が薄暗い所為でも、人が居ないからでもない。その中が、蜘蛛の巣だらけだったからだ。
視線を彷徨わせると、埃や汚れは綺麗に掃除されているのに、何故か蜘蛛の巣だけはそのままになっている。まるで、蜘蛛の巣だけはわざと掃除していないかの様だ。どうやったらこんな器用な事が出来るのだろうか。
まだ人は通っていないと言っていたが、確かにこんな蜘蛛の巣窟の様な教会、誰も来たがらないだろう。
すっかり怖じ気づいたセリアだが、ここで諦める訳にはいかない、と勇気を出して中へ入る。一歩進むにも、注意して避けなければ蜘蛛の巣に頭から突っ込みそうになった。
後ろ手に扉を閉めると、中へ光を届けるのは、壁にある小さな窓のみ。それも、申し訳程度の大きさしかない窓で、入って来る光もほんの僅かなもの。かなり不気味な雰囲気に、セリアは帰りたい気持ちで一杯であった。
本当に援助を受けているのだろうか、と疑いたくなってくる。もう少し、小綺麗にしても良さそうなものだが。他は綺麗に掃除されているのに、蜘蛛の巣が全てを台無しにしているのだ。
一歩一歩躊躇いながらも進んで行くと、気付かぬ間に別の気配が背後に迫っていた。
「………どうしました?」
「ひぐわぁっ!!」
突然後ろから聞こえた声に、セリアは訳の分からない悲鳴を上げてしまった。
バッと振り向くと、そこには黒いローブを着た男性。頭に白髪が混じり始めている顔は、どこか青白い。ヒョロリと頼りなげに立っている男の頬は痩せこけていて、この場に似合う程の不気味さを醸し出している。しかし、何故か目だけは血走っていた。それが更に怪しさを強調させる要因となっている。
その不気味さにセリアもうっと一歩後ずさりそうになるが、流石にそれは失礼だろう、と何とか平静を装った。
「その、すみません。勝手に入ってしまって」
「いいえ。貴方の様な若いお嬢さんに来ていただけるとは、光栄です」
ジリジリとこちらににじり寄って来る男性に、遂にセリアも耐え切れなくなり一歩後ろに下がった。すると、下から感じた僅かな空気の流れ。おや?と思い視線を下げるが、木製の床板があるだけだ。しかし、所々板の間に隙間がある。其処から風が流れたのだろうかと思ったが、すぐにヨークの言葉を思い出した。デナトワーレは教会の地下を利用していたと。
「あの………ここは教会ですか?」
見れば誰でも分かる様な質問でも、今セリアに思い浮かぶのはこれだけだった。聞きながら男に歩み寄るふりをして、わざと強く床板を踏む。大きな足音が木霊する中、僅かにだが何かが転がって行く音が混じっていた。小石か、床板の欠片かは分からないが、確かに下へ転がり落ちている。恐らく、地下へ向かって。
男はセリアの意図に気付いていない様で、セリアの問いににっこりと答えた。
「はい。すっかり寂れてみえますが」
「神父様」
蜘蛛の巣の後ろから声が聞こえたと思うと、壮年の男性が現れた。背が高く、肩幅もそれなりにある男性で、静かにこちらへ歩いて来る。
薄暗い中では、蜘蛛の巣の後ろに壁があるのか、扉があるのかはっきりと確認出来ない。突然の男の登場に、セリアはギョッとしてしまった。
「私はこれで失礼させてもらうよ」
「はい。では、また」
「ああ……おや?」
そこで男は漸くセリアの存在に気付いた様で、驚いた様な視線を向けて来た。
「これは、珍しい客がいるな」
「えっと……」
「どうも。私はキース・アルディだ。フロース学園の生徒にこんな場所で会えるとは、光栄だよ。お嬢さん」
「っ!!!」
セリアは、男がこの教会を支援しているというアルディ男爵だという事よりも、フロース学園の生徒だと言い当てられた事に動揺した。しかし、考えてみればそれは当然である。なにせ、慌てて出て来たセリアは、学園の制服を着たままなのだから。
何を言おうかと迷い、混乱しそうになる頭を捩じ伏せて、セリアは無理やり冷静さを取り戻す。
「セリア・ベアリットと申します」
「学園都市にいる筈の生徒が、何故王都に?」
「あ、いえ。その…………えっと……」
「……ああ。やはり聞かないでおこう」
「…………?」
上手い誤魔化し方が思い浮かばず、言葉に詰まったセリアが何かを言う前に、アルディ男爵が制した。
「私も学生の頃は、よく学園から抜け出したものだよ」
「はっ?」
「私はフロース学園の卒業生でね」
「あっ、そうなんですか」
セリアはアルディと会話しながらも、決定的な証拠が無いかと視線を気付かれない程度に彷徨わせていた。しかし、中々それらしき物が見つからない。地下があるのは分かったのだから、そこを調べれられれば文句は無いのだが、彼等がいる限りそれも難しいだろう。
「どうだろう。私と食事でもしながら今の学園の話を聞かせてくれないだろうか?」
「はっ、はい?」
突然の申し出にセリアは、つい声が裏返ってしまった。その反応にアルディ男爵は、ふっと笑みを深くする。
「これは失礼した。会ったばかりの若い女性を急に誘うのは礼儀知らずだったかな」
「い、いえ……」
アルディの申し出にセリアは考え込む。まだ確証は無いが、ここはデナトワーレが使用している教会かもしれない。女性の遺体が捨てられた場所からそう離れていない位置にあり、地下まで存在している。何より、無数に張り巡らされたこの蜘蛛の巣も気になる。もし本当にこの場が集会場だとすれば、このアルディ男爵も、後ろでセリアの逃げ道を塞ぐ様にして立っている神父も、関係者の可能性が高い。
敵を見つけた時に最も難しいのが、内側に入り込む事だ。しかし、これは一番敵の体制を崩し易くする方法でもある。なにより、今は令嬢が一人捕らえられているのだ。どんな形であっても、彼女を見つけられるかもしれない。
「あの、もし宜しければ是非ご一緒させて下さい」
「おお、勿論だ。外に馬車を用意している」
そう言って歩き出したアルディの後を、セリアはゆっくりと付いて行った。後ろから、神父と呼ばれた男が未だに怪しい視線を送っているが、気にしてはいられない。恐らく、それなりの事態は覚悟しなくてはならないだろう。
アルディ男爵が言った通り、外には先程までは無かった筈の、真っ黒な馬車が止まっていた。その馬車が醸し出す嫌な雰囲気に、セリアも乗り込む事を躊躇してしまう。しかし、中からアルディが手招きしているので、セリアも怯む足を無理矢理動かした。
セリアが連れて来られたのは、王都を出た直ぐの場所にある屋敷。貴族の屋敷の筈だが、ローゼンタール家の城を一度見てしまうと、やはり何処か迫力負けしてしまっている。
ゆっくりと止まった馬車から降りるセリアだが、既にここで可笑しいと普通なら考えるだろう。会ったばかりの、しかも少女を、自分の屋敷まで招き入れる男も、安易に付いて行く娘も、本来なら皆無な筈である。流石のセリアでも、これは怪しいだろうと思ったが、敢えて何も言わない。アルディも分かっているのだろうか、特に気にしている様子は無かった。道中はどちらも口を開かず、先程から嫌な沈黙が続いている。
屋敷に入り直ぐに通された部屋には、既に食事の用意が整えられていた。アルディに導かれて、セリアはゆっくりと椅子に座る。その間もかなり緊張し続けているのだが。その所為で食事が始まっても、物は殆ど喉を通らず、味も分からなかった。それに、馬車に乗った時から気を張ったままなので、非常に疲れる。
そんな気まずい雰囲気の中、アルディが突然言葉を発した。
「ところで、あの学園には今優秀なマリオス候補生達が居るそうだね。どんな少年達かな?」
「えっ!あ、はい。それは、えっと……」
「ああ、君の様なお嬢さんには、答え難い質問だったかな」
あの心配性で、個性的な彼等をどう言葉に表そうか悩んでいたセリアを、アルディ男爵は別の意味で捉えた様だ。どうやら、セリアも候補生達に熱を上げ、言葉だけでは彼等に対する感情を表現しきれずに悩む乙女達の一人と見たらしい。
「まあ時代は違っても、歴代の候補生とは常に近寄り難い空気を放っているからね」
「は、はぁ……」
昔の事は分からないが、今の候補生はそんなこと全く無い、と思いながらも、ここは大人しく頷いておく。
他愛のない会話の間も、アルディ男爵が、何処か自分を見張る様な、そんな瞳を向けている事が、セリアは気になっていた。その視線がセリアを余計に緊張させる。
その瞳の所為でつい力が入ってしまったセリアは、横にあったグラスに手を伸ばした途端、それを床に落としてしまった。中の液体が飛び散りながら、弧を描いて落下して行く透明なそれを、呆然と目で追う。
あっ、と思った時には既に遅く。派手な硝子が割れる音と共に、グラスは床に叩き付けられてしまった。
「ああっ!す、すみません!!」
しまった、と思いセリアは慌てて椅子から立ち上がり、床に散らばった硝子の破片に手を伸ばした。その姿を、アルディも慌てた様子で止める。
「き、きみ!!そんな事は使用人に任せれば良い」
「あっ!!」
言われて初めてセリアは自分の失態に気付いた。床に膝を付いて硝子の破片を拾うなど、貴族の令嬢に相応しい姿などでは決してない。しかし、咄嗟だったのでセリアは思わず硝子を拾い集めようとしていたのだ。
己の失態に絶望しそうになるが、そこは我慢して再び椅子に腰を下ろした。
「すみません」
「いや、気にする必要はないよ。それより、一つ聞きたい事があるのだが、いいかね?」
「えっ?……はい」
「君はどうしてあの場所に?」
「……っ!!」
突然の問いにセリアは息を呑んだ。アルディの声があまりにも冷たく聞こえたので、背筋に悪寒が走る。カールの静かな冷たさとは違う、どこか黒いものを含んだ様な声だ。
「探検にしては、少し場所が遠すぎる様に思うのだが」
「…………」
「規律がそれなりに厳しいフロース学園の生徒が、こんな時間に門の外に、ましてや王都にいるのには、何か理由があるのでは?」
「………………」
視線を上げた先では、テーブルに肘を付いて、手の上に顎を乗せたアルディ男爵。こちらに向けられたまま動かない瞳に、セリアも目を逸らせなくなってしまう。
「何かを探していたのかな?」
「っ!?」
ニヤリと怪しい笑みを浮かべながら発せられたその言葉を聞いた瞬間、セリアは確信した。バレている、と。ならば、彼は自白したも同然だ。自分から、セリアが探している物に関わっている事を示したのだから。
「私、そろそろ失礼させて戴きます」
「それは残念だが、考え直してもらう必要があるな」
「うっ!?」
セリアは立ち上がった瞬間、激しい立ち眩みに襲われた。グラリと歪む視界と、足下から来る急な痺れに抗えず、そのまま床にしゃがみ込む。
「私は用心深くてね。君を帰す訳にはいかなくなった」
「くっ!!何を……?」
「ただの睡眠薬だ。安心したまえ。といっても、もうあと数日の命だろうがね」
「………デ……ナト……ワーレ」
「やはり知っていたか」
こうなってしまえば結論は簡単だった。彼は自分を解放する気は無いのだろう。ならば、せめて確証が欲しかった。彼の口から決定的な言葉を聞きたかったのだ。
その確信を得た瞬間、セリアは柔らかい絨毯が敷き詰められた床に崩れ落ちた。
「近況報告っていっても、何でこんなに時間が掛かるんだ」
「仕方がないだろう。やはり、他の生徒の動向で、最近気になる事が多少あったのは事実なのだから」
「まあ、普通の時なら、そう目立つ行動でもなかったんだけどな」
候補生達が解放されたのは、もう既に夕日が辺りを赤く染め始める時間だった。
突然の校長の要望だったとはいえ、やはり候補生。もう以前から生徒達の動きには警戒していた様で、気になった点を幾つか報告してきたのだ。
「すっかり遅くなってしまいましたね。この分では、王都へ行くのは無理でしょう」
「これだけ待たしちまったんだ。あいつ今頃どっかで眠りこけてんじゃねえか」
イアンは軽く笑っているが、正にその通りだとは、この時は誰も想像していないだろう。
そのまま学園内を少女の姿を探して回るが、中々見つからない。彼女の行きそうな場所は一通り調べた筈だが。
「先に寮へ帰られたのでは?」
「それなら良いのだが……」
胸に走った嫌や予感を振り払う様に言ってみたが、その可能性が低い事は全員が分かっている事であった。こんな時に、セリアが自室で大人しくしているなどあり得ない。
「……まさかな」
「………………………」
不安は拭い切れない候補生達だったが、もう一度学園内を探すため、足を校舎へ向けた。
これだけ探して居ないとなると、考えられるのは…………
とにかく、我々も一刻も早く向かわなければ。
一体、何度同じことを繰り返すのでしょうか。どうすれば彼女に届くことが出来るのでしょうか。焦りと不安ばかりで走り回るだけしか出来ない。
でも今は、ただひたすら貴方の無事を祈るばかりです。




